4、
2人が慌ただしく去って行く迄を見届けると、呆気にとられ動けずにいたミルティは我を取り戻した。
(あんなルシウス初めて見た)
いや、実際凍てつくような、悪魔のような、どこか狂気を孕んだような表情はお目見えしたことはある。ロゼがミルティに抱き着いた時のルシウスの表情を思い出し、ミルティはブルリと身震いした。
が、しかしミルティは腑に落ちない――
それらは大抵、ルシウスの一方的ともいえる約束を破った時かルシウスが知らない男がらみでしか発生したことがない。
(約束なんてしてないし、あんなにかわいらしいお嬢さんだったし……)
女の子同士のなれ合いは別にルシウスの逆鱗に触れたことはない。それなのに、今回のあのルシウスの態度。
(一体何がいけなかったの?)
うーんと考えれば考えるほど何も問題がなかったのにとわからなくて首を捻る。
女の子同士の馴れ合いでふれ合ったのは問題ないのは間違いないことで。
約束は破っていない。と言うか、そもそも何も約束などしてもいない。
(いつもと違うことと言えば……)
違う事と言えば、いつもはルシウスが許可してくれたお茶会で会う方ばかりだったのが、今回はお茶会でなくルシウスの友人で事前に会うことを知らなかったと言うことのみ。
勿論社交のみならずお茶会も当たり前のようにルシウスがしっかり把握していたので必然的にそこで出会うのはルシウス基準で振るいにかけられ合格した人物ばかりなわけで……。
とすると、考えられることはただ一つ……。
会うこと自体が許可されてなかったという事だけだ。
(ルシウスが許可してないのに彼女とふれ合った、から?)
けれど、相手は女の子だ。
多少のルシウス基準の選抜はあったとしても普段は同性同士でふれ合っては行けないと言われた事などない。
しかしルシウスの機嫌を急降下させてしまったのはミルティがルシウスにとってして欲しくない事をしたという事は間違いない。
「ってことは、彼女に触れてほしくなかったってこと?」
ミルティであっても彼女は誰とも触れさせたくなかった。唯一落としどころをつけるとすればここだろう。
けれどもそれは――
(自分以外以外に触れて欲しくないくらい大切な人ってこと?)
『大事な人』……そう思うとズキリと胸が今までにないくらいに痛む。
今までミルティ、ミルティって言って私のそばから離れなかったくせに。
ずっとルシウスはシスコンでい続けるものだと思っていた。だからルシウスが姉離れできるようにミルティの方から離れなければ行けないと思っていたのに。
ルシウスはもうとっくに姉離れしていたのかも知れない。知らなかったのはミルティだけで。
(なによ、それ……)
今まで引く位にミルティにぴったりついていたルシウス。そのせいで周りからも少しひかれて遠巻きにされ、出会いがなくなり行き遅れているのに……。
いや、行き遅れている事は正しくはルシウスのせいだけではないのかもしれないけれどもという事はさておき。
自分だけ大切な人を見つけていたの?私に内緒で?
しかも屋敷にまで呼ぶなんて………
『可愛くなったら来てって――』
先ほどのロゼと呼ばれた少女の言葉が脳裏に浮かぶ。
(あんなに可愛らしい女の子が更に可愛くなるまで連れてくることを我慢してたの?それほど前から入れ込んでたの?)
『悪いけどちょっとロゼは見られたくないから――』
(見られたくない?私にも紹介したくないくらい独占してたいの?そんなに思い入れてるの?)
『ミルティ――』
甘く囁くように心をざわつかせる声に対する記憶が、今はいつもと違う意味でミルティを落ち着かなくさせる。
(あんなにミルティミルティ言ってたのに……)
考えれば考えるほど、ミルティの心にモヤモヤとしてそれでいて沸々とした思いが沸き上がらせる。
「……ルシウスのバカ。いいわ、覚えてなさい」
ルシウスがその気ならもう知らないんだからと、ミルティは口を固く結ぶとその場からはしたなくも駆け出していた。
★☆★☆★
(怖い……)
全身に滝のように流れる冷たい汗に、心臓を破壊するかのような速まる鼓動。加えてこの極寒とも言える室温。
「おかしいなぁ?俺の聞き間違いかな?ねぇ、ミルティ?」
いつも通りの柔らかな声の筈なのに、その問いかけの答えを間違えたら命は無いかのような気さえする。天使のような微笑みを顔に張り付けているのに、ルシウスのブルーの瞳は氷のような冷ややかさを含み間違って直視すれば凍りつくのではないかとミルティは思わず目をそらした。
そして恐怖で叫び出しそうになりながらも必死で震える手を握りしめ声を絞る。
「い、い、いいえ。間違いじゃ、ない、です」
(ここで折れちゃいけない。がんばれ私!)
というか相手はただの義弟だ。そしてミルティは義姉。ここでいつものように彼の言いなりになっていてはいつまでも変われないと何とかなけなしの勇気で自分を鼓舞する。
(ル、ルシウスにはもう運命の相手がいるのだから……)
今度と言う今度は自分だっていい加減に見つけに行くのだ。
運命の男性を。
ただそれだけの事だ。
悪いことなど一つもしていないはずなのに、どうして自分は今蛇に睨まれたカエルのように身動き一つできずにいるのだろうかと思わず目じりに涙がたまりそうになるのをミルティはぐっと堪えていた。
ミルティの脳裏に浮かぶかわいらしい少女。
胸がきりりとするけれと、それが残念な事に今ルシウスに対抗するためのミルティの唯一の支えになっていた。
「間違ってないなんておかしいよね、ミルティ?俺は今日こんな会があるのも知らなかったし、行ってもいいなんて言った覚えもないよ?それなのにどうしてミルティはそんなに閉じ込めたくなるくらい可愛い格好をして一人で行こうとしてるの?」
ルシウスの鋭い視線の先にはドレスアップしたミルティがいた。
熟れた果実を連想させるようなうっすら赤く色づいた唇。
怯えながらもゆっくりとなにかを訴えるようにルシウスを見上げる、甘く潤んだ瞳。
白く透き通った肌を鎖骨下までさらし、背中は大胆にも広く解放されミルティの意外にも女性らしいボディラインを際立たせるうす緑のドレス。
普段は下ろしている甘いミルクティブラウンにも似た栗色の柔らかい髪は今日はアップにされ、うなじ付近の後れ毛がドレスに相まって妙齢のミルティの女性らしさだけでなく色気を引き立てる。
この日の為にミルティが全力でルシウスに内緒にしながら仕立ててもらった渾身のドレスだ。
そんな努力の結晶を閉じ込めたくなるくらい可愛いと言われれば極寒の恐怖にたたされてれいる癖に、密かにミルティの心の奥を喜びで暖める。
「駄目だよミルティ。そんなんじゃ周りに襲ってくれって言ってるようなものだよ?今日はそんな夜会になんて行かないで。ちゃんと俺が招待を断っておくから、大丈夫」
さあ、いい子だから部屋に戻ろうとルシウスがミルティに向けて手を差し伸べてくるもミルティはさっと一歩引き下がりルシウスから伸ばされた手を避けた。
「……いい子?」
ドレスを褒められわずかばかりに暖まった心の奥に再び冷気が流れ込む。
「ミルティ?」
すかさず手を避けられたルシウスの眉間に皺が刻まれるが、ミルティは再びうつむいてしまったのですぐには気づけなかった。
「い、いい子だからとか言わないで!私は、貴方よりお姉さんなのよ!そ、それにわ、私がどこに行こうと誰を選ぼうとルシウスには関係ないん――」
「ミルティ?」
ルシウスには関係ない。そう言いたかった言葉はルシウスの低い声に遮られる。
部屋の温度は先ほどより格段に下がっているような気がしてミルティは思わず身震いしてしまっていた。思わず再びルシウスを見上げればその青い目は光が失われ完全に凍り付いたかのように冷たい視線に変わっていた。それを見た瞬間、ミルティはいつぞやの社交界での出来事が思い浮かぶ。
(こ、これは……)
やばい。ルシウスの逆鱗に触れてしまったとミルティは本能的にさらに後ずさる。
「ミルティ……?なにそれ?誰が誰を選ぶ?はあ?」
そんなミルティにルシウスがじりじりと距離を詰めより、触れようとした瞬間--
「もう!ミルちゃん!いつまで待たせる気?」
バン!とけたたましい音を立てて部屋の扉は蹴りあけられたのだった。