2、
「ねえ、お父様」
「んー?」
なんだい?と仕事の書類に目を通しつつも、優しく微笑む父にミルティは頬杖をつきながら問いかける。
今日はルシウスが貴族学校に行く日だ。
ちなみに貴族の子は主に自宅で家庭教師に学ぶが、爵位を継ぐ子は必ず週に何度か貴族が通う貴族学校に行くことが義務付けられている。
その為これがチャンスだと意を決して、ミルティは父の書斎に押しかけていた。
父は普段は領地の視察などで家を空けがちだが、運よく今日は家にいる。おまけに仕事中であっても彼がミルティを書斎から追い出すことはない。
いつもミルティに優しい父だから。
そう踏んで父のもとに行けば思った通りに事は進み、むしろミルティを歓迎するかのように目の前のテーブルの上にはお茶やお菓子が並べられはじめていた。
そんな中さあ聞くぞ、とミルティはお茶を一気に飲み干し真剣な表情で父を見据え、
「お父様、率直に申し上げますわ。私にどこの殿方でもいいので婚約者をください。」
ミルティのその一言に優しく微笑んでいた父の顔が固まり、書類を裁いていた手に握られていた羽ペンはバキリと音を立てて2つにわかれる。
「お父様?」
固まったままの父を不審に思いミルティが首をかしげれば、心なしか父の表情は微笑みのままのどこか強ばっているようにも見える。
「ミルティ?ルシウスと何かあったの?」
「え?ルシウスとは何もないですよ?」
なぜここでルシウス?
不思議に思い首をかしげれば父はコホンと咳払いをしつつ折れたペンを手放した。
「そう、それならいいんだけど……。でも、こんな話ルシウスが聞いたら……。」
ルシウスがこれを聞いたら……
そんなの決まっている。
ルシウスのシスコンぶりは只の過激なスキンシップに現れるだけにとどまらない。
ミルティがこの家から、ルシウスから離れようとすればする程拗れていっている。
だからこの案件は、まず間違いなく彼は怒るだろう。
なぜなら、この手の話はもはやルシウスにとって逆鱗と言っても過言でないのだから。
既に過去に彼の前で2回逆鱗に触れているミルティだからからこそわかる。
1度目は普段からミルティにぴったりくっついて離れないルシウスとたまたま会場ではぐれてしまい、さらにたまたまそこで知り合ったどこかの令息といい感じになってきて浮かれていた時だった。
普段天使で隙のない彼が珍しく慌てながらミルティを探していたのに、肝心のはぐれたミルティが呑気に他の令息と会話を弾ませていたのだ。そんなミルティを見るなりルシウスの機嫌は急降下し、まるで見せつけるかのように突如その場で過度なスキンシップをしてきたのだ。そしてそれに耐えられずミルティがルシウスから逃げるように離れ、出会ったばかりの令息にしがみつき『ルシウスなんて嫌い!もうこの方を好きになったから婚約しちゃうんだから!』と叫んでしまったのだ。ミルティの一言は見事に天使な青年の逆鱗をクリーンヒットさせてしまったのだ。
(あの時のどこぞの令息様はあのあとどうなって、今はちゃんとお元気なのかしら……)
思わず視線を父の書斎の窓に向ける。
彼が元気かどうかわからないのは、逆鱗に触れた後の記憶がミルティにはないからだ。
と言うよりも思い出せないし思い出したくない気がする。
唯一ルシウスの人を視線で殺せそうな、見るだけで足元から震え上がるような感じがしたような記憶だけはある。
因みにその後気づけば令息の姿は会場のどこにもなく、ミルティもルシウスに抱き締められたまま帰路につくことになった。そして残念な事に、その一件いらいなぜかルシウスにより社交のお誘いを必要最低限しか参加できなくなる制限が加えられてしまった。
もちろん参加できたとしても社交会場ではルシウスから離れる事は許されず、少しでも離れようものなら直ぐに屋敷へ直帰されてしまうと言うお約束までできてしまった。
その事に抗議すれば、天使は魔王となり今もミルティは社交界への積極的な参加券をルシウスから勝ち取れないでいた。
2度目の逆鱗はたまたま父の書斎に遊びに来ていて、何気なくルシウスの前でこれまたたまたま送られてきた見合いの写真をみてその殿方を褒めた挙句『私、この方と結婚する時こんな風にウェディングドレスを着て愛し合うのね』とさらにたまたま着ていた白いワンピースをウェディングドレスに見立てて見合い写真にうっとりした時だ。
たまたま気分が乗っていただけで、普段はそんなことをしないのに……。
その直後のルシウスの視線と行動は狂気を帯びていたような気がする。
あくまで気がするのは、書斎にいた父がミルティの視線や耳を直ぐに塞いできたのでよくわからないからだ。しかし、そのおかげでこちらの出来事は幸いにもミルティに恐怖を与えなかったのでちゃんと覚えている。
因みに目や耳が父から解放された頃にはいつものにこやかに微笑む天使なルシウスとげっそりとした父が並んでいるだけで、いつの間にか見合いの写真は跡形もなく消えていた。もちろん写真がどこに行ったのか等聞く気にもなれなかった。
それに、その後ミルティが白いワンピースを着ると周りもミルティ自身も引いてしまうぐらい、ルシウスがやたらと密度が激しくなるため白いワンピースはきれなくなってしまった。
(あの写真は結局どこに行ったのかしら?)
窓に向けていたミルティの甘いミルクティのような淡い茶色の瞳は泥水のようにくすんで濁る。
そして逆鱗事件以降ミルティは自分の見合い写真等を見ていない(そもそももう送られても来ていない?)。
だから、こんなミルティの結婚を示唆するような言動はルシウスの前で等絶対にできるわけがないのだ。
「まったく。ルシウスがお姉ちゃん離れできていないから私が行き遅れるのよ」
(というか、これ以上ルシウスと一緒にいると私が義姉としての対面が保てない……)
魅力的過ぎるルシウスはミルティにとって過ぎる媚薬だ。
効きすぎる媚薬はいつか姉弟の距離を壊してしまいそうで怖い。
「まあ、ルシウスの話は置いておくとして。ミルティは婚約したいの?それとも結婚したいの?」
濁った眼で窓を見続けるミルティに優しいまなざしで父が問うてきた。
「そうねえ。正直わからないわ。結婚に憧れがないと言えばうそになるけど……」
チラリとミルティはにこやかに微笑む父を見る。
(お父様とお母様を見ていると結婚てなんだか正直時々わからなくなるのよね)
不仲ではないが、つかず離れずの父と母。
そんなミルティの視線に気づいた父は苦笑いをこぼした。
「僕らが君に世間一般の憧れを持たせてあげれない原因だとしたら申し訳ないね」
でも、と父は続ける
「僕らは別にお互い嫌い合っているわけでもないし、これでも一応不幸せなわけでもないんだよ。ただ僕らはお互いが見たい景色がもともと違っていてどうしてもそれを譲れないだけなんだ。もちろんお互いがその景色をあきらめる事は良くないと思っているしね。まあ、夫婦にもいろんな形があるんだよ。僕もサリーもそこでいろんな折り合いをつけてそれぞれの景色の中で幸せに暮らしているだけだよ。それでも……」
カタンとデスクから立ち上がると父はミルティの柔らかい肩まで伸びた茶色の髪を一房掬い取り口づける。
「僕らの人生という景色で唯一君という景色だけが共通して素晴らしく映っていて、君が笑ってくれている事が幸せに感じる事はサリーと一緒なのは間違いないことだよ。」
優しく微笑む父にミルティはじんと胸が熱くなる。
「ありがとうございますお父様……。そうね、いろんな夫婦の形でもいいわよね。……うん。やっぱり、私結婚がしたいです。なので、お父様私に婚約者を決めて下さい!私、年内にもその方と結婚します!」
(脱シスコンの為に!)
決意新たにミルティが瞳を甘いミルクティのように輝かせ立ち上がれば、父は困ったように笑う。
「まあ、焦らないで。それにミルティが幸せなら僕らは誰でもいいんだけど。ところで……ミルティ、ルシウスは好き?」
「ルシウス?勿論好きですわ」
思わず即答してしまう自分はもう完全なブラコンであると気づき微妙に答えた後から恥ずかしくなってしまっていた。
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