嵐が来たけど
波に揺られて、ザザンザザーン。
風に吹かれて、ビュービュルルー。
「ひゃー、外は酷い嵐だったねー」
「むぅ、酷い雨だった……」
「二人とも、見回りお疲れ様。はい、タオル」
全身びしょ濡れになったクゥリルとアンリが船室へと戻って来た。クゥリルを迎える様にタオルで拭いてあげて、アンリには投げ渡す。
「……ふぅ、ありがと。しかし、この様子だと嵐抜けるまでしばらくかかるかな」
出航当日はあれだけ晴天だったのに、今はそれが嘘のように嵐に見舞われてしまった。それまで順調に進んでいた航海も無理に進むこともできず、嵐が落ち着くまで停滞している。
「そういうのって分かるものなのか?」
「まぁね。これでもボク、何度も船に乗ってるからね」
勇者なのに何故か船乗り経験豊富だと言い張るアンリは、その言葉の通り、凄い活躍を見せていた。事前に嵐が来ることを予期して帆を畳むように言ったり、実際に嵐になったら率先して働き回り、先ほども危険を顧みずに嵐の中見張り台に登って様子を見ていたほどである。
「まさか、アンリにこんな特技があったとはな」
「うんうん、アンリが役立ってるのって、もしかして初めて?」
「ちょっと、二人とも酷いよ! ボクだって頑張ってるんだよ! まぁ、その、ちょっと間が悪いって言うか、失敗することも多いけどさ……」
アンリはこれまで散々振り回されてきたことを思い出したのか、タオルに被さって項垂れた。まぁ、研究の協力と称して、いじられたり、雑用させられたり、実験台になったりと、割と扱いが酷かったので仕方ないか。
「それよりさ、アンリ。これで沈んだりはしないよね?」
「このぐらいの嵐なら大丈夫だよ、クゥ。ボクが乗ったことある中でも一番凄い船だし、滅多なことじゃ沈まないよ。それに川とか湖に比べると海は魔力豊富だから、落ちたとしても浮くから大丈夫だよ」
「ん? それってどういうことだ?」
「どういう事って言われても、魔力が多い方が沈んで、少ない方が浮くって当たり前のことじゃ……」
つまり、この船は浮力の関係で浮いているわけではなく、この世界特有の魔力の法則で浮いていたのか。そうなると気球がまともに機能しなかったのも合点が行く。あれは浮力を利用して空を飛ぶものだし、法則そのものが無ければ浮かないのも当たり前だ。
「なるほど、元いた世界と異世界とだと、こういう常識すら違うのか」
「? ああ、それとこの嵐じゃ、もう一つ問題があって……」
思い出したかのように、アンリが何かを言おうとした時、――ドオォーンと船内に重厚な金属音が鳴り響いた。
「って、言ってるそばから来ちゃったよ!」
「来たって、何が?」
「説明は後で! 知りたかったらついて来て!」
そう言ってアンリはまた外へと飛び出していく。それを追って船外に出ると、相変わらず激しい雨と風が吹き続けている。
ただ、先ほどと様子が違い、この嵐の中で船員たちは腰にロープを巻き付けながら、船縁に立って何かを突き落すような作業していた。さらに先ほどの音の正体は、甲板には設置された銅鑼のようで、時折この銅鑼を叩いては、ドオォーンと鳴り響かせていた。
「これは一体?」
「海獣が出たんだよ。本来は海の底にいるんだけど、この嵐のせいで海の中がかき回されて、ここまで上がって来たんだ」
――バシャーン……ドシンッ。
海面から勢いよく船上に飛び乗ってきたのは、セイウチとサメを掛け合わせたような巨大な生物。横殴りの雨にも負けず、船員たちサスマタのような長い棒を突き出して海に押し戻そうとするが、海獣はぶもぉぉと吠えて抵抗する。
「あー……もう一つの問題ってこれってわけか。この音もその海獣対策の一環ってやつか」
「うん。アレが海獣除けの銅鑼なんだけど……どうやら効果が薄いみたいだね。とりあえずボクたちも手伝わないと! もう上ってきた海獣はボクたちが相手するよ、クゥ!」
「わかった」とクゥリルは応え、すぐに行動に移す。何倍もの体格差があるはずなのに、一足で飛び出した一撃で海獣を外へと吹き飛ばした。
「みんな、手伝いに来たよ!」
「おお、勇者様がやってきたぞ!」
「それに、一人帝国騎士団様のお出ましだ! これなら負ける気がしねぇ!!」
「よそ見厳禁。まだまだ来てるから、前見る」
「「「ハッ!」」」
二人の登場に一気に士気が高まる。次々と海面から飛び出してくる海獣相手に、船員たちはひるむことはなく向かっていく。てんやわんやとなりながら、デカい海獣は数人がかりで、船の側面に張り付いて上ってくるヒトデっぽい海獣も足元に注意して、互いに協力し合い海獣を海へと落とす。
「ふむ、どうやら我は不要だったようだな」
「おいおい、お前も前に出てきてもいいのかよ、ジーク」
一連の作業に気を取られていたら、いつの間にかジークもやってきていた。その後ろには止むを得ずといった様子でオージンさんも控えている。
「私も言ったのですが、陛下は一度そうと決めたら止まりませんから……。いざという時は私の身を犠牲にしてでも守る所存です」
「ふん、君主たる我が前に出てこそ士気は高まるというものだ。まぁ、この様子なら必要もなかったがな」
ジークの性格からして黙って見てるようなタイプでもないし、前に来るのは必然か。流石にそのまま船上に出られると危険なため、他の船員同様に命綱を付けられていた。
クゥリルとアンリは命綱付けてないが大丈夫なんだろうか。特にアンリは何かやらかしそうで不安だ。
しかし、その不安とは裏腹に慣れた足取りで、揺れる船上でもしっかりと踏みしめ海獣を相手取る。船は慣れていると言っていただけのことはあった。
しばらくすると、海獣たちの出方も落ち着いてきたのか、船上に登ってきた海獣が自ら海の中へと戻っていく。これに周囲の船員たちはやり遂げたと、誇らしく勝利の雄叫びを上げていたのだが、何かを察知したアンリが一人叫ぶ。
「待って! 何かおかしい……ッ!」
瞬間、海上に立ち上る長い柱。それは一本どころではなく、二本三本と無数に生えて、軽く数えただけでニ十本以上はあった。よく見れば、それは軟体生物の足そのもので、ウネウネと動いている。つまるところ、また別の海獣が現れたということだ。
『オオオ、ニオウ……ニオウゾ……。我ガ祖ノ仇、邪悪ナル者ノニオイダ……』
海中から姿を現したのは船以上の大きさの、超巨大なタコの海獣。
まるで探るように独り言を漏らす声は、あの時を彷彿させる感じで……しかし、あの時ほどの威圧は、この海獣からは感じることはなかった。
「なぁ、もしかしてアレが海の主だったりする?」
「ハッハッハ、海の主などただの作り話だ。あれもタダの海獣の一体に過ぎん」
「しかし、デカいなぁ……」
「うむ、デカいな……」
圧倒的なデカさに呆けていれば、そのデカい頭がこちらを向く。巨大タコが狙いを定めたのか、明らかに恨みがましい視線を感じる。
『アア、ヤハリソウダ……。ミツケタ……ミツケタゾ!!』
「うわぁ、こっち見てきたけど大丈夫かこれ?」
「安心するがよい、我が国の最新鋭の船に精鋭達だ。何があろうと沈むことはない」
自信満々にそう言い切るが、あの巨体で押しつぶされたら流石に沈むと思う。
巨大タコは動き出し、一本の足がこちら目掛けて、振り落とされた。
「……それに、ダンナには最強の守護騎士が付いているではないか」
だが、それは船に直撃することはない。振り下ろされた足はバラバラに、クゥリルの手によって細切れにされていたからだ。
『ナゼダ……。ナゼ、邪悪ナル者を庇ウ!!』
「……旦那様の敵」
言葉は伝わっていないだろうに、本能で察知したのか明確に俺へと殺気を向けてきたのを感づいたクゥリルが敵と認識した。
船に上がって来ただけの海獣には蹴り飛ばして海に戻すだけだったが、この海獣には一切の容赦はなく、明確な敵意を放つ。一瞬、巨大タコがひるんだような気がするが、一本がダメなら数で押すとばかりに、今度は四方から足を振るう。
「ふむ。やはりこれほどの人材、手放すのは惜しいな」
その全ては容赦なく切り落とされる。ジークが関心に思うのも、船員たちが呆気にとられるのも理解できる。だから、ジークはそんな目でこちらを見るのは止めろ。
『オオオ……オノレ、オノレェエエエ!!』
怒り狂った声が響くが、他の人たちにはただの海獣の咆哮にしか聞こえていないのだろう、煩そうに耳を塞いでいた。
その間に巨大タコの口にエネルギーのようなものが集約し始める。一目でかなりヤバイものだというのは分かるが、何故こういった奴は口からブレスを吐きたがるんだ。
『マトメテ、沈メェェ!!』
集約したエネルギーが球状となり放たれる。
――空に向かって。
既に終わっていた。巨大タコは自身が切られていることにも、その巨体が倒れていく事すら気付くことなく、何もない空目掛けて放っていただけ。
「ん、晴れた」
空を見上げると太陽が顔をのぞかせていた。どうやら最後に放たれたエネルギー弾は嵐を吹き飛ばしていたようだ。
「凄い凄い、やっぱクゥは凄いね!」
「うおおぉぉおおお!! 一人帝国騎士団万歳! ジークフリート皇帝陛下万歳!」
周りがやたらと盛り上がる中、クゥリルは我関せずと「……なるほど、初めからそうすればよかった」とつぶやいていた。……一体何がなるほどなのかは聞かなかったことにしよう。
その後は特に何事もなく、中央大陸まで快適な航海が続くのだった。




