動き出す情勢
中央大陸。
そこは女神マキナが降臨した、人類にとっての始まりの地。
すべての人類は女神の手によって産まれ、ここから始まった。それから人類は海を渡り、各地へと広がっていった。
神と女神が作り上げたこの世界には、大きく分けて三つの大陸が存在する。
最も大きく、世界の半分を占める中央大陸。その半分程の大きさの東の大陸。大小様々な島が集まって一つの大陸と為す西の大陸。
どの大陸にも名前はなく、それどころか山や川といったものにも決まった名称などない。
人々は神からの借り物だからと勝手に名を付けることはせず、始まりの地を中心として便宜上三つの大陸に呼び分けているだけである。
女神の恩寵を受け、繁栄していた人類だったが、ある日厄災が訪れた。
それは、神が作り出した管理者との出会い。
――東より出でし邪悪なるモノ、悪意を以て人類を滅びへと誘う。
初めの邂逅は東の大陸だったが、すぐに惨劇は中央大陸にも知れ渡った。
一方的に蹂躙される人類はただ滅びを迎えるだけと思われていた――その時、女神が現れて人類を救済する。
女神より遣わされし人類の守護者たち。そして、女神から与えられた四つの加護。
――勇ましき心を以て、邪を討つ者――勇者。
――聖なる心を以て、人類を救いし者――聖者。
――叡智を以て、邪を祓いし者――賢者。
――覇を以て、人類を導く者――覇者。
世界の命運を託された四人の女神に選ばれし者。
激しい争いの後、女神の加護を得た四人の使者の力により、邪悪なるモノは西にて果てることになる。
世界各地には邪悪なるモノが残した傷跡が残ったが、人類の勝利で終わりを迎え、女神に選ばれし者も、それ以降は時代に必要な時にだけ現れることになった。
もし、再び四人の使者が同じ時代に揃うとしたら、それは人類にとっての脅威が会わられる時だけ。人類の誕生から今に至るまで伝わり続ける昔話。だがそれは、かもしれないだけの話。
今では、幾度も現れる邪悪なるモノも人類自身の力で対処できるようになり、女神が降臨する様なこともなく、女神の使者も揃うことはない。
女神が降臨した中央大陸の中心には、平和の象徴として女神を信仰する教会の本部が建てられ、この教会がある限り、世界の平和は約束されているものだと信じられている。
その教会本部の最も神聖な場、ヴェールに囲まれた中で、一人の女性が大きな不満を漏らしていた。
「あー、もう! まだ勇者の行方は分からないの!?」
「申し訳ありません、聖女様。全力で捜索しているのですが、未だに行方は知れません……」
彼女は聖女。正確には女神に選ばれし聖者なのだが、聖者だけはいつの時代にも存在し、また歴代の聖者は皆女性が選ばれていたことで、いつしか聖女という呼び名になっていた。
「何でなのよ! 本気で探してるの!? それなのに、何で何年も探して見つかってないというのよ!」
「いえ、まだ一年も経っていないかと……。それに最近では邪悪なるモノに怪しい動きがあるということで、そちらの方にも人員を割いておりまして……」
「そんなことはどうでもいいのよ! 私は何でまだ見つかっていないのか聞いてるのよ!」
「……申し訳ございません」
理不尽な物言いに、聖女に仕える司教はただ耐える様に頭を下げ続ける。
それでも収まりが付かない彼女は、罵詈雑言を吐く。ヴェールを隔てた向こうから苛烈に責めるそれは、とても聖女と呼べるものではなかった。
周囲には見守るように修道女がいるが、誰も彼女を止める者はいない。
何故なら聖女は女神に選ばれし者だから。女神を信仰する者にとって、女神に選ばれし者は女神の次に信奉するものであり、異議を唱えることは許されない。教会でも上の立場にある司教でさえこの有様だ。
「突然の謁見申し訳ありません! 聖女様にお伝えしたいことがあり、取り急ぎ参りました」
しばらくして、割って入ってきたのは別の司教。
慌てた様子で大聖堂の扉を開け、聖女のいる祈りの場の前へと走ってきた。
「どうしたのかしら。……まさか勇者が見つかったとか!?」
ようやく解放されたと、責め立てられていた司教はそそくさと後ろへと下がる。そして、今来た司教が一歩前へと進み、膝をつく。
「いえ、そういうわけではなく……。ええと、勇者の所在も分かったと言えば分かったのですが、厄介な事柄でして……」
「ああもう、わかったの? わからなかったの? どっちなのよ!」
歯切れの悪い言葉に聖女は業を煮やし、ヴェールに包まれた祈りの場から飛び出す。
澄んだ青空のような、グラデーションがかった空色の眼と髪。彼女に当たる光彩は不思議なことに虹を描いていて、まさに一人で大空を模していた。
そして、何より目を引くのは彼女の背にあるもの。彼女の背には純白の翼を携えており、天の使いを思わせる、白き翼をはためかせている。
女神が産み出した人類の中で、最も美しいとされる人種――天使。
彼女の姿を見た誰もが見惚れ、息をのむ。それが、歴代で最も美しさとされる今世の聖女。
「さぁ、早く言いなさい」
「は、はい! 長き間、途絶えていた東の大陸……ドラグニア帝国から、通信がありました。……その、内容がですね…………」
「もうっ。いいから早くしなさいよ」
「そ、それでは申し上げます」
数十年もの間、鎖国し続けていた東の大陸のドラグニア帝国からの伝言。教会だけが保持するはずの、通信用魔道具から伝えられた内容を要約するとこうだ。
ドラグラニア帝国の教会からの離脱する旨から始まり、ドラグニア帝国内に女神に選ばれし覇者が現れたこと。覇者自らがドラグニア帝国を統治すること。教会からの干渉を一切禁ずるということ。
何れも教会からしたら看過できない内容だったが、その理由として、教会が数百年経っても解決できなかった邪悪なるモノの問題を、わずか数十年、覇者の力だけで解決できたことで、教会は不要ということを説いてきた。
最後に、証人として勇者が東の大陸の存在する邪悪なるモノの排除の成功を認めていて、教会としては何も言えなくなってしまったということだ。
「以上でございます。……確かに最後の証人は勇者様の御声でした」
「馬鹿な、教会から離脱するだと!? なんて罰当たりな!」
後ろで聞いていた司教も、その冒涜的な行いに憤りを隠すことはせず批判する。周囲にいた修道女もザワザワとどよめきあっていた。
「全くその通りです。ですが勇者様の証言があっては、我々としては何も言えません。……それに覇者の存在。本当かどうかも怪しいですが、もし本当だとしたら、女神の使者が揃った事となります」
「ぐぬぬ……。なんて言う事だ。ドラグニア帝国め、一体何を考えている?!」
「わかりません。ですので、女神に選ばれし者で最も力のある聖女様にご指示をと思いまして……」
「聖女様! これは由々しき事です! 早急にご判断を!」
司教は聖女に問いかけるも、ただ彼女は「あぁ、アンリ……無事でよかった……」とつぶやくだけで、話を聞いていなかった。
「あの、聖女様……?」
「聖女様、お気を確かに! 一刻も早く、傍若無人なドラグニア帝国に真偽を問わねばなりません!」
「はっ! そんなことより、早くアンリを……勇者を迎えに行きましょう!」
「え、いや、これは世界の一大事なのですが……」
司教の言葉を遮るように聖女は、バンッ――と足踏みをして虚空へと指を突き刺す。
「いいえ、勇者が最優先事項よ! 帝国だとか覇者だとか、そんなもの後で私が何とかします!」
聖女の言葉に一瞬で大聖堂は静寂と化し、誰もが跪く。
斯くして、聖女は教会本部を飛び出し、勇者を迎えに行くのだった。
その裏に、司教たちの涙ぐましい努力――聖女の行進準備や道程の確保、警護の調整etc.――があったことは、聖女の知る由ではない。




