ファグ村、決着の時
部屋の中はただ静かに、ぐちゅりぐちゅりと触手が緩やかに動く音しか聞こえてこない。
『ハハハハ、気でも狂ったか。何をするかと思えば、こんな時ですら人任せとは……。全く情けない野郎だな』
人任せか……、ここまで生き延びてこれたのは確かにクゥリルのおかげだ。こいつの言う通り、情けないとも思う。
けど、それがどうした? 頼れるなら頼るべきだ。自分より優れている者がいれば、任せればいい。任せてと言われた以上、信じて任せるだけだ。
それにこれはただの人任せじゃない。これはクゥリルの持つ力を引き出す為の呼びかけ。
正確にはクンロウ族に備えられている当たり前の力で、それは番い同士が身を委ねることで、実力以上の力を発揮できるというもの。
今までもあったのだが、戦闘中にも関わらず撫でることをお願いされていた時がそれだ。
そして今、俺から何でもと呼びかけた。
今まで我慢させてきた分、これ以上にない委ね事になるだろう。……何を要求されるかを考えるとこの後が怖いが、この際アレをぶっ倒せればもうどうでもいい。
『いい加減諦めたらどうだ? 雑魚は雑魚らしく大人しくしてろ。いや、それより勇者たんのことを吐けよ、このクズが!』
聞こえてくる侮蔑を無視し、さらに続けて言う。
「聞こえているだろ、クゥ。こんなチャンス滅多にないぞ!」
『無駄だ、無駄無駄。今頃は獣のように喘いでるだろうな。……プックク、想像するだけで笑えて来るな』
「いいのか!? こんな奴に好き勝手言われてるぞ!」
『チッ、無視かよ……。まぁいい、直に勇者たんへの無限の愛の再生も終わる、その時がお前の最期だ!』
「クゥ!!」
再度大きく呼びかけるが、それに呼応したのは触手の集合体の方で、ボコボコと触手が膨れるスピードが上がっていく。
『ようやく再生したか! さぁ、惨たらしく殺してやるよ!』
膨れ上がった触手が、グッバシャァン――と破裂した。
『はあ?』
巨大だった触手の集合体が無数の塊となって散らばる。
散らばった触手群のほとんどが動くことはなく、唯一動いていたのは最後の九本目と思われる触手の一塊だけとなっていた。
そんな触手から飛び出してきたクゥリルが、俺の目の前に、目に留まらぬ速さで接近していた。
「旦那様! 今のホント!? 聞き間違いじゃないよね? ねぇねぇ!?」
体中に体液をべったりつけていることも気にせず、「フーッ、フーッ」と息を荒げてながら迫り寄ってくる。
頬を赤らめて期待の眼差しを向けているが、その様子は明らかに媚薬の影響を受けていた。
「お、落ち着け、まずは落ち着いて……」
「大丈夫、わたしは落ち着いているよ?」
いつの間にか壁まで追い詰められていたのか、――ドン!と、腕を伸ばして逃げ道を塞いでくる。
こ、これが壁ドン……。速すぎてドン!の瞬間見えなかった。……確かにドキっとはしたけど、これって恐怖によるものなんじゃ……。
「さぁ、旦那様。わたしのお願い何でも聞いてくれるんだよね?」
「……あ、あぁ。でもこれが終わったらって言っただろ。ほ、ほら、まだやること残ってるよね」
視線をピチピチと蠢いている触手に目をやれば、クゥリルは槍を投擲し止めの一撃を放つ。槍に貫かれた触手は呆気なくその動きを止めた。
『あ、あり得ない……例え勇者たんであろうと抜け出せないはずなのに……ッ!』
変態紳士が何か言っているがクゥリルも興味を示す様子はなく、ドヤ顔でシッポをブンブンと振り回している。
「あー……うん、まだだよ。まだダンジョン合戦が終わってないよね。ホラ、まずはポーション飲んで」
「むぅ、仕方ない」
待ったが掛けられて残念そうにするが、すぐに気を取り直すかのように、
「じゃあ口移しで飲ませて、今はそれで我慢する」
と提案してくる。
「撫でるだけじゃ、だめ?」
「ダメ!」
妥協案を提示するがすぐに断られる。
部屋を占領していた触手の集合体が居なくなったため、すでにここは俺の領域になり、安全地帯となっていた。なので少し位ここで足踏みしても問題はないのだが、流石に口移しはするような状況では……。
「……」
「…………」
どんどんと涙ぐんでいく目で見られれば、降参するしかない。
「わかったよ。だからお願いはこれが終わるまで我慢してね」
「……うん!」
手を振って恭順の意を示すと、喜びを露わにしてくる。
一応抱き着いてくる前に、ビュっと身に付いてた体液を全て払ってからにしてくれたけど、まだ周囲は媚薬が気化した空気が蔓延して……、うん、欲の制限が無かったらホント危なかった。
それから、恥ずかしながら口移しでポーションを飲ませると眼に見えてクゥリルは元気になり、それどころか持て余した元気を発散するように俺を抱え上げ――お姫様抱っこで一気に奥への道を走り駆けた。
一瞬で通路を駆け抜けていく状況を説明するなら、まるでジェットコースターのようで、不安定な姿勢も相まってそれ以上の絶叫を味わったと思う。
その分、今まで歩いていたのが馬鹿らしく思えるほどあっという間に変態紳士がいる部屋へとたどり着いたのは言うまでもない。
「ついにここまでたどり着いたぞ、変態紳士!」
流石に部屋に入る前に下ろしてもらったけど、まだ心臓がバクバク言っている。
だが、こちらが来たというのに、変態紳士は膝を抱えて座り込み、目を向けることなく「勇者たん……」と繰り返し呟いているだけだった。
「おい、いい加減気付け。ここに勇者はいないし、来ないぞ」
「勇者たん……勇者たん……」
痛々しいその様子は、気が触れているとしか思えない。
「旦那様、やってもいいよね?」
「まぁ、この様子じゃ仕方ないか。……頼む」
少し気が引けるが、このダンジョン合戦を終わらせるにはどちらかのダンジョンコアを破壊するしかない。
槍を構えたクゥリルが、変態紳士の目の前に置かれているダンジョンコア目掛けて穿つ。
「ハハハハハ、そうか! ようやくわかったぞ!」
突然立ち上がったと思えば、ガキィン――とクゥリルの槍が弾かれてしまう。
「こっちも使ってるからそうだけど、やっぱ結界は使うよね。それよりわかったってようやく勇者がいないって分かってくれたのか?」
「すっかり騙されてしまった。……ククク、それがお前の作ったモンスターだってな! ……お前は勇者を使って、モンスター作り上げたんだな」
見当違いも甚だしい。
「人ソックリのモンスターは作れないはずだが、まさかそんな抜け道があったとはな……。人とモンスターを掛け合わせるなど何と悍ましい……ッ! だがしかし、お前の蛮行もここまでだ!」
「いや、そんなことしてないし」
そもそもモンスターすら一度も作ったことない。こちらがなんと言おうと聞く気はないのか、変態紳士が何やらダンジョンコアを操作している。
その間にもクゥリルは結界を破ろうと何度も槍撃を加え続けており、少しずつだが透明な空間にヒビが入っているのが見えた。この結界を破れるのも時間の問題だろう。
「これを見ろ! これが何かわかるか?」
起爆装置のようなもの取り出したと思えば、こちらにその装置を向けてくる。
「これはな、ダンジョンが生み出したものを全て無に帰する、対ダンジョンマスター用の最終兵器だ! どんなアイテムもモンスターもこれを押せば全て消え去る……。もちろん、その歪なモンスターもな!」
「いや、モンスターじゃないか……あ!」
気付いてしまった。
このままそれを押されてしまったら、大変なことになる。
「ま、待て! 考え直せ、それを押すんじゃない!」
「フハハハ、お前がどれだけ懇願しようが、私を止められないぞ」
高らかに笑い声をあげると、起爆装置に手をかけ……――パリィンと結界を突き破る音が響き渡る。
「クゥ!」
「!? だが、もう遅い!!」
槍で貫くのが速いのか、押すのが速いか――
――カッと一瞬のうちに全てが弾けた。




