世は情け
翌日。
「旦那様、今日はどこ回る!?」
朝からクゥが元気よく抱き着いてくる。いつもよりも上機嫌にシッポを揺らしてじゃれついてくるのも、昨日のデートで今までの鬱憤を晴らせて、久しぶりに二人でゆっくりできたおかげだ。
それでもまだまだ遊び足りなさそうに甘えてくるクゥを、そのまま甘やかせて上げたい気持ちを抑え、撫でて落ち着かせる。
「俺もクゥと色々見て回りたいけど、流石に今日も遊ぶわけにはいかないよ」
「むぅ、少し位いいんじゃないの? 向こうも向こうで楽しんでいるようだし」
そう言って指差した先にはクゥと同じくらい……いや、それ以上に機嫌良さそうな聖女が宿から出てくる所だった。
どちらかと言えば浮かれていたと言ったほうが正しい様子で、聖女はアンリに手を引かれて、嬉しさを隠しきれずに頬を赤らめている。アンリ的には特に何の意図もなく、ただただ聖女をエスコートしているつもりなのだろうけど。
「ア、アンリ……その、恥ずかしいわ」
「何言ってるのリィン。こういう宿屋には泊ったことないんだよね? ほら足元に気を付けて」
「……はい。…………って、何見ているんですか?」
気付かれてしまったようだ。
何とも初々しい光景だったが、一度こちらを見れば顔を顰めて睨んでくる。しかし、幸せの余韻か残っているからか、心なしか昨日よりは敵意は少なくなってはいた。
「ああもう! いつまで見ているんで――ッきゃあ!?」
こちらに一歩踏み出し、文句を言いだしたところで聖女が盛大に躓いた。
「危ない!」
「~~ッ!?!?」
寸でのところでアンリはそれを受け止めれば、もうそれだけで全てがうやむやに、聖女は抱き抱えられてフリーズしてしまう。……昨日も思ったけど、まさかここまでポンコツになるとは人は見かけによらないものだ。
「二人ともおはよう。朝から騒がしくてごめんね」
「ああ、おはよう。ホント、朝から大変そうだな」
「ん? 何が?」
アンリは不思議そうに首を傾げるだけで、聖女のポンコツ化に一切気付く様子はない。この絶妙に噛み合っているような、噛み合っていないような関係だからこそ、今の形になっているという事か。
「ねぇアンリ、今日も分かれて行動しない?」
「え? 今日は港で船の予約するんだよね。わざわざ分かれる必要が無いと思うんだけど」
「でも一緒に行く必要もないんだし、だったら別行動でもなんも問題ないよ」
「うーん……それはボクだけじゃ決められないかな」
「むぅ、わたしはそっちの方が良いと思うのに……。旦那様もそう思うよね」
上目遣いでお願いしてくるクゥについ加担しそうになるが、それを抑えて誤魔化すように撫でる。
「確かにそっちの方が気は楽だけど、聖女サマは許してくれるのかな?」
「リィン、どうしよっか? ……リィン?」
未だフリーズしていた聖女はアンリに肩を揺さぶられ、ようやく正気に戻った。
「え、ええっと今日はダメよ!」
「何で? 昨日は楽しくなかったの?」
「いえ、とても有意義な時間でしたわ……じゃなくて! そうやって自由に行動させていたら何を企んでいるのかわからないでしょう!?」
先ほどまでフリーズしていた人とは思えぬほど凛とした佇まいで言い放つ。確固たる意志の強さを見せる聖女の前に、クゥは諦めた様でシッポをげんなりと垂らしてしまった。
「わかればいいのよ。ま、まあ、その後でなら、少しの間……本当に少しの間だけ別行動でもよくてよ」
「! じゃあ、早く行こう!」
「あ、待ちなさい! って、貴方も何で抵抗せずに引きずられているのよ! エスコートは男性の基本でしょう!!」
と、言うわけで早速俺達はこの街一番の大きさを誇る船着き場へと向かった。
向かったのだが……。
「すまねぇな、嬢ちゃんたち。今はどこも船を出してねぇんだ」
早くも出端を挫かれてしまった。
「何かあったのですか?」
「……ここだけの話なんだけど、どうも最近海の様子がおかしくてなぁ。沖に出ると原因不明の浸水したり、狙ったかのようなタイミングで大波が起きたりで、まともに漁ができねぇんだ。この前なんて、一人海に落ちたまま帰ってこなくなった奴もいてな……」
聖女が話を聞くと水夫は素直に話し始める。
曰く海の主が怒っているから。曰く海に沈んだ船の亡霊が現れる。曰く西の猛威がここまできてしまった。と様々な憶測を述べながら、実際に被害のあった船を示していく。
水夫の言う通り停泊している船のほとんどは吊り上げられており、補修作業を行われている。一応無事な船もあるにはあったが、出航しないまま厳重に陸に繋がれていた。
「幸いにも浅瀬の方なら大丈夫っぽいから一応は何とかやってけてるんだが、魚の獲れる量も減ってて、これがずっと続くとどうなることやら」
「それは大変ですわね。この港が使えないとなると、他の国にも影響が出てしまうわ……」
「ああ。こっちも頑張って物流止めねえ様にはしているが、輸送船も何隻か沈みそうになったりでヒヤヒヤもんだぜ。そんなわけで、船を出してやりたいのはやまやまだが、安全な航路を保障できない限り船を出すわけにはいかねぇんだ。こればっかしはどうにもならねぇし、諦めてくれや」
なんとも困った話だ
わざわざ遠く離れた地からここまでやってきたのは、ここからなら西の大陸まで出航する船があると聞いたからだと言うのに、こんなところで足止めを食らうとは。まぁ、最悪ここからならダンジョンマスターの力で無理矢理渡ることもできるだろうから何も心配ないけど。
それにしても、話からして世界的に見て結構大きい問題なんだな。これだけ広大な港湾を備えていれば海運業の主要部にもなりえるだろうし、それが滞ってしまえば、大きな損失を生んでしまうのは想像に容易いか。
「このことは教会に?」
「おう、報告済みだ。既に何人か冒険者が来て調査はしているんだが……なにせ問題が海の上だからな、解決するにはまだ掛かりそうだな」
「そう……。わかりましたわ、ありがとうございました」
「いやいや、こっちも嬢ちゃんに聞いてもらって何かスッキリしたよ。あんがとな」
水夫は満面の笑みを返し、作業に戻っていった。律儀にお辞儀で見送るのは聖女故の嗜みか、その後も顔を伏せたまま考え込む。
「アンリ、何か気付きませんか?」
「……ごめん。何もわからないや」
「そう……。邪悪なるモノの仕業かと思ったのですが、私の思い違いでしたか」
何故それをこっちを見ながら言う。
少し前まで追いかけっこをしてたんだから、俺じゃないってのは分かっているだろ。
「それでこれからどうするんだ。ここの船以外で西の大陸に渡れる方法があるんなら、俺はそっちでもいいんだが」
「ふふっ、それは無理ですね。西に渡るにはここよりほかはありません。かつて始まりの邪悪なるモノが果てた地である西の大陸の渡航はここだけと限られていますから」
「……じゃあどうするんだ?」
小馬鹿にするように嘲笑された気がするが、ここは大人の対応を以て聞いてみる。それに対して聖女はアンリと見合わせるように頷き、
「もちろん決まっています、この状況を解決するしかないでしょう。聖女としてもこれは見逃すことはできない案件です」
「だよね! ボクたちがやらなきゃ誰がやるって言うのさ!」
とても面倒なことを言い出してしまった。
監視することは許したが、そっちに協力するとは言ってないと思うんだけど……。
「もちろん貴方にも協力してもらいます。仕方ないとはいえ、教会の庇護下に置いたのですから拒否する権利はありませんよ」
「…………」
「ああ、それと。わかっているとは思いますが、本来私はここに居てはいけない身。私が前に出て行動することはできませんから、そこは貴方の持つ便利な力で解決を目指してくださいね」
まるでそれが一番冴えたやり方だと言うように聖女はニッコリと笑う。
いっそのことまたクゥを頼って逃げてしまえばいいかなぁと思うも、当のクゥはこの後のデートに思いを巡らせていて話を聞いていない。
「…………わかっていますね。貴方が敵じゃないと言うのなら、貴方の行動でそれを証明してください」
「……はい」




