女神
あっという間の出来事。
唐突なこの現象に反応できずに、ただ寄りかかる重みを頼りにクゥリルを抱き寄せる。
何も見えない、音も、全身の感覚すらも呑まれ……すべてが消え去っていくのではないかと思うほどの光の先――。
そこは真っ白い空間だった。
何が起きたか訳も分からないまま、放り込まれたこの空間に呆気にとられる。
空間そのものが切り取られた、何も無い世界。あまりにも異質に見える世界だったが、この世界には見覚えがあった。
「……神のいる場所」
「その通りです、別の世界より来たりし人よ。いえ、こう言うべきでしょうか……自らを悪だと自覚せぬ、邪悪なるモノ、と」
荘厳な女性の声だけが聞こえる。姿が見えずとも彼女こそ、この世界の女神であるという事が嫌でも理解できた。
それにしても現れて突然人のことを悪と断言するとか、神ってのは自分勝手な奴しかいないのか? こっちは別の神に言われてダンジョンマスターになったってだけで、誰にも迷惑かけずに生きているのに酷い話だ。
「自分勝手、ですか……。彼に無理矢理連れてこられたという点については同情しますが、やはり異世界の人間は自覚がないようですね。ダンジョンマスターと呼ばれる存在がいるだけで、世界にとってどれだけ害なのか理解していない」
人の思考を当たり前のように読み取って嘆いている。
敵対している神なのだから、どうせ話をしても無駄だろう。そんな事よりも、今はクゥリルの安否の方が優先だ。
「……そ、そんなこと?!」
驚きの声を上げる女神を無視して腕の中にいるクゥリルを恐る恐る見る。
「ッ!」
それは悲惨としか言いようがなかった。
後ろから斬られたと思われる、左肩から腰の辺りまで深く伸びた傷跡。そこからおびただしいほどの血を流しては、色白の肌は真っ赤に染め、顔色から生気が失われつつあった。
「クゥ! しっかりしろ!!」
「……ぁ、……………」
生きている方が不思議なほどの重傷を負いながらも、クゥリルは呼びかけに答えようとする。息をするだけでも苦しいはずなのに、僅かに口角を上げて。
「すぐに助けるから! 絶対に助けるから、少しだけ待ってくれ! ――――な!?」
慎重にクゥリルを床に下ろし、アイテムバッグから回復アイテムを取り出そうとするが、肝心のアイテムを取り出すことができなかった。
正確には、伸ばしたはずの手がアイテムバッグをすり抜けてしまって、アイテムバッグそのものに触ることができない。
「クソッ! 何で!!」
何度試しても結果は同じで、悪態を吐いてしまう。それに見かねたのか、女神が当然だと答える。
「ここが神の世界だからです。邪悪なるモノの力は使えません」
「ふざけるな! いいから使わせろ!!」
「それはできません。……ですが、このままだとその子は死んでしまいますね」
「だったら――!」
――元の世界に返せ!! そう言い終わる前に、どこからともなく光の粒子が集う。
「この子はこの世界に生きる子……云わば私の子の一人。ならば、ここは私が助けてあげましょう」
光がクゥリルの傷口に集まり包み込みと、逆再生がごとく傷口を塞いでいく。そして、数秒もすれば、あれほどの大きな傷を痕一つ残さず治した。
あれだけ苦しそうだった呼吸も穏やかになり、何事もなかったかのように眠りに入ったようだ。
「この子は……。ふふ、なかなか面白い力を身に付けつつあるのですね。嗚呼、これだから自然に任せるのは本当に素晴らしい」
一筋の光の粒子がクゥリルを撫でる。
愛おしく、我が子を慈しむような声。姿が見えないはずなのに、慈愛に満ちた女神の姿を空見した。
「………。……ありがとうございます」
思わず見惚れてしまったのが癪だが、クゥリルを助けてくれた事実にお礼を言う。すると、「クスッ」と笑いが漏れた声が聞こえた、と思う。
「そう。この子は、貴方は、愛し合っているのね」
先ほどまでは厳格な女神のイメージから、優しさの混じった、母親のような印象に代わったのを感じる。女神に対する嫌悪感も今はない。
「貴方は理解していますか? 今、どんなことになっているのか」
「いや、突然だったから全然……」
「それでは、こんなことになった経緯も?」
全然以て覚えていない。
ここが神の世界ってことぐらいで、どうやってここに来たのかわからない。考えられるとしたら、ここに来る直前に光に呑まれたことぐらいだろう。
「そう、それです。その光こそが、聖者の放った最大の魔法『女神の裁き』よ」
「『女神の裁き』?」
オウム返しに聞き返すと、女神は答えてくれた。
『女神の裁き』――それは、女神の元に敵を送り、女神直々の裁きを下すというとんでもない魔法。女神に選ばれし聖者のみが使用できるもので、発動条件は色々と厳しいようだけど、一度発動してしまえば、どんな相手だろうが神の前に無力と化す。
こちら側の神との約束で、世界に直接干渉できなくなった女神が聖女に授けた裏ワザ的なものだ。
「つまり、俺は聖女の不意打ちを食らったということか……」
「そう言う事になりますね。ですが、その直後にこの子が反応して、勇者と勝負を放棄して割り込んできた。……結果、この子は勇者の一撃を受けてしまったということです。全く、子供同士が争うなんて私は悲しいです」
自分の身を犠牲にしてまで守ろうとしたことに、とても嬉しくなり、寝ているクゥリルの頭を撫でた。
「……それで、後は女神様が俺に裁きを与えるだけ、か」
「……ええ。これもルール、わかってください」
どうあがいても、それだけは変えられない事実。最早この状況になってしまったら、諦めて受け止めるしかない。
色々思うところはあるが、諦めることには慣れている。
意を決し、クゥリルから離れようとするが、寝ているはずのクゥリルに裾を掴まれてしまい、動けなくなってしまう。
「クゥ……」
「嗚呼、これも愛故になのですね」
女神もクゥリルの感情を知ったからか、どこか悲し気に呟く。そして、光の粒子がクゥリルの指を解き、自由になる。
「じゃあ、お願いします。もしお願いを聞いてもらえるなら、クゥが村に帰れるように頼みます」
「神託を通して聖女に伝えましょう」
光の粒子が、何も無い、この世界を埋め尽くした。
一つ一つの粒子が見定めているのか、ぐるぐると俺の周りを回り、集まり出す。そうしてすべての光が集まりきると、ここに来た時と同じく、全てが光に呑まれて何も見えなくなる。
そして、
「――――え?」
女神が素っ頓狂な声を上げた。
「す、素っ頓狂って、そんな声上げてません! ……って、そうじゃなくて、貴方は何者ですか!?」
何者って言われても、女神が言っていた通り、別の世界からやってきたってだけの、ただのダンジョンマスターだ。いや、一応上位種のグランドダンジョンマスターだったか。
「そう言う事を聞いていません! 貴方は、一度も、生物を殺めたことがないというのですか!? しかも、偽りの命も創ったこともないなんて…………それで上位存在にまで至った!!?」
……思い返してみれば、一度もないな。
そもそも、ダンジョンマスターになった直後にクゥリルに見つかったから、俺が何かするまでもなく、獲物はクゥリル任せだ。
ダンジョンマスターの力で武器は作ったとしても、俺自身が直接獲物を狩り取ったこともなければ、モンスターも創ったことが無い。
「まさか、一度の罪も犯していないなんて…………」
女神は驚きを通り越して、呆れたような声を漏らすと、あれほどあった光の粒子が自然と消滅していく。
これは一体どういう事だろうか?
「『女神の裁き』はこれで終わりです」
え?
「普通であれば、この世界で生き物を殺めた数だけ、偽りの命を創った数だけ、罰を受けて滅びるはずでした。ですが、貴方はそれらの一切が無い。これでは裁きようがありません」
…………つまり、無罪放免?
「ええ、その通りです。この子に感謝することですね、貴方に一切の罪を背負わせなかった、この子を」
「あ、はは。あははははは! まさか、まさかこんなことで助かるなんて! もう完全に諦めていたのに、まさにクゥリル様様だよ、本当!!」
女神の前だと言うのに、感情が爆発して笑ってしまう。喜びを共有しようにもクゥリルは寝てしまっているが、その寝顔を見れば、同じく笑っているようにも見えた。
「愛は全てを救う、と様々な世界で言われますが、私自身目にするのは初めてですよ。嗚呼、この子もそうですが、貴方も相当に可笑しいですね。ですが、それこそがこの世界の未来を変えるのに必要なことかもしれませんね。ふふっ…………私もいつか、彼と……」
女神が何かを呟いていたけど、よく聞き取れなかった。だけど、喜色に満ちた笑い声だけは、不思議と耳に届いた。




