表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

幸せな庭師になった執事と、只管に愛された救い難い悪役令嬢

作者: 渋柿

 

「お嬢様。いかがなされましたか?」


 お嬢様のお部屋に新しいお花を届けに上がると、窓辺で眉間にシワを寄せながら読書をなさっていたお嬢様が、深い溜息を吐いた。

 そして手にしていた本を叩きつけるようにサイドテーブルに置くと、漆黒の髪を揺らしながら優雅に立ち上がる。


「何でもないわ。今日も目障りな害虫が私の王子にちょっかいをかけてきたの。それを思い出しただけよ。あぁ腹立たしい! 早くお茶を淹れて頂戴、セバス!」


「畏まりました」


 私は深々と一礼してから、直ぐ様茶の支度に入った。

 私の名はセバス・クロリス・バーデン。格式高いディモンド伯爵のお屋敷に代々お仕えする執事一族の末裔だ。

 当然父はディモンド家の執事長を務めており、私はこのお屋敷のヴィクトリアお嬢様と歳が近いからという理由で、お嬢様の専属執事として身の回りのお世話をさせて頂いている。


 とはいえ、社交辞令と仕事以外で主のプライベートに触れる事は厳禁だ。


 私は余計な事は言わず、指示に従う。


「お待たせいたしましたお嬢様。カモミールティーにございます。この香りには心をリラックスさせる効果があり……」


 私はそう言って今しがた淹れたティーカップを差しだそうとしたが、それはテーブルに置かれる前に、お嬢様の手によって叩き落とされた。


「カモミール!? ええい、忌々しいっ!」


 パリンと音を立ててカップは割れ、中の薄い琥珀色をした液体が床に飛び散る。

 そして割れたカップを横目に内心“しまった”と呟く。

 確かお嬢様が目の敵にされている下級貴族のご令嬢の名が、確か“カミエル”……。

 その微妙過ぎる名前の被り方に、私はその茶葉を選択した事を後悔するとともに、げんなりとした心持ちとなった。

 だが直ぐに気持ちを切り替える。


 ―――まぁ、よくある事だ。


 このお嬢様の気性の荒さは、初見では驚くが慣れれば大したこともない。

 一脚で私の給金二月分のカップだって、お嬢様にとっては紙コップ程度の価値しかなく、またそれがまかり通るだけの資産をお嬢様の血筋はお持ちなのだから。


 ただ、そんなお嬢様を部屋の扉の近くに佇む新入りの侍女が、まるで恐ろしいものでも見るような目で見ている。


 ―――……これは少しまずい。


 お嬢様はこの目で自身を見られる事を嫌うのだ。

 そして案の定、その視線に気付いたお嬢様が、また金切り声を上げた。


「っ何を見てるの!? この木偶の坊共が! その濁った目をくり抜いてやりましょうか!? それもこれも、雑草の汁なんかを飲ませようとしたセバスのせいよ! セバスのせいで部屋が汚れたのよ! 私は悪くないわ! 早く新しいお茶を淹れ直しなさい! この目障りなゴミも早く片付けて!」


「……っ」


 扇子を突きつけてヒステリックに叫ぶお嬢様に、侍女は更に怯え始める。私はこれ以上場が悪くならないよう、侍女を退室させる事にした。


「失礼いたしました。新入りの教育が不行き届きで、不快な思いをさせてしまい申し訳御座いません。……ほらメイ、君はもういいからこれを処分してきなさい」


「はっ、はい! 失礼いたしました!」


 私が手早く拾い集めたカップのの欠片を入れたバットを侍女に渡すと、侍女は慌てながらもどこかホッとしたように頷いた。そして優雅さの欠片もない足取りでさっさと退室していった。


 私は手袋を新しい物に替え、改めてお茶を淹れ直すとお嬢様に差し出した。


「これは?」


「アッサムでございます」


「フン、つまらない選択ね。全く以て平凡。退屈。そして面白くないし美しくもない。私の周りは本当に愚図ばかりね」


「……」


 私が沈黙する中、お嬢様はテーブルの上に飾られている先程私がお持ちした花瓶から、黒薔薇の花弁を一枚摘み取ると、ティーカップにそれを浮かべて鼻を鳴らした。


 そして物憂げに、じっとカップに浮いた薔薇の花弁を見つめる。


 ―――こうして黙っているお嬢様は、本当にお美しいと思う。


 その美貌は国境を超え、華よ宝石よと謳われる程だった。

 だが一度でもその人柄に触れた人々は、お嬢様をこう言う。

 口が悪く、傲慢で、短慮。そして冷血で、残虐な令嬢。おおよそ人の上に立つべき人柄では無い、と。


 まぁ、お嬢様が何と言われていようが、一介の執事である私に関係など無いというもの。

 お嬢様への態度を改めるなど以ての外である。

 元々美しさ以外に然程取り柄のないお嬢様だということは、一番近くにいる私が、一番よく存じ上げていた。他の方は……―――まぁ、お嬢様に多くを求めすぎていらっしゃるのでしょう。


 ただそんなお嬢様にも、唯一気にかけてらっしゃる事があった。

 それは幼少期より婚約を取り決められていた、この国の第三王子の事。

 気の小さい王子と強気なお嬢様。これがなかなかうまくハマっていたようで、思いの外順風満帆にその関係は続いていた。 

 ところが最近、その関係に小さな歪みが出始めたのだと言う。

 お嬢様の王子に、悪い虫が付き始めたのだと……。


 その時ふと、沈黙されていたお嬢様が私に声を掛けられた。


「セバス。この薔薇に名はあるの?」


「はい。その黒薔薇の名は“レディー・ヴィー”で御座います」


「聞いたことがないわね」


「私が品種改良した最新品種にございますので」


 私がそう答えれば、お嬢様は少し驚いたように眉を上げた。


「セバスが? 貴方そんなことが出来たの?」


「はい。お嬢様が薔薇が好きだと存じ上げておりましたので、庭師のゴーシュより手ほどきを受け、何とか形にした次第です」


 お嬢様は私の言葉にフンと鼻を鳴らすと、紅茶を啜った。


「愚図のくせに、なかなか美しいものを作れるじゃない。“ヴィー”とはまさか私の名をとったの?」


「え……あの……そ、それは」


 お嬢様の指摘に、私は思わず口籠った。

 何故なら図星だったからだ。

 私の改良したこの黒薔薇は、美しい大輪のクオーターロゼット。但し病気に弱く、ちょっとした気温や日当たりにも敏感で花を付けなくなるし、棘に至っては野茨の3倍もある凶悪な花。まるでお嬢様の様に“美しい”以外は迷惑かつポンコツ……いえ、改良の余地が大いにある気紛れな花だと思ったからだ。


 とはいえ、そんな事は当然正直に言える筈もなく私が口籠っていると、お嬢様は静かに「許すわ」とだけ呟いた。

 私は静かに感謝の礼を返した。


 そしてそれからも日々の業務の片手間に、私はお嬢様の心を宥める為、薔薇の世話と新たな品種の開発を続けた。






 ―――それから2年の月日が流れた、ある冬の日の事。


 みぞれ雪がしとしとと降る、曇天の夕暮れ時の事だった。

 私はいつものように仕事を片付け、温室に向かおうとしていた。

 今日はお嬢様は宮殿で開かれる年末の慰労パーティーに出かけていらっしゃる為、帰りはきっと深夜となるだろう。


 そんなことを考えながら、私は何気なくふと窓の外に目をやり、思わず足を止めた。


「……なんだあれは?」


 薄暗い屋敷の外に、まるで葬儀車の様に真っ黒な馬を繋いだ黒い馬車が停まっていた。

 そしてその中から、覚束ない足取りでヨロヨロと出てくる人影。


「―――お嬢様?」


 私は困惑しつつもその姿を見た瞬間、主の下へと慌て駆け出した。


 お嬢様は今日はパーティーに赴かれた筈。帰りはきっと深夜に……それが何故、あの様な不吉な馬車に?

 従者はどこに行った? 傘もさされず、この寒い雨の中をお一人で歩かせるなど……。


 私は玄関に置かれてある外套と傘を引っ掴み、屋敷の外へと走り出た。


「っお嬢様!!」


 冷たい雨に打たれ震えるお嬢様に、私は傘を掲げながら胸に抱えた外套を差し出した。

 しかしお嬢様の反応はない。


「……お嬢様?」


 いつもと様子がおかしいが、一介の執事でしかない私が差し出がましく気を回すべきではない。いつも通り対応しなければ……。

 私は外套を拡げ、何も尋ねずお嬢様の肩に掛けようとした。


 しかしその時、突然お嬢様は凄まじい剣幕で私を突き飛ばしてきたのだ。


「やめてっ! 触らないで!」


「!?」


 大した力では無かったが、不意を突かれ私はもんどり返って倒れてしまった。

 石畳に溜まった冷たい雨水がスラックスに染み込み、それが痺れる様に冷たい。

 しかしそれどころではない程に、私は驚いていた。


 雨に打たれたお嬢様が、泣いていらっしゃったのだ。




 ―――聞くべきではない。




 頭では分かっていたのに、つい言葉が口を突いてしまった。


「一体どうなさったのです、お嬢様」


「っお前も、あいつ等の様に私を貶めるのでしょう!? 罵り、侮辱し、恥晒しだと吊るしあげ……っ、私を……」


 今にも私を蹴り飛ばしそうに睨みつけてくるお嬢様。―――一体城で何があったというのだろうか?

 とにかくお嬢様は、泣きながら、震えていらっしゃった。


 私はお嬢様を刺激しないよう腰を低くして立ち上がり、落としてしまった傘を拾い上げると首を振った。


「私はそのようなことは致しません。私はお嬢様の執事なのですから」


「白々しいのよっ! 何なの一体!? お前もすぐに私を見放すわ! だって今日私が出向いたのは罠だったの! 私の王子が……っあの害虫に奪われた……。従順だった王子は私を火炙りにするなんて言い放ったわ! 騎士達も、ここで斬り殺されないだけマシだと言って私を嗤った! あの害虫女、こんな時だというのに被害者面をしてたっ!! 貶め、嗤って、哀れんだふりしてっ……あぁあぁ―――っっ!!」


 悔し気な金切り声を上げるお嬢様の様子に、私はお嬢様に起こった出来事の概ね把握した。

 これ以上お嬢様が雨に濡れないよう、私は傘を翳してお嬢様に言う。


「旦那様がそのような無礼を許す筈がありません。いくら王子といえど、その様な一方的な断罪が出来る訳ない」


「いいえ、お父様も私を捨てた。あの害虫、国王様までも懐柔して、お父様にもあることない事告げ口をして……」


 そこまで言ったお嬢様は、突然力が抜けてしまったようにパシャリと濡れた石畳に膝を突いた。


「“―――我が家の恥晒しめ。せめてもの慈悲だ、我が領土の最西端の森の奥深くで一生暮らせ。お前の顔など二度と見たくない。二度と私を父と呼ぶな”……と……」


 蹲り、苦しげにそう声を漏らしたお嬢様。


「まさか、旦那様がそのような事を?」


 お嬢様はコクリと小さく頷くと、顔を上げて私を見た。

 その表情は瞳孔が開き、自嘲気味に口の端を吊り上げる絶望の顔。


「―――セバスはこの屋敷に仕えてるんでしょ? お前も私を見捨てて嗤うでしょう? なんて憐れだ、ざまあみろってぇぇ!! っうぅ……うあぁあぁっ」


 美しさの欠片もなく、地を拳で叩きながら泣き崩れるお嬢様。



 ―――確かに憐れだ。だけどこの憐れな姿に、私は奇妙な既視感を感じた。



 私はお嬢様と同じように冷たい石畳に膝を突き、震える細い肩にそっと外套を掛けた。


「お嬢様。ただの執事の私が、お嬢様を捨てる事など御座いません。―――それに、私が仕えるのはお屋敷ではなく“お嬢様”で御座います」


「ふん! 間もなくお前もお父様からそれも解任されるわ」


「しかしまだ解任されておりません。私はお嬢様のお世話を言い仕ったままです。―――何かご入用のものはございませんか?」


 私は尋ねた。何故なら私は知っているから。

 お嬢様は気性が荒い。

 世話する者さえ拒む棘を持っている。他者の悪意に流されやすく、直ぐに心を患い塞ぎこむ。本当はとても弱いくせに、強いのだと威嚇しているだけ。

 そしてどれ程恐ろしく見せようと、もう野では生きれない温室の花なのだと言う事を。


 だから本当は何時だって、何よりも丁寧な世話を求めている事を、私は知っていたから。


 お嬢様は俯き、ポツリ言った。


「―――寒い」


 私はお嬢様を立たせるように、そっと手を差し出した。




 館内に戻った私は、お嬢様に暖かい部屋で休んで頂き、その日の夜の内に一人ひっそりとお嬢様の荷物を纏めた。

 旦那様がお嬢様に『三日以内に屋敷を去れ』と仰せになったらしいからだ。

 とはいえ私や他の侍女達に、旦那様からの解任の知らせはまだない。

 だが私以外の従者達は、何故か勝手な自己判断でお嬢様から離れていった。

 私はそれを、主に仕える者にあるまじき不謹慎さだと腹を立てると同時に、余計な手出しがされなくて良かったと安堵した。

 あのお嬢様を私以外の者が世話できるなど、到底思えなかったからだ。



 ―――翌日の夕方。


 ベッドの上でじっと冬の寂しい庭を見つめていたお嬢様が、昨晩以来初めて口を開かれた。


「……お前も去りなさいセバス」


「去って何をしろと仰るのです?」


「知らないわ。本当に愚図ね。そのくらい自分で考えなさい」


 私はうーんと考えながら、持ってきた新しい花瓶をテーブルにコトリと置いた。あの、大輪の黒薔薇を飾った花瓶だ。

 お嬢様は花を一瞥するとふいと視線を逸し、突き放すように言う。


「そんな花だって要らない。もう明日にはここを出てゆくのだから」


「そうですか。……これが最後の花でしたが……分かりました。棄てて参ります」


 私がそう言えば、お嬢様はまたこちらに視線を戻して尋ねてきた。


「最後? どう言うこと?」


「あぁ、株を引き抜いてしまいました。そしてこの【レディー・ヴィー】は、私が育て上げたそのひと株しかこの世界に存在しませんでしたので」


 私が淡々と答えれば、お嬢様は驚いた様に私を見た。


「な、何でそんな事を?」


 それからお嬢様の顔からふと怒りの表情が消え、代わりに哀れみと困惑の視線が花瓶の薔薇に注がれる。

 私は肩を竦めながら、まるでいい訳でもするかのように説明をした。


「手間が掛かるからです。―――葉が柔らかいので虫が付けば一日で葉を食べられてしまう。だから日々の害虫チェックや駆除は欠かせません。加えて少しの湿度変化で病気になるし、乾燥すると容赦なく葉を落とす。肥料を与えた直後はストレスで花をつけなくなるし、肥料を与えなければ葉すら伸ばそうとしない。水を与えなければ葉を縮れさせ、水を与えれば葉を落とす。そして棘まみれの株元に散らかった葉を、傷だらけになりながら丁寧に掃除してやらなければ、根本の枝ごと枯れようとする。そして痛いからと言って棘を落とせば、やはりその枝を枯らそうとする……」


……思い返し、溜息が出てきた。美しい以外は、本当になんとポンコツな薔薇なのだろう。


「―――本当に、何をしてあげても機嫌の悪い品種なのです。どうせ私以外、誰も《レディー・ヴィー》の世話を出来る者などいない。私以外に花を見せようとはしない。だから『花も付けずただ棘だけが鋭い迷惑な株』と皆から邪険にされ、誰にも看取られず憐れなままで朽ち果てるくらいならと、私の手で終わらせたのです」


 そう口にしてふと思った。


 ―――本当に、お嬢様の様だなと。……いや違う。お嬢様が薔薇のようなのだ。


 そして、気付けばいらない事を口走っていた。


「お嬢様はここを去られ、何をするご予定でしょう? もし不都合がなければ、私はこれからもお嬢様のお世話をしたいのですが。衣食住に関する全ては、一通り身につけております」


「……何でそういう話になるの?」


「……」


 ―――しまった。

 白けた目で私を見つめるお嬢様に、私は慌てて頭を下げめ弁明の言葉を言った。


「も、申し訳御座いません。先程お嬢様より、去った後に何をするのか考えるよう言われていたので……身の程知らずな発言、失礼致しました」


 お嬢様はまた、いつも通りの不機嫌な口調で私に牙を向く。


「本当に身の程知らずね。何が衣食住を一通りよ。私はとても美食家なのよ?」

「存じ上げております。しかし“レディー・ヴィー”に比べれば、まだ分り易いという物」

「ふん、私は綺麗好きよ」

「存じております。それに“レディー・ヴィー”もよく自身の葉を落とし散らかしては、ヘソを曲げておりましたし」

「私は寒いのが嫌いなの。暑いのも嫌いよ。眩しすぎるのも、日が差し込まないのも、空気が淀んでいることも、風に当たることも、煩わしい喧騒も、静かすぎる孤独も、全部嫌いなの」


 私は頷いた。


「全て存じ上げております。そして“レディー・ヴィー”も同じ。温室の中で棘を突き出し、触れられる事を嫌いながら、毎日面倒を見よなどと随分わがままを言っておりました」


 お嬢様は訝しげに私に尋ねる。


「何故? 何故そんな面倒な物を育てようとしたの?」

「レディー・ヴィーが美しかったからです」

「他には?」

「ありません。……というか、薔薇に他に何を望むのですか? 愛しむには充分かと思いますが」

「っ」


 私が尋ね返せば、お嬢様は言葉を詰まらせ私を見た。

 ここ数日の出来事で少しやつれてしまったお嬢様。大輪の薔薇の花の様だとはもう言えない。


「私はっ、レディー・ヴィーじゃない。下っ端貴族の糞共に『野茨のようだ』と罵られたわ」


「レディー・ヴィーもそのような時はありますよ。花を終え葉を落とした姿は、寧ろ野茨の比ではない程に凶悪な姿です」


「……」


「ですが私は知っております。どれ程哀れで凄惨な姿をしていようと、それが美しい花を咲かせるレディー・ヴィーなのだと」


 これだけ世話をして、見つめ続けてきたのだ。―――例え花が無くとも……葉すら落ちた棘ばかりの痩せた枝だったとしても、見誤るはずがない。

 だけどお嬢様は首を横に振った。


「馬鹿馬鹿しい。実際貴方はこの薔薇の株を抜いたのでしょう? この花が散れば、レディー・ヴィーは二度と咲かない。貴方もレディー・ヴィーを見捨てた。そうでしょう?」


 ……なるほど。その言葉に、私はお嬢様もまた、薔薇の花と御自身を重ねてらっしゃるのだろうと思った。

 しかしずっと世話を続けてきた私の薔薇についての知識量は、お嬢様と言えど遠く及ばない。……いや、お嬢様ご本人についても、私はおそらくお嬢様以上に知っている。


 私はポケットからハサミを取り出し、おもむろに花瓶に生けた薔薇の花首を切り落とした。


「ちょっとセバス!? 何をしてるの!? 最後の花をっ」


「“要らない”とはじめに仰ったのはお嬢様です。それに今なら、再びレディー・ヴィーを咲かせることは可能にございます」


「どういうこと?」


「挿し木ですよ。花や葉、そんな物を全て落とした姿の枝に、養分の無い清潔な土と清らかな水だけを与え静かに眠らせる。何の騒音風も無い穏やかな日の光と下で、ただゆっくりと眠らせるのです。―――すると小枝は、ある日思い出したかのように目覚めます。枝から葉ではなく根を出して、また“生きてみようかな"とでも言うように、地に根を張り成長を始める」


 テーブルの上に、黒バラの花首が散らばっている。


「お嬢様もまた、今は切り離され痛めつけられ、自慢の花首すら落とされた憐れなお姿かも知れません。―――ですが、何れまた、根を張り花を咲かせられる事でしょう。そしてその時にまた、私はお嬢様のお世話をしたいのです。一番お美しいお姿を、一番近くで見ていたい。その為の苦労なら、私は厭いませんよ」


「―――無理よ。私にはもう何も無い。私は全てを無くした。誰にも私を受け入れず、私ももう誰も信じられない。そしてこの屋敷からっ追い出されるの。セバスは来なくていい。きっと後悔するわ。だって今の私はっ……」


 私は落ちた花首を見つめ、お嬢様の言葉を遮って言った。


「気にする事はありません。“ちょっと土が合わなかっただけ”と、そう思えばよろしいのです。お嬢様が無理をして、この地に根をはろうと苦しむ必要はないのです。それに今のお姿はどうであれ、私は花を咲かせた時の美しさと、それに覚える感動と喜びを絶対に忘れません。―――そして再びその花を見る為、新しい土地に私がその美しさに相応しい温室を整えましょう。ヴィーの為に」



 いつの間にか、自分自身でもお嬢様の話なのか、薔薇の話をしているのかよく分からなくなってきた。

 しかしまあ、大した違いはない。


 世話の仕方も、それに対する思いも大した違いはない。




 ―――私は美しい薔薇が、愛しくて仕方ないのだ。








 《10年後》


 ―――大陸の最西端に位置する森の奥にある、少し拓けた丘の上に小さな屋敷があった。


 森の奥深く。そこに至る道も細く、まともな舗装もされていないと言うのに、屋敷には多くの人々が訪れていた。


 彼らの目当てはその屋敷の周りに広がる、オープンガーデンだ。

 色とりどりに咲き誇る、まるで迷路のような花畑を抜けると、澄んだ湖が現れる。

 池にはふわふわの苔が生した石垣の橋が渡され、そこから池を覗きこめば、浮草が青い花を咲かせ、その下を時折赤い小魚が楽しげに泳ぎぬけて行く。

 そしてなんと言っても素晴らしいのが、その先にある暖かな光の差し込むサンテラス(温室)だった。


 そこは薔薇の為のサンテラス。

 二重扉の徹底的に管理されたその薔薇園は、誰しもが憧れる夢のような庭だった。


 フカフカに熟された土と虫一匹いない清潔な空間で、青々と葉を伸ばす薔薇達は全て、実はこの家の当主が手ずから改良したオリジナル品種だった。


 人々はそれを《ヴィーシリーズ》と呼び、その美しさを褒め称えた。


 №1 《レディー・ヴィー》:ヴィーという女性

 何者をも寄せ付けない黒薔薇。

 棘が多く、育て易さの難易度はMAX。

 №2《メランコリー・ヴィー》:ヴィーの憂鬱

 儚い紫色の薔薇。朝に咲けば夕方には散ってしまう、花持ちの非常に悪い薔薇。

 やはり棘が多く、育て易さの難易度はMAX。

 №3《アウェイク・ヴィー》:ヴィーの目覚め

 外側の花弁がグリーンの白薔薇。ヴィーシリーズ唯一のミニ薔薇。

 ミニ薔薇は本来比較的育てやすい物が多いのだが、この《アウェイク・ヴィー》に至っては例外と言える。育て易さの難易度はMAX。

 №4《エレガンス・ヴィー》:麗しのヴィー

 目が覚めるような真紅の薔薇。

 №5《ハピネス・ヴィー》:楽しげなヴィー

 オレンジ掛かった黄色の薔薇。

 №6《ロンリー・ヴィー》:寂しげなヴィー

 №7《ドリーマー・ヴィー》:眠いヴィー

 №8《ジェントリー・ヴィー》:優しきヴィー

 №9《ラヴリー・ヴィー》:可愛いヴィー

 :

 :


 そして、その当主の最も有名な代表作が、その温室の中央に植えられた薄桃色の優しい色をした薔薇。


 №23《マイレディー・ヴィー》:私のヴィーだった。



 その屋敷の奥方の名前はヴィクトリア。

 気性の激しい奥方という噂だったが、この庭を訪れ、その夫婦の遣り取りを見た人々は皆「なんて微笑ましい事」と言っては微笑み祝福した。


「今日もお美しいですね、奥様」

「……貴方の奥様でしょう? 何を言ってるのセバス」

「申し訳御座いません、性分でして。全く奥様が私の奥様だなんて未だに夢のようです―――……あ、新作の名前を思いつきました。《シャイ・ヴィー》:恥じらうヴィーなんてどうでしょうか?」

「なっ……はぁぁ!? そのっ! 貴方が付けるセンスの無い名前のせいで、私は笑い者になってるのよ!? 分かってるの!?」


 奥方はオープンテラスのテーブルセットに準備されたコップを叩き飛ばした。

 コップは中の液体を撒き散らしながら、モザイクタイルの上を転がる。

 しかしもうこの気性の荒い奥方を、恐れや嫌悪の目で見るものはいない。


「―――あ……カップが。まぁいいでしょう。うちのカップは土に還るエコな紙コップですからね。中身も水ですし幾らでも気の済むまで叩き落としてください。後で纏めて燃やして土質調整の灰に使いましょう! ―――あ、《アングリー・ヴィー》:怒れるヴィーでもいいか……」

「だ・か・らっ!!」


 何故ならそれによる弊害といえば、この屋敷での紙コップの消費率が一般世帯に比べれば段違いに多いと云うただそれだけ。


 屋敷の主は鼻を鳴らす奥方をそっと引き寄せ、なれた仕草でその額に口付けを落とす。

 奥方はそんな当主に、頬を膨らませながらも身を預けていた。


 奥方が幾らカップをひっくり返そうが、この美しい庭に囲まれた彼等の幸せな暮らしのライフスタイルに口を挟もうとする者は、もう誰もいなかった。





 これは、ただ美しさしか持ち合わせていなかった薔薇をただ愛で続けた、一人の庭師の幸せなおはなし。








 おしまい。








 ※おまけ※



 余談にはなるが、かつてその庭に無粋な訪問者がいた。

 それはその美しい庭を、今更我が物にしたいと返還を求めた王族や、貴族や、奥方の父親。


 その都度、二人はその無粋な訪問者達にある条件を出してその庭を彼らに明け渡した。


『先ずは半年、屋敷をお貸しします。そしてその半年以内に一輪でいいので、薔薇を咲かせて見せてください。出来ればこの庭の全てを無条件で差し上げます。しかし出来なければ……』


 王族や貴族達や奥方の父親は、国内外の有名な庭師を雇い、その庭の手入れをさせた。

 しかし不思議な事に、温室の薔薇達は頑として花を咲かせようとはせず、荊棘の姿しか見せなかったそうだ。


 そしてその度に二人は国から独立した領有権を、生家との絶縁を、そして莫大な資産を手にし、生涯その土地を離れる事なく穏やかに暮らしたという。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] う~ん 渋柿さんにしては珍しくギャグなしなのですが、とても良かったです。 ほかの作品も楽しみにしておりますね!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ