Twitterの企画で書く事になった550文字の不遇な文章
男の名は不遇 太郎。字の通り不遇な三十一年の人生を送って来た。この一文でさえも彼は不遇である事が推し量れる。まず名字。漢字で書けばまさしく不遇、読んでみれば”ふまれ”。まるで踏まれている様だ。
続けよう、下の名前に至っては読み方が日本人なら誰でも分かる為ルビなど振られない。しかもたった一文でこれを読んでいる者には三十一歳である事が露呈してしまっている。
彼の不遇さはこんな言葉だけに留まる所では無い。彼の生い立ちから語ろう。
一九八九年、昭和最後の日…一月七日に彼は誕生した。彼は最後の昭和生まれである。それだけで彼は昭和世代と口々に揶揄されて来たのだ。余りにも不遇。
そしてその翌日に日をまたぎ生誕した弟の次郎は平成生まれとなったのだ。たった一日違うだけで彼は新たな時代の子と皆から讃えられた。度し難い。
彼は名前においても不遇だった。元より双子として生まれる予定だった為に両親は二人の子供にそれぞれ太郎と次郎、何よりも清廉潔白な名前を付けたのだ。自分の名前と言う物を意識した時彼は嘘だろ、と口漏らした。
さて、文章も後半戦、そもそも不遇とは環境に恵まれない才の持ち主の事を言う。彼もきっとその才を光らせる時が来る筈なのだ。彼は環境に左右されるだけで本来はその力を発揮出来るだろう。いつかその時まで彼を見守って
―あとがき―
結局字余りで終了です。その終わりこそが不遇な彼の在りようそのモノだと思います。短い文章で綴れる人の生など無いと自分は思っている故、中途半端な事になってしまいました。非常に申し訳ありませんでした。
さて、なろうの方では際限の無い文字数でゆっくりしっかりと人の生を自分なりに表現しております。もしタイトルやあらすじに惹かれましたら暇つぶしにでも読んであげて下さい。それでは。
テンペスティア