五話
「マスター、今日もやってるねー? あ、サワイさんじゃない。こんにちはっ」
「あ、あぁ、どうも、ラックスさん」
キッチンモフモフは、相変わらず俺の知らない世界からも客がくる。
向こうの世界に住む女性は結構美形が揃ってて、こんな風に間近に来て名指しで話しかけられるとどぎまぎしてしまう。
分け隔てなく優しく、しかも穏やかな性格のラックスさんもエルフって言ってたな。
マスターやマイちゃんとは普通に喋ってる。
アヤちゃんとも、ようやく同じように話ができるようになった。
実はアヤちゃんも向こうの世界の住人で、ここにバイトに来てるんだそうだ。
アヤちゃんも可愛いんだけど一生懸命仕事してるから、俺からはあまり雑談をすることはない。
だからそんなに気にしたことはないんだが、常連客は別だ。
しかもこのラックスさん、時々いたずらしてくる。
普通にマスター達と会話してたのに、自分が話しかけると俺が急に挙動不審になるもんだから、更に距離を詰めてくる。
向こうの世界の常連客の中で、ラックスさんが一番好みだったりするからなおさらだ。
しかも最悪なことに、注文した料理がまだ出てこない。
「食事中ですから」と、誤魔化して遠さげるその理由がどこにもない。
「どうしたの? 顔、赤くなってない?」
「な、何でも、ないです……」
今日の昼の営業時間は、普段よりも客が多く、下拵えも済ませた食材をほぼ使い切ったとか。
だからカウンター越しに料理が出てくるまで時間がかかる。
好ましく思ってる人から近づいてくるし、料理待ちだから逃げるわけにもいかず、アヤちゃんマイちゃんに助けを求めるってのも変な話だし。
「え、えーと……」
こっちはますます顔が赤くなる。
つか、顔が火照ってき始めた。
この人も、仕事は冒険者と言ってた。
軽装備の防具はしてるんだが、汗臭さとかが全く感じない。
力仕事と化してるなんて信じられない雰囲気なんだよな。
しかも、香水、とは違うな……。
長い金髪が目の前で揺らぐたびに、甘い香りが俺の顔の前に届く。
甘いミルク……じゃないや。バニラっぽい香りだ。
でも、バニラエッセンス、苦かったな。どうでもいいけど。
けど、その香りは、いつもほのかに漂うもんだから、そういう体臭なのかとも思ってしまう。
どうしても聞いてみたい。
でも聞けないよな。
体臭ですか? なんて質問。流石に失礼だってことくらいは分かる。
しかもこの人、俺がそんな香りを感じ取ってるとは思ってもなさそうなんだよな。
だから悪気も悪戯心もないとは思うが、悪戯っぽいことをする子供みたいな笑顔で寄ってくるもんだから……。
間が持たない。
共通点とか共通な話題がないもんだから、何を話しかけていいか分からない。
店員二人はテーブルの拭き掃除とかしてるから、用もないのに呼びかけるのもな。
水を一気に飲み干して、お代わりください、でもないだろうし。
なかなか料理も出てこない。
ならば。
「あ、きょ、今日はちょっと混んでたようで、早めに注文しないと料理はすぐに出てこないんじゃないかと……」
「あら、そうなの? でもご心配なく。今日の持ち込みは、これっ」
透明なナイロン袋を俺の前に出した。
中に入っている物は……。
こっちの世界では見たことのない物だった。
「……何です? これ」
「見て分からない? 果物よ」
「果物?」
見たことがない。
だが俺から見たら、その物体は天使に見えた。
彼女から意識を遠ざけることができたから。
「果物……。木の実とかですよね? 普通はそのまま食べられますよね」
「もちろん。でも、砂糖とかハチミツ加えたり、煮たり焼いたりもして食べたりするのよね。だからここでもマスターにいろいろ魔法かけてもらおうかなって」
魔法、ねぇ。
でも、そっちにも砂糖とか蜂蜜ってあるんだ……。
行ってみたい気はするが、決して行くことができない不思議な世界、てか?
「果物―? ジュースでもいいわけ―?」
俺のいつものメニューの調理をしながら、マスターはカウンター越しに話しかけてきた。
「ただの絞ってできるジュースなら、ここに持ち込んだりしないわよ。こっちの世界の料理人はみんな、マスターの足元にも及ばないもの。お店始まるまでずっと待ってたんだから」
笑顔が消えて真剣な顔をマスターの方に向けている。
その顔も、何か凛々しくていいなぁ、と思うんだが。
でも……恋心ってのもあるかもしれないけど、美術品を眺めているそんな気持ちにも似てる。
自分のものにしようとしても決してできない対象、という意味ではそっちの方が当てはまってるかもしれないな。
「んじゃ適当に座って待っててくれや。加工も適当に……って、それ、前にも持ってきたよな?」
「えぇ。フールックとワイマーの実。一人分だと多くなるようなら……あ、アヤちゃんとマイちゃんにも飲ませてあげて」
「マイちゃんは止めといたほうがいいな。もちろん俺も」
「え? どうして? 毒はないわよ?」
「病みつきになったら困るからさ。一見イチゴとブドウに似てるけど、味は違う感じがする。香りも違うからな」
向こうの食材の物は、こっちの世界の人には飲み食いさせない。
逆に、こっちの食材で作った料理は、向こうの世界の人の口に入れさせないようにしてる。
マスターが自分に課したルールらしい。
「じゃあサワイさんにも?」
「当然」
まさか俺の名前が出てくるとは思わなかったから、一瞬ドキッとした。
が、彼女には他意はなさそうだった。
ちょっとだけ残念な思いが、同時に湧き上がった安心感と入り混じる。
「じゃあ任せたわよ?」
「はいよー」
俺がいくら向こうの世界の常連客と親しくなっても、マスターは俺の近くに座らせないし、俺が彼らの近くに座ることもしない。
同じ理由だ。
「一口食べさせて?」などと言う交流がきっかけで、食い物関係でトラブルを起こしたくないんだと。
それについては俺も納得してるし、マスターってやっぱり飲食関係だとプロ意識あるんだなぁ、と感心してる。
向こうの世界の常連客達も同じ印象を持ってるようだ。
「野生なのに種がないんだよな、それ」
知ってても何の役にも立たない情報だ。
ふーん、としか返事のしようがない。
「そういえばよ」
「ん?」
「種のない果物って、いろいろあるだろ?」
突然マスターが尋ねてきた。
料理をしながらだから、よく頭も口も働くもんだ。
「あるねぇ」
「最近じゃ、皮ごと食える種なしのブドウも何種類か出てきてる」
大粒のブドウだよな。
マスカット種がメジャーになってきてるが、それよりも前に巨峰っぽい色をした大粒のブドウもある。
「あれ、おいしいよね。まるでブドウのジュースを食べてる感じがする」
「あぁ。だがそれよりもずっと前に、種なしスイカってのも作られた」
「種、気にしなくていいもんなー。子供の頃、顎が丈夫になって、種も噛めるくらいになった時は種ごと食ってたな」
今までできなかったことができるようになると、あまり意味がない事でも、何度も繰り返したり、それを自慢したがるもんだよな、子供って。
俺もそうだった。
種なんて、こんなのスイカの身ごと食えるじゃねえか、って。
それが自慢にも何にもなりゃしないってのが分かってからは、また普通に種を噴き出してた。
そうそう、種ごと食ったら、腹からスイカが生えてくる、なんて言われて、半分本気にしたことあったな。
今じゃ笑い話だけどさ。
「種なしアケビなんてあったらいいのになぁ」
「アケビ? 八百屋とか果物売り場で売ってるの? 見たことないな……。」
「さあ? ありゃ山に行った時に見つけたら、殻が割れてるのをもぎ取って食うもんだからな」
「いいのかそれ」
「さあ? ま、俺がガキの頃、山に登った時の遊びの一つだよ」
畑とかなら人が世話をしてるってことだろうから窃盗になるかもしれんが、山で野生の物なら、そこまで厳しく取り締まられることはないのかね?
よくわかんないけど。
「梨、林檎は必ず種があるな」
「種なし林檎なんて想像できないな」
「芯があるからな。芯がなくなったら丸ごと齧れるだろうが」
構造上、芯のない林檎とか梨とかってのは作れないんだろうな。
「あ、あとはミカンか。種のないオレンジも食べたことがあるな」
「ミカンは種がないのが当たり前っぽくなってるもんね」
「それとな、柿なんだよ」
「あぁ、それも忘れてた」
種のない果物って、結構あるもんなんだな。
「……種なし渋柿ってあるのかな? と、ふと思ってな」
何言ってんだこの人。
作ったところで意味ないだろ。
「何の為に現代の科学の英知を使って、誰の役にも立たないもんを作るんだ? 金の無駄遣いだろうに」
「それもそうか。……ほい、いつもの明太子ときのこのスパゲティお待ちっ。追い飯出すか?」
「あ、お願いします」
ま、昼飯時はこれに勝るメニューはない。
毎日じゃないから飽きも来ない。
「今日はどうだい? 種なしの料理は」
「種がない? いや、果物じゃないし、材料にも使ってないでしょ」
「俺はここじゃ、料理の手品師ってとこでな。しかもその手品に種はない」
誰がうまいことを言えと言った。
話題が料理なだけに!