一話
ここはキッチンほふほふ。
食堂、というには洋風すぎる建物。
けど、レストランというにはこじんまりとした内装だ。
利用客はみな口を揃える。
値段の割にとても美味しい、と。
そのバランスが異次元すぎる、なんてことを言う客もいる。
俺も常連の一人なんだが、別の意味で異次元すぎる、と声を大にして言いたい。
初めて店に入った時は、そりゃ驚いた。
けど、今ではすっかり慣れた。
慣れてないのはマスターの言動だ。
異次元過ぎて頭痛が起きる。
「マスターさん、ちわーっ……って、相変わらずだなぁ」
「いらっしゃい。……つか、昼の閉店時間前ギリギリに来るの勘弁してくれよ」
この店は、お昼は午前十一時から午後二時まで営業。
夕方は、午後五時から午後九時まで。
暖簾……っていうのか? 営業が終了する時間きっちりに下げるんだが、自営業をしている俺は月曜と水曜と金曜は、その時間前に飯を食いに来る。
接客の都合上だから仕方がない。
土日は休業日で、ほかの曜日は自炊なんだが、この曜日は自炊が面倒になるんだよな。
マスターはあからさまに嫌な顔をしてくるが、これも俺を常連と見てくれるようになってからか。
「この時間帯に飯食わせてくれるとこ、ねぇんだもん」
「全国チェーン店に行け!」
行ってもいいんだけどさぁ……。
マスターと、店員二人のうちの一人は地元に住んでんだろ?
ここで生まれてここで育ち、ここに骨を埋めるつもりの俺としちゃ、やっぱ地元の店に行きたいわけだよ。
それに営業が終了する時間が過ぎても、マスターらは仕事続けてるじゃねぇか。
「ここ、近所だし、ファミレスに行くだけなのに車出したくねぇもん」
「ったくおめぇはよぉ……」
顔を覚えられた時には軽く自己紹介したんだけどな。
名前呼ばれたこと、一回か二回くらいしかない。
全部「おめぇ」で済まされる。
「はい、お水とメニューです」
「あ、ありがと。アヤさん」
「ぅおい、アヤ。そいつにメニューはもういらねぇだろ」
ひどすぎる。
確かに終了時間前に店に入る客は、有難迷惑だっていう気持ちは分かるけど、扱いがひどすぎる。
「通い続けて一年くらい経つけど、メニュー覚えてるわけじゃないんだからさぁ……。見なきゃ注文言えないし」
「ったくよぉ……。面倒なメニュー頼むんじゃねぇぞ!」
他の常連客との会話は耳にしたことがあるが、こんなぞんざいな扱いされてんの、俺だけなんだよな。
まぁいいんだけどさ。
「そんなの知らねぇよ。……今日は……スパゲッティにしよ……明太子ときのこのやつ」
「ねぇよ。皿が売り切れた」
何で皿を売るんだよ!
つーか、どっからそんな発想が出るんだよ!
「近くの百均で紙製の皿でも買ってきたら?」
「百円やるから買ってきてくれ」
「マスターさん……いくらなんでも」
「そうですよ」
マスターに比べて、アヤさんとマイさんは優しいなぁ。
「消費税も加わるんですから、えっと、百八円? なので百円じゃ足りませんよ」
いや、マイさん。
問題点はそこじゃないんですけど。
「立て替えてもらったらいいんですよ、マイさん」
アヤさん、優しい方だったと思ったんですけど?
俺の勘違いですか?
「自販機の下探してみ?」
おいっ!
マスター!
「あ、今朝はありませんでした」
マイさん?
あなた、どんな毎日送ってるんですか?
「いいから早く作ってく……え? 国産牛サーロインステーキ五百グラムで千二百五十円?」
墨と筆で書き加えられた文字列一つ。
ページをめくるといきなり目に入ってくるほどのインパクト。
その文字列がなすその意味は……。
しかもこれ、一昨日まではなかったメニューだぞ?
昨日あたり書き加えられたんじゃねぇか?
ハンバーグステーキは日替わりランチで出たりするから、普通の肉のステーキだって出せるとは思うけど……。
でも、よくよく考えたら……これって安すぎねぇ?
「マスター、このサーロインステーキって……ホントに五百グラムでこの値段?」
「ん? あぁ」
嘘だろ!
二百グラムくらいの値段だぞ?
倍以上の量じゃねぇか!
「……まだあるの?」
「ねぇよ」
品切れ、だろうな。
明後日は食えるかなぁ……。
「これ、ずっとあるの?」
「あるよ」
来客がいなきゃこれにありつけられるのになぁ……。
そうだ!
どうせ明後日もここに来るってのは分かってるんだ。
予約すりゃいいじゃねぇか!
「マスター、これ、予約できる?」
「予約? 何の?」
「何の……って……。今、サーロインステーキの話ずっとしてただろ? 聞き直す意味が分かんねぇよ」
「ステーキの予約? ねぇよ?」
ないんか!
早い者勝ちかぁ。
「残念だな……一日何人限定、なんてあるのか?」
「ねぇよ」
ない?
売り切れ御免ってやつか?
「昨日からなんですが、みんな注文するんですよね。出したこと一度もないんですけど」
「はい? 何それ」
アヤさんが奇妙なことを言ってくる。
まぁ奇妙なのは言ってることだけじゃないんだけど……。
「おめぇ、その字を見て何とも思わんか?」
「え? いや、そりゃ魅力的なメニューだなと……」
「だぁれが字をメニューを見ろっつったよ! 字を見ろよ字を!」
字?
メニューと違うのか?
まぁ……墨で書かれたそのメニューは、なかなか綺麗で見事な字だけれども。
「久々に筆を持って書いてみたんだよ。思いの外綺麗に書けたからな。自慢の種にな」
「自慢?」
「一応書道は三段持っててな」
マジか!
一年通い続けてまだ知らないマスターの能力!
でもさ。
それとこのメニューは別の話だろ?
「メニューらしく書いてみたんだ。立派なもんだろう? 雀百まで踊り忘れずってやつだな」
「三つ子の魂百までって言葉もありますよね」
「マイちゃん、なかなかいいこと言うじゃねぇか! 機嫌がよくなったから、おめぇの注文、大盛にしてやるよ。その分はタダにするから心配すんな!」
いや、あの。
ステーキの話は……。
「今度はどんなの書いてみようかねぇ」
「え? ひょっとして……」
「何だよ」
「ただ、書きたかっただけ?」
「そうだよ? それが?」
「それが? ……って……」
何だよそれ……。
期待してたのに……。
「気持ちよく趣味に没頭して、仕事に活かせるって素敵な事ですよねっ!」
「あぁ、アヤちゃんの言う通りだな!」
朗らかに会話してんじゃねぇよ……。
そりゃ勝手に期待して、勝手に落ち込んだこっちの独り相撲だけどさっ。
「ほい、お待ち! で、追い飯どうする?」
「……ください。それと、単品でハンバーグステーキ……」
「あら? 沢井さんも注文するんですね。マスター、注文入りましたよー」
「あいよーって、それはいいがアヤちゃん、暖簾下げたか?」
「あ、忘れてた。急げ急げ」
この店で、沢井って名前で呼んでくれるの、アヤさんとマイさんと、他のお客さんだけですよ。
マスター、ずっと俺の事おめぇって呼ぶし、こんな扱いするし……。
ほかにこの時間にやってる店があったらそっちに行ってるよ、はぁ……。
「ようやく営業か。なんか長く待たせられた気がするが」
「はい、らっしゃい。って、バルガーさん……って、ご友人と一緒? 珍しいですね。何にします?」
「持ち込みだ。こいつとこれ使って適当に料理作ってくれ。四人分くらいにはなるだろ?」
「えぇ、十分ですね。分かりました。適当に座ってて待っててください」
「おう、任せるぜ。よう、サワイ。久しぶりだなぁ」
目先をこっちに向けてきた。
この人も常連と言えるくらい、ここに何度も来ている客の一人だ。
「あ、あは……お久しぶりです……」
「余ったらサワイにも食わせてやるよ。うめぇぞ? 何の肉かは……そっちの方じゃ分かんねぇだろうからうまく説明できねぇけどよ。まぁ動物の肉だわな。血抜きもうまくできたから安心して食えるぞ?」
「あ……はは……。きょ、今日はちょっと多めに注文したんで、また次の機会に……」
「相変わらず少食だな。たくさん食わねえと強くなれんぞ? ガハハハ」
このキッチンほふほふのマスターの言動は、客から見たら異次元レベルだ。
だが異次元レベルなのはそれだけじゃない。
暖簾を外して店の中に仕舞った途端、異形の人達が食材持ち込みで客としてやってくる。
バルガーと呼ばれた、この大柄な男は全身毛むくじゃら。
というより……人型の狼って感じだ。
その連れも、熊や虎の人型って感じ。
金属っぽい素材の鎧っぽいのを身につけている。
コスプレなんかじゃなく、そんな人達って感じで、明らかに俺やマスターと同じこの町の住人じゃない。
いや、この世界の住人じゃない。
この店でこの人達を初めて見た時、マスターに聞いてみた。
「知らねぇよ。異世界って奴じゃねぇの?」
の一言で済まされてしまった。
マスターすらも、何でこんな人たちが来るようになったのか分からないらしい。
異次元なのは、マスターの言動だけじゃなかった、という話。