二日目 casting a spell
空を見上げると、綺麗な青が広がっていた。
思えば、町の外に出るのも結構久しぶりだなあと、私はさっきまでいた故郷の国を背にして思う。
最後に町の外に出たのはいつだっただろうか。思い出せないくらいには前のことだ。基本的に、町の外は魔物などがいて危険なので、子どもだけで出てはいけないということになっていた。だから、私もチャルも、あんまり町の外に出たことはなかった。
あの町は賢者様のご加護だかなんだかがあるらしく、魔物だとかそういう邪心を持つようなものは通常入ってこれないようになっているらしいと聞いた。だから、町の中にいる限りは基本的には安全なのだ。逆に言えば、いま町からかなり離れた場所にいる私たちは、もういつ魔物などと遭遇してもおかしくないということでもあった。
「あ」
っと、チャルが何かを見つけて声をあげた。
私の考えていることを読んだかのような絶妙なタイミングだった。
私がチャルの目線のほうを見ると、そこには、いかにもなデザインの、どろどろとした、粘性の大きそうな液体状の生き物のようなよくわからないものが、ゆっくりと、ぐにゃぐにゃ変形しながら動いているのが見えた。それは無色透明で、その柔らかそうな身体が動く度に、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
誰が見てもひと目でわかる、明らかに魔物だ。ちなみに見た感じだと、目と口は付いていないらしい。
「リリスちゃん、あれ」
「魔物だね」
「とりあえず、あれで肩慣らしする?」
「うん、そうだね……。チャルは私の後ろに下がってて」
「わかった」
そう言うと、チャルは手を握ったまま、私の後ろに半身だけ隠れた。
「ところで、リリスちゃんって最近魔法使ってた?」
「いや、ぜんぜん……」
そう、ぜんぜん。私は普段、ぜんぜん魔法を使っていなかった。
魔法と聞くとどうも便利そうというイメージを与えるかも知れないが、私が使えるような魔法はどうにも私生活で役に立たないものが多く、魔物が入ってこない町のなかでのうのうと暮らしていた私には、ほとんど使う機会はなかった。
それに、最後に町の外に出たのはかなり前のことなので、魔物と出くわすことすらも、私にとっては久しぶりなのだった。
「だいじょうぶかなあ……すごい、不安」
私の後ろに隠れたまま、あからさまに不安そうな声を上げるチャル。しょうじき私も不安であったが、まあ、なるようになれ。
「とりあえず、やってみる」
私の背に隠れたチャルが心配そうにしているのを感じつつ、私は魔法を使うために精神を集中させる。
といっても、特に何か必須な動作があるわけではない。印を結ぶ必要があるわけでもなく、古代語で何かを唱える必要もないし、杖で地面に落書きをする必要があるわけでもない。こういうのはたぶん、何となくでいいのだと思う。というか、私が何となくしか知らないから、そうとしか言えない。
自分でも、魔法の原理を他人に説明することはできないと思う。
私は利き手である自分の左手、チャルと繋いでいない方の手、を大きく開き、視線の先にいるゼリー状の魔物の方へ向けた。手と魔物を同じ視線上に置いて、なんとなく標準をあわせる。そして、目を閉じて息をゆっくりと吸い、身体の中心に魔力を溜める。
「ふぅ……」
息を大きく吐きながら、身体の中心に溜め込んだ魔力を、左手まで送り出す。左手に溜めた魔力を溢れないよう、手のひらに留める。
そして、目を開き、私は魔法の名前を叫んだ。
「ファイヤー!」
私がそう叫んだ次の刹那、手のひらから無数の火の玉が弾けて飛び出る、左手に溜めた魔力を炎の魔法に変換して出力したのだ。
それらは自分の目でも追うことが出来ないほどの超高速で、視線の先にいるそのゼリー状の魔物めがけて飛んでいった。
大きな音が辺りに轟いた。
手のひらから放たれた無数の火の玉が、ゼリー状の魔物がいた所へと、寸分も狂わず着弾した。
「……」
火の玉が着弾した場所には大量の砂煙が舞い、魔物がどうなっているかどうか目視では確認できなかった。
「……リリスちゃん、明らかにやりすぎじゃない?」
「……たしかに」
魔法を使うこと自体が久しぶりすぎて、全く威力の調節などができなかった。今の魔法は明らかに、魔物一匹に対して使う魔法の威力ではなかったと思う。
しばらく待つと、だんだんと宙を舞っていた砂煙が散逸し、着弾箇所の様子が見えてきた。ゼリー状の魔物の姿は残骸すらもなく、そこには地面が大きくえぐられてできたクレーターだけが残されていた。おまけに、周りの草木に引火して、草原が燃えていた。
「火事になってるけど」
「ちょっとまって、えっと、消す」
私はもういちど、息を深く吸い、精神を集中させる。目の焦点をクレーターの周りで燃えている炎に合わせる。その炎を消す魔法のイメージを頭の中に構築し、その魔法の名前を叫ぶ。
「アイス!」
私がそう叫ぶと、炎の周りに冷気の渦が発生し、その渦が炎を包み込むようにして凝縮し、氷の塊が形成された。とりあえず、火はこれで消えたけれど、今度はそこに巨大な氷の塊が出現していた。
「えっと、まあこれで消火できたからいいでしょ」
「……ほんと、不器用だねリリスちゃんは」
「チャルが器用すぎるんだって」
「そんなことはないと思うけど……」
そんなことある。
「まあ、いいや、とりあえず進もうか」
「うん」
とりあえず、私たちは無事に? 最初の魔物との戦闘も終えた。
さて、先へ進もう。
私がチャルの手を握り直して歩きだそうとしたそのとき、「ところで」とチャルが言った。
「どこに向かえばいいの?」
え、どこへ?
えっと……どこへ向かえばいいんだっけ?
「えっと、知らない……」
「え」
「なんか世界の端っこの方に魔王の城があるって王様が言ってた気が……」
「……世界の端っこってどこよ、ないでしょ端っこなんて、世界は球面なんだから」
「えっと、たぶん、大陸の端っこって意味じゃないかな……」
「……一回、引き返す?」
「え、うーん。でも、旅に出ますっていってこんなすぐに戻るのもねえ……」
「たしかに、まあ、適当に進んでればいつかたどり着くよね」
「たぶん」
こんな感じで大丈夫だろうか、先が思いやられる。とても不安だけれど、いまは先に進もう。
***
日が暮れた。
太陽が月にバトンを渡し、辺りを照らしているのは淡い月明りと無数の星々であった。
私たちはとりあえず歩くのをやめて、たまたま草原の中にあった、いい感じのサイズの岩に座り、身体を休めていた。
ここは、360度全ての方向に地平線が見える、ただただだだっ広い、草原のど真ん中。
あのゼリー状の魔物に会った後も、私たちは何回か魔物に遭遇した。それもあってか、だいぶ魔法を唱える感覚が戻ってきたような気がする。そんな自在に魔法が使えた時期なんてないから、戻ってきたっていうのはおかしいかな。とりあえず、最初よりはましになった。
ちなみに、魔物は全て私が退治した、チャルも魔法使いといえばそうなんだけど、私たちは使える魔法の種類が微妙に違っているぽい。私は、火を起こすとか、氷を作るとか、そういう、所謂四大元素に基づいたような、自分でも原理がよくわからないけど、そんな感じの魔法が得意だった。いっぽうで、チャルは、私ができること以外は割と何でもできたが、一番得意としていたのは時間や空間を操作することらしい、なんかすごそう。
そんなわけで、弱い魔物を倒すだけなら、私の魔法のほうがお手軽なのだ。
といっても、私もチャルも、ふだんそんな魔法使ったりしているわけじゃないから、チャルが魔法で何ができるのか、私も全て把握しているわけではなかった。
「ふう、チャル、今日はここで夜を明かそうか」
「うんー、そうだね」
野宿は嫌だが、そんなわがままも言っていられない。それに、これからも何度も外で寝ることを強制されるだろうから、今のうちから慣れておいたほうがいいと思う。いや、野宿に慣れている女の子がいいのかはわからないけど、でも必要だ。
「何も見えないね」
「そうだね、まあ私は見えるけど」
チャルは私よりも目が良かった。チャルの場合、目がいいとかの次元ではないような気もするけど。
「チャルは見えるかも知れないけど、でも見えにくいだろうし、明かりつける?」
「え、誰が?」
「私が。そうだなあ、火でもおこして」
「いやいや、冗談でしょ……リリスちゃんがやったらここら辺一帯焼け野原にしそう」
「……」
ひどい言われようである。しかし、強く否定出来ないところがまた辛い。
「私がやるよ」
チャルは座ったまま、右の手のひらを空に向けて開き、呟いた。
「ライト」
チャルがそう呟くと、チャルの手のひらの上の、何もなかった空間に、光の粒子のようなものがどこからか集まってきた。
「わお」
私は驚いて、思わず変な声を上げた。
その手のひらの上に集まってきた光の粒子たちが凝縮して、真っ白く光る光の球を形成したのだ。
チャルがその光の球を放るようにゆっくり右手を動かすと、その光の球はゆっくりと浮かび上がり、私たちの頭の上で静止し、私たちをいい感じに照らした。
「これで、大丈夫かな」
「わお、さすがチャル」
私がそう言うと、チャルは、でしょ? と言わんばかりに得意げな顔をした。小さい子のこういう表情はなんというか、とても愛らしいのだ。
「ところで、明日はどこ行くの?」
「うーん、なんかここら辺に話を聞けるような村とかがあるならいいんだけど……」
「あるよ、ここから北に約100 km」
「え、そうなの、知ってるの?」
「ううん、知らないけど、ここから見える」
「ほぇー、心眼で?」
「自分じゃよくわかんないけど、たぶんそんな感じ」
わお、超適当。まあ、目がいい人になんで目がいいのかという質問をしてもわからないよね。それと同じで、チャルも自分ではわからないのだろうと思う。
しかし、100 kmか。遠いけど、頑張るしかない。
ちなみに、私たちが住んでいる惑星は、地球。これはけっこう狭いらしくて、自分で試したことはもちろんないけど、ほんの一、二ヶ月くらい歩けば一周して戻ってこれるらしいと、いつか本で読んだことがある。もちろん、陸続きだったらの話ね。そんな小さいので100 km先と言ったらもう地平線の向こう側で通常は見えないけれど、チャルには見えるらしい、目がいいって、いいな。羨ましい。
「まあいいや、じゃあとりあえず明日からはそこへ向かおうか?」
「うん」
とりあえずこれで、明日の予定はよし。
「あと、今日中にやっておくべきことあったっけ?」
「……ごはん」
「あ、ごはんか」
正直忘れていた。そういえば、今日はまだ何も口に入れてなかった。
不思議なことに、それを意識した途端、お腹が減るのを感じる。
「チャルなんか食べ物持ってきてる? 私はクッキーと水しか持ってきてない」
「もってない」
「うん……正直わかってた」
だって、チャルは手ぶらだし……私もほとんど、似たようなものだけど。
「どうしようか? チャル、なんかいい方法ある?」
「うーん、じゃあ私が取ってくるから、ちょっとまって」
え、チャルが取ってくるの?
私の頭上に、はてなマークを浮かぶ。それを気にするわけでもなく、チャルはそんな私を横目に何かを始めた。
チャルはまず、両手の手のひらをピタッと合わせた。そして、手で石鹸の膜を作るときのように、両手を擦り合わせながら少しずつ離して、両手で小さな窓を作った。不思議なことに、チャルが両手で作った窓を覗いてみても、向こう側は見えなかった。しかし、窓の中をよく見ると、空間が陽炎のように、ぐねぐねと少し歪んでいるように見えた。
そのままチャルは両手を少しずつ離して、その"窓"を拡大していく。すると、ようやく窓の向こう側が見えてきた。その見えたものは、夜の草原ではなく、私の見慣れた景色だった。
「え、これ、チャルの家?」
「うん」
窓を通して見えたのはチャルの家のキッチンだった、どうやら魔法で、自分の家と空間を無理矢理繋げたらしい。さらっととんでもないことをするな……。
そして、チャルはその空間に空いた穴に手を入れて、キッチンに置いてあったパンとミルクを掴み、その穴を通じてそれをこちらに持ってきた。
「すごいね」
「自分ちのじゃないと、泥棒になっちゃう」
返事が微妙に噛み合っていない。
「まあ、そういえばチャルってワープとかできるもんね、それと比べたら簡単なのかな」
「うん」
「というか思ったけど、ワープできるならそれで魔王とやらのところまで行けばいいんじゃないの?」
「それはダメだよ」
「あれ? 一度行ったところじゃないとワープできないみたいな制約があるんだっけ?」
「そういうのはないけど、ワープとかしちゃうと、せっかくのふたり旅がちょっと味気なくなっちゃうでしょ?」
「はあ……そういうことね」
「旅行っていうのは、移動も楽しまなきゃね」
旅行じゃないんだけどなあというつっこみは飲み込んで、はぁ、というため息だけを出した。しかしなんというか、チャルらしいなあと思った。チャルのこういう変なところも、私は好きだった。
***
夕食を終えた後、私たちは特にやることもなく並んで座っていた。ふと、何気なく夜空を見上げて見ると、美しい、我々が住む天の川銀河が見えた。
もう暗くなってからしばらくたつ、時計のようなものを持ち合わせてはいないが、たぶん21時は回っていることだろう。21時といえば、私たちのような子どもはもう寝る時間である。
「チャル、そろそろ寝る?」
「そうだね」
チャルはそう返事をすると、座ったまま、すりすりと私の方にすり寄ってきて、私に抱きついてきた。そしてそのまま、自分ごと私を倒した、このままで寝ろという意味だろうか。聞き返そうかと思ったけれど、チャルはもうすでに目をつむっていた。もしかして、もう寝た? 相も変わらず、チャルの寝付きの良さは異常なのだった。
ちなみに、同じく寝起きの悪さにもなかなかの定評がある。
ひとりで起きていても退屈なだけなので、私も寝よう。私は寝ているチャルの耳元で「おやすみ」とつぶやき、目をつむった。
***
太陽の光が眩しくてか目が覚めた、隣を見てみると、いまだに夢の中にいるチャルが私に抱きついていた。今は何時くらいだろう、けっこう太陽が上の方にあるので11時くらいかな、たぶん。それにしても、少し寝すぎたかも。チャルなんか、このままほっといたらあと数時間は寝ていそうな様子だ。
「チャル、起きて」
チャルのやわらかなほっぺたをむにむにしながら呼びかける。
「ん……」
「起きて、チャル。朝だよ」
「あ、リリスちゃん……?」
チャルは寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こした。こんなことをしているけど、ここは昨日野宿した草原のど真ん中である。いつ魔物が現れてもおかしくない、こんなところでのんきに昼まで寝ているのは世界中で私たちだけだ。
「チャル、なんか食べる?」
「うーん、あんまりおなかすいてない……」
「じゃあ、行こっか」
「うん」
私たちが次に向かうのは、昨日チャルがここから100 kmくらい北上したところにあると言っていた村である。どうやら私たちはこの時代の流れというか、流行りに疎すぎるので、とりあえず、そこで情報収集をしよう。
私が先に立ち上がり、チャルの左手を私の右手で掴んで立たせる。チャルは手を握ったまま私の右に並んだ。
「じゃあ、れっつごー」
握った手を私の手ごと上に振り上げて、チャルはそう言った。
私たちはまたも、おててを繋いで仲良し小好しで、次の目的地に向かって歩き出す。
これは一応、魔王を倒して世界を救おうという、途方もないように思われる目標を持った旅なんだけどなあ、いいのだろうか、こんな気の抜けた感じで。まあ、いいか。変に張り詰めているよりは。
To be continued.