よりもいの自分と世間のズレ
冒頭に書くがこれを読んでもなろうでは全く役に立たない。それを書いておきたい。なんと言うかPTは欲しいが無理矢理頂いても仕方ないて思いがある。受けないものは受けない。泣かせてみせようほととぎすとならない。なら最初から面倒なので対象外の人は切り捨てたい。そうやって純化させたほうがよっぽど価値がある。なろう運営もこれをやってほしいんだよな。
なろうファンタジーが受けるのと、その他のタイプの小説は関係が無い。それを取り入れようとするのを止めて全く別枠ですぐ探せるようにしたほうが良い。需要はあるのに探すのが面倒で埋もれてるってのが多分多いと思ってるから。正直ランキングじゃ太刀打ちできないなって思う。
深夜アニメとなろうはそれなりに関係が深い。だから繋がり薄いなって思うけもフレの話題とかもそれなりに受ける。でもあれって根本的に映像で見て楽しいもので、声優もそれに深く関わってる。そうなってしまうとあれはほとんどなろうで受けるには?に役に立たないんだ。深夜アニメを見てる層となろうの作者読者って重なるから見てもらえるだけだと思う。
私はSFの衰退をもっと大きな目で見ていて、私は実体験があるわけじゃないが、アスファルトで舗装された道路以外の砂利とかの道を知っている。ぎりぎり上の世代の体験としてそういった日本にリアルさがあった。SFが何故今受けないのか?でまず小説好きは分からない。漫画アニメで何故受けないのか?で小説の設定厨とは違う世界観の雰囲気がある。
この世界観がもつ雰囲気の土台として高度なテクノロジー世界がある。その中に組み込まれる自動車などのメカ世界。これが駄目なんだ。不十分な時代だったからこれが刺激になったが、現代の様な高度なテクノロジーに満たされた日本でそういった方向をもっと進ませても多分あまり刺激にならない。
私は過去書いたがファンタジーも多分受けないと思ってる。古いから、でもSFよりマシって消去法で受けてるだけと思ってる。その証拠になろうで溢れたら深夜アニメではもう嫌がられるような流れが出来つつある。それはなろうファンタジーだけでしょ?多分違う。それでも消去法として、ポストアポカリプス、文明崩壊SF系はまだ受けると見ている。けもフレがなろうと関係するとすると多分ここだけかなと。
基本的に細かい部分で表現する刺激はメディアの違いがとても大きい。なろうファンタジーは正直文字で楽しむ部分が細かい部分で多すぎる。そしてアニメは映像作品、かつ音で愉しむ部分が多すぎる。ぎりぎりの限界で勝負しているとこういった違いを乗り越えられない。
前置きクソ長いなってなるけど、かなりこれ重要なんだ。これから書く事はそうじゃない骨の部分だけど、それは細部の肉があって初めて面白さになるもので、よりもいって作品の面白さは総合的にはアニメでしか面白くない。だから全く役に立たない。あくまで、深夜アニメとなろうを見てる層は重なってるそこだけに目をつけた話題でしか無い。
一つの流れを作っていこうかなと思うのがあるから書いてる。私がアニメ漫画の大きな視点で見るのは、なろうの物語にとってとても重要だからになる。だがそうじゃない場合きちんと断りを入れたほうが良いと思う。それでも私のシリーズの中に入れる。何故か?ここがキーになる。評価それ自体を扱うから。そこで関係するから。役に立つわけじゃない。
私はそんなには面白く無いんだ…。そのズレを段々面白いと思い始めた。最初は不快だった。よりもいアンチにはさすがにならない。けもフレよりはずれて無いから。だがけもフレはズレが大きくてそれを話題としてすぐ抜き出せた。私はけもフレどっちかと言えば見てよかったと思ってる。だが、大騒ぎするほどか?と言うズレが有る。
自分がアンチ化してしまうなら、多分全く面白くない場合だけ。でも、その場合きってしまうと思う。単純に面白さではなく、ずれ自体が不快感を産んでしまうんだ。何故か?と言うとすっきりしないからだ。謎がそこにある。だが謎について明確に意識できない場合、それが面白さにならずにもやもやした不快感になってしまう。
他人が自分が興味が無い事で騒ぐのは煩いんだ。それがうっとしい。このシンプルな日常的不快感が正体だと思う。興味が無いわけじゃないが、そこまで興味が無いのに騒がれると煩いから嫌いになってしまう。これになる。だが謎をきちんと意識できたことでそれが面白さになった。
その謎の正体とは?どうも深夜アニメには青春物が大好物な層が居る。最初ジェネレーションギャップだと思った。なろうもこれよく言われる。こんなの子供しか見ないよって、でもなろうの中に居る人は分かってる。オッサンの方がむしろ比率が高いから。私は明確に若者に受ける傾向があるものを掴んでいる。
よりもいはそっくりだが微妙にズレル。これは青春物大好物のおっさんに受けるタイプの作品だと分かる。若者に受けないわけじゃない。中年を取り込めるか?でタイプ的に分かれる。取り込めないタイプはどういうタイプか?と言うと単純に優劣だと思う。おっさんは目が肥えているから、シンプルすぎる青春物じゃ受けない。
じゃよりもいは優れてるのか?なら目の肥えた青春物好きに受ける上手さがある。だがそもそも、青春物にあまり刺激の無い私はそりゃ受けないわと分かった…。これが謎の答えになる。どういう事かと言うとこのズレあの花とそっくりなんだ。私はあの花の評価が高い。何故か?と言うと面白かったから。
でも世間的にもっと上の評価は、感動した泣いたになる。それは無い。感動した泣いたを面白いって使ってる人とのズレ。これが正体だった。むしろ2018冬では私は雨上がり・・・にそれを感じた。何故青春物あまり来ないかと言うと、ああ私オッサンの登場人物に共感してるからだと分かった。若者の青春ドラマなんて基本どうでも良い…。
面白くないわけじゃない、熱狂的に傑作だとなる人と大きくズレル。でも少数の人間と思えない。そうなるとああこれ多分あの花と同じだなと分かる。結構な数アニメに青春物を期待してる層が居る。列挙できる。ユーフォ、とらドラ、氷菓。何故ヴァイオレットが期待していた京アニじゃないってなる人がそれなりにいるか?分かった。
京アニはオタ受けするもの以外を作りたい。で、その中でユーフォと氷菓は深夜でそれなりに受けてる。これは非オタ受けとオタ受けの間のようなもので、青春物がこれに集中している。一見非オタうけで実写的なものや一般小説的なノリで、ヴァイオレットも京アニのそういった路線と同じに見える。
京アニ自身は非オタ受けで多分それほど大きなズレを感じてないと思う。でも京アニが異色の作品で受けてきたのは、もっと狭い層にピンポイントに受けてるからになる。でもそれなら実写見ない?実は実写ってTVドラマで、最近学園者が減ってきたらしい。考えたら分かるが、少子化と若者の実写ドラマ離れになる。これはデータを見たので確かだと思う。
若者が実写ドラマより深夜アニメの方を見てて、違和感を感じていたが、事実だったようだ。若者向けに創っても視聴率取れないから減ってきてるらしい。実は青春物ってニッチになってきてる。これをアニメが拾ってる感じになる。じゃやっぱ若者向けじゃない?それが違うんだ。深夜アニメ程度の視聴者数なら、大規模な集団に若者以外も十分になる。
なおかつ、見てるだけの人はよりもいあんまり居ない。これから評価が高いので多分見る人増えると見てる。そういった相乗効果で知名度も上がってくると思うが、とにかくTVドラマ単位ならたいした数じゃない。
結局なんでも希少価値で決まるんだなと思う思い。多分こういう事書くとお前が面白く無いからだろ?って言われてしまう。面白くないわけじゃない。面白いじゃない、的確に書くなら泣ける、感動が無いからになる。そしてそういうの深夜アニメに特に私もとめて無い。たまにあるとそれはご褒美程度にしか思ってない。
だから感情的になってアンチ的に冷ややかな視点で書いてるわけじゃない。シンプルに謎の正体を知りたいのと、コレまでも感じていた謎をすべて解けたのが嬉しいから書いてる。むしろネガティブじゃないひねくれてないポジティブな感情で書いてる。ちなみにいくつか良い点がある作品だと思ってる。
ただ私が考える創る前からすでに勝負は決まってるって話しの対象だと思ってる。私は受けるって釣りに似てると思ってる。抽象的な良い作品が受けると思ってない。えさとポイントがキーで、魚のいない場所、目的の魚の求めるえさじゃない。これじゃ釣れない。これは、文芸の芸術論とは多分ずれる。もっと分析的に扱える科学的な話を出来るものだと思ってる。
私はそうやっていつも書いてると思う。良い作品と言う、抽象的形而上学的な創作論を展開するつもりは無い。ただ実際の数字は出さない。データが雑なのを突っ込まれるだけで損だから。大事なのはそれが予測性を持つ論であるか?であって、元のデータが良いか悪いか?を私のセンスですべてカバーするつもりだから。
その中でキーだと思うのは、メールの話は素直に良いと思う。どこによさがあるか?は時代性になる。根本的な構造は同時期の手紙を元にしたヴァイオレット10話と酷似してる。死んだ人とのやり取り。これが王道だから、そこに電子メールらしさがきちんとされてて、単純な置き換えじゃない点。そこが時代性になってる。
敢えて言うと、間に南極基地があるので、行方不明の人のメールぐらい調べないか?って疑問。何年も放置されるか?謎。明らかに基地に溜まっていたメールを一気にダウンしたので、どこにそのメールがあったのか?でノーパソじゃない。そこがちょっとね。あれ難しい。ちょっと強引さがあるかもしれない。基地を使ってなかったので、後から回線を繋いだとなる。
ならどこにあったのか?ここがちょっとね…。リアルさなんてどうでも良いだろ?それがそうでも無いんだ。時代性がキーになってるから。その辺り考えてしまうともやもやするものはある。そこを批判する人には同意できる。ただ良さとの差し引きで余裕で無視できるけど。瑕疵について述べるなら程度になる。
ただこれだけなら最後だけ良かったとなる。実際飛躍的に評価が上がったのは2つのEPになる。もう1つは、抑圧と鬱憤晴らしになる。それが共感を呼んでいるって点。ざけんなーや、ざまみろーなどの一見受けなさそうなものが、上手くはまった場合爆発的なものになるって典型。じゃ何故はまったのか?が時代性とは言えない。
時代性で分析してる人が居たけど、世代間も多分違う。数じゃないか?と見てる。新しく生まれた感情じゃなくて、例えば今軽いものが受ける。だが昔は全く違ったのか?なら多分昔も軽いものを好む人は居たんだ。それが圧倒的多数派に数が変化しただけ。だって描いてるものは王道の鬱憤晴らしだから。
ひなたの部活の話しと報瀬のメールで評価が良いからとても良い最高に変わったのを見てるから。それまでもざまみろーなどで、しらせのキャラを確立してきたのが大きい。積み重ねが最後で爆発する。メールもそう。物語の王道だと思う。
後は本当に重要なのはスタートになる。最初から勝負が決まっていた部分で、題材の南極。はっきり生かしてない。だがポイントはそこじゃない。ここで元に戻す。この作品は青春物が大好物の人にはまる作品だと書いた。その中で南極って題材の希少価値の刺激になる。まずこれ見てみようって刺激をきちんと創れてるから、最後の爆発に繋がる。
どれだけファンが最後まで見たら面白いからと進めても、興味が無いものを見ていても、興味がある人と温度差が生じる。ファンが気が付かない視点に立てる。それで私の視点の価値があるんじゃないかな?と思う。釣りのようなゲームでしか見てない。よいとか悪いとか、感動したとか泣けたとか面白かったとか、どうでも良い。
私にとって釣りのようにしか見てない。無理矢理人の見ない点を見てるひねくれじゃない。多分熱狂的に好きな人ほど、気が付かないだろうなって視点。それに良いと思った点は私も同じだから。その中で、何故それが生じたのか?で本当はスタートのここにあるってひねくれたような見かたになってる点。
でも私は多くの失敗作を見てるんだ。私はスタート命になってる。それはなろうでも変わらない。だがなろうよりもっと深夜アニメはきつい。それには面白いと言う単純なものじゃなくて、もっと根源的な興味がわくって感情や、好き嫌いの好みとか、こっちの方が大事なんだ。勝負は戦う前にすでに決まってる。これが今のある程度数に受ける物語にとってものすごく大事。
後私はむしろ後半より前半にツボがあると思う。そういった感動泣けるは後で持ってきて、前半は楽しいに徹している。1つ5話だけ違うけど、それは別に良いんじゃ無いか?と思う。馬鹿みたいにここだけ粘着する人が要るけど、所詮、何話もある中の1つにすぎない。後ろの日向やしらせのEPのように何話も積み重ねたキャラを生かしたものじゃない。
根本的には軽さや楽しさがよりもいの前半部分の面白さだったと思う。じゃ詐欺か?ならある意味詐欺だ。これはとらドラで使われた手法で、後半のシリアスと前半のコメディは今の視聴者と相性が良い。よりもいはコメディではない。だが、明確ではない、地味な会話の楽しさで売るタイプのもので、そこがかなり重要で、そういった温い慣れがあったからこそ、キャラに入り込める構造になってる。
前半そこを褒めてる人も数多く居たが、後半になってこの2話のEPで埋め尽くされてしまっているが、じゃその前半がなければお前らはそこまでたどり着いたのか?これはなろうもものすごく関係する。今の受け手はなろうだろうが、アニメだろうが、さっさと興味が無ければきってしまう。
そこから面白いんだよって作品はあまり成り立たない。実は、よりもいと言う作品は初期の方が重要。んでも私あまり好みじゃないなかった。だが切るほどじゃない。なんとなく結果論的に出来ただけで、優れたストーリーテイラーの話に感じなかったから。結果論的なものに面白みを見出せないわけじゃない。ただそこに優れた作り手の力を感じたとき私個人は相乗効果があるから。
花田氏に力が無いわけじゃない。結果論的なら深夜の脚本家ならそれなりに多数はこれぐらい作れるんじゃないかな?って思えたから。じゃ監督か?ならまず無い。監督はむしろ5話じゃないか?と見てる。昔から花田氏はネガ描写をやりたがる。これで勘違いされてるが、ラブライブもそうだと思われてるが、あれは監督の支持らしい。
2期が決まってしまったので、無理矢理引き伸ばすようにサンライズに監督が言われたんだろうな?と邪推してる。花田氏はむしろそういった犠牲者じゃないか?と見てる。花田氏は、そういった自分の色を出すのを躊躇する傾向が逆に出来てる。普通そうじゃないか?と思う。脚本降板するほど失敗したらしい。その癖をずっと引きずるなんてあるか?
逆にイップスみたいになるほうが自然だと思うが。監督の強い指示があったからなんとかかけたと見てるのだが。よりもいってなんとなく女臭いんだよな。5話がたとえ違ったとしても、よりもいはおそらく監督の色がすごく出てる作品だと見てる。でもこの監督オリジナル初めて、だから色が分からないから、勝手に花田氏の色だと思われてる。
色といえばどぎついピンクがうっすらかかる演出がこの監督好きだったけど、今回、それが全く無かったな…。ノゲノラで有名な監督だけど、正直原作がヒット作なので、ああいう作品の監督をしたのってあんまりその監督の価値じゃないんだよな…。原作持ちで監督の物語を創る力なんて一切分からんよ。だから監督の色じゃないか?ってのは私の推論とはいえない憶測でしか無い。