未来の僕へ託した手紙。
夏の始まりの暑い午後、僕宛に一通の手紙が届いた。
差出人を確認したら、それは僕自身が僕に宛てて書いたものだった。
初めは誰かの悪戯かと思ったが、封を切り一行目を読んで悪戯ではなく、過去の僕が未来の僕に宛てた手紙だという事を思いだした。
”お元気ですか?この手紙を目にした僕は驚いているでしょうか?多分、僕の事だからこの手紙の存在なんかすっかり忘れちゃってるんだろうな。自分自身に手紙を書くって、何だか恥ずかしいんだけど、笑い飛ばさずにどうか温かい気持ちで読んで頂けたら幸いです。
自分自身の事だから今更説明しなくても分かっていると思うけど、高校三年生の7月末に僕は自動車の免許を取りました。母親の軽自動車を借りてこの夏彼女とドライブがてら伊豆に来ているのですが、そこで面白いものを見付けましたのでこうしてお手紙しています。
ここまで書いたら思い出したかと思いますが、そう10年後の自分に手紙を届けてくれるサービスです。
僕と彼女は話し合い、未来の自分宛てに願いと約束を託す事にしました。
10年後って事は28歳になってると思うんだけど、夢は叶えられたかな?
バンドはまだやってる?音楽で世に出て、色々な人達に自分の歌を届けたい!音楽の力で沢山の人に夢と希望を与えたいって言うのが口癖だったけどさ。正直それってすごく難しい事だから、ひょっとしたらメジャーで活動なんて夢のまた夢なのかもしれない。でも、諦めの悪い僕だからインデペンデンスで活動してるかな?夢を捨てずに今もギター片手にどこかで歌っててくれたら、それだけでも嬉しい。
そうそう、彼女とはうまくやってる?絶対結婚しようねって約束してたし、あ、ひょっとしたらもう子供とか居たりするのかな?未来の僕らが幸せだったらいいな。
なんか18歳の僕は色々と理想が高いね。でもそれだけ僕は僕に期待をしているんだ。
まぁ、未来の僕がコレを読んだら全てわかる事だし、僕自身もここに綴った素敵な人生を送れるように努力するつもりです。
で、未来の僕にお願いがあります。この手紙を読んだら、その夏の8月14日に恋人岬に来てくれないか?
10年後もう一度ここに二人で必ず来ようって約束したからさ、約束忘れないでね。あ、それと互に互いの想いを認めた手紙がもう一通同封してあるから、必ず持参して、この場所でもう一度気持ちを確かめ合って下さいね。
よろしくお願いいします。
10年後のの僕へ。18歳の僕より。”
僕はその手紙を読んで涙が出て来た。
10年前の穢れなき僕には、将来への希望と夢が溢れていた。
だが今の僕はどうだ?
高校卒業後夢を抱いて東京にやってきたが、結局22歳の時に音楽を諦めた。
メジャーデビューなんてそんな簡単に出来るもんじゃない。かろうじてインディースで活動できていたけど、結局は自分に限界を感じ解散。諦めきれずストリートでやっていた事もあったけど、そこにすら居場所を見つける事は出来なかった。
20歳の頃に高校から付き合っていた彼女とは喧嘩別れ。
「女一人幸せに出来ない男が、沢山の人に夢と希望を与える事なんて出来る筈ないじゃん!!」
今でも覚えている彼女の言葉。あの言葉は今でも僕の心に突き刺さったままだ。
結局25歳で地元に戻ってきて、親父の知り合いの会社へコネ入社。
それからは辛くも楽しくもない毎日を惰性で生きてる。
「ゴメンな!18歳の僕!君の希望も夢も何一つ叶えることが出来なかった!ゴメンな!」
18歳の僕に向けて、28歳の僕は謝るしかなかった。
ひとしきり涙を流すと、少しだけ頭と心が落ち着いてきた。
僕はもう一度手紙に目を通すと、最後に18歳の僕が今の僕に託した願いを、実行に移そうと思い立った。
今の僕にできる罪滅ぼしはそれしかない。
8月14日。
僕は一人西伊豆に向けて走り出した。
あの頃の事をよりリアルに思い出すように、当時僕がよく聞いてたCDも用意した。
デッキから流れ出したのは、陽気な夏の歌で。僕はそいつを口づさみながら、太陽に向かってハンドルを切った。
伊豆に向かうにつれて、あの日の事を段々と思い出してくる。香貫にあるグリンカーデンに覆われた喫茶店とか、長岡の足湯温泉。天城の浄蓮の滝や河津の七滝。
話した内容は事細かく覚えてないけど、すごく楽しかった事だけは今でも思い出す。
今は助手席に誰もいなくて僕一人だけど、あの頃の夢の欠片を探す旅って言うのも悪くない。
135号線を走り続けると、左に白浜海岸が出て来た。
白い砂と美しい海。まるで日本じゃないみたいな美しさがそこにはある。砂浜を走る恋人たちはまるで映画の登場人物の様で。ここでは全ての者が絵になるのだ。
そんな人達を横目に見ながら、車はひたすら海岸線を走り、黄金崎クリスタルパークを越えると目的地の恋人岬に辿り着いた。
時間は13時35分。
彼女が現れるなんてあり得ない事だし、分かっていたけどバス停の時刻表をチェックしてしまう。
13時59分と14時59分、16時08分にしかバスはない。
期待なんかしてないけど、取り敢えず13時59分のバスに彼女の姿が無かった事を確認すると、僕はその辺を散策する。
ここから見える景色。海の色、風の音、潮の匂い、空の青さ。
あの日の僕にはこんな事を考える余裕なんかない位充実した時間を過ごしていたんだろうな。
しかしここは一人で立ち寄るには少しばかり厳しい場所だ。
周りは皆カップルか子連れの家族。一人でいるのは休憩がてら立ち寄ったであろう、単車乗りのお兄ちゃん。僕一人だけが大きく浮いていた。
あの日の事を思い出しながら、少しセンチになって適当な場所に腰かけて海を眺める。
14時59分のバスがココを通過して行ったが、彼女の姿を見かける事は出来なかった。
まぁ普通に考えて来るはずがないのだ。
でも、18歳の僕の願いだ。何一つ出来なかったせめてものお詫びに、約束には最後まで付き合いたい。
過去の僕が今の僕に夢を託したように、僕自身も未来の僕に何かを託せたら・・・。
思い出に浸る事なんてなかった僕だ。たまには思い出してみるのもいい。
時間は沢山ある。
瞳を閉じてみると、波の音と風の音しか聞こえない。もうずいぶんと前に別れてしまった彼女の顔は、今はうまく思い出せない。今はどこかで誰かと幸せに暮らしているだろうか?
長い時間運転してきたせいか、いつの間にか眠りに落ちていた。
風が僕の頬を触る感触で目が覚めると、辺りは少しだけ日が傾き始めていた。
時刻は16時10分。最終バスの時間は16時8分だから、多分みんなソレに乗って帰って行ったんだろう。辺りはとても静かだった。
やはり彼女と会う事が出来なかった。
それもそうか。今更そんな約束を守る義理なんてどこにもない。
僕だってそんなこと最初から信じちゃいなかったんだ。でもさ、何にもない空っぽの僕だけど、小さな可能性を信じてみたいって思ったんだ。
最後に二人で歩いた遊歩道に足を向けた。
その近くにある鐘を鳴らしてからその道を歩いて行くのだが、その先で僕は信じられないものを見つけた。
さっきまで顔すら思い出せなかった彼女だ。
10年経って更に綺麗になっていたけど、間違いなく彼女だ。
たまたまの偶然なのか、それとも彼女も自分自身の義理を果たす為にここへ来たのか。
震える右腕を左手で抱えると、僕は思い切って彼女に声を掛けてみた。
「・・・10年ぶりだね、元気してた?」
そう声を掛けると、一瞬彼女も驚いた様子だったが、すぐにあの頃の様な笑顔が帰って来た?
「久し振りね。元気してた?」
ぎこちないのは仕方ない。あんな別れ方をしたのだから。
昔の僕と違って今は何を話していいのか言葉が見つからない。
「ここにはどうして?誰かと旅行?」
そう尋ねてみると、彼女はカバンから一通の手紙を取り出した。
「先日こんな手紙が届いてね。なんだか懐かしくなっちゃってさ。初めは驚いたし、すっかり忘れていた事だったけど、10年前の私の手紙があまりにも一生懸命だったから、悩んだ挙句ここに来ちゃった。あなたは?」
僕も内ポケットに忍ばせていた手紙を取り出すと、彼女に見せる。
「同じだよ。僕は自分自身への罪滅ぼしと、少しの淡い期待からここにいる。会える訳ないって思ってたけど、完全に諦めることが出来なくってね。来ちゃったって訳。ぼくらって意外と律儀だね。過去の自分のお願い事を叶えちゃうんだもん。」
なんだか久し振りに笑った気がする。
それから少しだけ懐かしい思い出話をして、近況を報告し合った。
彼女はわかれた当時大学2年生だった。その後は学校を卒業して今は地元から一つ離れた隣町の学校で小学校の先生をしてるとの事。
僕は夢破れて地元に戻り、飲料メーカーの営業マンとして働いている胸を話した。
「あのさ、聞きづらいんだけど、結婚した?」
津と綱質問に驚いたが正直に応える。
「君と別れてからはずっと一人だし、結婚なんかしてたらこんなとこまで来ないって。そっちは?」
そう尋ねると、少し話しにくそうにしていたものの、僕と同じで正直に応えてくれた。
「私も結婚してないわ。正直教師って結構激務なの。初めの頃は情熱を燃やして色々頑張っていたけど、最近じゃ休日でもめったに出掛けないしね。」
寂しそうに彼女は笑った。
未来にあんなにも希望を託していたのに、現実の壁は容赦なく重くのしかかる。
「僕らはさ、一体どこで僕らを見失っちゃったのかな?君と別れた時もそうだけど、何処でボタンを掛け違えちゃったのかな?でもさ、過去も今も悔いてたってお互い先には進めないね。10年前の僕らはまだまだ子供で、将来への本当の夢なんて見えてなかったんだと思う。カッコつけてありがちな夢で自分を盛り上げてさ、心のどこかじゃ判ってたんだろうけど、もしかしたら・・・なんて淡い希望で自分を誤魔化してさ。
でもさ、そんな僕だったけど、10年前に君に打ち明けた胸の想いと約束だけは偽りのない本当の気持ちだったよ。」
時間は随分と経ってしまったが、あの頃の想いだけは色褪せる事はない。
僕は10年前に彼女の為にしたためた手紙を渡す。
逆に彼女自身が10年前に書いた手紙を僕に差し出す。
何が書いてあるのか?
僕は彼女の手紙を震える手で開いた。
そこには僕と彼女の将来について書かれていた。
少しだけ恥ずかしい内容もあったけど、何処までも純粋に僕を想う気持ちは間違いなく本物だった。
多分彼女に渡した手紙もそうだろう。
手紙を読み終えると、彼女は小さく呟く。
「本当、色んな事何処で間違っちゃったんだろうね。」
過ぎ去りし日をどこか少し憂いながら、暮れゆく太陽を眺めていた。
「あのさ、あの頃にもう一度戻って色々とやり直す事は出来ないけど、ここからまた初めてみないか?18歳の頃みたいに無邪気にって訳にはいかないけどさ。僕は今日の日にもう一度君と出会えた事を、偶然と言う言葉で片づけたくない。愛だ恋だと言うつもりもないけど、少なくともお互いがお互いを思いやる気持ちはまだ存在しているんだって事が分かっただけでも僕は嬉しい。そして大人になった今なら、もっとお互いを大切にしてわかり合えるんじゃないかな?」
勢いだけでこんな事を言える程僕はリア充な人間じゃない。
だからこれが僕の偽らざる本当の気持ちなんだと思う。
僕の言葉にしばらく無言を貫いていた彼女だったが、小道の脇にある鐘のある高台で歩みを止めた。
「ねぇ、知ってる?この鐘を二人で鳴らすとさ、幸せになれるんだって。考えてみたらさ、あの頃の私達ってここの鐘の前で写真は撮ったけど、鳴らさなかったよね?敗因は多分それなんだと思うんだけど、君はどう思う?」
そう言われれば鳴らさなかった様な気がするな。
あの時は写真並んで一緒に撮るだけでも恥ずかしかったからな。
「って事でさ、折角だから一緒に鳴らしていかない?10年後の私達の為にさ。」
彼女の口から零れた言葉は、行き場を失くして彷徨っていた二つの心を”ぎゅっと”優しく繋いでくれた。