第九章 「瑠璃」
詩を詠むため梅を呼んだ永久子。
だが、そこに来たのは―
永久子は少し驚いた。てっきり梅が来ると思っていたのに、見た事のない女中がこちらに向かってにこにこと笑いかけている。
「新しくこちらに勤める事になりました。瑠璃と言います。よろしくお願い致します。」
綺麗な言葉だ。この地方の生まれではない。
久々の標準語に永久子はやや安堵し、だが少し気が引き締まる。
「そうなの。よろしくね瑠璃。じゃあ貴方にお願いしようかしら。私詩を詠みたいの。でも墨を垂らす紙がないから持ってきて欲しいのよ。」
永久子は瑠璃がどういう人間なのかを見定めようと鋭く瞳を向ける。
瑠璃はくりくりとした大きな目で真っ直ぐにこちらを見てにっこりと笑う。
途端に目尻が垂れて少女の様な顔になる。
「わかりました、奥様。只今お持ち致します。」
そう言うと瑠璃は素早く立ち上がり、鼠のようにちょろちょろとした可愛らしい動きで部屋を出ていった。
どこから来たのだろう。ここの生まれの顔立ちでもないし、言葉からすると育ちも東京の方だ。
わざわざ東京からこんな場所に来るのは永久子一人だけだと思っていたのに。
永久子は滅多に人に心を開かない。
元々疑り深い性格で、人に騙されたり利用される事を人一倍嫌う性分だ。
良く人を観察し、どのような性格でどんな癖を持ち、それが自分と合うものなのかを見定める。
こうまでしなければ、人を信じる事の出来ない自分が時に哀れだとも思う。
だが、過去の経験を思い出せばこの性分を永久子はなくすことが出来ない。
男に・・・そして女にまた騙されるくらいなら少々息苦しくても我慢しようと永久子は思っているのだ。
そしてこの永久子の厳しい試験に受かったのは幼き頃から慕う叔母と、ありのままを曝け出し自分を慕ってくれる梅しかいない。
果たして今の娘は私の目通りに叶うだろうか…?
そう考えているうちにまた襖が開いた。
「お持ち致しました、奥様。これで良いでしょうか?」
瑠璃は急いで持ってきたのか少し息をきらしている。
「有難う、瑠璃。」
永久子は上品に微笑む。
その顔は雨が降って薄曇った空気を掻き消すかのように輝く。
瑠璃が可愛らしいと言っても、永久子の美しさは別格だ。
可憐な花を咲かす牡丹よりも、優美に頭を垂らす百合よりも微笑む永久子の姿は美しい。
それに魅せられた瑠璃は恍惚とした表情で永久子を見る。
「どうしたの?瑠璃。」
永久子が話しかけた瞬間、瑠璃は目を冷ましたかのようにはっと声を出して飛び上がった。
「いっいぇ、奥様があまりに美しいので…」
「あら、有難う。」
永久子が感謝した途端瑠璃の顔がみるみる赤く熱を帯びていく。
永久子はどことなく梅に似ているな、と思った。真っ赤になった瑠璃に永久子が問う。
「あなたの言葉…ここの言葉ではないわね。どこから来たの?」
「先日東京から来ました。父も母も東京にいます。」
「東京からこんな所へ?」
「はい、両親は東京ですが、親戚が長崎なんです。向こうの学校に行くつもりはなかったのでこちらに来ました。」
「そうなの…」
ますます変わった娘だと永久子は思った。
両親は東京にいるのだし、永久子の様に強いられて来た様子もない。
年端もいかぬ娘が一体何故こんな辺鄙な所に好き好んで来たと言うのか。
まあいい、その内わかるだろうと永久子は足を崩した。
「話してくれて有難う。仕事の邪魔になってしまったわね。」
「いいえ、こちらこそ相手して頂いて…それでは仕事に戻ります。」
瑠璃が出ていき永久子はふと外を見る。
雨が降る―
ぬかるんだ地面に雨は大きな水溜まりを作り、その大きさを増していく。
「雨降らん 我が心に 瑠璃色の 雨音弾む 梅雨の溜まりて」
永久子が筆を取り認めた詩は確かに永久子の心に瑠璃と言う少女が刻まれた事を意味していた。
遅くなりました;
只今作者テストに終われてて執筆困難な状態に(汗)
次もまたちょっと遅れるかもしれません。。。