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第六章 「櫛」

初五郎から暴力を受けた永久子はますますこの家に対する不満を抱いていく−


自分の髪を梳きながら昔の思い出に耽る永久子の部屋に梅が−

朝方まだ蒸し暑さが迫ってこない内に、永久子は髪を梳き始める。

黒々と艶めく永久子の漆黒の髪は、どんな着物にも良く合う。この豊かな黒髪は永久子の自慢とするものの一つだ。永久子はその髪を上質な細工が凝らしてある柘植つげの櫛で丁寧に梳いていく。

嫁入りの時に持ってきたこの櫛は、永久子が女学生の時から使っているものだ。


伯母が入学する記念にと特別に誂えてくれたもので、もう当に十年は越えているというのに色は一向に色褪せずより渋味を増していく。


「永久子ちゃんは本当に美人ね。将来が楽しみだわ。」


会う度に嬉しそうにそう永久子に話しかけるのが伯母の口癖だ。それは永久子が大人になった今も変わらない。

父の妹にあたる人だが、寡黙で厳格な父とは違い屈託なく笑う優しい伯母で、若くして夫をなくし子をなさなかったためか姪の永久子を特に可愛がった。


伯母はいつも日に当たるとやや栗色に光る髪を綺麗に結い上げ、贅沢のできない家の中でも鮮やかな紅色の着物を身に纏い凛とした美しさを放っていた。

永久子が嫁に行く時も心配そうに色々世話をしてくれて、複雑な環境に置かれる事の多かった永久子にとって心の支えとなってくれる人だった。


しかし、遠方長崎まで嫁いだ永久子はもう毎日のように伯母に会う事はできない。

これからはこの櫛や永久子の実家から持ってきた思い出の品が頼りだ。


永久子が暮らす十五畳程の広めの和室には、永久子のためにと用意された家具の他に東京から持ってきた馴染みの化粧道具や思い出の詰まった品が入った鞄が所狭しと幾つもの転がっている。

この鞄や箱から毎日少しずつ物を取り出しては懐かしさにふけるのが日課だ。

寂しくなった時や辛い時にそういったものに触れると心が癒されるのだ。

しかし、最近の永久子はいつものようにそういったものに触れるだけでは気分が晴れなくなっていた。


原因はあの男だと永久子は顔をしかめる。


永久子に手をあげてから、初五郎は徐々に本性を表すようになっていた。

痩せやつれた顔で眼鏡の奥から睨むように視線を伸ばす不快な目つき。

見た目と同じく初五郎はかなり神経質で元々精神の方も少し患っているらしく、それとあいまってかなり達の悪い暴れ方をした。

とにかく何か少しでも気に入らないことがあれば女中達に当たり散らし、所構わず叫び出す。

永久子は初めにこの家に来た時、何故あんなに女中達が暗い顔をしているのかようやく理解した。


「皆初五郎を恐れているのだ。」


それだけが理由かどうかは定かではないが、それが一つの原因であることにまず間違いはない。

これは中々厄介な問題だな、と永久子は思った。

梅には重造の事もあるし手が出せない。だから初五郎はその鬱憤を代わりの女中達で晴らしているように見える。

しかし、今更梅をやめさせても初五郎の癇癪は治るものではないだろう。あれは生まれ持った性格も大いに関係しているに違いない。そしてその性格は夜の情事にも深く関係していた。


永久子は生娘ではないし、今更濡事を恥じらうような年ではなかったが、今まで自分を組み敷いたどの男より初五郎の女の扱い方は嫌悪を抱くものだった。

夜明かりの乏しい床の間で、永久子の上に乗る初五郎は最悪な野獣だった。


女をただひたすら自分の快楽の道具として扱い見下す事が初五郎の情事の目的であり、永久子のような位の高い女でさえ自分の言いなりなのだと初五郎は得意気な顔をして永久子を玩具(おもちゃ)のように玩んだ。

快感も昇天も与えられない情事が永久子には苦痛だった。


体の相性もあわないようではもはやこの男についていく意味も見い出せない―


永久子の中にますます初五郎を嫌悪する気持が広がる。

それを知ってか知らずか日々初五郎は永久子に対する苛立ちを表に出すようになってきた。


「お前の一族はさぞすごいお方達の集まりなんだろうなぁ、これだけの家を落ちぶれさせたんだからなぁ。」


毎晩酒に酔い、顔を真っ赤にして綺麗に分けられた七三の髪の毛を額の方へと崩しながら、おかしな訛りで初五郎は永久子を責めた。

毎日夕飯に愚痴をこぼしだす初五郎の声を、永久子は聞こえない振りをしてじっと我慢する。


永久子はそんなに大人しい女ではない。寧ろ違うと思った意見にはすぐさま的確に反論し、自分が正しいと思った事は絶対に譲らない性格だ。

だが、そんな強気な性格も今は身を潜めるしかない。

こういう愚かな男の前で正義を通しても逆上されるだけだと分かっているからだ。


永久子はふと鏡の方を向く。


真っ直ぐにすかれた長い髪を左手にもち右手には櫛を力なく握っている。

視界を遮るように生える長い睫の根元を見ると、うっすらとくまのようなものがある事に気付く。

今はそうでもないが、いづれこの影は永久子の透き通りそうなくらい白い肌のせいでより目立ってくるに違いない。


このシミ一つない肌もピンと張り美しい輪郭を表す首元もやがてはくすみ弛んでくるのだろうか…?

もし、こんな苛立ちの募る生活が続いたら自分は倍の速さで年をとってしまう…

いいや、そんなはずがないと不安を掻き消すように永久子はそのふっくらとした形の良い唇に紅を塗る。


こんな暗い気持ちではいけない。外にでも出掛けて憂さを晴らそうかと思った瞬間襖の向こうから小さい声が聞こえた。


「…永久子さん、ちぃとお話があるんでぁすが…」


梅だった。

バタバタしてて更新が遅くなりました(汗)


ケロンパさんコメントありがとうございます☆

アドバイス通り勉強しようと思います。

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