第三章 「夫」
喜一に連れられ永久子は嫁ぎ先へと向かう。
そこに待っていたのは富田重造とその息子であり永久子の夫となる予定の初五郎だった。
喜一に連れられ、まだ梅雨の残る土道を歩く。
梅は重たい荷物を持ってふらふらしながらついてくるが、喜一が連れてきた付き人にほとんどの荷物を運んでもらってるのでいくらか楽そうだ。
家も人も典型的な田舎道で、開いている店も昔懐かしい商いの空気が漂い永久子は落ち着いた気分になる。
父の別邸がある東京で長い間暮らしていた永久子だが、東京に慣れる事はできなかった。人が齷齪と日夜問わず働き毎日何か新しいものが建ち土地を埋め尽す度人の心も何かけだるいもので埋め尽され余裕がない感じがした。
望まない結婚のために降り立った地とはいえ、忙しない空気のないこの土地は中々良い。
これが「任務」のためではなく、ただの旅行だったらどんなに良い気分だろう。
そんな事を考えてる内に喜一が永久子に話し掛けた。
さっき汗を木綿のハンカチで拭ったばかりだというのに、また汗を吹き出している。
「ここでぁす。このお屋敷になります。今案内させますけぇどうぞ入らってくだしぁ。」
そこは途方もなく大きな屋敷だった。
一個人の邸宅として永久子が想像していたものよりかなり大きい。庭も含めたらちょっとした広場くらいの敷地だろう。
だが、昔からある由緒正しい家と言う風格はない。
屋根や塀などの作りはかなりしっかりしているが、どちらかと言えばあまり年月が経っておらず比較的新しい感じだ。
父の話によれば造船業で財をなした富田家は、富田重造一代で築いたものだという。
恐らくこの家もその流れで作られたものだろう。まだ十年と経っていないような佇まいだ。
女中が来て永久子を案内する。中の作りもかなり豪華で家具も立派だ。
しかし永久子は何かを感じた。
―おかしい―
不気味だとか恐ろしいとかとは違う。どことなくこの家は冷たいのだ。
ふと周りを見渡すと「あれが天皇の…」と指差す女中達の何と表情の暗いことだろう。
永久子を案内する女中も沈んだ表情で前に進む。
(・・・この家は何か問題がありそうね)
永久子は心の中で呟いた。
そう永久子が思案していると、女中は奥の広い部屋に永久子を通した。
「ここでございぁす。どうぞ。」
通された部屋は、ただの客間にしては少々派手すぎるのではないかというくらい眩しい物ばかりが置いてある。
とにかく机一つにしても少々金箔の多すぎる感がある。
これは趣味が悪いな、と永久子は思った。
その目が眩むような部屋の中に、埋もれるようにして二人の男が中央に座っている。
富田重造とその息子初五郎である。
「ようこそ我が家へ!」
重造が答えた。
恰幅の良い・・・という言葉だけでは足りないくらいの腹回りだ。
ぶくぶくと太った腕に持つ扇をハタハタと動かしているが、いくら季節のせいとはいえ、喜一とは比べ物ならないくらいの汗をかいている。
渋い紺色の生地で誂えた着物は今日のために用意した事がありありとわかる。
顔に脂汗をかき、重造はにかっと笑う。その前歯の半分は金歯だった。
「遠く東京から来て頂いて感謝してますぞ。えらくお疲れになったでさぅ。」
重造もまた慣れない標準語を使おうとしている。
だが、喜一よりもっと下手糞だ。いっそ方言のまま話せばよいのに、と永久子は思った。
「さあさあ、そこにどうぞ!お嫁様!(およめさま)」
うすら禿げた髪にギトギトとした油を塗り、無駄に蓄えた髭を右手で盛んに引っ張りながら重造は扇を持った左手で永久子の座るべき席を指した。
年はもうすぐ還暦だと聞いていたが、太っているせいか顔に艶がありいくらか若く見える。
礼儀を知らずに金銭的にすくすくと成長しただけあって、やはり成金には品が足りないと永久子は不快に感じる。
それは重造の息子・・・永久子の夫となる初五郎にしても同じだった。
きっちりと髪を七三にわけ、分厚いめがねをかけたその青年はピリピリとした空気でこちらを見ている。
かなりやつれていて食が細いのか、何か病が潜んでいるのかわからないぐらいに頬はこけている。
そして目つき―この目つきが不快だ。
一体何にそんなに不満を持っているのかわからないが、ずっとこちらに鋭い目つきを向けている。まるで睨んでいる様だ。
「・・・こんにちは」
初五郎は小さい声で挨拶をした。
薄い容姿に比べて声はしっかりとしていた。
しかし口調もまた不快だ。
「遠いところからようこそ。東京から来たのでは色々と慣れない事も多いでしょうし、こういう家柄のところに嫁ぐのは初めてでしょうから大変な事も多いと思いますがよろしくお願いします。」
永久子は完璧にこの男とは合わないと思った。
重造はまだハタハタと忙しそうに扇を動かしている。
自分がここに来たのは一族を保つ資金のためだ。
そして、向こうが私をここへ招いたのは貴族の称号を欲しての事だ。
それはお互い十分承知だろう。
重造はその脂ぎった醜い顔で、不釣合いにも皇族との繋がりを欲しがっている。
しかし、重造はその目的の上でも永久子を自分の娘としてみようとしているし、案外人柄は良さそうだ。
その容姿と違い人的にはまともだと言える。
だが、初五郎の方はどうだろう。
今の挨拶。これは明らかに永久子の身の上を皮肉っている。
身分以外に勝てるものがないのは承知だ。そんな事は十分わかっている。
その事に初五郎は笑う。可笑しいのだ。
天皇との血の繋がりがあるにも関わらず、生活は我々より低いとは何と面白いと思っているのがありありと見える。
この男が私を娶ったのは、きっと見下したかったからに違いない。
そんな事を思いながら「よろしくお願いします。」と永久子は頭を下げた。
屈辱だった。
んー。コミカルとか入れたほうがいいのかな。。。
中々進みません↓