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第十五章 「空間」

詩心ししんに自分の詩が載り、浮かれた永久子は過ちを犯す。

その過ちとは・・・

富田家の屋敷の一番奥の一室が永久子の部屋だ。

永久子好みの装飾に彩られたその部屋は重造がわざわざ職人に作らせた家具の他に新たに大きな本棚が置かれ、一人で使うのには少し大きめの書斎机が上品な艶を出し光っていた。

この二つは永久子自らが長崎の有名な職人の所に注文し作らせたものだ。自分は文学が好きだから、たくさんの本をしまっておける本棚と詩や文を書くための机が欲しいと初五郎に頼んだのだ。

二人きりで話していると自分を何か卑しい動物の様な目で見下し相手にしてくれない初五郎も重造の前では普通に接してくる。

それでも充分そっけないのだが。

だが、永久子はそれを上手く利用してわざと重造を囲んだ食事時に切り出した。


「貴方、(わたくし)お願いがあるんですの・・・」


初五郎の動かしていた箸が止まり、額の(すじ)が一拍脈を打つ。


「おぉ、何だね永久子さん!何か買って欲しいもんでもあるんか?何でも買ったぁれ初五郎!お前ちゃんと奥さんに甘えさせとるんか!?いかんぞ初五郎!」


初五郎と永久子がそれなりにうまくいってると思っている重造は騒々しく初五郎を急き立てる。

持っている茶碗には梅が溢れんばかりに大盛りによそった炊き立てのご飯が既に半分なくなっている。

いつもは煩わしい顔を見せながら面倒な事は無視を決める初五郎も父親の言う事はある程度聞くらしい。


「分かってる。何でも買うさ。望むものなら何でも。」


でも離縁はさせないんでしょう?

俯きながら永久子は心の中で嫌味を言った。


(わたくし)の欲しいものは・・・」


そう口を開いてから一月(ひとつき)後に届いたのがこの本棚と机だ。

欲しいと言ったその日に重造の命令で梅が手配した。

梅が連絡役なのを良い事に永久子はしっかりとした上質の無垢の木が良い、塗りは丁寧な拭き漆にして欲しいとあれこれと希望を述べた。

そうして出来上がったのが目の前にあるこの本棚と机である。

夏も終わりの方に傾き始め、蝉の鳴く声も小さくなってきたが、まだ十分に残る湿り気のない暑さの中でもこの書斎机はひんやりとしていて気持ちが良い。

永久子はこないだ詩心に自分の詩が載った事ですっかり浮かれていた。

この新しい机の上からいくつもの素晴らしい詩を自分の手で作り出すのだ、と思うとうきうきしてくる。

長く味わったことのない高揚感が永久子の体を満たしている。

ようやく自分の没頭できる空間が作れたのだ。

永久子はほとんどの時間を自分の部屋で過ごすようになった。

そしてその部屋の中で過ごす時間の大半を詩を作る事に費やす。

それが永久子の至福の一時であり、一人でいる時自分を保つための唯一の方法となった。


「縛られし 我が心の傷 癒されず 尚も深く 痛み覚えん」


「かの夢に 押される我が身 朽ち果てぬ 行く手遮る 数多あれども」


永久子は次から次へと多くの詩を詠んでは詩心に投稿した。

それは、初五郎に嫌がらせを受けて苛立っている時に捌け口る為に詠んだ詩であったり、詩人を夢見る自分の理想を詠った詩だったりした。

永久子はようやく自分の居心地の良い空間を見つけられた様に感じた。

そして永久子の詩は徐々に詩心に載る機会が増えていき、「永久子」の名は次第に広まっていった。

永久子は詩心に自分の詩を送る時自分の名前を「永久子」のみにして送っていた。それは自分の空間に「富田」の姓を入れるのが嫌だったからだ。

しかし、有数の公家の一人娘であり、全国でも指折りの大会社の後取り息子と結婚した永久子の話題性を世間が放っておくわけがない。


「あの佐原家の令嬢で、長崎で一番の権力を誇る富田造船所に嫁いだ富田永久子が詩人である。」


と言う話は瞬く間に広がり富田の家には多くの新聞社や雑誌の編集部や永久子の詠んだ詩に対する便りが全国各地から送られてきた。


「見て頂戴な梅。この便りは東京から届いたものよ。私の詩に感銘を受けてくださったんですって。」


自分の力が全員に認められたわけではない。中には、ただの興味本意や冷やかしの人間もいるだろう。

いずれ詩だけで認めさせる事が出来ればそれで良い。

永久子は今富田家の広く狭い籠の中から抜け出し、外の世界と関係を持てた事だけで満足だった。

しかし、その充実した日々とは逆に富田家の中での永久子の居場所はどんどん狭められていた。


いつも重造は母屋で過ごしている。

元々そこで過ごしていたわけではなく、永久子が来るにあたって新婚の二人の場所を作らなければならないだろうとわざわざ母屋に越したのだ。

しかし、永久子にしてみれば何て余計な気を使ってくれたのだと言う思いでいっぱいだ。離れに重造の目が届かないせいで永久子に対する初五郎の扱いは更に酷い事になっていた。

昼間から堂々と永久子に何かすれば梅によって重造の耳に入る事が分かっている初五郎は夜にその牙を見せた。

声が漏れないようにしっかりと雨戸が閉められた寝室からは永久子の呻きにもとれる喘ぎ声が毎晩の様に聞こえた。


「い・・・っやですっ」


永久子は必死で意識を失わないように目を開く。

目の前には暗がりの中永久子の体に爪を立てる初五郎が此方を見ている。

その目は気の狂った悪魔の様な目をしている。

爪で掻きむしられた乳房からは僅かに血が滲む。


「・・・あなたっ・・・やめて・・・」


悔しい。こんな男に何故こんな事をされなければならないのか。

何故私はここで陵辱を受けているのだ。

沸き上がる憎しみに似た悲しみを永久子は必死で抑える。

自分さえ我慢すれば何も起こらないのだ。

富田家も佐原家も私達の間の事に気が付かなければ丸く治まる・・・


「嘘をつけ・・・」


初五郎が冷たく暗い声でぼそりと言った。


「え・・・?」


永久子は何と言ったか聞き取れなかった。


「嘘をつけこの淫売がっ・・・その大人しそうな仮面をとっとと脱いだらどうだ?!それとも剥ぎ取ってやろうか!?」


永久子は何を言っているか分からない。


「一体何の話を・・・?」


そう言いかけたその時初五郎は永久子の首に手をかけた。

痩せこけた体の何処にこんな力があるのだろうか。初五郎は思いきり永久子の首を絞めた。


「・・・っ!!」


永久子は息が出来ない。白く透き通るような永久子の顔がみるみる赤くなっていく。


―殺される―


息が出来ず、意識も朦朧として来たその時初五郎が避けんだ。


「俺を馬鹿にしているのか!?あの本に載せたのは俺の事だろう!?」


しまった、と永久子は思った。顔にも出ていたかもしれない。

永久子はようやく初五郎の怒りの原因を理解した。


初五郎は詩心を読んだのだ。

詩心には自分の生活を織り混ぜた詩も載せている。

初五郎は永久子が初五郎に対する愚痴を吐いた詩を見たに違いない。それでこんなにも気が狂ったように怒っているのだ。

自分は何と浅はかな女なのだろう。

浮かれ過ぎて一番気を付けなければならない事を忘れていた。

詩心は何も文学を好んだ女人だけの読み物ではない。

あれだけ話題になっているのだ。

初五郎があの本を手にすると言う事態も考えねばならなかった。


「ち・・・がう・・・」


本当は違わないが、今肯定したら本当に殺されるだろう。

永久子は息の出来ないその喉から必死に声を出した。


「よくも恥をかかせたな大人しそうな顔をして!お前は俺をそう思っていたわけだろう!?富田の金をむさぼる卑しい一族め。」


初五郎が喚いている。

だが、永久子はもう答える事が出来なかった。永久子の首を絞めている初五郎の手に更に力が入る。


このまま死ぬのだろうか?

死んだら何処へ行くのだろう?

このままこの男に殺されるのか?

こんな最低な男に・・・?

自分はどんな一生を生きて来たのだろうか?

悔いなく死ねるのか?


いや、このまま死ぬのだけは絶対嫌だ。

絶対にこの男から逃げてみせる。

自由になってみせる。

精一杯の力を振り絞り初五郎の手首を折れそうなくらい強く掴んだまま永久子は意識を失った。

いつも後書きを書くのを楽しみに更新してるんですが毎回書くネタが思い浮かばなくてここに一番時間かかってる気がします。。。

何かお題とかないかな。。。

あ、今後も引き続き「女に生きた女」をよろしくお願いします!(宣伝?)

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