第十四章 「詩心」
風邪で体調を崩した永久子の元に封筒が届く。
その中身は・・・
もうそろそろ梅雨明けの空気もとび、今年は少し乾いた夏になりそうだ、と永久子は自分の寝床に潜りながら思っていた。
もう太陽は遥か上に昇り、昼を告げているが永久子は寝巻き一枚に薄い布団をかけ横になっている。髪を下ろしてまとめ、いつものきっちりとした着物姿ではない永久子は何時もより若く見える。化粧をしていないせいだろうか。
少し咳き込みながら永久子は寝返りを打った。
そう、永久子はこないだ初五郎に裸のまま一晩置き去りにされたせいで案の定風邪を引いたのだ。
しかも、こじらせたらしく長く咳が止まらない。
激しい咳が続き、最後にけほんっと軽く咳をしてまた寝返りを打った。
「ふぅ・・・」
初五郎め・・・あの男・・・
永久子は怒りが治まらない。
もし自分の夫を好きにしていいという許しが出たなら永久子は真っ先に初五郎を近くの川に突き落とすだろう。一晩中自分と同じ目に合わせてやるのだ。
後はどんな酷い目に合わせてやろうかなどと永久子が叶いもしない復讐を思案していると梅の声が小さく聞こえた。
「・・・永久子さん、起きてぁすか?」
「・・・えぇ、大丈夫よ。どうぞ入って頂戴。」
そろそろと襖を開け、梅が入って来た。
「起こしゃしたか?御加減の方どうでぁすか?」
「そうね・・・大丈夫とは言えないわね。」
咳をしたばかりの擦れた喉で、永久子は小さく返事をした。
「そうでぁすか。そう思ってお薬お持ち致しやした。」
「薬?それならさっき飲んだけれど。」
「いえ、そっちでなくこっちでぁす。」
そう言って梅が見せた茶色の大きな木盆の上には一杯の湯飲みに入ったどす黒い色をした液体が入っていた。
「・・・これは?」
さすがに永久子もあら、ありがとうと気持良くは受け取れない色だ。
「私が昔から作っとりゃす煎じ薬でぁす。特に風邪には良く効きますけぇどうぞ召し上がってくだしぁ。」
梅はにこにことその泥の色そっくりの煎じ薬を永久子の方に差し出した。
「・・・何が入っているの?」
永久子は顔をこわばらせた。
「それはもう色々と!長年選び抜いた体によか物をどっさりいれとりゃす。いつも馴染みに分けてもらぅとる朝鮮人参や萩の草なんかでぁす。」
「・・・これ、飲まなきゃいけないかしら?」
永久子は出来たら飲みたくないと言う意思をさりげなく梅に伝えてみた。が、梅にはその意思は伝わらなかったらしい。
「はい!是非飲んでくだしぁ。永久子さんのお体がはよ良うなるよぅ一生懸命に作りましたけぇ。」
永久子は降参した。そこまでして梅が作ってくれた物を無碍にするのも悪いし、こんなに梅が気合いを入れているとなると今断わっても永久子が寝ている間に無理矢理飲まされかねない。
「分かったわ・・・飲みます。」
観念して器を受け取った永久子を見て梅はとても満足気だ。
永久子は煎じ薬の入った湯飲みを見ながらごくりと唾を飲み込んだ。
もちろん煎じ薬を飲みたくてそんな事をしたわけではない。
永久子は目を瞑りえいっと一息にその煎じ薬を飲み干した。
・・・苦い。
今まで自分が味わったどんな物をもしのぐ苦さだ。
苦さの余り永久子は思いっきりむせて激しく咳き込んだ。
梅は急いで永久子の背中を擦る。
「大丈夫でぁすか!?そんないきなり飲み干しては咽せますぁ。」
そのせいじゃない、と永久子は言いたかったが声が出ない。息継ぎも危うい。
「みっ水を・・・!」
永久子は涙目になりながら精一杯の力を振り絞り言った。
水で苦味を流し、ようやく落ち着いた永久子はまた布団に横たわる。
「とっても効きそうだけど・・・今度はもう少し少なくて良いわ。余り多くは飲めそうにないから。」
ますますやつれた顔になった永久子を見て梅は心配そうにしている。
「量が多すぎたかもしりゃあせん。でも、きっとこれで良くなりますけぇ。」
梅が湯飲みを片付けていると、他の女中が入ってきた。
「失礼しりゃす。奥様に郵便でぁす。」
そのやや若い女中は手に茶色の大きめの封筒を持っていた。何か冊子が入っていそうな大きさだ。
「何でぁす、奥様は風邪んひいて臥せっておりゃす。後にしなせぇ。」
厳しく叱る梅を永久子が制した。
「良いわ梅、ちょっとあなた。その封筒の差出人はどなたなの?」
その女中は急に永久子に話し掛けられて戸惑いながらもごもご答えた。
常に永久子の側にいて世話をする梅の様な人間はさすがにもう慣れたようだが、永久子の身分とその美しさにこの屋敷の大抵の人間はまともに返事を返す事が出来ない。
「はっはぃ、えっと・・・えっと・・・」
「何、早くしなせぇ。」
慌てて封筒を引っくり返し差出人の名前を探す女中を梅が急かす。
「あ、ありゃした。えっと・・・うた・・・こころと書いてありゃす。」
「ちょっとお見せ。」
永久子は急に跳ね起きその女中の手から茶色の大きめの封筒をふんだくった。
急いでその封筒に書かれている字を確認するとさっき女中が読んだものよりもっともっと長い文章でこう書かれていた。
《千美会 『詩心』 編集部》
「あぁ・・・」
永久子は嬉しさの余り大きな溜め息を漏らし、女中の方にくるりと振り返った。
「良く持って来てくれましたね。本当に有難うご苦労様。元の仕事に戻って頂戴な。」
急に満面の笑みを向けて感謝された女中は驚きながら小さく返事をして部屋を出て行った。
直ぐに永久子は茶色の封筒を丁寧に指で開け、中身を確認する。
中には、細く上品な毛筆で「詩心」と書かれた厚めの冊子が入っていた。
表紙には夏の花である朝顔の水彩画が描かれている。永久子はその冊子を大事そうにぱらぱらとめくり、ある所でぴたりと手を止めた。
「あぁ・・・あぁ、見て頂戴梅。何て素敵な事なのかしら。」
永久子は自分の見せたい所を指を指しながら梅の鼻の前まで持って来た。
「ここよ、ここに私の詩が載っているの。何て素敵なんでしょう。とても素晴らしいわ。」
永久子は風邪などすっとんでしまったかの様にうきうきしている。「詩心」は梅が作った煎じ薬より良く効いたらしい。
「私が詩を詠むのが趣味なのは知っているでしょう?これはね、私が東京にいた頃から毎月愛読している冊子なの。とても良い詩ばかりでね、詩を送っても中々載らないのよ。私が今まで送ったものも一度も載せてもらえなかったわ。
でも見て頂戴。ここに私の詩が載っているの!とても素晴らしいわ!」
永久子は嬉しさを抑えきれないらしく頬を赤くして興奮している。
「それは素晴らしい事でぁすねぇ、ほんつに素晴らしい事でぁす。ここに嫁ぎらした日から良く詩を詠んでましたからねぇ。とても素晴らしいものばかり。」
梅も嬉しそうにこにこ笑う。
「ふふっ、そうね。ここに来てからはすっかり詩の世界に耽ってしまって・・・何て素敵な文学なのかしら。本当に素敵・・・」
梅が出て行くと、永久子は詩心を自分の寝床の横に置き、寝付くまで嬉しそうに眺めていた。
自分の詩が載った。自分の詠んだ詩が。
それは永久子にとって久しぶりに感じた誰かに認められたと言う喜びだった。
またサボってしまいました;
いかんですね。ちょっと間が空くと。
早く更新しろとお咎めを受けたので就寝前に更新。
頭の中ではどんどん進んでいくのに自分自身が置いてかれてる感じです。
携帯で打つの面倒くさい↓↓