70.5,彼女から見た異世界人
今回はルグの姉、ミモザさん視点のお話です
バタンと小さく音を発て戸が閉まり、足音が遠のく。
足音が完全に聞こえなくなった所でバトラーが口を開いた。
「・・・・・・・・・ふぅ。何とか取り戻せたね」
「えぇ」
「そう、だね」
バトラーの呟きにマキリとロアが答えた。
やっと魔道書を取り戻せたと言うのに、3人の顔は安堵した風でも無事に国に持ち帰ろうと言う気合でも無く、ただ険しい表情を浮かべている。
それ程、あの日記の内容が堪えたと言う訳でも無いだろう。
この任務を共に行って嫌と言うほど思い知らされた。
自分の主君の祖先が人間共の間で有名な勇者じゃ無く、世紀の大悪党だったと言われた位で、こいつ等の忠義心が揺らぐものか。
なら、こいつらが険しい顔をしている理由は1つ。
「・・・・・・・・・ねぇ、ミモザちゃん」
「断る」
「まだ、何も言ってないじゃないか」
「一体私がお前達とどの位一緒に行動していたと思う?
どうせ、ローズ国が捨てたあの人間を自分の国に寄越せと言いたいのだろ?」
「正解。よく分かってるね」
バトラーは降参だと言いたげに両手を挙げながら言う。
マキリとロアも同じ考えだったらしく、残念そうな表情を浮かべていた。
こいつ等がサトウとか言うあの異世界から来た人間を欲しがる理由。
それは、唯一自分の国に協力してくれそうなこの魔道書を完全に、かつ正確に読める人間だからだろう。
あの人間はこの4冊の本が魔道書では無いと言い切った。
極々普通に、当たり前に習う一般教養の1つが書かれた帳面と、大昔自分と同じように異世界から呼ばれた人間の日記。
確かに、あの人間にとってはそうなのだろう。
それだけの価値しかない物なのだろう。
「それでも、あえて危険な物を上げるとすれば、この日記がそうだ」
と、あの人間は思っていた。
だが、私たちにとっては違う。
この4冊どれもが、国を強くする事も一瞬で滅ぼす事も出来る『魔道書』なのだ!!
例えば、『現代社会』。
少し聞いただけでも解る、私達の暮らすこの世界のどの国よりも遥か先を進む世界。
もし、その世界の政治経済の知識を自分のものに出来たとしたらどうだろう?
聡明な王がその知識を使えば、他国より何百年も先を行く強い国育てることも出来る。
例えば、『数学』。
この世界の数学は足し算、引き算、掛け算、割り算の4つの計算と簡単な量や距離の測り方など、日常で使える様な基礎を習う物。
だが、この帳面に書かれた式はそれよりも遥か先を行く高度な物だ。
もし、専門家がこの計算式を身につければ、今まで机上の空論だった魔法道具を作り出せるかもしれない。
例えば、『英語』。
この世界に無い文字と言う事は、この世界の誰も正確に読めない文字だという事だ。
もし、この異世界の不思議な文字を正しく理解できれば、暗号としてかなり使えるし、どれ程安全に貴重な書類を管理できる事か!
それが実現できれば、幾らでも他国を出し抜くことができる。
この本は何も知らない敵国の奴から見たら、人間業とは思えない不思議で恐ろしい魔法とスキルを宿した、そんな存在を生み出せる可能性を秘めた手引き書なのだ。
私たちにとっては、正真正銘紛うことなき『魔道書』に他ならない!!
今なら、分かる。
私達の祖先は魔道書を厳重に保管していたその理由。
殆どの者が読み書きすらまともに出来なかったあの時代。
だかこそ、誰もこの魔道書の内容を理解し、有益に使うことは出来なかった。
だから、この魔道書が見つかってからの約1000年間、各国は密かに教育に力を入れたのだ。
1000年の時を経て、国民の下準備は済んだ今なら、多くの者がこの内容を理解できるだろう。
残る問題は、この魔道書の内容を正確に読め、周りに伝えられる存在。
『召喚』の魔法陣を所有して、1000年前から変わらず良心というものが欠落したローズ国は、幾らでもあの世界の人間を連れてくる事が出来る。
あの人間の話ではあいつの世界から勇者を『召喚』しようとしているらしいしな。
だからこそ、その対抗手段としてあの人間をどの国も欲しがっているのだ。
だが、
「残念だったな。私達の国の方が先約済みだ。
あの人間はルグとユマが先に目を付けているだ。
もし仮に、1度あの人間を捨てたローズ国が何か言ってきても返す気が無い位、あの子たちはあの人間を気に入っている。あきらめろ」
現に、あの子たちは急に元の世界に帰ろうとしたあの人間に対し目に見えて動揺していた。
元々あの子たちはあの人間が望む通り、元の世界に返すつもりだと前々から言っていた。
だが、予想よりも早い別れに動揺したのだろう。
返すつもりがあるから口には出さなかったが、あの人間の名を呼ぶ声には『行くな』と言う思いが強く入り込んでいたし、失敗した時は心底安心していた。
あの子たちはどんなに背伸びしても、それを隠せないくらいにはまだまだ子供なのだ。
それにしても、あの人間はたった1ヶ月足らずで良くあの子たちをあそこまで手なずけたものだ。
一体あの人間のどこが良いのだか?
それだけは、未だに納得できないし、認めることが出来ない。
「それは残念。あんな話を聞いた後だ。
君達とは敵対したくないんだよね」
「賢明な判断だな」
「それはどうも」
ローズ国が世界中を巻き込み馬鹿げた事をしようとしている今、無駄に敵対するのは得策じゃない。
それはこの場に居る全員が思っている事だ。
「それ以前にサトウ君は僕たちの事、警戒してるからね。
誘っても頷いてくれなかっただろう。
サトウ君自身もし元の世界に帰れなかったら、まだ安全な方だと思っているユマちゃんとルグくんに着いて行くって言うだろうね」
バトラーの目線の先には弟達が使っていたティーカップ。
飲み干された左のティーカップと半分ほど減った右のティーカップ。
そして真ん中にあるのは全くの手付かずのティーカップだ。
飲み干したのがルグで、半分ほど減ったのがユマが使ったもの。
手を付けなかったのはあの人間だ。
ルグから父に宛てての定期連絡の話と、一緒に行動し観察した結果。
あの人間は、自分が安全だと確信した物しか使おうとしないし、口にしようとしない。
それは、あの人間がこの世界の全ての人間や魔族をかなり警戒しているからだろう。
警戒心が強い人間だからと言う訳では無く、あの人間は基本的に逃げる道を選ぶ事からも解る様に、相当臆病な人間だ。
「残念だけど、初めて会ったこの世界の人間であるローズ国王と姫のせいで、サトウ君はこの世界の人間や魔族を危険な怖い存在だと刷り込んじゃったんだね」
「あれは・・・・・・・・・仕方ありませんよ。
1度そういう存在だと認識してしまうと、今がどんなに安全でも意識しなくても警戒してしまうものです」
あの時の事を思い出したのだろう。
マキリが悲しそうに目を瞑り、バトラーに答えた。
あの時まであいつにはローズ国の間者の疑いがあった。
だから私達はエスメラルダに向かう馬車の中、どうにか眠らせたサトウを魔法で調べたのだ。
持っているスキルや魔法。
そして、この世界に来てからの記憶。
それで分かった事なのだが、ローズ国が異世界の者にした仕打ちを思えば当然と言うべきか、あいつはこの世界の人間と魔族に対し異様に怯えていた。
初めて会った人間があんな奴等ばかりで、そんな奴等に暫くの間囲まれていたのだ。
怯えるなと言うのが無理な話だろう。
怖いからこそ、警戒して少し離れたところから私達の様子を伺っている。
危険を察知しやすいスキルも持っているし、まるで野生動物みたいなのだ。
あの人間が間者と言う疑いは晴れたが、その代償に胸糞悪い物を見てしまった。
「サトウ君って、僕達の前では基本的に笑ってるんだよね。
あれも、無意識にスキルを使って身を守ってるのかな?」
「たぶん、そうなんだろ」
『フェイスマスク』。
スキルが発動している間はけして今の高感度から下がらず、場合によっては自分の本心とは関係なく高感度があがる。
と言う、そのスキル。
あの人間は殆どの場合、常にヘラヘラ笑っていた。
魔族の屈強な男ほどでもないが、あいつに近いヒヅル国人に比べれば強面でがっしりした体をしている。
その見た目を壊すような、だらしなく情けないヘラヘラした笑顔。
その笑顔からあいつと対面した奴は『人が良さそう』とか、『警戒心がない』とかの印象を受けるだろう。
実際、私も始めてあの人間を見た時はそう思った位だ。
だが、あいつは笑顔を貼り付けるだけで自身を偽れるそのスキルで、怯え警戒し続けている本心を隠していただけだった。
だからこそ、あいつの表情は基本笑顔のまま。
思い返してみると、あの人間の表情が変わったのは社員食堂から屋上を覗いた時と、2人組みのローズ国兵を捕まえた時。
そして、あの日記を読んでいる時だけだった。
屋上の時は人間らしく驚いた顔をしていたが、日記の時は背筋がゾワッとしたな。
何せ、本当にマスクを外したようにストンと表情が無くなったのだから。
ルグから、たまにあの人間がああ言う人形の様な顔をする事があると聞いていたが、直接見ると話を聞いていたよりも恐ろしいな。
ユマが声を掛けたから直ぐにあの笑顔を貼り付けたが、あの時あいつはスキルを使い忘れるほど、何を思っていたんだか。
「あの笑顔の裏で常に周りに怯えているからこそ、あれ程までの観察力を発揮したんでしょうね」
「あの観察力と異世界の知識から来る発想力。
隠し事してる側はヒヤヒヤさせられるね。
味方だと頼もしい限りだけど」
確かにあいつは私達が気づかないところまで見ていた。
湖のおたまじゃくしに、街に居たクロッグ。
そしてエスメラルダ研究所の社員食堂の本棚。
あの何も考えていない顔であの人間はかなり色んな所を見ている。
それは何時、どんな所から誰が襲ってくるか、何か罠が無いか知るためにだろう。
1人でそれをやろうと思っているなら、だとしたら、随分疲れる事をするものだ。
あぁ、するのではなく、しないといけないのか。
あいつの場合。
「あぁ、やっぱり彼の能力は惜しいな。
サトウ君、僕達の事警戒してなかったら国に引っこ抜けなくても、協力位はしてくれないかな?
そもそも、何時になったら警戒しなくなるのかな?」
「警戒されるのは当然だろ?
常に一緒に行動しているルグとユマも未だに警戒されてるんだから」
「ハハ、それもそうだね。ミモザちゃん」
あの人間はルグとユマの事を1番安全だとは思っているだろうが、完全に安心してはいない。
ちょっとした態度から未だに1歩引いて2人接している事は丸解りだ。
その事をルグとユマも気にしていて、相談された。
帰り掛けに渡した本が約に立つと良いのだが・・・
「所で、ミモザちゃん。
最後に渡していた本はルグ君に頼まれていた奴かい?」
「あぁ、そうだが。何か問題でもあるか?」
「問題と言うか・・・・・
あれ、初心者向けのネコの飼い方の本だよね?」
「そうだが?
『初心者飼い主さん必見!臆病ネコちゃんとの接し方』。
今のあいつらにピッタリじゃないか」
ネコは凶悪そうな見た目に反し、かなり臆病な魔物だ。
こちらが迂闊に手を出さなければ襲ってくる事も無く、基本逃げ隠れる事を選ぶ。
まさにあの人間そっくりだろ?
そんなネコは人間の間でもペットとして人気だ。
ネコを飼おうとしている奴向けにそう言う本が当然置いてある。
特にあの本は野生のネコを保護して飼い出した奴向けにも書かれてるからルグ達には良いと思ったのだ。
「あー、うん。
何かもう、良いよ。好きにして。うん」
「お前に言われなくてもそうしてるだろ?」
一体こいつらは何故、頭を抱えているのだ?
やはり、人間の文化はよく解らなくて好きになれん。
彼女から見た異世界人は、臆病な野生動物である。




