253,ラルーガンと島ワタリ 10株目
ポタリ、ポタリ、と藤の様な香りがする黒い液体が。
いや、生きたまま腐り崩れ液体となった血肉が、ぶら下がった木の枝から滴り落ち、女性が蹲る水溜りを作り上げている。
その光景に俺は、俺達は釘付けになっていた。
『あり得ない』
『何なんだ、コレは』
『コレは現実なのか?』
その言葉だけが無言で脳を侵食していく。
悪夢だ。
あぁ、そうだ。
コレはきっと気絶して見てしまった悪夢に違いない。
「う・・・あ・・・・・・
いぉお、ちょぉ・・・・・・・・・」
崩れ解け、糸の様になった首から下の体が新しく絡み合って弛んだ蜘蛛の巣の様になって低い位置にある木の枝に絡まっている。
人の形をギリギリ保っている蜘蛛の巣の中心にある見慣れた顔の頭の左側も黒い液体に濡れながら変質し始めてて、瞼を失った左目は複数の赤い目玉がビッチリ集まってまるで複眼の様だ。
そんな魔物や魔族とも明らかに違う、何も知らないド素人からしても、
『生き物として失敗している』
と分かる未知の黒い魔物の正体だろう、偶然見つけたソレ。
ソレが目尻から涙の様に黒い液体を流しながら糸の体を震わせ何かお言おうとしている。
その声すらどこか聞き覚えが有った。
有って当然だ。
だってソレの顔は、ほんの数年前まで見続けていた声変わり前の俺の顔と全く同じなんだから。
「・・・シュー・・・・・・あけあ・・・
・・・あけ、あ・・・あう・・・えて・・・
・・・しぉおぉおお・・・・・・」
あぁ、本当に気絶してしまいそうだ。
解け落ちた血肉の匂いと相まって視界がクラクラする。
そんな眩む視界と悪夢の様な現実に耐えられなくて瞑った瞼の裏で、此処に来るまでの出来事が走馬灯の様に流れた。
*****
何はともあれまずはラルーガンの実の回収。
そうクエイさん達への連絡を終え、その時に出された指示通りあの船の住人達の事は一旦置いといて、俺達は真っすぐ直ぐ側の海に向かった。
その大きさ以外明らかに同種だと分かるのに牧場でみた種類とは別種だと思ってしまいそうな、ネットの画像で見たジャイアントケルプの森を思わせるあり得ない位巨大なラルーガンで出来た森。
本当にラルーガンは人やケルピーと関わらない方が良く育つ様で、人もケルピーも来ないこの島の周囲は四方八方余す事なくそんなラルーガンの森に覆い尽くされていた。
「やっぱり船が乗り上げたのが原因かな?
此処等辺のラルーガンには花も実も生えてないね」
「それか、同じ島の周辺に生えてても場所によって花が咲く時期が違うのかも。
思ってたよりもこの島、大きいし」
「やっぱり、島ワタリの巣がある方に行くべきだな」
ラルーガンを傷つけない様に少し浮かしたレジャーシートの上から『クリエイト』で作り出した箱眼鏡を使って観察する。
けど、マシロの言う通り此処等辺のラルーガンには花も実も生えてない。
あの船が来た時に傷が出来たのが原因か、それとも単純に花が咲く年じゃ無いのか。
暫く少し広い範囲の周辺の海を見回し続けたけどこちら側の海でラルーガンの実を手に入れるのは無理そうだ。
そう結論付けルグの言う通り本命の島ワタリの巣がある側の海に向かう。
「このまま低空飛行で海をグルって周って向かった方が良いかな?
この高さなら島ワタリも普通の船だと思ってさっきより警戒しないだろうし、森の方には船を襲ったナニカが居そうだし・・・」
「ん~・・・・・・」
「ダメ、かな?
やっぱり、ラルーガンの森の中に危険な生き物が隠れてる感じ?
それともこの高さでも島ワタリ達に警戒される?」
「んん~・・・
見た感じ、危険な魚や魔物が潜んでる感じは無いけど・・・・・・
島ワタリを警戒するなら高さとか関係なく海側から行くのはやめた方が良いな。
多分、直接ラルーガンの実が生えてる場所に行くと島ワタリ達に攻撃される。
島の中から周って島ワタリ達の様子を見つつ近づいた方が安全だな」
船を襲っただろうあの黒い液体の持ち主は島の中心に向かって広がる森に向かったんだろう。
船からフラフラと所々点々とあの花の香りがする黒い液体が長く続いていた。
それだけ船の持ち主達が遠くまで逃げたのか、それともそっちの方に犯人の巣があるのか。
目視出来なくなってもまだまだ黒い液体が続いてるから居たとしてもその犯人はかなりの森の奥に居るはず。
だから直ぐ鉢合わせるって事は無いと思うけど、出来れば歩いて島ワタリの巣に行くのは遠慮したいんだ。
だからって何時も通り『フライ』で飛んで行ったら此処に来た意味が無いし・・・・・・
だからラルーガンの森に危険な生き物が隠れてないならこのまま低空飛行で行きたいと相談したら、ルグにそうやめた方が良いと言われた。
多分、野生だった頃のケルピーを警戒していた本能が残ってるのかな?
リーンの研究日誌に書かれた事や民話集の資料に書かれていた事から考察するに、島ワタリは海から来る敵に対しての警戒心の方が強い様だ。
その分、反対の島側から来る者に対しては比較的警戒心が薄いらしい。
だから島側からゆっくり島ワタリ達の様子を見つつラルーガンの森に近づくのがラルーガンの実を収穫する正攻法の様だ。
「なら、島の中から行くしか無いよね・・・・・・」
「おい、おい!
そんな不安そうな顔するなよ、マシロ!
大丈夫だって。
要はあの黒い液体に近づき過ぎなければいいだけなんだしさ!!」
「そうかな?」
傍から見れば能天気に見える笑顔でそうシュンと小さく怯えるマシロを励ますルグ。
でもそんなルグの細められ目には一切能天気な雰囲気も思考も宿って無かった。
そこにあるのは『初心者洞窟』に入る前にコロナさんに見せたのと同じ真剣な覚悟の決まった色だけ。
マシロをこれ以上不安にさせない様に隠してるけど、それだけルグも黒い液体の持ち主を警戒してるって事だよな。
本当、一切油断が出来ないし、小さな選択のミスが命に関わるんだ。
俺も気合と覚悟を入れ直さないと!
「取り敢えず、森には近づき過ぎない様に・・・
海沿いに行こうか?」
「そうだな。なら、こっちから行こう」
「分かった」
そう軽く相談して黒い液体が続いてる場所から比較的遠いルグが指さした方に近い海岸に向かう。
そこからグルッと海沿いに島ワタリの巣まで歩いて向かった訳だけど、その選択はある意味で正解で、ある意味失敗だった。
慎重に行動したお陰であの黒い液体の持ち主に会う事は無かったけど、選んだ道は結構長い間悪路が続いていたんだ。
まるで巨人専用の階段。
凸凹とほぼ垂直の崖が段々畑の様に続いていて、『フライ』を使っても目的地の近くに行くのも一苦労だった。
「よ、漸く着いた・・・・・・」
「お疲れ。少し休んだら下に降りるぞ」
「はーい・・・・・・」
本当、体力落ちたなぁ。
急な上り坂なんって登り慣れてるし、何だかんだ過酷なこの旅のお陰で体力も筋肉も大分戻って来てるはず。
なのに、この世界で未だこうなら元の世界だとどの位酷い事になってるんだろう・・・
今まで通りちゃんと自転車で通学出来るかな?
そう意識を遠のかせながらゼイゼイと息を切らし、漸く島ワタリの巣がある崖の上に来れたと息を吐く。
ルグは兎も角、このまま崖下のラルーガンが生えてる場所に行くのは体力的に俺もマシロも無理だ。
苦笑いを浮かべるルグには申し訳ないけど、少しとは言わずゆっくり休みたい。
これからの事を考えるとそうも言ってられないのは分かってるけど、本当その位辛いんだ。
「マシロ、大丈夫?ジュース、飲める?」
「・・・・・・」
「はい。無理せずゆっくり飲んでね?」
「ありがとう・・・・・・」
やっぱりこの蒸し暑さのせいかな?
ジャングルを通る事を想定しての長袖、長ズボンとは言え、普段よりは薄く通気性の良い服を着てアルさんから貰ったある程度気温とか調整してくれる魔法道具のマフラーもちゃんと発動する様にしっかり巻いて。
それだけシッカリ対策しても熱中症か脱水症状になりかけてるのかもしれない。
顔を赤く染め俺より息が上がって言葉も出ないマシロにそう言って事前に大量に作って来た自家製スポーツドリンクをコップに注いでルグから順々に渡す。
塩とレモン、蜂蜜や砂糖を水と混ぜた一般的な自家製スポーツドリンクから少しアレンジ。
クエイさんから教えて貰った熱中症や脱水症状対策になる薬草を使ったハーブウォーターを使ってるから少しスーッとするんだ。
レモンの輪切りや果汁も沢山入れてあるから比較的酸っぱい方だけど、その分ミネラルが豊富なきび砂糖や栄養成分の宝庫な蜂蜜もタップリ入れてあるから甘党なルグやマシロでも飲み易いはず。
「あ~・・・美味しい!!」
「まだ沢山あるから遠慮せずちゃんと水分補給してね?」
「そう言うキビ君もちゃんと飲まなきゃダメだよ?
熱い場所で水分補給を怠ったら倒れるって言ったのはキビ君なんだからね?」
「分かってるよ」
氷を入れてなくても薬草の効果で余計な熱が抜けてきたんだろう。
比較的涼しい場所に移動してスポーツドリンクを一気に飲み干してマシロの顔色が少し良くなった。
そんなマシロに軽く頬を膨らませられながら言った張本人もちゃんと水分補修しろと怒られる。
そんなマシロに苦笑いで答え俺も1口。
うーん・・・少し甘過ぎたかな?
これを水分補給用にってガバガバ飲んだら間違いなく何時か糖尿病になっちゃう。
マリブサーフ列島に居る間沢山飲む事を考えると次作る時はもう少しきび砂糖を減らした方が良いかもしれない。
それかスポーツドリンクはこのままに数を減らして麦茶とか他の種類の飲み物も用意するべきかな?
宿屋に帰ったら父さん達やクエイさん達に相談しよう。




