230,船上にて
馬の顔と鬣を持つ巨大なタツノオトシゴ、ケルピーが引く船に乗り込んでチボリ国を出て数日。
変わり映えのしない穏やかな海の上に浮かぶ船の厨房で俺は黙々と野菜の皮を剝いていた。
そう、絶賛アルバイト中なのである。
旅には何かとお金が必要だし、彼岸菊のお酒の研究があるとはいえ殆どの時間ただボーと1週間近く海を眺めてるだけなのもアレだからとダメ元で聞いてみて見つかったこの仕事。
比較的小さな船だから従業員さんも最低限しか雇っていないらしく、俺でも出来る仕事が見つかったのは本当に良かった。
「野菜の仕込み終わったので、洗い物入ります!」
「おう!頼んだ!!」
「はい!!」
皮を剥き終え初日に聞いた指示通りに切っていく。
全部の野菜の下準備をそこまで終えて使った包丁やまな板、机の上を綺麗に片づけて辺りを見回せばシンクに溜まった洗い物の山。
他に俺が出来る作業も無いし、次はアレの片づけだな。
と思いつつコンロ前で忙しなく動くがたいの良いシェフの小父さんに念の為声を掛ける。
それなりに居る乗員、乗客全員の料理をたった1人で作らないといけないからだろう。
何時も通りこっちを見ないまま返されたシェフの予想通りの豪快な声に短くハッキリと返し、さっさとフライパンや鍋を洗っていく。
「サトウー」
「あ、エド、マシロ。
お疲れ様。今日はどんな感じ?」
「何時も通り大量だよ!ほら!!」
大きなバケツを両手に入ってきたルグとマシロ。
そのバケツの中にはここ最近見慣れてきた多種多様な魚が十数匹ほど泳いでいた。
素人判断だけどかなり大きくて美味しそうだし、コレはかなり良い値段んで引き取って貰えるんじゃないかな?
「料理長!
魚の鑑定お願いしたんですが、どの位で手が空きますか?」
「直ぐ行く!お前はしばらくコレ見ててくれ!!」
「分かりました!掻き混ぜたりとかは?」
「大丈夫だ!
水の量と火が消えない様に見ててくれれば十分!!」
「了解です!」
鱗や皮、骨、頭や内臓を丁寧に取り除いてサイコロ状に切って全面をコンガリ焼いた赤味の魚を生野菜やナッツ類と一緒にソースで和えたロレット島の郷土料理。
それが入った大きなボウルを業務用の大きな氷木箱に入れながらそう言うシェフの指示に従い、火にかけられたままの鍋の所に向かう。
寸動鍋の中には干し野菜やハーブ、野菜と同じく干した貝類と一緒に下処理の終わった丸々そのままの魚が何匹も海水で煮込まれていた。
アクアパッツァの様なこのスープ料理は魚の種類を変え毎日出てるんだけど、かなり美味しいし具が毎回違うからかみそ汁の様に飽きが来ないんだよなぁ。
特に頭から尻尾まで使えるこの小さめの魚の時はかなり美味しい。
サッパリシンプルな塩味なんだけど干した野菜から出る濃縮された甘い様な旨味と合わさったかなりのコクがこの優しい美味しさの料理を生み出していて、俺の様な病人でも幾らでも食べれるなって思う程だ。
まぁ、実際はそんなに入らないんだけど。
他のお客さん達はアブラが多くて味が濃く、パンチの効いたガッツリした料理が好きなのかあまり好評って感じじゃ無いみたいだ。
けど、個人的にはこの船で出される料理の中で1番美味しい料理だと思う。
そう夕飯を楽しみにしながら鍋を見守りつつルグ達の会話に耳を傾ける。
「うーん・・・・・・
テナガダコとウミボウズがかなり増えてるなぁ・・・
いや、でも、ホグフィッシュとレモラがこれだけ捕れてるなら・・・・・・
おい、兄ちゃん!!
船長と話してくるから火の番任せた!!」
「はい、分かりました!!!
・・・・・・やっぱり遠回りしないとダメな感じ?」
「だろうなぁ」
やっぱり悪い方向に進んでるんだな。
簡単な注意事項を言って足早に厨房を出ていくシェフ。
その後ろ姿を見て一昨日出た話が現実味を帯びてきたとルグと一緒に渋いため息を吐き出す。
イノシシの様な顔と牙を持つかなり小さいマグロ位のホグフィッシュと、コバンザメの様な出っ張った頭をした巨大出目金のレモラ。
この2種類はローズ国とチボリ国があるカンパリ大陸とマリブサーフ列島の間にある海。
俺達が今いるこのラズール海で年中良く捕れる、まさにラズール海を代表する魚達だ。
チボリ国の港町でもかなりの数見かけたからラズール海全域に生息しているのは間違いないだろうし、実際ルグとマシロが釣った魚の大半を占めてる。
ラズール海全域で生息してる数はそこまで変わらないって話だけど、どちらかと言うとレモラの方が多いのは大きな網を使って一気にグワッと捕まえるんじゃなく、釣り竿で1匹1匹釣り上げてるのが関係してるのかな?
レモラに比べてかなり大きく明らかに凶悪で強そうな見た目をしてるホグフィッシュを釣り竿1本で釣り上げるのはルグでもかなり大変だろうし。
だからまぁ、人の事言えないけどエサを食い逃げされる云々以前にマシロのあの細腕じゃ1人で釣り上げるのは厳しいんじゃないかな?
だからホグフィッシュの方が数が少ない。
それか単純に今いる地域はレモラが多いってだけなのかな?
まぁ、それで、そんな素人でもある程度釣れる位沢山この地域に生息してるレモラやホグフィッシュに混じってバケツの中で泳いでいるのが問題の2種類。
本来なら遠く離れたヒヅル国周辺のエメラルド海洋にしか生息してないはずの蛇の様な怖い顔をしたタコのテナガダコと真黒なクラゲのウミボウズだ。
この本来生息していないはずの2種類が2、3匹ずつとは言えラズール海で釣れてしまっている。
その理由は唯1つ。
アクルと言うイルカやシャチ位巨大な回遊魚の群れが来てるからだ。
アクルは温かい時期をエメラルド海洋で、寒い時期をラズール海で暮らすそうで、その群れの大移動に巻き込まれテナガダコやウミボウズの様なエメラルド海洋生息の生き物もこっちに来てしまうらしい。
それ自体は毎年の事だから特に問題は無いんだけど、問題なのは、
『例年より大分アクルの群れが来る時期が早い』
って事なんだ。
アクルはかなり食欲旺盛で、近くに居るとケルピーだけじゃなく小島位あるアスピドケロンでも容赦なく襲ってくるから何が何でも船の進路を変えないといけないらしい。
そして此処からアクルの群れを大きく避けてマリブサーフ列島に向かうとかなりの遠回りになってしまう。
この話自体はテナガタコ達が釣れだした一昨日から話題に出てた。
けど、その時はテナガタコやウミボウズの釣れる数的にアクルの群れ自体は進路から大きく離れてる可能性がある、とそのまま進む事になったんだ。
でもここ3日エメラルド海洋の生き物が毎日の様に釣れて日に日に釣れる数を増やしてるなら、間違いなくこのかなり近くにアクルの群れが居るって事になる。
だからシェフはあんなに焦って船長の所に向かったんだ。
『乗客の皆様に緊急の連絡です。
危険なアクルの群れが予定していた進路付近に居る可能性が高まった為、先日の連絡通り進路を変更させて頂きます。
それにともなりマリブサーフへの到着が3日ほど遅くなります。
皆様にご迷惑をおかけしてしまう事は重々承知しておりますが、乗員含め皆様の安全の為とお了承して頂けるようお願い申し上げます』
何かの魔法道具を使っているんだろう。
その船内に響いた淡々とした船長の声に俺達3人はやっぱりと息を吐いた。
「3日かぁ・・・・・・
思ってたよりも遠回りするみたいだね」
「それだけデッカイ群れが近くに居るって事だろう。
ケルピーや船と一緒にアクルに食われるよりはましだって思って我慢しようぜ」
「うーん。
俺達はそれでもいいけど、ピコンさんがどうなるか・・・
今でも絶望的なのに3日も増えて大丈夫かな?」
「クエイが着いてるし、逆にこんだけ船に乗ってたら慣れるんじゃないか?」
「そうかなぁ?」
今日も今日とて船酔いでグッタリしてるだろうピコンさんの姿を脳裏に思い浮かべる。
相変わらず乗り物酔いに弱いピコンさんはクエイさんから貰った薬を飲んでも全然良くならず、この船に乗ってからほぼずっと部屋に籠もり切りだ。
部屋に籠り切りなのは体に悪いからって日に1回はジェイクさんやザラさんが外に出してるけど、いつ見ても青い顔でグッタリしてる姿しか見当たらない。
あれじゃあ俺よりピコンさんの方が死に掛けの病人みたいだ。
ルグは逆に慣れるって言うけど、口数も減ったここ数日のあの様子を見ると一生慣れそうにないと思うんだよなぁ。
本当にピコンさん大丈夫かな?
クエイさん達の様に何か出来るって訳じゃ無いけど後で様子を見に行こう。




