1,コンティニューしますか? Ver.1
右も左も上も下も、何もかも分からなくなりそうな。
ただ絵の具を何種類も混ぜた様な黒だけが渦巻く場所を、俺はただひたすら走っていた。
後ろから追いかけてくるナニカから逃げる為に。
声も呼吸の音も足音もしない。
でも確かにナニカは俺を追いかけてきていて、そのナニカはとっても恐ろしいモノで。
だから俺は必死に逃げている。
「あっ」
かなり前から息が上がりすぎて、喉も心臓も壊れそうな程痛い。
何時もなら立ち止まって動けなくなてるはずなのに、まるで走る事しか出来ないロボットになった様に足を動かし続けていた俺は、急に現れた目の前の光景に漸く立ち止まる事ができた。
真っ直ぐ前を見て走っていたんだから、本来ならもっと前からその光景の片鱗は見えていたはず。
そのはずなのに、テレポートでもしたかの様にパッと現れたソレ。
真っ赤な。
今まで見たことない位、鮮やかな赤い色をした水溜り。
その中に倒れたルグとユマさんの姿。
もう何も写さない濁りきった眼で俺を見上げる2人は、2人を囲むモノクロのローブを着た奴等が持つ真っ赤な剣でグサグサと刺されていた。
口を三日月の様に歪めて笑うローブ達は、まるでそう言う玩具で遊んでいるんだと言わんばかりに、グチャグチャになった2人の体に、何度も、何度も。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、その剣を突き刺す。
「あ・・・・・・や・・・・・・
い、あ・・・やだ・・・・・・・・・
やめ、やめろ・・・やめろ!やめろよっ!!
ルグとユマさんから離れろ!!!」
ギャハハ、と気持ち悪いローブ達の笑い声が、さっきまで痛くなる程静かだった真っ黒な空間に響き木霊する。
それはまるでこの闇全てが笑っている様で、俺の叫びは虚しくも掻き消された。
それでも俺は叫び続ける。
いつの間にか俺はバラの様に鋭い棘が無数に生えた蔓に縛られていて、どんなに足を動かしても、手を伸ばしても。
助けたい思いとは裏腹に、全然ルグとユマさんの元に行けなくなっていた。
叫ぶ度に喉が火傷した様に熱く。
前に進もうとする度に蔓の棘が体に食い込み。
熱を伴った激しい痛みが全身を駆け抜ける。
痛くて、痛くて、苦しくて。
溢れた涙が俺の体を真っ赤に染めている血と混ざり合い、足元にあの日と同じ血と水が混じった水溜りを作り上げる。
水溜りに写った俺は口や鼻、目、耳。
体の穴と言う穴から血をダラダラ流した、ボロボロの姿をしていた。
その水溜りの中から『俺』の手が伸び、俺の腕を掴む。
俺の腕を掴んだまま水溜りから這い出てきた『俺』は、もう俺の姿をしていなくて。
今の姿はあのゾンビ村の入り口にいた男の人。
男の人は食い込む程俺の腕を掴んで俺を見つめ、地を這う様な声で尋ねてきた。
「助けてって、言ったのに・・・
如何して・・・
如何して、助けてくれなかったんだ?」
*****
「ッ!!!!!!!」
音の無い悲鳴を上げて、ゼィゼィと痛い位上がった激しい息が整わないまま、今も横になっているベットの上で辺りを急いで見回す。
天窓が1つ着いた斜めに少しづつ高くなる幾何学模様が続く天井に、白を基調としたシンプルな壁紙。
壁にそって右の方に視線をずらして行くと、踊り場に続く木と曇りガラスで出来た引き戸や、日が当たらない壁に吊るされたカバーを掛けた秋用と冬用のコート、小さい頃から使い続けて少しぼろい横に広い木製のタンスが目に入る。
ベットから直線上にある1番高い壁際には教科書やノート、少ないお小遣いで買ったお気に入りの本や漫画でギッシリつまった2つの木製の本棚。
「・・・・・・・・・はぁ・・・
・・・ッ、ぁあああああ・・・・・・」
見慣れた、俺の部屋。
今居る場所が自分にとって1番安全な場所だと分かって、少しずつ心臓が落ち着いてくる。
きっと傍目から見たら今まで一切寝言も言わず寝ていた俺が、突然大きく口を開けてパッチっと目を開けた様に見えただろう。
でも、俺からしたらほんの一瞬。
全部を飲み込む様な闇にあの惨劇全てが飲み込まれて、次の瞬間には自室の天井が目に飛び込んできた。
そう思ったからこそ、今まで自分が寝ていたって事も、悪夢を見て起きたって事も、瞼を開けて入ってきた情報も。
全部、全部脳が処理し切れていなかったんだと思う。
そんな事も含め、かなりの時間をかけて漸く現状を認識した。
「・・・・・・・・・ふ、ぅうううう・・・」
今まで一切音がしなかった世界にうるさい程のセミの声が響く。
その声を耳に入れながら、深く、深く、息を吐いて。
そこまでして漸く自分の体が汗だらけなのに気がついて、思わず顔をしかめた。
ベタベタして気持ち悪いだけじゃなく、治りかけた幾つもの傷に汗が染みて痛いんだ。
この気持ち悪さを感じる全身から流れる冷たい汗は、真夏の暑さのせいだけじゃない。
さっきまで見ていたあの夢のせいだ。
夢。
そう、夢だ。
あれは此処最近毎日の様に見る悪夢。
痛みや苦しさがどんなにリアルでも、あの出来事は俺の頭が作り出したものだ。
『現実じゃない』
そう音の出ない口をパクパクさせながら、心の中でもう1度自分に言い聞かせる。
寝たまま呪文の様に何度も、何度も、同じ言葉を繰り返してからやっと俺は、嫌になる位の苦しさを外に出す様に長く息を吐き。
手が白くなる程握り締めた、夏場に使うには少し厚すぎる掛け布団から手を離し、体に負担をかけないよう体をゆっくり起こした。
そのまま足の方を見れば壁とベットにくっ付ける様に置いた折りたたみ式の机。
上には何時も通りコンセントに繋ぎっぱなしにした黒い中古のノートパソコンと、証拠品として回収されてまだ戻って来ないスマホの充電器が置いてある。
ノートパソコンの上には小さめのホワイドボードと、ホワイドボードに紐で繋がった頭にスポンジが付いたホワイトボード用のペン。
その2つと一緒に置いておいた少し大き目のメモ帳と、首から下げれるように紐が結ばれたホイッスルは、うなされた俺が机を蹴飛ばしでもしたんだろう。
寝る前に置いた位置より少しずれていた。
ベット左側には1階の屋根とピッタリくっ付いた物置の屋根と、ナトの家が良く見える窓。
体を少しずらせば俺の心とは正反対の、絵に書いた様な真夏の青空も見える。
窓の外を見ながら汗が染みて1番痛い首を触ると、汗でグッチョリ濡れた包帯の感触。
『ガーゼや包帯を変える前にシャワーでも浴びよう』
と思いながら壁に掛かった時計を見れば、午前8時を少し過ぎた位。
普段なら起きない微妙な時間。
学校やバイト、家事当番がある日ならもっと早いし、そう言う早く起きないといけない用事がない日は昼まで寝てるんだけどな。
最近と言うか、あの日から2週間近く悪夢と傷の痛みでちゃんと寝れてないから、何だかんだで家族の中では1番の早起きだ。
眠っても1,2時間位で悪夢に起こされて、また無理に布団に潜る。
その繰り返し。
目を休める為の短い昼寝を何回か繰り返してる様なもんだ。
けど、今日は何時もより長く眠れたし、起きるのも遅かった。
少しはまともに寝れるようになったって事かな?
それとも唯単に寝不足すぎて体に限界がきていたか。
どっちにしろまだかなり眠いのは確かで、でもあの悪夢をまた見ると分かっているのにもう1度寝る気にはなれない。
予定通りシャワーを浴びに着替えとメモ帳、ホワイトボード、ホイッスルを持って1階に下りる。
部屋の戸を開けた時からかすかに聞こえていた話し声は、階段を降り切った時には閉じられたリビングのドア越しに良く聞こえた。




