19,ルグの異世界講座 始業前
「はぁー、美味しかった~」
「ん、お粗末さまでした」
少し多めに作っておいたフレンチトーストを全て平らげたネコは満足そうに息を吐いた。
スズメは食べ終わると同時に外の止まり木に戻り、今はいない。
食べ終わった食器類も片付け終わり、一息つく為にも余った牛乳と『ミドリの手』で出した生姜、元々この屋敷にあった蜂蜜を使ってハニージンジャーミルクを作った。
牛乳に後味がスッキリする生姜とほんのり甘い蜂蜜の味。
寝る前に飲めば、ポカポカと体が暖まって寝つきが良くなる。
「はい、ホットハニージンジャーミルク」
「あ。ありがとー」
一口飲んでホッと一息。
こっちに来てから忙し過ぎた。
何かやっと緊張が解けた気がする。
「あのさー、今更だけど良い?」
「んー?」
何故か改まってネコが尋ねてくる。
「お前誰だよ」
「本当に今更だな」
あのまま掃除に集中し過ぎて自己紹介するのを忘れていた。
「じゃ、改めて。俺は佐藤。
4日前にこの家を借りた冒険者だ」
「よろしく、サトウ。
オレはグランマルニ・エトニックってんだ。
長ったらしいから、ルグって呼んでくれ。
種族は見ての通りケット・シーだ」
「あぁ。よろしくな、ルグ」
ネコ改め、ルグは尻尾を垂直に立たせ、先を少し前に向けながら言った。
それに俺がニッコリ笑いながら答えると、ルグは何故か不思議そうな顔をした。
「俺、変な事言ったか?」
「言ったと言うか・・・・・・
怖がったり驚いたりしないのか?オレ、魔族だぞ」
「え、魔物じゃなくて?
此処を紹介してくれたギルドの職員さんには猫の魔物が居るって言われてたんだけど」
「何言ってんだ。
猫『の』じゃ無くて猫『は』魔物だろ?
確かにオレは下手な冒険者が寄り付かない様、こんな風に猫に化けて追い返す事があるけどさ」
そう言って椅子から降りたルグの体が、輝きだしたイヤリングの石に包まれた。
その途端、ルグの体がドンドン大きくなり、俺の身長すら超えた所でやっと光が収まる。
光が収まって現れたルグはさっきまでの二足歩行の猫とは大きく変わり、小柄な虎位の大きさの三毛猫模様で四つ目。
先が鋭利な刃物になった2本の尻尾の凶悪そうな生き物になっていた。
ルグは欠伸をする様に大きく口を開け、
「ヌーン」
と言う様な重く、低い。
ゾッとする様な不気味な鳴き声を放った。
ルグだと分かっているからさして怖くないけど、野生であったら間違いなく腰を抜かしていた。
「え、何それ。虎?」
「ネコに決まってんじゃん」
「ネコー!?其れが!?」
『異世界だと知っている動物の鳴き声が違うってのは良く使われるネタ』だと言うのは分かってた。
けど、まさか同じ名前で姿が違うなんて事が起きるとは・・・・・・
想像すらしていなかったよ。
きっと今の俺は凄く間抜けな顔をしてるんだろうな。
「あー、確かにこんな虎みたいな奴に襲われたらトラウマになるのも頷けるよな~」
「何言ってんだ、サトウ?変な奴だな~。
・・・・・・・・・あ、いや、待てよ。
まさか、本当に?」
うんうん頷きながらボスが言っていた事に納得していた俺を、本来の姿に戻ったルグがなんとも表現しにくい表情で見てくる。
「えーと・・・・・・・・・あのさ、サトウ。
今から変な事聞くけど、間違ってたら忘れて?」
「分かった」
しどろもどろに聞いてくるルグに俺は頷いた。
俺が承諾するとルグは、緊張した様な真顔で言葉を続ける。
「もしかして、サトウって・・・・・・
この世界の人間じゃない・・・よな?」
「うん、4日前にこの国の姫に呼ばれた異世界人だ」
「あぁ、やっぱり!
子供でも知ってる一般常識を知らなかったり、反応が可笑しかったりしたもんな!」
「そんなに可笑しかったか?」
「すっっっごく、変ッ!!」
真剣な顔からパッと明るく笑ったルグは行き成りピタッと止まり、無表情で体ごと向かいに座る俺に顔を近づけた。
「で、今の冗談?」
「マジ」
暫くの間睨み合い。
それを終わらせたのはルグの絶叫。
「えぇええええええええええええええッ!?
あの噂、本当だったの!!?」
「噂?」
踊る様な変な動きをしながら叫ぶルグ。
正に、昔話に出てくる化け猫そのものだ。
これは見ていて飽きないな。
まぁ、それは置いといて。
『噂』って何の事だ?
「えーと、何というか・・・・・・・・・
1年位前かな?
この国の王族が中心になって異世界から勇者を召喚しようとしてるって噂が立ったんだ。
信憑性の無いただの噂だと思ってた。
でも、本当にサトウが?」
「言っておくけど、俺は勇者じゃないぞ。
その勇者を呼ぶ世界を決める為のサンプルだ」
俺はルグに、俺がこの世界に来た経緯や来てからルグに遭う間での事を説明した。
涙一つ流さず、感情的にならず、淡々と他人事の様に。
自分でも信じられない事だけど、当時はあんなに怖かったり怒ったりしたのに、話てる間本当に俺の心はずっと揺るがないままだったんだ。
別に慣れた訳でも、どうでもよくなった訳でもない。
だった、単純な作業をずっと繰り返してる様な、まるで自分が機械になったみたいに感情が消えていた。
そんな俺にルグは唖然とした顔から呆れた様な顔で溜息1つ、
「お疲れ様」
その言葉と共に吐いた。
「・・・・・・そんな目に遭ったのに、もう大丈夫なのか?」
情緒不安定と言えばいいのか。
俺はこの屋敷に来てから何度も突然泣いたり、誰も居ない所で怒りに任せて叫んだり、何か食べても直ぐ吐いたりしていた。
俺は覚えてないけど、夜寝ていても魘されたり叫んだり酷い状態だったらしい。
突然何も知らない。
自分を知る者が誰もいない。
自分の常識が通用しない場所に連れて来られて、大勢の悪意と蔑みの感情に晒された。
何より1番きついのは、魔物との戦い。
今まで一歩間違えれば命を落とす、死と隣り合わせの生活なんてした事無かったんだぞ?
不安も、恐怖も、怨みも、嘆きも、疑問も。
全部、全部、溢れ出てきて、元々いっぱいいっぱいだったのに、それを無理矢理押し殺して。
今まで平気な振りをしていたんだ。
ポジティブな事を考える様にして、その感情を見ない様にしていた。
其れが押さえきれず、漏れる度にルグ達が来て、慰めてくれたんだ。
だから今、俺の心が揺るがないのは、涙も感情も出し尽くしたからかもしれない。
それにルグ達のお陰か、もしかしたら『環境適応S』のスキルのお陰で今日は1日中落ち着いている。
『環境適応S』の説明に『またその世界で最低限生きられる能力がつく』と言うのがあった。
その『最低限生きられる能力』って言うのは精神的な面も入るんだと思う。
じゃなきゃ、ルグ達が慰めてくれたってこんなに早く立ち直って自分の感情を割り切れる訳が無い。
そうじゃなきゃ、既に回復出来ない位壊れていたと思う。
だから、
「あぁ、お陰様でもう大丈夫だ。
ありがとうな、ルグ」
「・・・・・・・・・どういたしまして」
茶化す様に明るく言う俺に、尻尾を大きく早く動かしながらルグは答えた。
「それとさ、サトウは自分が異世界から来たって言っていいのか?」
「う~ん。
確かに国民登録ではヒヅルって言う国に元々住んでいた事になってるけど、言うなって言われて無いし。
俺が言われたのは、
『何かあってはこの国が困るから、この国の領地から出ないで』って事と、
『この世界の常識を知らずにトラブルを起こして他の国民に迷惑が懸かっては困りますから就く職業は冒険者だけ』って事と、
『この国に迷惑をかけない』って事と、
『一時期一緒に行動していた、この国の姫の評価を下げる様な事はするな』って事だけだぜ?」
魔女達を思い出しながら真似る様に言う。
「でも、その~、こう言うのって普通、他言無用って奴だよな?」
「いーの、いーの。
大体さ、何で自分を誘拐した癖に放置した奴等が喜ぶ様な事しないといけないんだよ。
自分の命を守る為に最低限、言われた事は守ってれば良いんだよ」
「あー、うん。
気持ちは分からなくも無い・・・・・・な。うん」
鏡がないから分からないけど、きっと今の俺は蔑んだと言うか、やさぐれた様な表情をしているんだろう。
だからだろうか、ルグは縦に尻尾を大きくパタパタさせながら苦笑いを浮かべて頷いた。
「あのさ、サトウさえ良ければ、オレが知ってるこの世界の事教えようか?」
「是非お願いします!!」
喰い気味に俺は勢い良くルグに頼み込んだ。
ルグにこの世界の住人として可笑し過ぎると言われ、この世界の事をもっと知らないといけないと思っていた所だ。
だから、正に渡に船。
いや、地獄で仏と言うより天使に会った気分だ。
元々少し大き目の愛くるしい猫が2足歩行している姿のルグには癒されていた。
今はその背中に天使の羽が生えてる様に見える。
「えーと、じゃあ・・・・・・
何から説明しようか?」
「と、その前に」
「何?」
尻尾を大きく揺らしながら首を傾げるルグに俺は空になったカップを指差しながら尋ねた。
「ホットハニージンジャーミルクのお代わりいる?」
「勿論!」
俺は長くなりそうな話のお供を取りに行った。




