1,召喚
ふかふかのベッドに体を埋めて、ぬくぬくとまどろむ夢ほど幸せな事は無い。
夢の中では大っ嫌いな英語の授業も、嫌気がさす宿題も忘れられる。
何より気になるあの子を救うヒーローにも、誰もが憧れるプロ野球選手にも、何にでも成れる。
そんな至福の時間を終わらせようと『怪獣』が俺の部屋の直ぐ其処まで迫っているとは露知らず、俺は惰眠を貪っていた。
「キィイイイイビィイイイイイッ!!
起・き・や・が・れーーー!!!!」
「うぉ!な、何だ!?」
耳元で発せられた大声と、勢い良く剥がされた掛け布団に思わず俺は辺りを見回す。
寝ぼけ眼で隣を見ると、俺の掛け布団を鷲掴み仁王立ちした向かいに住む従兄弟が居た。
時計を見るとまだ7時にもなっていない。
「何だ、ナトかよ」
「何だとは何だ!!」
「夏休み初日の朝早くに野郎に起こされても嬉しくないって事。
これが可愛い女の子なら大歓迎だけどな」
そう言って不満を隠そうとしない俺にナトは盛大に溜息を吐いた。
「そりゃー悪うございましたねぇ。
けど昨日キビが、貸した本返さなかったから催促しに来たんだ。
はっきり言って昨日バックれたお前が悪い」
「そう言えばそんな約束してたな。
多分鞄に入ってるから勝手に持ってて。
俺は昼まで寝る」
呆れた様にもう一度溜息をついてガサゴソしだしたナトを無視して奪い返した布団を頭から被る。
ちょうどウトウトして来た所でまたナトに布団を剥がされてしまった。
「うっ・・・・・・・
何だよ。まだ何か用があるのか?」
「本、鞄に無いんだけど」
「・・・・・・・・・・・・あー。
じゃあ、学校の机の中だ」
何日か前から学校に持って行ってたんだ。
それで昨日、鞄に入れ忘れたらしい。
ちゃんと入れたと思ったんだけどなぁ。
「はぁ!?何だよそれ。
俺も一緒に行ってやるから直ぐ取り行くぞ!」
「ヤダ、メンドイ、眠い」
「おい!
こっちはお前のせいで昨日から直ぐ貸せって母に催促されてるんだぞ。
家に居るのにLINEでも催促されるし、今だってほら」
そう言ってナトが見せたスマホの画面には5分置きの『湊、まだー』の文字。
自分が悪いのは解っているけど、それでも正直夏休みになってまで学校に行きたくない。
何より、現在ナトの家はもっとお客さんに親しんでもらうためにと叔母さんが提案し、店内を大改装中だ。
大きな工事は昨日終わり、今日明日と備品を入れるらしい。
頼んだところが悪かったのか、周りが住宅地なのに時々夜中まで掛かかった工事の音で俺は寝不足なんだ。
何としてでも断固拒否したい所だが、ズイッとスマホごと顔を近づけて睨むナトからは逃げれそうに無い。
いやいやながらも諦めるしかないか。
「解った解った。行けばいいんだろ?
着替えるからお前も着替えて来い」
ナトは少し変わっている。
普段から自分の母親を常に『母』って呼んだり、趣味が酒瓶集めとオカルトだったり。
極め付けが服のセンス。
今だって頭に捻り鉢巻、Tシャツと短パンの上に腹巻着て背中には『田中酒店』と書かれた団扇を刺している。
Tシャツは黒地に正面に天使の輪と羽が付いた白いワインボトルのイラスト。
後ろにはデカデカと白い字で、『僕は新世代のお神酒になる』の文字。
この前のグローブが乗った酒樽 + 『程よく、醸されたぜ・・・』Tシャツもどうかと思うが今日も変だ。
ただ好みの問題なのか実家が酒屋故のネタなのか解らない。
「そんなに変かこの夏用仕事着?
かっこいいと思うんだけどな~。
新装開店に合わせて新しく卸したんだぜ」
「毎度の事ながらお前の感性を疑うよ。
どんなに店を新しくお洒落にしても、その格好で店の手伝いしてたら客がドン引くだけで酒は売れないだろ。
最悪お前の姿見て他の店で買うぞ」
「そうか~?」
納得でき無さそうに自分の格好を見るナトを追い出し暫くして窓の外から、
「5分後に迎えに行くから2度寝すんなよ~」
と言うナトに、
「はいはい」
と返事をし俺は渋々着替えだした。
*****
紺色のジャージに着替えた俺と、ジーパンに胸周りより上が白くその下が明るい黄色で背中に『ガンガン飲もうぜ!』と書かれたTシャツに着替えたナト。
俺達は家から自転車で45分掛かる山の中腹に立つ学校に向かった。
こんな遠くに行かなくても、と思うけど家の近くの高校は地元で昔から公立の滑り止めという考えが強い私立か、偏差値が高すぎて平均レベルの俺には受けれない所ばかりだったんだ。
学校までの道の殆どは緩やかな坂道。
校庭の向かいには走れば駅まで1分も懸からないワンマン運転の電車が走っているけど、運賃がとんでもなく高い。
片道600円以上もするんだ。
雨や雪でたまに乗るなら兎も角、ほぼ毎日乗るにはこの値段は厳しい。
その為、いい運動になるからと俺達は毎日自転車であの長い坂道を登らされている。
「何で休みの日まであの地獄の坂道を上って学校に行かないといけないんだよ。
これが嫌で部活にも入らなかったのによ~」
「キビが本を置いてきたからだ」
「そーだけどー」
「帰りは下り坂なんだから大分楽だろ?
さっさと取って帰ろうぜ」
「ヘイヘイ」
駐輪場に自転車を置き、職員玄関を目指す。
普段使っている昇降口は夏休みのため開いていないんだ。
駐輪場から職員玄関までは校庭の横を通らないといけない。
校庭にはこの蒸し暑い中運動部が元気に走り込んでいた。
「良くやるなぁ。何部か知らないけど」
「今年は中学で有名だった奴が大量に入ったからなぁ。
優秀な新人を入れてどの部も張り切ってるんだろ。
去年に比べ部活勧誘も激しかったらしいし」
「へー。まぁ、俺には関係ないけどな。
部活に出るくらいならバイトして金稼ぐし。
ナトもそうだろ?」
俺と同じで部活に入らず実家の手伝いをしているナトに聞く。
「俺は酒屋を継ぐ勉強中なの。
キビみたいに部活にまったく興味が無い訳じゃなくって、それ以上にやりたいことがあるんだよ。
て、その話は今は良いからとっとと行くぞ!」
「ちょ、解ったから引っ張るなよ」
*****
中年の用務員さんに事情を説明し校内に入る。
ナトが職員室で念の為の書類を書いている間に俺は教室に向かった。
何も考えず普通に教室の戸を開け中に入ると、目の前には机と椅子が並んだ何時もの風景。
では無く石造りの唯広い薄暗い空間。
俺の足元の固まった血の様な黒い床には、ファンタジー物で出てきそうな青白く輝く魔法陣。
そして先に中に居た10人全員がゲームで見る様なフード付きのローブを着ている。
この学校オカルト部は無いから、夏休み明けて1カ月位後にある文化祭に向けて演劇部が練習してるのか。
この教室を部室にしていたのは知らなかった。
にしても、このセットと言い衣装と言い凄いクオリティだなぁ。
本当に異世界に来たみたいだ。
ナトが今年は優秀な奴が大量に入ってるって言ってたし演劇部にも入ったんだろうな。
こんな凄いもん造れるなんて住む世界が違うわ。
と、何時もと違う風景と雰囲気の教室に早まった心臓を落ち着かせる為の理由を必死に考える。
心の中で自分に言い聞かせた俺の結論は、邪魔しちゃ悪いしさっさと本を取って出て行こう、と言う事。
フードを目深に被っているせいで表情は解らないけど、向こうも突然入ってきた俺を上から下にジロジロ見ている。
多分、突然ノックも無く入ってきた俺に向こうも驚いているんだろう。
「すみません。
忘れ物取り来たんですが、机、何処にあります?
あ、もしかして廊下にだし・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」
演劇部員達に声を掛けながら教室内をざっと見回し中に机が無いか探す。
机は俺が気が付かなかっただけで練習に邪魔だから外に出していたのか教室内には1つも無い。
なら外に出ようと振り返ると今さっき入ったばかりの出入り口がなぜか見当たら無かった。
多分、黒い布かなんかで隠れているんだと思うけど、戸があるはずの場所を触ろうとしても俺の手は宙を切るだけ。
「え、何これ。マジック?ドッキリ?」
「言っている意味は理解できませんが、貴方は私達の魔法によりこの世界に召喚されたのです」
挙動不審な俺にこの中で1番奇麗な、キラキラ輝く白地に袖や裾に金色の糸で刺繍されたローブを着た演劇部員が話しかけてきた。
多分、大魔導師とかこのローブ軍団の長的な役割なんだとろう。
声からして女の子だと思うその演劇部員は俺をからかっているのか、劇の台詞を言ってきた。
「ノリ悪くてすみませんね。
俺、急いでるんでそう言う冗談はいいから、この仕掛け何とかしてください。
貴女達の手品を楽しんでる暇は無いんです。
それともドッキリですか?
それなら他の人でやってください」
「テジナやドッキリと言うのはやっていません。
何度も言いますが貴方はこの魔法陣の魔法により召喚されたのです。
そろそろ理解してください」
「無理です。
異世界に召喚なんてゲームや漫画じゃあるまいし、現実で起きる訳がありません。
ここが異世界で俺を魔法で呼んだと言うなら証拠を見せてください。
例えば、この室内で雨雲を出して雨を降らすとか、見た事も無い生き物を出すとか」
イライラした様に言う女子演劇部員の言葉に周りの演劇部員全員が頷く。
向こうはノリノリでやってるけどこっちはさっさと帰りたいんだ。
どうせ俺の真上にはタライとか水や小麦粉が入った風船とか黒板消しとかが設置してあるんだろ?
そう思って上を見上げると仕掛けどころか蛍光灯も無く、高さ的に上の教室を打ち抜いている。
さっきは暗くて気が付かなかったけど、良く見るとこの部屋、隣の教室や窓の外まで打ち抜いてないか?
鏡を使ったトリックだよな?
トリックだ、気のせいだ、と思い込もうとしている俺に追い討ちをかける様に、
「良いでしょう。
その程度で信じるというなら見せてあげます」
ニヤリと口元を吊り上げ女子演劇部員が言う。
女子演劇部員の言葉に演劇部員の1人が本来窓の外に位置する場所に設置された階段を上り部屋を出て行き、別の演劇部員が持ていた杖で地面に魔法陣を書き始めた。
魔法陣が完成し書かれた地面を1回コツンと杖で叩くと魔法陣が光り、煙が上がる。
その煙は天井近くで1つに纏まり灰色の雲になってスプリンクラーでは出せない激しい雨を降らした。
「ルチア様、お持ちしました」
「ご苦労様。
さぁ、解ったでしょう。
貴方の言う通り魔法で雨雲を出し、この世界の生き物、ジュエルワームを連れてきました」
そう勝ち誇った女子演劇部員の隣には大きな木箱をかかえた外から戻ってきた演劇部員が立っている。
木箱の中には30cmはある見た事無い、宝石の様に奇麗な芋虫がムシャムシャ草を食べていた。
草を食べ機械では出来ない自然な動きをする事からこの芋虫が生きている事が解る。
信じたくないし認めたくない。
けど、ここは俺が生きている世界とは異なる異世界なんだ。
そう理解すると共に体中の熱が全て奪われた様に冷たくなり、力が入らなくなって膝を着いた。
どんな理由で召喚されたにせよ、俺は生きて元の世界に返れるのか?
「ここが俺が居た世界とはまったく違う事は解りました。
それで、貴女達はどうして俺を呼んだんですか?」
「やっと理解しましたか。
良く聞きなさい。
貴方を異世界から召喚したのはほかでもありません。
この世界を闇に包もうとする悪しき魔王から世界を救う勇者様をどの世界から呼ぶか、選ぶためのサンプルとして貴方を呼びました」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マジ?」