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短編集Ⅳ

果てない恋のこと

作者: 有里

 裕美から結婚の報告を受けたのは、雨がみぞれになって、その内、都内でも雪の舞った寒い日だった。

 新宿駅の西口の地下通路にあるコーヒーショップで、大きな窓に面したカウンター席に並びながら、私たちは行き交う人々を眺めていた。しばらく座っていると、暖房の効いた店内は、コートを羽織っていては蒸し暑く感じるくらいだった。裕美はベージュのファーマフラーを取って、コートの前を寛げた。私は首元のストールを取り、膝の上に掛けた。カウンターの足元に立て掛けたふたつの傘は、しっとりと水滴を垂らして、床を濡らしていた。

 スーツケースを引きながら手元のスマートフォンを見詰める人、きっちりとしたスーツを着たビジネスマン、毛糸の帽子を被り、カラフルな服の若い学生たち、高そうな毛皮のコートを着た年配の女性、傘を杖のようについて歩く老人。足早に通り過ぎる人もいれば、一歩一歩のんびり歩く人もいる。人通りは絶えない。行き交う人たちは、私たちのことなど見ていない。きっと朝早い時間でも、終電間近の遅い時間でも変わらないのだろうと思いながら、うっすらとガラス窓に映った裕美を見詰める。

 手元のマグカップを両手で包み込むようにしながら、裕美は静かに目を伏せていた。肩に垂れる長い髪は、黒く艶々としていて、その影に縁取られるように白く透き通るような頬が、浮かび上がって見えた。裕美はふう、とカップに息を吹きかけて、そうっと口を付けた。ほんのりと肌色に近い桃色の唇が、窄まるように動く。その唇に、円やかなカプチーノの泡が吸い込まれた。

「それでね、…」

 裕美が不意に、顔を上げた。右頬の辺りに、視線を感じる。私は慌てて、トレーに置きっ放しだったブレンドコーヒーに手を伸ばした。

 湯気に混じって、仄かに香ばしく甘やかなかおりが漂う。勢いよく含んだ熱いそれに噎せ込みそうになりながら、無理やり喉の奥へと流し込む。苦味よりも、酸味が強いコーヒーだった。口腔内に、しっとりとした甘みが残ったような気もするが、熱さでよく分からなかった。

 裕美は私に気にすることなく、話を続けた。

「三月あたりに、みんなを招待してホームパーティーみたいなことをしようと思うの。恵美にも、来てもらいたいと思って」

 15日の日曜日、と言いながら、そこで裕美は私の右手に触れた。カップを握る私の手に被さるように、裕美の白い手がある。淡いピンク色とクリーム色に塗った爪には、ちらちらと光る小さなストーンが飾られている。手首に、丸い文字盤の華奢な時計が嵌っている。そして薬指には、肌に沿うように緩やかなカーブを描くプラチナの指輪があった。

「絶対、来てよね」

 裕美は目を細めて、嬉しそうに笑っていた。頬をふっくらと膨らませて、唇の端をきゅっと持ち上げる笑い方は、何年経っても同じままだ。私は懐かしい気持ちと、目を背けたい気持ちとが一緒くたに混ざり、内側に吹き出すような気がした。

 私がうんと頷くまで、裕美は手を重ねたまま、離さなかった。

「あれ……恵美、煙草吸う人だったっけ」

 じっとりと、手の平が汗で濡れている。

 一度窓の外へ顔を向けた裕美は、カウンターに肘をつくようにして頬杖をつき、ちらっと私を見た。ライターを持つ手が、べとべとと滑るようで気持ち悪かったけれど、裕美の手に握られているよりはほっと心が落ち着いていた。ふ、と一息ついて、席に設置されている黒い灰皿に手を伸ばす。

 それは独特のかおりと共に、薄く微かな煙を一筋揺らめかせながら、少しずつただの灰になっていく。彼女の華奢な指が、――小さくとんとんと人差し指を動かす様が、私は好きだった。気怠げで、それでいてはっと人を惹き付けるような仕草で、煙草を銜えるのだ。キャンパスの一角、古い煉瓦造りの旧校舎にある図書館の近くで、彼女はよく過ごしていた。

「私、あの人に止めろって言われちゃってさ。もう、四年。恵美は、言われない?」

 裕美は眉を寄せて、困ったような顔をしながら、まるで大して困っていないように笑っていた。

「私は――……これはね、好きな人が吸ってたから」

 唾を、飲み込む。ガラス窓越しに見た裕美は、そうなの、と何ともなしに言ったきり、カプチーノの白いカップの縁を親指で弄っていた。

 長く燃え残っていた灰が、ぼろりと落ちた。鼻の奥で、煙草のかおりではない、つんと肌を突くような痛みを感じた。視線を上げることもできずに、私はただ煙草が尽きるのを待っていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 好きな人が自分とは違う誰かと結婚する。そんな報告を聞かされて、とても冷静ではいられない。そんな感じの恵美の心の揺らぎが良く表現されていますね。 恵美は同性である裕美のことが好きだったのかな…
[一言] 恵美ちゃん、煙草吸うのやめよう
2015/01/22 16:09 退会済み
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