なろうに思うこと、小説を書くとは
1.企業努力
コーヒーの粉に豆の絞りかすを挽いたのを混ぜる。自然になるんだと。ちゃいまんがな、粉のケミカルっぽさが好きやねんか。SF感を飲みたいねん。
商売人が水増しをする事を一々咎めるのは割に合わん。けど、やり過ぎた業者に制裁するのは消費者の義務である。ボクが、私が、一つ手を抜くと、社会が一段階ぶん暗い方向へ傾く。掃除と同じでまとめては出来ん、少しずつ支払う質のものだ。
売文屋も報酬が、紙一枚なんぼ。何kgでなんぼの商売で、水増しを止める事は出来ん。企業努力やで。ある程度は黙認される。
2.ディストピア
無料で存分に愛を交わせるとは、何てユートピアなんだって初めは思った。蓋を開けると自由恋愛による人気格差、そして自分が半分より多数派へ属していた事、もてない傾向にある事が判る。
ふと思う、古い習慣の仲人制度はどうか? 仲介人から互いに査定され、値の合うマッチングを示される。合理的で、素っ気ないけれど、二つの苦しみ――私はもっと価値が有る、と、俺には価値が無いのだろうか――は消えるだろう。ジャンルが合わん、趣味が合わん、気が合わん、は残るけども、値が合わんで話したり聞いたりをしないと云う、最後のあるいは前提の、絶望に欠かせないパーツを抑止できる。
格好良いモノより格好悪いのを読んで他山の石、荒砥に掛ける事が近道だ。ジミヘンを最終目標にしても直近の目標にしては挫ける。人の心は弱い。
3.癖の有る人々
友人、と私は思っているけれど、知人だろうか、人物が居て。この人物氏が軽いというか頭ごちゃごちゃというか、「久しぶり、遊ぼや」と言って来るといけない。私の知らん人、人物氏が最近気に入ってる人、を連れて来る。しばしば話の取っ掛かりも掴めず時間だけが過ぎた。趣味が違う。まともな人が私だけで、皆ずいぶん自由な気風で、話を聞かない言いたい放題、投げっ放しで、自由というより少し大分かなりあれな、言いにくいけれど性格に難のある人ばかりだった。親ッとよく思った。
4.初対面は猫でさえ
男女の女性がノラ猫を見てカワイー言うて近寄って、男性はしゃぁないなぁって見てるねん。猫が不審なオバハン(猫は3・4歳くらい)に怖がって後退さって、若い女の人なんやけど、にじり寄って行く。男性の顔が悲しみに固くなる。あとでフォローが大変やで、猫は走って逃げて行った。
猫でさえ初対面はこうである。
5.社交の細目
初対面の御仁が、どんな性質のとき対面者は苦痛を感じるか?
なんか自分のワールド、例えるなら一筋の流れ星、をペラペーラと話すのは、ノーだよオーケーね? の気分になる。言いたい事を一文で、補足説明は2・3個で。と喉元まで出掛かって危うく飲み込む。2・3で私が足りないと思えばアポイントを取るよ。
長話、冗長なよりも、言葉足らずの方が印象は良い。足らなきゃ聞くし、興味がなければ「へぇー」で済み、一方では「へー、へー、そう、成る程ね、そう、ほう、ほう」と言うて疲れる。知らん人とコミニュケーションする時は、喋りも文章も似た気構えに思われる。
6.怒る大阪女は美しい、僕はダメ男の仮面を被る
「どうも」と、開口一番やられると、「誰やったかな、思い出せん」の余分な負担になる。苦しそうに、悲しそうに、申し訳なさそうに、小さい笑顔で、「えー・・・・・・初めまして」と言えば、「ええ、ええ、どうも、こちらこそ」と成り易い。ただし口では初めまして言うてても、「何言うてるねん、始めて違ゃうやんかぁ」と言われんように、似たモン持って来るパクるんは、「もう知らん、二度と口利かへん」言われますので、気を付けてな。
7.脱線したけども
無料やのに、何でクドいん? 水増しするんは商売だけやろ?
短めの、荒削りな、文でええやんか。仕上げの研磨が入った商売風味は息苦しいやん。
読んで書いて、書いて読むのに、しんどいねんて。
個性、独自性についても五月蝿く言えん。「特許」のコンセプトは理解できるけれど、共有財産・パクリ自由が少ないと新しい物が拝めない。寂しいぢゃないか。プロの商売人の一軍なら厳しくとも、二軍どころか三軍ファームなら。は甘過ぎるのか。
メーンストリートを歩くうちに、でぶに成る、歯が丸くなる。増えて、弾力がなくなって、純粋進化して、全滅する。横丁から表通りを睨む、空腹の田舎犬にこそ破前例、破天荒の現れるのは歴史の勉強だ。異世界転生貴族様がたの傲慢怠惰貪欲を見ている犬の活躍する時にこそ新たな1ページが記入されるのだろう。
ところで自山の石より他山の石に後ろめたいものを感じる。良いですよね、他山の石。
石を磨いて、だからなんだ、庭に放って置くんだけどね。見て良い、交換して嬉しい、とか。私はただ簡明な事を、人類の文明とは要するに石との交流である、と云う平凡な事を言いたかっただけだ。文章に置いて何をか言わんや。
私は石を美しいと思うとき、健全な人類の足跡を見る、ただそれだけである。
石と君とが如何に在るか。
突き詰めてみると、君の死ぬまでに書くべき文章は、たったのこれだけであるとさへ言へる。どの作家もどの著述家も無言の内に無意識の内に、己の著作へ石の様々な意匠を描きこむ。それは石の意思と言い換えても大きく間違ってはゐない。
小説を書くとは石を語る事である、他人のストーリーやキャラクターや口調をダシに使って石を語る事である。