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火恋―カレン―  作者: 白藤宵霞
第七章 約束
32/33

 そうして、未曾有の戦乱はひとりの少年を犠牲にして終結を迎えた。

 混乱に満ちた夏は野分の如くに過ぎ去り、取り戻した平穏な日々を謳歌するように、やがて国内には豊穣の歌が響き渡った。

 王宮も、間近に迫った新嘗祭(にいなめさい)の準備に追われ、例年以上の慌ただしさに包まれていた。

「陽衣奈さま」

 書簡を抱え、宮殿の廊下を足早に歩く陽衣奈を柔らかな声が引き留める。その姿に陽衣奈は褐色の瞳を瞬かせた。

「沫那美さま……」

「政務の帰りですか? もしよろしければ、途中までご一緒しても良いかしら」

「はい、もちろんです」

 その誘いを、陽衣奈が断る理由はなかった。彼女と肩を並べ、歩き出す。

「陽衣奈さまが、補佐を申し出たときは驚いたわ。……いつのまに、そんなことが出来るようになったの?」

 彼女の声には、純粋な驚きが含まれていた。

「張政さまに教わったことが、役に立ったみたいです」

 沫那美の言葉に、陽衣奈は遠慮がちに笑って見せた。彼女自身、まさかこんな形で自分の学んできたことが役に立つ日が来るとは思っていなかった。

 内乱により、多くの死傷者を出した宮殿は、圧倒的人手不足に悩まされていた。その事態に、陽衣奈は自ら補佐として名乗り出たのだ。政への参加経験を持たない彼女であったが、張政から学んだ豊富な知識は宮廷で随分と重宝された。

「陽衣奈さまは、強いわね」

 疲労の滲んだ笑みで、沫那美は少女を見つめた。

「他の王女たちは、皆、怯えているわ。今は、宮殿も落ち着きを取り戻してきたけれど……いつ、近隣諸国が攻め込んでくるかも分からない、と」

 南の国境を守っていた軻遇智が敗走し、綿津見が処罰され、豊かな農地を持つ邪馬台國を脅かすものは多い。それは、国外だけに留まらなかった。

 軻遇智と海理が抜けたことにより、那岐王の後継問題は以前にも増して複雑になっていた。

 三人の後継候補の中で唯一、残った秋津彦は家柄も能力も申し分なかったが、生来、虚弱であった。そのため、候補に上がっていなかった王子たち、そしてその後見を務める豪族たちは、王太子の位を巡り、水面下で火花を散らしている。

 誰もが疑心暗鬼に陥り、宮殿は不安定な雰囲気を醸し出していた。政務に追われる人々の顔も、何処か暗い影を帯びている。

「……だからこそ、です。こんなときだからこそ、少しでも力になるのなら、わたしは努めたい」

 そう答えると、沫那美は静かに笑った。

「有難う。……でも、無理だけはしないで。何かあったら、遠慮なく相談して頂戴ね」

 白い掌が、陽衣奈の髪を撫でる。そのあたたかさに、少女も表情を緩めて頷いた。

(沫那美さまは、相変わらずお優しい……)

 だが、その優しさが心配でもあった。

 誰よりも無理を押しているのは沫那美の方だ。以前より窶れてしまった容貌に、胸が痛む。その負担が少しでも軽くなれば良いと、陽衣奈は思った。

「やぁ、姫さま。精が出ますねぇ」

 その背を見送っていると、陽衣奈の影に長身が並んだ。

「掖邪狗?」

 親しい声に誘われ、振り向けば、そこには人好きのする笑みを浮かべた男の姿があった。

「……あなたが宮殿にいるなんて、珍しい。姉君たちにお使いでも頼まれたの?」

 少女が首を傾げると、男は「待っていました」と言わんばかりに得意気に鼻を鳴らした。

「よくぞ聞いて下さいました。この掖邪狗、本日より晴れて姫さま付きとなったのです!」

「わたし、の?」

 思ってもみなかった言葉に、陽衣奈は目を瞬かせた。

「ご安心下さい。ちゃんと、父上たちに許可は頂いてます……むしろ、姫さまのお側できっちり学んで来いと、尻を叩かれました」

 そして身を屈め、内緒話をするように囁く。

「……姫さまは、もう少しご自分の周りに注意した方が良い。今までとは、状況が違うのです。護衛のひとりくらい、付けて下さい」

「……そうね。これからは、気をつけるわ」

 彼の指摘に、陽衣奈は微苦笑を零した。

 軻遇智の内乱と、最愛の義兄の追放をきっかけに、少女の立場は一変した。

 人手不足を解消しようと、微力ながらもと政に参加するようになった陽衣奈は、思わぬ頭角を現すことになった。元々、思慮深く、勉学好きな一面を持つ少女ではあったが、今回のことでそれが明るみとなった。

 それに焦ったのは、後継争いに名乗り出た異母兄たちであった。平民の娘を母に持つ、それも、何の継承権も持たない王女の存在が急遽、浮上したのだ。今までも、蔑視や嫉妬の目に晒されて来た陽衣奈であったが、兄たちが向けるそれは異母姉妹たちよりも邪まなものであった。

 彼女を貶めようとするもの、利用しようとするもの。様々な思惑が絡み合い、少女を捕らえようとする。

(掖邪狗の言う通りだわ。踏み出した以上、わたしもこれまで通りではいられない……)

 自室に戻ると、陽衣奈は抱えていた書簡を机の上へと並べた。机だけでは足りず、床にも広げる。

 彼女の目の前に、今、この国が抱えた現状が晒される。


 后を亡くし、失意の底にある父王。

 有力な後継候補が同時にふたりも消えたことで、暗い思惑を抱き始めた異母兄弟たち。

 そして、いつ邪馬台へと叛旗を翻すかも分からない、伊都國を始めとする近隣諸国の脅威。


 どうすれば、この国を守ることが出来るのか。兄との約束を、果すことが出来るのか。

「わたし、は……」

 少なくとも、今までのような傍観者ではいたくないと少女は思った。

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