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火恋―カレン―  作者: 白藤宵霞
第七章 約束
31/33

 議会では綿津見の一族に対する、すべての処罰が下された。

 まず、妹と共に内乱を引き起こしたとして嫡子は死刑。その妻子たちも共に処刑台へと送られた。また、彼に協力した配下たちはすべての財産を没収された後、奴隷身分へと落とされた。

 そして、一族の結末を見届けるようにして、海理はついに追放の日を迎えた。


 海理の気持ちとは裏腹に、その日は眩いほどの晴天が広がっていた。

 追放先は、邪馬台國より海道を越えた西の地が選ばれた。そこは、かつて彼が視察に訪れた国々とは異質の、まさに辺境の地と呼ばれる場所であった。痩せ細った土地では満足な農耕も出来ず、さらには荒ぶる神が何度も川を氾濫させるという。土蜘蛛が棲むという噂もあった。

 死刑は免れたとは言え、それ同等の苦難が彼を待ち受けていた。


 少年の追放に従うのは、僅か五人ばかりの兵と、一頭の馬だけだった。かつて後継候補のひとりとして持て囃され、綿津見の御子として傅かれてきた少年に向けられるのは、今では嘲笑ばかり。

 掌を返したように、彼を庇うものはいない。その罪を否定するものは、いなかった。

(結局、俺は母に守られていたのか……あれほど嫌った、綿津見の一族に)

 母や綿津見の一族に反発し、己の実力のみで王になりたいと願った。

 一人前とは言えぬまでも、既に自分は大人だと信じていた。けれど、それはただの自惚れにしか過ぎなかったのだ。

 いかに、綿津見の恩恵を受けていたのか――自分自身の力など、これっぽちも持っていなかったのか、痛感する。所詮、守られているだけの子供だったのだと。

 街道には、罪人の末路を目に焼き付けようと多くの民衆が集まっていた。数多の視線に晒される中、海理を乗せた馬は静かに歩む。ピリリとした緊張が少年の頬を嫐った。

「この、人殺し――!!」

 そのとき、誰かが放った言葉と共に小さな石礫が海理の背中を打った。その一石は、それまでの静寂に波紋を呼び起こした。

「裏切り者っ!」

「大后さまを返せっ!」

「追放なんて、生ぬるい。その死を以て、罪を償え!!」

 まるで競うように、彼らの罵倒は徐々に苛烈さを増した。どんなに小さな火種も、油を得れば瞬く間に燃え上がる。

(違う……)

 と、海理は声なき声で叫んだ。

(俺は、大后さまを殺してなんかいない……謀叛なんか、企ててなどいない!)

 しかし、海理がどれだけ無実を訴えても、信じてくれるものはいなかった。

 逃げるように、怯えるように、一行は集落群を抜け、なだらかな丘の道を進んでいく。

 この先を行けば、もう故郷の姿を目にすることは出来ない。あとはただ、希望のない未開の地への道程が延々と伸びるだけだった。

 名誉も、栄光も、ささやかな平穏さえも。すべては零れ落ちた。少年の、そのちっぽけな掌の中から、すべて。……すべて。

「――待って!!」

 刹那、鮮やかな茜色が少年の目を焼いた。

「っ」

 幻だろうかと、海理は思った。己の弱い心が見せた、願望の虚像なのかと。

 そこには、粗末な貫頭衣に身を包んだ少女が両手を広げて立っていた。

「陽衣奈さま……」

 その姿に、従者たちも困惑の声を漏らした。しかし、少女の必死さに同情を覚えながらも、行く手を阻む彼女を咎めようと先頭の男が腕を伸ばす。

 その手を、場違いな明るい声が遮った。

「まぁまぁ、お兄さん。そう、いきり立たずに」

 そう言って現れた男に、従者たちは渋面した。

掖邪狗(やくやく)さま……」

「なに、お前たちの仕事は邪魔はしない。……ただ、俺の顔に免じて、少しの間だけ目を瞑ってくれないか?」

 一緒に、酒を飲み交わす仲だろう?

 そう言って、彼はカラリと笑った。だが、何処までも親しげな口調とは裏腹に、その瞳は真剣味を帯びていた。

「……分かり、ました」

 しばらく悩んだ後、普段、櫓の見張りを行う男たちは、顔見知りでもある掖邪狗の願いを受け入れた。

 海理を馬から下ろし、暫しの別れのときを許す。

「海理……」

 少年の痛々しい姿に、陽衣奈は泣きそうな声で名を呼んだ。褐色の瞳は、ただ少年の身を案じていて……見つめられる海理の方が、泣きたくなった。

「陽衣奈……俺は……っ……」

 信じて欲しかった。自分は本当に謀叛など企てていないのだと……せめて、彼女にだけは。

 けれど、人々に浴びせられた罵倒が、その切実な願いを詰まらせる。彼女の目に、その双眸に、彼らと同じ色を見るのが怖かった。

「わたしは、海理を信じています」

 だが、少女の口から放たれたのは、そんな不安さえ吹き飛ばすほどの凛とした声であった。

 その言葉通りに、彼女の双眸はただ真っ直ぐに彼の姿を映し出していた。

「これを、持っていって下さい」

 からん……と、乾いた音が少女から響く。

 彼女が差し出したそれに、海理は目を見開いた。

「……形見だろう、菊理(くくり)さまの」

「えぇ。わたしのお守りでもあります」

 そう答えながら、陽衣奈は躊躇うことなく義兄の手にそれを握らせた。

「だから、海理に持っていてもらいたい。あなたの旅路が、安全であるように。……そして、どうか再び逢えるように」

「陽衣奈……」

 凍えた指先に触れたあたたかな熱に、海理はくしゃりと顔を歪めた。重ねられた掌を、ぎゅっと握り返す。

「――約束、を」

 掠れる声で彼は言った。何も返せない代わりに、自分が持ちうるすべての想いを、彼女に捧げる。

「必ず、帰って来る。この邪馬台國に……陽衣奈の、元に」

「はい……」

 震える身体を抱き締めて、その温度を、匂いを、記憶に刻みつける。瞼の上に口づけを落とせば、彼女の瞳から一滴の涙が零れた。

「待っています。あなたの帰りを……あの約束を。きっと」

 眼差しが、交じり合う。

 惹かれるように、互いの唇は同じ願いを紡いだ。

「いつか、ふたりの楽園を」

 それは、願い。そして、再会の約束。

 流されることしか出来ない、幼く、無力なふたりは、すべての力を込めて楽園を夢見た。



 馬の歩みと共に、からんと優しい音色が揺れる。遠ざかっていく故郷に、けれど先程までのような痛みを感じることはない。

(陽衣奈……)

 少女に託された土鈴を握り締め、海理は目を閉じる。


『ねぇ、海理さま。わたしのお願いを、聞いて下さいますか』


 その脳裏に甦るのは、色褪せることのない記憶。懐かしく、慕わしい、優しい女の声。


『もしも、これから先、あの子が――陽衣奈が淋しい想いをしたときは、どうか、傍にいてあげて欲しいのです』


 籠のような部屋の中、遠く焦がれるように空へと眼差しを向けながら、自らの膨らんだ腹を撫でる残影。幼い海理に笑いかけた、儚げな褐色の瞳。髪に触れる、ひんやりとした掌。

 それは、遠い約束。少女の亡き母親と交わした、最初で最期の願い。

(菊理さま、少しの間だけ、あなたを裏切る俺を許して下さい……)

 少年は、最後にもう一度、後ろを振り返った。

 彼女と何度も通った丘の上、彼女と出逢い、彼女と過ごした故郷を目に焼きつける。再び、その手に取り戻すために。

「……いつか、ふたりの楽園を」

 その決意を胸に、少年は孤独な道程を踏み出した。


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