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大后の死は、瞬く間に邪馬台国内へと駆け巡った。
その訃報は国中の人々に深い悲しみを与えた。彼女の亡骸は殯の宮に安置され、その元には連日、多くの花と祈りが捧げられた。
彼女の死を嘆く女たちの声が、冷たい白妙に反響する。その悲愴に満ちた声は、憔悴しきった人々の心の不安を煽った。
偉大なる国の「母」を失い、国内は倭國大乱以来の混乱に陥った。長年、穏やかな平和に浸っていた邪馬台國は、今や危うい均等の上に立っていた。たった小さな一撃で、すべてが崩れてしまうほどの不安定さで。
そしてそれは、思わぬ形で那岐王へともたらされた。
「っ、王!!」
慌ただしい足音と共に部屋へ飛び込んで来たのは、顔面を蒼白に染めた姫長であった。
悲痛な声を上げ、彼女は玉座に跪いた。
「申し上げます! わ、綿津見の御方が……自ら舌を噛みきり、自害なされました……っ!!」
「なん、だと――!?」
予想だにしなかった結末に、那岐王は玉座から身を乗り出した。
綿津見の妃は、女ということもあり、兄とは異なり、宮殿の一室で軟禁されていた。逃げ出さないよう、多くの兵を外廊に侍らせ、姫長をはじめとする女たちによって監視が為されていた。守り刀はもちろん、凶器となりうる装身具も全て取り上げていた。
「……最期まで、苛烈な女だ」
まさか、舌を噛みきるとは思わなかった。大の男でさえ、躊躇して死に損ねるものは多いというのに。
「申し訳ありません、王……わたくしどもの、監視が甘かったばかりに……」
姫長は、己の失態を嘆いた。その声は、普段の気丈さを失うほどに震えていた。
しかし、事態はそれだけでは収まらなかった。妃が自ら舌を噛みきったことで、人々の間にはひとつの臆測が生まれたのだ。
妃は、自らの御子が謀反を企てたことに責任を感じ、自害したのではないか――と。
首謀者が不在の中、事の全容は未だ把握されていない。
そのため、ただでさえ不安を抱えていた人々は、その疑いに縋りついた。彼らの声は日増しに大きくなり、やがて那岐王の手にも負えなくなった。
彼は、王としての決断を迫られた。そして、急遽、大老衆と七代の長たちによる議会が行われた。
「伯父上さま!」
衣が乱れるのも構わず、沫那美は主祭殿へと飛び込んだ。臣下たちは全て下がらせてしまったのか、扉の前に控えた兵士の他に人影はなかった。
「伯父上さま、海理さまを追放されるとは本当ですか!」
母から伝え聞いた結果に、彼女は臣下としての礼すら忘れてその身に縋りついた。
那岐王は、そんな彼女を責めなかった。代わりに、そうだ、と静かな声が彼女に突き刺さる。
「っ、確かに、海理さまは綿津見の御子。ですが、この度の謀叛には加担しておりません」
「だが、あれの母妃は、謂わば主犯だ。さらには、あのような末路……一族の仇を望むとも限らぬ」
臣下たちが最も危惧したのは、海理の反逆だった。たとえ、彼が今回の内乱に関わっていないとしても……それが真実であったとしても、人々の不安がなくなるわけではない。
「そのようなこと、海理さまがなさるはずがありません……!」
しかし、沫那美は声を荒げて、それを否定した。
「伯父上さま、お願いです、どうか御自分の御子を――」
――血を分けた我が子を、信じてあげて下さい。
けれど、すべてを吐き出す前に、沫那美ははっと口を噤んだ。軻遇智が内乱を引き起こした今、その言葉が、王にとってどれだけ残酷なものであるか思い至る。
「……許せ、沫那美」
それは、低い声だった。
そして、悲しげな声だった。
「戦を終わらせるには、生贄が必要なのだ。臣下を、民を、納得させる生贄が」
謀叛を企てた綿津見の罪は重く、邪馬台の法に則れば一族皆殺し――海理もまた、死刑を免れない立場にあった。
那岐王も、今回の謀叛に海理が無関係であることは分かっていた。しかし、高まった疑心の声を抑えるためには、目に見える犠牲が必要だった。これ以上、混乱を長引かせるのは得策ではない。
首謀者である軻遇智が行方知らずの今、その役目を担えるのは、綿津見の御子である海理しかいなかった。
「伯父上さま……」
「追放。――それが、私が父親として出来る、最大の情けだ」
決断を下した王の横顔は、誰よりも深い苦悩に満ちていた。




