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火恋―カレン―  作者: 白藤宵霞
第六章 焔の乱
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 刃が交わり、火花を散らす。繰り出される攻撃を、軻遇智は的確に弾いていく。

 だが、武術に優れた彼であっても、圧倒的な人数差に疲労の色は隠せない。国内の有力氏族の中でも、一、二を争う私兵を有する綿津見相手では、分が悪すぎた。

 一方、軻遇智に兵のほとんどを討たれた那岐王も、自ら刀を抜き、戦った。

 軻遇智ほどではないとはいえ、王の腕も兵士たちを苦戦させるには十分だった。しかし、負傷した大后を庇いながらの応戦は、彼らから容赦なく体力を奪っていく。

「何をぐずぐずしているの! さっさと止めを刺しなさい!!」

 綿津見の女が、感情的な声で命じる。その叱咤に応えるように、兵士たちはがむしゃらに軻遇智へと突っ込んでいった。

 青年の頬を切っ先が捕らえる。はらりと舞った黒髪と共に、彼の精悍な顔に傷が走った。

「っ」

 数えきれないほどの鮮血を吸った刀身は、刃がこぼれ、攻撃を防ぐだけで精一杯だった。それでも、彼へ向かう殺気は途絶えることを知らない。

 息が上がる。鉄の味が口内に滲む。

 刃の重さに歯を食いしばり、相手の攻撃を身体全体で受け止めた。その衝動で、額から滴り落ちた汗が彼の視界を僅かに遮る。

(っ、しまった……!)

 その一瞬が、命取りになり得るのが「戦場」という場所だった。

 軻遇智の手から獲物が弾き飛ばされる。軌跡が彼の腕を捕らえた。

「く……っ!」

 燃えるような痛みと共に、彼の利き手が力を失った。袖はみるみる内に赤に染まり、指先からは吸いきれなかった血がぼとぼとと滴り落ちた。

「今だ! 討ち取れー!!」

 軻遇智が無防備になったことで、それまで遠目から様子を伺うようにして戦っていた兵らも、前へと進み出る。男たちに囲まれ、軻遇智はどうにか攻撃を避ける。

 そうしている間にも、体力は消耗するばかりで、さらには多くの血を失ったせいか視界がぐらぐらと揺れ始めた。

(……もはや、これまでか)

 国境を統べる将軍としてでもなく、王権を覆した反逆者としてでもなく。

 裏切られ、名もなき兵に嬲られ、何も成し遂げず、嘲笑の中で生命を落とすのだ。愚者に相応しい、無様な死に様で。

(わたしは……――)

 その視界に、振り下ろされた刀身が映り込む。

 軻遇智は、己の死を悟った。

「――ぎゃっ」

 そのとき、青年と綿津見の兵との間に、ひとりの男が乱入した。

 ギィン……ッと、悲鳴を上げて剣が宙を舞う。

「っ、菊池比古(きくちひこ)……!」

 見覚えのある背中に、軻遇智は声を上げた。

 彼の従者であり、領国では副将軍として仕えた男は、軻遇智へちらりと目線を向けると、微かに笑んだ。

「王子、遅くなりまして申し訳ありません。……しかし、ここからは全力でお守り致します」

 そう言うと、彼は果敢に綿津見へと攻撃を仕掛けた。

 自らの右腕として戦場を共にした従者の救援を得て、軻遇智も残った力を振り絞る。

 倒した兵から武器を奪い取り、利き手とは反対の手に剣を握り、応戦した。再び、刃が火花を散らし、血の匂いに満ちた喧騒が甦る。

 まるで剣舞を捧ぐように、無駄のない、息の合った動作で彼らは次々と敵の攻撃を薙いだ。その戦いぶりに、綿津見の兵たちにも焦りの影が見え始める。

 そこへ、若い男の明朗とした声が響いた。

「――そこまで、です」

 独特な発音で奏でられる倭言葉が、騒乱に(しじま)を落とす。人々が振り向くと、そこには、ひとりの男の首筋に刃を宛がった張政の姿があった。

「っ、兄君!?」

 それまでの余裕を失い、綿津見の女が驚愕の声を上げた。張政の腕の中で、男が悔しげに顔を歪める。

「わたしには、少なからず、武術の、心得があります。……戦は、将の首を、討ち取ったものこそが、勝者……」

 お分かり頂けますね、と異国の男は仄かに口許を綻ばせた。しかし、その琥珀色の瞳に笑みはない。

 彼の登場に合わせるように、何処からともなく、新たな兵士たちが湧き出る。彼らの手には、王宮軍の旗が握られていた。綿津見の間にざわめきが走る。

「張政から進言があった。戦の気配があると……残念だったな、妃よ。綿津見が、勝者となることはない」

 血塗れの大后を抱え上げると、那岐王は一切の動揺を圧し殺した声で、叫んだ。

「王命だ! 謀叛人を、ひとり残らず捕らえよ――!!」

 王の号令で、王宮軍は一気に力を取り戻す。自分たちの長を人質に取られては、それまで勢いのあった綿津見の軍勢も自由には動けない。

 次々に捕らわれ、捕縛される。綿津見の妃も同様だった。

「王子!」

 菊池比古の声に、軻遇智は唇を噛み締めた。

 敗将となった彼に残された選択肢は、三つ。このまま捕らわれ、処刑を待つか。敵の手にかかることを拒み、自ら死を選ぶか。或いは……

「引くぞっ、菊池比古!」

 軻遇智は、那岐王に背を向けた。彼は、最も屈辱的な選択肢を、逃亡を、選んだ。

「撤退だ! 撤退だっ! 南軍は、全力で逃げろ――っ!!」

 菊池比古が追撃を防ぎ、自らも左手で剣を振るいながら青年は叫ぶ。

 部下たちの無事を祈りながら――しかし、はたしてどれだけの味方が生き残り、その声に答えただろう。それでも、軻遇智は走った。どれだけ屈辱的でも、どれだけ無様でも。

「軻遇智の王子を追えっ! 決して逃すな!」

 赤い血の跡が右腕を滴り、床を濡らす。その軌跡を、武器を手にした王宮軍が追走する。

 己のために失われた多くの生命を悔やみながら、軻遇智は夜の帳の中をただ走り続けた。


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