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刃が交わり、火花を散らす。繰り出される攻撃を、軻遇智は的確に弾いていく。
だが、武術に優れた彼であっても、圧倒的な人数差に疲労の色は隠せない。国内の有力氏族の中でも、一、二を争う私兵を有する綿津見相手では、分が悪すぎた。
一方、軻遇智に兵のほとんどを討たれた那岐王も、自ら刀を抜き、戦った。
軻遇智ほどではないとはいえ、王の腕も兵士たちを苦戦させるには十分だった。しかし、負傷した大后を庇いながらの応戦は、彼らから容赦なく体力を奪っていく。
「何をぐずぐずしているの! さっさと止めを刺しなさい!!」
綿津見の女が、感情的な声で命じる。その叱咤に応えるように、兵士たちはがむしゃらに軻遇智へと突っ込んでいった。
青年の頬を切っ先が捕らえる。はらりと舞った黒髪と共に、彼の精悍な顔に傷が走った。
「っ」
数えきれないほどの鮮血を吸った刀身は、刃がこぼれ、攻撃を防ぐだけで精一杯だった。それでも、彼へ向かう殺気は途絶えることを知らない。
息が上がる。鉄の味が口内に滲む。
刃の重さに歯を食いしばり、相手の攻撃を身体全体で受け止めた。その衝動で、額から滴り落ちた汗が彼の視界を僅かに遮る。
(っ、しまった……!)
その一瞬が、命取りになり得るのが「戦場」という場所だった。
軻遇智の手から獲物が弾き飛ばされる。軌跡が彼の腕を捕らえた。
「く……っ!」
燃えるような痛みと共に、彼の利き手が力を失った。袖はみるみる内に赤に染まり、指先からは吸いきれなかった血がぼとぼとと滴り落ちた。
「今だ! 討ち取れー!!」
軻遇智が無防備になったことで、それまで遠目から様子を伺うようにして戦っていた兵らも、前へと進み出る。男たちに囲まれ、軻遇智はどうにか攻撃を避ける。
そうしている間にも、体力は消耗するばかりで、さらには多くの血を失ったせいか視界がぐらぐらと揺れ始めた。
(……もはや、これまでか)
国境を統べる将軍としてでもなく、王権を覆した反逆者としてでもなく。
裏切られ、名もなき兵に嬲られ、何も成し遂げず、嘲笑の中で生命を落とすのだ。愚者に相応しい、無様な死に様で。
(わたしは……――)
その視界に、振り下ろされた刀身が映り込む。
軻遇智は、己の死を悟った。
「――ぎゃっ」
そのとき、青年と綿津見の兵との間に、ひとりの男が乱入した。
ギィン……ッと、悲鳴を上げて剣が宙を舞う。
「っ、菊池比古……!」
見覚えのある背中に、軻遇智は声を上げた。
彼の従者であり、領国では副将軍として仕えた男は、軻遇智へちらりと目線を向けると、微かに笑んだ。
「王子、遅くなりまして申し訳ありません。……しかし、ここからは全力でお守り致します」
そう言うと、彼は果敢に綿津見へと攻撃を仕掛けた。
自らの右腕として戦場を共にした従者の救援を得て、軻遇智も残った力を振り絞る。
倒した兵から武器を奪い取り、利き手とは反対の手に剣を握り、応戦した。再び、刃が火花を散らし、血の匂いに満ちた喧騒が甦る。
まるで剣舞を捧ぐように、無駄のない、息の合った動作で彼らは次々と敵の攻撃を薙いだ。その戦いぶりに、綿津見の兵たちにも焦りの影が見え始める。
そこへ、若い男の明朗とした声が響いた。
「――そこまで、です」
独特な発音で奏でられる倭言葉が、騒乱に黙を落とす。人々が振り向くと、そこには、ひとりの男の首筋に刃を宛がった張政の姿があった。
「っ、兄君!?」
それまでの余裕を失い、綿津見の女が驚愕の声を上げた。張政の腕の中で、男が悔しげに顔を歪める。
「わたしには、少なからず、武術の、心得があります。……戦は、将の首を、討ち取ったものこそが、勝者……」
お分かり頂けますね、と異国の男は仄かに口許を綻ばせた。しかし、その琥珀色の瞳に笑みはない。
彼の登場に合わせるように、何処からともなく、新たな兵士たちが湧き出る。彼らの手には、王宮軍の旗が握られていた。綿津見の間にざわめきが走る。
「張政から進言があった。戦の気配があると……残念だったな、妃よ。綿津見が、勝者となることはない」
血塗れの大后を抱え上げると、那岐王は一切の動揺を圧し殺した声で、叫んだ。
「王命だ! 謀叛人を、ひとり残らず捕らえよ――!!」
王の号令で、王宮軍は一気に力を取り戻す。自分たちの長を人質に取られては、それまで勢いのあった綿津見の軍勢も自由には動けない。
次々に捕らわれ、捕縛される。綿津見の妃も同様だった。
「王子!」
菊池比古の声に、軻遇智は唇を噛み締めた。
敗将となった彼に残された選択肢は、三つ。このまま捕らわれ、処刑を待つか。敵の手にかかることを拒み、自ら死を選ぶか。或いは……
「引くぞっ、菊池比古!」
軻遇智は、那岐王に背を向けた。彼は、最も屈辱的な選択肢を、逃亡を、選んだ。
「撤退だ! 撤退だっ! 南軍は、全力で逃げろ――っ!!」
菊池比古が追撃を防ぎ、自らも左手で剣を振るいながら青年は叫ぶ。
部下たちの無事を祈りながら――しかし、はたしてどれだけの味方が生き残り、その声に答えただろう。それでも、軻遇智は走った。どれだけ屈辱的でも、どれだけ無様でも。
「軻遇智の王子を追えっ! 決して逃すな!」
赤い血の跡が右腕を滴り、床を濡らす。その軌跡を、武器を手にした王宮軍が追走する。
己のために失われた多くの生命を悔やみながら、軻遇智は夜の帳の中をただ走り続けた。




