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――物心ついた頃から、罪の子だと蔑まれてきた。
呪われた言葉を吐きつけるのは、専ら、母親の違う異母兄たちだった。
すでに成人し、所帯を持つ兄たちは、軻遇智などまるで存在しないかのように無視を決めていた。
だが、それならまだ良かった。最も悪質だったのは、年の近い、まだ十代の異母兄たちだ。彼らは四、五人で幼い軻遇智を取り囲んでは、石を投げつけ、時には木の棒を掲げ、痣が出来るほどの力で殴ったり蹴ったりを繰り返した。
けれど、彼らの背後にあるのはその母親たちの、軻遇智と伊那美に対する侮蔑だ。美しく飾り立て、袖の下で優雅に笑う父の妃たちは、小鳥のようだと例えられる声で、親子への呪詛を吐き続けた。無邪気で、それゆえに残酷な子供たちは、彼女らを真似るように軻遇智を見下す。
その現状を、後宮に侍る人間はみな、見て見ぬふりをした。よくあることなのだ。きっと、母がニギの後宮で幽閉されたときも、同じだったに違いない。
王である父でさえ、母子を救ってはくれなかった。
あの腐りきった世界で、軻遇智に手を差し伸べてくれたのは、ただひとり――。
「――伊那美っ!?」
那岐王の叫びに、刹那、軻遇智の理性が戻る。
しかし、既に振り下ろされた軌跡は、彼女の背を容赦なく抉った。うっ、と苦悶の声が漏れる。
「っ、母上!」
「伊那美っ、何故そなたがここに!」
自身を庇うように飛び込んで来た異母妹の身体を受け止め、那岐王は悲痛の声を上げた。
本来ならば、療養を申しつけられた彼女は、この宴には欠席するはずだった。後宮に設けられた自室で静かに眠り、宮殿の騒ぎを聞いた侍女たちにより避難させられているものだと、誰もが信じていた。
「あに、おぅ……ごぶじ、……で……」
切れ切れの息を溢しながら、伊那美は那岐王の姿を認め、心からの安堵に微笑んだ。その肩口からは、夥しいほどの生命の赤が流れ出る。
「ははうえ、……どうして……」
母親の血に濡れた剣を片手に、軻遇智は呻いた。
「……どうして、王を庇うのですか」
声が、掠れる。
開いた瞳孔が、焼け爛れるほどに熱い。
「かぐ、ち……」
「王は、あなたたちを救ってはくれなかった」
漆黒に映る現実を否定するように、軻遇智は恨み言を問いかけた。
憎悪の眼差しを向けられると分かっていながら、有力氏族たちの娘を押し退け、曰くつきの彼女を大后に据えた。その長年の心労が積り、伊那美は倒れた。
さらに那岐王はひるこを奥宮へと幽閉し、彼女から永遠に太陽の輝く世界を奪った。
「母上やひるこが苦しんでいても、手を差し伸べてはくれなかった! 追い詰めてきた! それなのに――っ!!」
「ちがうわ、軻遇智……」
伊那美は、ゆるゆると首を振った。
霞んでいく意識の中、罪濡れた我が子の姿をしっかりと見つめる。
「苦役を望んだのは、わたくし……兄王と共に、苦しみを分かち合いたいと願ったのは、わたくし自身、なの……」
ひゅぅ……と、彼女の喉が苦しげに空気を吐き出す。それでも、伊那美は揺るぎない眼差しで言葉を紡いだ。
「わたくしは……、王を恨んだことなど、……一度も、ありま、せん」
「っ」
その答えに、軻遇智は茫然と立ち尽くした。怨恨に燃えた瞳は急速に熱を失っていく。
「……それ、なら」
ぐらぐらと、彼の意思を支えていたものが揺れ惑う。復讐の意義は否定され、崩壊の音を立てて崩れ落ちる。
「それなら、わたしの十数年は、何だったというのですか……?」
物心ついた頃から異母兄たちに虐げられ、その理不尽さを呪った。母や姉を、そして自分を救ってくれない父を恨み続けた。
――その怨恨は、一体、何処へ向かえば良いのだろう。
まるで、迷い子のようだ。
帰り道が分からず、軻遇智はひとり途方に暮れる。
「かぐ、ち……」
伊那美は、力の入らない手を軻遇智へと伸ばした。
けれど、その手が触れるよりも先に、甲高い女の声が彼を突き刺した。
「これは、傑作ね! 父殺しだけではなく、自ら母殺しの罪まで被って下さるとは!」
振り返った軻遇智の目に、涼しげな青が映り込む。しかし、その女の姿を認め、青年は苦々しく顔を歪めた。
「裏切ったか、綿津見……!」
彼女の前には、甲冑をまとった兵たちが列を成していた。彼らは一様に剣を構え、殺気だった眼差しで敵と対峙する。
それまで、宮廷軍に向けられていた攻撃は、那岐王と、そして協力者であるはずの軻遇智へと向けられていた。
「裏切る? 始めから、姫族風情と馴れ合う気などありませんでしたわ」
軻遇智が吠えれば、綿津見の女はふんと鼻を鳴らした。
「軻遇智の王子は謀反を起こし、王と大后はその刃に討たれ……けれど、先王を殺した罪深き叛逆者は、綿津見の王子によって正義の制裁を受けるのです!」
戦場には不釣り合いな、鮮やかな紺碧の袖で口許を覆い、彼女はうっとりとした口調で未来を謳う。
「そして、祖国に平和をもたらした英雄は、新たな王として君臨する――綿津見の正統なる血を引く、我が御子が!!」
それは、一族の宿願。彼女が思い描いた内乱の全容。
「……肝心の海理はいませんが、綿津見が制すればなんの問題もありません。真実は、勝者が創り出すものなのですから」
これで筋書き通りと、妃は笑った。炎と悲鳴と鉄の匂いに満たされた部屋に、彼女の嬉々とした声が響き渡る。
「さぁ! 王共々、邪魔者は全て殺してしまいなさい!」
紺碧がゆっくりと掲げられ、そして見えない糸を切るように振り降ろされる。
綿津見の軍勢が、雄たけびを轟かせた。




