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火恋―カレン―  作者: 白藤宵霞
第五章 朱を灯す
22/33

 太陽が沈むと共に、宮の内は闇が忍び寄る。それを打ち払うように、女たちの歌声が、鈴の音に共鳴した。その規則的な音色に合わせて、真白の装束をまとった沫那美が、ゆっくりとした動作で火を灯していく。それはまるで、天に輝く太陽のように大広間を隅々まで照らし出した。

 全ての火を灯し終えると、彼女は玉座へと侍り、頭を垂れた。那岐王が、榊で出来た冠を今宵の巫王へと捧げる。

「――巫王よ、どうか(あめ)の下に恵みの雨を。豊穣の雨を」

「――我らが王よ、偉大なる治天の君よ。彼方より黒雲を招き、大地を潤す慈雨を奉りましょう」

 王の奏上に、沫那美は凛とした声で答えた。

 緊張を孕んだ横顔を、灯明が濡らす。滝のように流れる黒髪に、榊の濃緑が映えた。

「恵みの雨を奉らん……」

「豊穣の雨を奉らん……」

 巫女たちの声が、楽器のように音律を奏でる。

 舞姫の袖は翻り、宙を優しく愛撫する。風を孕み、裳の裾が大きく広がっては白い軌跡を生み落とした。

「畏み、畏み申さく……」

 憂いるような眼差しが、天に雨を乞う。舞の動きに合わせ、右手に持った鉄鈴が、ちりぃ……んと涼やかな音を立てた。紅を刷いた唇から零れる祝詞は厳かに、神への言霊を謡う。

「美しいですな……」

「姫長も、あのような後継を持って、さぞ鼻が高いでしょう……」

 重鎮たちの間からも、感嘆の声が上がる。

 陽衣奈も、その姿をうっとりと眺めた。悠月も小さな歓声を上げる。

「沫那美さま、きれいだね」

「えぇ、本当に……」

 姫族である彼女が、イザ一族の祭事で舞姫を務めることはほとんどない。陽衣奈も、彼女の舞を見るのはこれが初めてだった。しかし、それは当初の不安など微塵も感じさせないほどに、人々の心を奪っていった。

 やがて、太陽の恩恵と雨の恵みを乞う舞が終わると、沫那美は静かに舞台から下りた。その背に、溢れんばかりの賞賛の手拍子が送られる。

「いよいよ、海理さまの出番ですわね、姫さま」

「はしゃぎすぎよ、真咲……」

 傍らに控えていた真咲が、興奮気味に耳打ちする。そんな彼女を口では嗜めつつ、陽衣奈もまた、胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。

 そのとき、女たちの席から、小さな歓声が上がった。

(海理……)

 その視線の先を辿れば、異母兄たちの姿が映った。

 祭祀の中でも特に重要な夏至の祭とだけあって、奏者は那岐王の御子たちで構成されている。そのほとんどが、母方からも祭祀一族の血を引くだけに、才能の差はあれど、王子の多くが何かしらの楽器を奏でることが出来た。(うたい)は、神と人とを繋ぐ交信手段だ。巫女の神降ろしにも、楽の音は重要な力を発揮した。

 琴を携えた海理の他にも、土器に皮を張った打楽器や、石製の笛を持つ王子たちの姿もあった。言祝ぎ歌を歌うものも控えている。

「今宵の剣舞は、十一の兄上さまと……」

「まぁ、珍しい。五の兄上さまも舞われるのね」

「あら。でも、五の兄上さまも舞がとてもお上手なのだと、義姉上さまたちが仰られていたわ……」

 沫那美と入れ替わるように、ふたりの男が舞台へと上がる。鮮やかな朱色の装束をまとい、大振りの太刀を腰に佩いた彼らは、今宵の剣舞を務める軻遇智と五の兄である。ふたりは舞台の中央まで来ると、互いに背を向け、顔の前に剣を構えた。それぞれの息を合わせるように、静かな呼吸が何度か繰り返される。

 長身のふたりが肩を並べると、それだけで人目を引いた。沫那美の奉納舞の余韻に浸っていた会場が、彼らの呼吸に合わせ、しん……と張り詰めた空気に包み込まれる。

 その緊張を打ち崩すように、舞手が最初の一歩を踏み出す。装束の朱が風を孕み、ぶわりと宙を嬲った。

(……炎、みたい)

 脳裏に浮かんだ自らの言葉に、陽衣奈は無意識に肩を震わせた。正体不明の悪寒が、少女を苛む。

 しかし、陽衣奈がその糸口を掴もうとした刹那、甲高い笛の音が部屋に響き渡った。

「始まりましたわ、姫さま……!」

 真咲の歓声と共に、力強い奏楽が空気を打つ。

 王子たちは各々の楽器を手に取り、或いは朗々とした声を張り上げ、剣舞を盛り上げた。

 大地を震わす打楽器の音、流水の如き笛の音律、張り詰めた凍月(いてつき)を思わせる琴の囁き。

 謡に合わせて剣が宙を斬る度に、観客席から興奮の声が上がった。宴の雰囲気と振る舞われる美酒に、早くもほろ酔い気味の臣下たちは、陽気に鼻歌を歌い始める。

 篝火に煽られ、木目に伸びた影も熱狂的に踊る。女たちの髪飾りが喜びに震え、星屑に似た煌めきを零した。

 終盤に近づくにつれて、舞は激しさを増していく。笛の音は最高潮を奏で、甲高く啼いた。その断末魔を受け、舞人たちが大きく袖を翻す。

 手にした剣の白銀が閃き、袴の足結あゆいが飛び跳ねる。

 一糸乱れぬ足踏み、雄叫びに似た言祝ぎの歌。そして、軻遇智が一際、大きく放った鋭い切っ先が――相手の喉笛を、掻き切った。

「――っ……!?」

 刀剣を握り締めたまま、声もなく、五の兄が後方へと倒れる。その心臓に、血に濡れた刃が容赦なく振り下ろされた。

「……」

 一瞬の、静寂。

 驚愕に見開かれた、大男の瞳孔。

 倒れた肢体から広がる、夥しいほどの赤。

 その光景を冷ややかに見下ろす、軻遇智の、底無しのような黒い瞳……。

「っ、きゃああああああぁ――っ!!」

 女たちの悲鳴が響き渡る。それを合図とするように、大広間は混乱を極めた。

 人々は逃げ場を求め、我先にと出口へと向かう。喜ばしい宴の雰囲気は、瞬く間に阿鼻叫喚へと塗り替えられた。


――戦が、起こるかも、しれません。


 そのとき、陽衣奈の脳裏に浮かんだのは、張政のあの言葉だった。

(……軻遇智の兄上の、内乱)

 災厄は、外からもたらされるのではなかった。この国の内側から、もたらされるものだったのだ。

(夢見が、現実になってしまった?)

 その事実に、忘れていたはずの恐怖がせり上がる。

 鼻をつく血の匂いに、陽衣奈は嘔吐感を必死に呑み込んだ。彼女の面差しは、いつかの夏の日のように青ざめていた。

「ひ、姫さま……」

「……っ、大丈夫よ。……それより、わたしたちも避難しないと……」

 何故、軻遇智が乱を首謀したのか、陽衣奈には見当もつかなかった。

 けれど、目の前の惨劇は紛れもない現実だ。今はただ、自分たちの身を守り、逃げ切ることが優先された。

「……悠月。わたしの手を、離しては駄目よ」

 姉の言葉に、悠月が頷く。

 その手を、陽衣奈はしっかりと握り締めた。震える掌が少年の恐怖を伝える。真唯たちの表情にも、隠しきれない不安が浮かんでいた。

 しかし、だからこそ、陽衣奈は気丈に顔を上げた。姉として、主人として、陽衣奈が弱音を吐くわけには行かなかった。

 たとえ、泣き叫びたいほどの恐怖に晒されていても。

「……行きましょう。真唯も、真咲も、わたしを見失わないで」

「はい」

 幼い弟を庇いながら、陽衣奈は侍女たちと共に外を目指した。

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