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ほとほとと、明かりの侘しい道を歩いていく。
多くの人間を内に孕んだ後宮も、夜更けともなれば、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。月は雲に隠れ、影さえ呑み込む深い闇が広がっている。
(……どうすれば、救えるのか)
軻遇智は、心の中で何度もその言葉を繰り返した。
実をつけぬ、徒花になりたいと願った異父姉。その血筋ゆえに、自ら生贄となることを選んだ愛しい花。
腕に有り余るそのか細い身体さえ、この手は支えることが出来ない。救うことが、出来ない。
(何もかも、仕方のないことなのか? 父上の仰るように、このまま見捨てるしかないのか……?)
噛み締めた唇から、鉄の味が口内に広がる。
ままならぬ想いに、彼は両の拳を血が滲むほど握り締めた。奥底に潜んだ優しさが、彼の良心を苛む。
(わたしは、やはり無力なのか……?)
そのとき、彼の俯いた視界の端に、強烈な赤が映り込んだ。
「軻遇智さまと、お見受けします」
「……誰だ」
軻遇智が顔を上げると、そこには紅花染めの裳を穿いた見知らぬ女童の姿があった。しかし、まだ幼げな風貌の少女は、青年の問いには答えずにただあどけなく笑った。
「ある御方からの、言伝でございます」
そう言って、少女はひとつの書簡を恭しく捧げた。
彼女の視線に促され、軻遇智はそれを開く。
そして、黒々とした墨で記された提案に目を眇めた。凍えた指先が、奇妙な熱を帯び始める。
「お返事は、その場で頂くようにと」
「……なるほど」
少女の言葉に、軻遇智は短く笑った。
(わたしは、一体、何に抗っていたのだろう。……答えなど、こんなにも簡単なことだったのに)
ほとり、ほとり。
理性の箍が、音を立てて崩れていく。その口の端には、悲しい自嘲の笑みが浮かんでいた。
「……良いだろう。その、ある御方とやらに伝えよ」
正面から軻遇智が訴えたところで、父に伝わることはなかった。どれだけ正義を翳しても、矛盾した世界では、それは何の効力も持たなかった。
圧倒的敗北が、優しすぎる青年を蝕む。
(ならば、わたしが変えてやる。……この腐りきった国を、根本から)
現状を変えるには、自らがこの国の中枢を壊すしか道はない。それしか、方法は残されていなかった。だから。
「父の政は間違っている。だから、再び、わたしたちの手で起こそう。――倭國大乱を」
そして、沫花を。ひるこを。大切な花たちを。
この理不尽な檻の中から解放する。
――そのためなら、わたしは父殺しの罪人にだって、なってやる。




