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気だるげな意識に、ぱらぱらと雨の音が染み渡る。
灯りの消えた闇の中、鼻腔を撫でる甘い香りは梔子の香りだろうか。褥の中に身を横たえていた陽衣奈は、ぼんやりとそんなことを思った。
(懐かしい……)
村にいた頃は、秋になると熟したその実を用いて、母と揃いの帯を染めたものだった。梔子は、染料だけに留まらず、怪我をしたときの薬草としても重宝される植物だ。
よく晴れた日は、母に手を引かれ、お手製の籠を持って薬草摘みに興じた。村巫女である母は、誰よりも上手に草木を見つけ、誰よりも正確に空の色を読んだ。その知恵は、今でも陽衣奈の身体に、優しい記憶と共に刻み込まれている。
(母さま……)
鼻をすんっと鳴らし、陽衣奈は込み上げた感情を宥めるように枕元へそっと手を伸ばした。
ころんとした丸い形を、指先で確かめる。彼女が触れると、それは乾いた音色を薄闇に奏でた。
小さな花の形をした土鈴は、楽器の一種であると共に、魔よけのまじないでもある。陽衣奈にとっては、母が形見に残した「お守り」でもあった。
室内に転がる鈴の音に、不安に押し潰されそうな胸の内が、少しだけ解れた。
先日、占卜の結果を「戦の兆し有り」と読み解いた張政は、それを他言しないようにと、少女にきつく釘を刺した。
『わたしも、微力ながら、手を尽くします……ですから、陽衣奈殿。あなたも、どうかお心を、惑わせぬよう……』
その言葉に、陽衣奈はただ頷くしかなかった。
どうにか張政へ別れの挨拶を告げ、鳴り止まぬ警鐘と恐怖を抱えながら帰路についた。だが、そんな少女を嘲笑うかのように、俄かに曇り始めた空からは雨が降り出し、容赦なく彼女を打った。占の衝撃のせいで、走る気力さえ残っていなかった。
宮殿へと辿り着く頃には、その身体はすっかり濡れてしまった。四肢の震えは止まらず、前髪は濡れて額に張り付き、顔は真っ青になっていた。いつものように物見櫓の上で暇を潰していた掖邪狗に、抱きかかえるようにして部屋へと運ばれた陽衣奈は、そのまま熱を出して寝込んだ。
「……海理、逢いたい」
弱った心は、与えられるぬくもりと優しさを欲し、彼の名前を呟く。
声が、掠れる。全身が、切ない渇望に疼いた。
「あいたい、わ……義兄さま」
近頃、父の宮殿は少し落ち着かない。噂好きの真咲によれば、大后である伊那美が療養を余儀なくされ、その代役に沫那美が選ばれたらしい。後宮内の張り詰めた空気も、きっとそのせいだろう。
夏至の祭を間近に控えた宮廷は、ただでさえ普段とは違う慌ただしさに包まれている。義兄も王子として多忙の身であるため、なかなか逢えずにいた。……幼い頃ならば、寝込んだと聞けばすぐに飛んできて、陽衣奈が眠るまでその手を握りしめてくれていたのに。
(……夏至が終わったら、また一緒にいられる時間が増えるかしら……)
募る不安と我侭を紛らわすように、愛しい面影を脳裏に描き、再び瞳を閉じる。梔子と、雨の匂いが一層強く立ち昇り眠気を誘う。
――からん……。
少女の寝息に、密やかな鈴の音が重なった。




