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臣下の間に思わぬ衝撃を与えた巫王の代役であったが、沫那美は恙無く日々の勤めを遂行していた。それには、当初、難色を示していた臣下たちも賞賛の意を伝える他なかった。
しかし、一度、燻った火種がそう簡単に消えることはなかった。それは目に見えないからこそ、確実に周りを巻き込み、やがて大きな火の花を咲かせる。
「王は、何処まで我々を愚弄する気なのですっ!!」
人払いをした部屋の中、綿津見の娘は、苛立ちをぶつけるように目の前の人物を睨んだ。だが、その男は彼女とよく似たつり目を細め、笑みさえ浮かべてみせた。
「そう当たり散らすものではないよ、妹殿」
余裕綽々に答えるのは、老いた父親に代わり、綿津見の一族の実権を握る男――兄である。彼にとって、同腹の妹の癇癪は小指の爪で軽く引っ掛かれた程度の痛みでしかなかった。そのことを分かっているからこそ、彼女の苛立ちは余計に高まった。
「どうか、機嫌を直しておくれ、麗しき妹殿。わたしが悪かったから」
「よく仰いますわ。少しもご自分が悪いなどとは、思っていらっしゃらないくせに」
口先だけの謝罪の言葉に、綿津見の女はぷぃっとそっぽを向いた。
しかし、そんなやりとりは長くは続かない。所詮、彼らにとって、それは挨拶にしか過ぎなかった。
ジジッ……。横顔を照らす明かりが揺れたのを合図に、男の瞳から軽薄な色合いが消えた。
「そういえば、知っているかい? 軻遇智の王子は、王のこの度の決定に不満があるらしい」
「……どういうことです、兄上?」
それまでの癇癪を潜め、彼女は兄の顔を凝視した。
膝を詰め、内緒話をするように男が囁く。
「朝議のあと、単身、王に詰め寄ったそうだよ。……生憎、姫長に打ち負かされてしまったようだがね。随分と、悔しい思いをしたのではないかな」
「……ふん。本当に忌々しい女ですこと」
姫長の名に、女は眉間に皺を寄せた。
若くして当主の座を継いだ王女は、異母兄である那岐王や同じ七代からの信頼も厚い。勝ち気で、聡明すぎるこの女傑は、綿津見の娘が最も嫌い、そして苦手とする人物でもあった。
「……兄上、妾に良い考えがございますわ」
「ほぅ?」
だが、彼女は突如、その不機嫌顔を綻ばせた。
赤い唇に浮かぶ笑みは、男よりもずっと艶かしく、そして毒々しい。
「と、言うと?」
「あの姫族の息子と、手を組んで差し上げるのです」
誰よりも嫌悪する一族の名を呟くその表情は、けれど、今だけはひどく甘やかにさえ見えた。
そんな彼女の次の言葉を、男は逸る気持ちで待った。一族の実力者として采配を奮う兄以上に、彼女は恐れ知らずで、そして小賢しい。もしも弟として産まれていたならば、必ずや彼の存在を脅かしたであろうほどに。
「王には、位を退いて頂きましょう……この国が、正しくあるために」
女の囁きに、灯台の明かりが不安げに揺れた。




