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火恋―カレン―  作者: 白藤宵霞
第三章 火種
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 一方、沫那美の代理に不満を持つ者は、何も他氏族だけではなかった。

「――お待ち下さい、父上っ!」

 宮殿と主祭殿とを繋ぐ外廊に、青年の声が響き渡る。

 その声に、那岐王に付き従っていた姫長は怪訝そうに振り返った。荒い足取りでこちらへやって来るその姿を認め、彼女は口唇を開く。

「軻遇智殿……」

「良い、姫長」

 しかし、それ以上の言葉を王が制した。

 それに応え、渋々ながらも彼女が後ろへと下がったのを見届けると、那岐王は青年を一瞥した。

 彼らに追いつき、臣下としての礼を取る軻遇智へと向けられた眼差しは、何処か冷めていた。

「……何用だ、軻遇智」

「畏れながら!」

 その語感はこの青年にしては珍しい激情を孕み、黒い双眸は怒りの陽炎を揺らめかせていた。

「父上は、何故、この度、母の代役に姫族の沫那美を立てたのですか」

「……何故、とは?」

「っ、イザ一族ではない彼女を推せば、姫族へ不満が向かうのは明らかではありませんか……!!」

 素気ない父の返事に、軻遇智は感情に震える声で訴えた。

 現在、イザの祭事を司る伊那美は、謂わば「巫王(ふおう)」としての性格を持っている。夫である那岐王が政務を、后である伊那美が祭祀を執り行うことで邪馬台國を治めてきた。

 巫王である彼女は、日々の祈祷や季節の節目に行われる祭事を司るだけではなく、国の一大事には託宣を受けるという大役があった。それだけ、背負う責任や重圧は大きくなるが、逆に言えば、巫王は「託宣」という名の絶対的な発言力を得ることになる。その決定権は、時として王の勅命すらも凌駕した。

 一時的な代理とは言え、それほどの権力を沫那美に与えれば、他の氏族たちが黙っているはずがない。ただでさえ、小豪族に過ぎない姫族を重用することに不満を抱く氏族は多い。

「軻遇智さま。いくら親子とは言え、王の御前です……口を慎みなさいませ」

 だが、軻遇智の言葉に答えたのは、父ではなく姫長の方だった。

「しかし、姫長さま!」

「あなたに指摘されなくとも、王は全てをご存じの上で決断なされたのです。……もちろん、わたくしも。そして沫那美も」

 静かな、けれど有無を言わせぬ響きを持った声に、軻遇智は瞠目した。

 姫長の言葉を引き継ぐように、那岐王が口を開く。

「王太子が定まらない今、他の有力豪族を母に持つ王女を代役に立てることは出来ない。……託宣と称して、退位に追い込まれては困るのでな」

「だから、姫族に危険を負わせるのも仕方がないと? それでは、まるで……!」

 ――まるで、都合の良い生け贄ではないか。

 喉元までせり上がった言葉を、だが寸前のところで軻遇智は呑み込んだ。それは、父を非難すると同時に、彼女たちを貶める言葉でもあった。

 代わりに、唇を噛み締め、精一杯の苦言を吐く。

「……父上は、姫族に依存している。それが、どれだけ彼女たちを、窮地に追い込むか知りながら……」

「……そうだ、確かにわたしは姫族に頼りきっている。しかし、軻遇智よ」

 男の声が、低く、重く、響く。

 まるで憐れむような瞳が、軻遇智を見下ろす。

「そなたこそ、姫族にこだわりすぎではないのか。沫那美のことも、……白子(しろこ)のことも」

「それは……」

「聞くところによれば、近頃、頻繁に白子の宮に出入りしているそうだな」

 白子というのは、ひるこの通称であり蔑称だ。

 人間離れした真雪のような髪と肌を持つ少女を、人々はその名前で呼んだ。それを嫌った軻遇智が名付けたのが、「日る子(ひるこ)」――太陽を知らない少女が、いつか日の下を何の憂いもなく歩けるようにと、そんな願いを込めた名前だった。

「……あれに、情をかけるな」

 押し殺したような声で、那岐王は軻遇智を咎めた。

「しかし、彼女はわたしの……」

「良いか、軻遇智。これは王としての命令だ。……分かったな」

「っ、父上!!」

 だが、青年が反論しようと顔を上げたときには、既に王は踵を返していた。重たい布地の擦れる音だけが、無情に響き渡る。

(情をかけるな、だと……?)

 引き締まった腕の筋肉が、渦巻く感情に打ち震える。遠ざかっていく背中に向けられたのは、落胆と失望、そして――鮮やかすぎる、憎悪。

(父上は、ひるこを見捨てろというのか――わたしの、ただひとりの異父姉を!!)

 唇を強く噛めば、瞬く間に錆びた鉄の味が口内に広がった。それは気管を伝い、彼の心に消えない黒い染みを落とした。



「――王よ、白子の件は、少しお言葉が厳しすぎるのでは」

 軻遇智を顧みようともしない王に、姫長は責めるように声を落とした。

 彼女の問いかけに、那岐王は苦渋の息を吐いた。ゆっくりと、首を真横に振る。

「……あれで良いのだ。いくら異父姉とはいえ……いや、異父姉だからこそ、近づきすぎてはいけない」

 ふと、目に留まった庭先の花橘を、控えていた衛士に命じて取らせる。

 捧げられた純白の花に、奥宮に秘された少女の髪色を重ね、そして後宮の一室で待つその母后を思った。過去の傷跡が苦々しい痛みを伴って疼く。

「情をかけたところで、最後に傷つくのは軻遇智の方なのだから……」

 老いた掌の上で、穢れを知らぬ花びらが無邪気な芳香を放った。



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