ー中ー
ダッと一斉に走り出す。限界まで溜めた力を一気に足裏へと送り込み、勢い良くスタートをきる。そしてすぐにもう一つの足を地面に着地させる。それを何度も繰り返す。ひたすら3000Mその繰り返し。
そう思えば楽に思えるかもしれないが、想像以上に過酷なものだ。
なんてことを考えてる余裕もない。くそっ、少し出遅れた。
短距離はスタートダッシュが命だ。コンマ一秒でも相手より遅れたならそれは負けたも同然だ。よほど自分のスピードに自信があるなら後半の加速で盛り返せるが、それはまた別の話だ。
しかし、長距離はたとえスタートダッシュが遅れても長いレースの中でいくらでも挽回できる。
まぁ、スタートダッシュが速い方がもちろんいいし、何より位置取り争いに負ける。
できるだけインコースの方が楽だしやっぱり前の方がいい。
「一組は28人だね」
「そんなもんか」
「あれ、驚かないのか」
寺井は意外だという顔をする。
兄貴の試合を観に小学校の時から行ってるから人数はそれぐらい知ってる。最初はすごい多いななんて思ったけどな。
「何位目指すのさ」
「記録会なんだから順位なんかどうでもいいだろ」
そんなの気にする余裕もないだろうし。
「でも順位は気になるだろ」
「そうか?」
気にならないというのは嘘になる。やっぱり少しは意識する。
けど記録会だから全力で走ればいい。何位までは決勝にいけるとかそんなのないから最初から全部出しきればいい。相手の揺さぶりやかけ引きがないからその点は楽だってよく兄貴が言ってた。
全力、か。
7週半の長い旅で最初から全力なんかだしてたら後半ばてる、絶対に!!
後ろを振り返りたい。自分は今どこらへんか。けどこわい。自分が一番最後尾だったら?
だから見ない。前のやつらのゼッケン番号を睨み、走る。追いかける。捉える。そしてかわして抜かす。また追いかける。捉えて抜かす。
一人、また一人と着実に抜かしていく。ゆっくりと抜かしていく。
そういうふうに走っていると1000Mを通過した。
通過タイムは-3'05
悪くないのか?初めて走るからタイムなんてわからない。だから兄貴のタイムと比べるしかない。けど兄貴はなぁ、速すぎてイマイチよくわからないんだよな。
残り2000Mもこのペースでいけば9'15だから円照寺のやつのタイムより速い。
いけるんじゃねぇか?少し楽しくなってきたかもしれない。
けど、そんな簡単にうまくいくわけない。
陸上部でもない俺は練習なんかもちろんしてない。
ただただがむしゃらに走っているだけ。
だから同じペースを保つなんてことは陸上部より劣っているわけだ。
つまり。ペースは確実に落ちていた。
息が荒くなる。さっきまで動いていた足はどんどん鉛かたまってくように重くなっていく。腕が痺れる。肺が痛い。喉から血の味がする。
どんどん、どんどん、重くなっていく。
何故だ。何故だ。さっきまであんな動けていた。走れていたのに。
さっきまでとは全く違う感覚で400Mトラックを走る。残り何周か確認する。
「・・・・・・嘘だろ?」
確かにそこには3という文字が書かれていた。
こんな状態で残り1200Mを走るのか?
無理だ。無理だ。無理だ。もう既に肉体は悲鳴をあげているのだ。
それなのに、まだ3周も走れというのか。
少しでも、楽しいと思ったからなのか。やっぱりここは苦しいんだ。そんな簡単に走れるわけない。
そんなことわかっていたはずだろ?なのに何故少しの期待を抱いた。期待なんてこれっぽっちもしてはいけなかった。
俺はなんのために走っているんだ?この世界から逃げるためだろ?
さっきまでの俺はどこに向かおうとしていた?ゴールか?3000M先か?
無様に逃げてるんじゃなかったのか?
過去の俺は今の俺を逃がさない。どうしてそう楽に走っているんだと追いかけて捕まえてくる。
許さない。許さない!!と追いかけてくる。
足がほとんど動かなくなる。鉛はもうどこまでたまったのだろうか?
さっき抜かした奴にどんどん抜かれていく。
遠くで寺井が叫んでいるけど何言ってるかわからない。
意識が飛びそうだ。こんなに苦しいなんて・・・・・・
もう嫌だ。やめたい。
一周差になる。ちゃんと走れてるかどうかもわからない。逃げたい。逃げたい。今すぐこの足をとめたい。
けど、今日ここに来たのは走ろうと思ったからだ。
自分を変えようと思ったからかもしれないから。
もう苦しくて狭い世界で生きていくのは嫌なんだ。
兄貴の罪は一生背負う。でも、やっぱり走りたいんだ。
残り一周の鐘は聞こえなかった。けど走り終えたんだってのはわかった。
死ぬようにどさっと倒れた。
寺井が駆けつける。
「なぁ?走るって、さ、辛いよな」
「でも走った」
「止まるわけにはいかねえだろ」
タイムは11'07だった。1組とは思えないタイムだ
。
周りからは好奇な視線を浴びる。そりゃそうだ。
遅い奴が1組なんか走るなってのが言わなくても伝わってくる。でも先生は、よく走ったと褒めてくれた。
「駅伝は走るけど、部活には入れません」
次の週の月曜。いつもどおりグラウンドに引きずられた俺ははっきりと言った。
「駆流の好きにしたらいいよ。駅伝にでてくれるだけで充分さ」
「ダメに決まってるでしょ。貴方は私がみっちりと教えてあげるわ。だいたいこの前の試合の結果でわかったはずでしょ?」
と、まぁ、二人の意見は全く違う。
「俺は今まで以上に走ります」
「ペースもわからずに我武者羅に走る気なの?それじゃあ駅伝も失敗するわよ」
「失敗しない」
「言い切るわね」
「速くなる根拠はあります」
それは、気持ちだ。
「精神論で走れるほど、甘くないわよ」
「兄は気持ちで走ってました」
力があるからだ。先生の言うとおりだ。
兄貴は速い上に気持ちが強かったからだ。
俺は速くもないのに、気持ちで走るとか言ってるだけだ。馬鹿らしい。アホとしか言い様がない。
「なぜ部活には入らないの?」
「嫌だから」
「理由になってないわ」
一人で走りたい理由はそんなんじゃない。
怖いんだ。俺がこの部活に入っていいのか。拒絶されそうで。先生も寺井も、あんなこと言ってるけどほんとは思ってもないかもしれない。後輩もきっとそうだ。
それに、やっぱり未だに兄貴に対して申し訳ないと思う。
まだ俺は逃げてるんだ。
「怖いんです・・・・・・」
俺は本当のことを打ち明けた。
走ることが怖いということを。兄貴の事故がトラウマじゃないことが。走ることが辛いんじゃなくて、走れないことに苦しみを感じてるんだって。
本当は、走りたいんだって・・・・・・
「だから部活には入りたくない。でも、俺は、走りたいんだ!!もうこのトラウマから抜け出したいんだ。走ることが楽しかったあの日に戻りたいんだ。でも一人じゃまた苦しくなる。逃げ出したくなる。だから俺を助けてほしいんだ」
わがままな話だってのはそんなのわかってる。
けど、
「苦しんでる生徒を助けるのが先生ってもんでしょ」
「助け合うのが友達さ」
なんて言ってくれるんだ。
後輩たちもその言葉にゆっくりと、深くうなずいてくれる。
兄貴に許してほしいなんて思わないし、あの日のことをわすれたわけじゃない。
でも、兄貴と走っていた日のことも忘れられない。
兄貴。俺はもう一度走り出すよ。もう逃げない。
走ることは苦しいことじゃないんだって自分にわかってもらうよ。
「こんなに朝早くから走るなんて珍しいわね。いつもは夜走ってるのに」
日曜日の朝、肌寒いが空はよく晴れている。
「母さん」
今日は駅伝地区予選。
「ん?どうかしたの?」
よく眠れたからか、体はとても軽い。
「俺、走ってくるよ。いってきます」




