伍
夕刻。
橙色に世界が染まる中、糸問屋三藤屋の主人、佐太郎の用心棒として橘 幸嵩と駒木 源十郎の二人は三藤屋と荷物をしっかと抱いた用人を前後で挟むようにして目的地である川手町の料亭、御納屋への道を歩いていた。
幸嵩は用人が持つ風呂敷包みをチラと見て、以前話に出てきた【化糸】なのだろう。ゲーム【和風なファンタジーでござる】の中ではそれほど希少というわけでもなかったはずだが、素が素なのだ、恐々ともするのだろうな、と内心で独り言ちた。
「あの角を回った先が御納屋さんですよ」
三藤屋の声に導かれた先には、竹垣に囲まれた屋敷。そして、その入口にボンヤリと灯る屋号『納屋』の入った大き目の提灯。
のれんを潜り、よく手入れされた前庭を抜けると店の者が数人出迎えに待っていた。仕立ての良い着物と落ち着いた雰囲気からして二人は、この料亭の主人に夫人。他はそれに客の来訪を見張っていた女中達であろう。
「ようこそいらっしゃいました、三藤屋さん。先方はまだお見えになっていませんよ」
「おぉ、そうですか。良かった、お待たせしたとあっては大事ですからな。今日はお世話になります」
三藤屋は、元より御納屋の主人と面識があるらしく軽く挨拶を済ますと、幸嵩たちを紹介し先方が来るまでに軽く腹拵えに何かを出してくれるように願い出た。
そうして座敷に通された幸嵩たちは膳を前にして箸を伸ばす。特に荷物持ちの用人は普段食べることのない手の込んだ料理に目を輝かせながら舌鼓を打っていた。
「さて、食べながらで構わないのですが」
そう前置きを言うと三藤屋は口を開いた。彼は、この後の商談に気もそぞろなのか、それとも緊張しているのか一向に箸が進んでいない。
「商談中、駒木様と橘様のどちらかお一人は誰も近づかぬようお部屋を守っていただきます。」
「ああ、これは向こう様の方もお見えになるでしょうからご一緒にとなるでしょうな。それで、もうお一方はここで待っていただき、時折交代ということで。その辺りはお二人にお任せしとうございます。」
「そうですなぁ……話は一刻(およそ二時間)程はかかるでしょうか?」
「ああ、そうだ。三太、お前は商談の間、ここで待っているように。いいね? 御納屋さんに頼んでお茶でも出して貰うから」
相変わらず他人に口を開く間を与えぬ、息も切らせぬ勢いの三藤屋に幸嵩と駒木が頷き、荷物持ちの用人の三太は返事をしようと口に放り込んでいた魚をやっとのことで嚥下し、はいと頷いた。
丁度その時、廊下に人の気配が立ち声が掛かる。御納屋の主人のものだ。
「三藤屋さん、失礼します。お連れ様がお待ちです、ご案内いたしましょう」
「おお、それは。では、橘様、駒木様参りましょう。三太、戻るまでおとなしくしておくように」
そう促されては箸を置かないわけにはいかず、幸嵩は少々名残り惜しげに腰を上げた。
◇
御納屋の後ろに付いて行くと、屋敷の一番奥まった場所へと続く渡り廊下のところに二人の、月代(いわゆる、ちょんまげ)姿の男が立っていた。
一人はそれなりに年のいった男で、もう一人は幸嵩とほぼ同じくらいの若い男で犬耳をくっつけていた。どちらも身奇麗でどこぞの家に仕えている武士だと一見してわかる。――幸嵩は何処と無くというよりも若い男の犬耳のせいで違和感を拭えないでいたが。
「よう来た三藤屋、ご家老がお待ちだ。佐合、その者等の差配頼んだぞ」
年嵩の男は、佐合と言うらしい若い男にそれだけ言うと荷物を掻き抱いた三藤屋を連れて奥へと進んでいく。
三藤屋は一度後ろを振り返り頭を下げて先に立つ男の後ろを追っていった。この佐合という男の言うこと聞いておけば良いと言うことだろう。
「その方等が三藤屋の雇った用心棒か」
上から下へ舐めるような視線には値踏みの色があった。
その不躾な目に少々癇に障ったが、その理由がわからなくもなかったため幸嵩はその苛立ちを表に出すことはなかった。
「……聞き耳を立てられてはかなわんのでな、奥の警護は我らで請け負う。貴様らは我らの目の届く、少し離れた所にいて貰いたい。―――良いな?」
「……承知」
言葉少なに頷く相棒に合わせ、幸嵩もまた頷いた。
◇
「御家老、三藤屋が参りました」
「そうか、入れ」
訪いを告げる声に部屋の中から返事が返る。
三藤屋は視線を伏せたまま下座へと進み、平伏した。案内した男が座るのを耳で確認しても平伏を崩さず、そのまま。背中に視線を感じつつもしばらくして口を開く。
「三藤屋の主、佐太郎、お約束の品をお持ち致しましてございます」
「ご苦労、三藤屋。面を上げよ」
その言葉に三藤屋が頭を上げると、彼の目の前に老年に差し掛かった侍と黒い――黒装束に黒い手袋、黒い頭巾に黒い仮面、全身黒尽くめの――黒衣が脇にお付の武士を伴って静かに座っていた。
老侍は御家老と呼ばれた通り、この商談相手の藩の家老の一人である脇口左衛門尉永勝。そして今一人の黒衣は話に聞いていた件の要求をしてきた傀儡師なのだろうと三藤屋は当たりをつけた。
その証拠にその者の背後には人が一人入りそうな程に大きな箱、行李がデンと鎮座させ異様を醸し出している。黒衣に行李。伝え聞く傀儡師特有の特徴に合致していたからだ。
「して、早速だが持って来た品を見せて貰おうか」
「はい、こちらに」
脇に避けてあった包みを差し出し、解いていった。中は更に何やら呪いの類いと思われる文様やら文言が書かれた更紙で包まれており、それを開いてようやく目的のモノが現れる。
赤い、どこまでも赤い、血の色を思い起こさせる赤に染まった艶やかで滑らかな糸。その束。
不可思議な陰陽の法術を用いて、この世成らざる妖魅化生から紡がれた妖しの糸。
それが幾本かに束ねられ静かにそこに眠っていた。
「ほう、これが……」
しばし我を忘れたように、それに見入ってしまっていた脇口がやがてハタと己を取り戻す。そして左後ろを見やり、
「―――紋右衛門殿」
「拝見」
家老に促され、ずい、とにじり寄る黒い人物から漏れたその声は、若い女のものであった。それも鈴の音の如くと形容されるような耳に心地良いもの。
傀儡師という生業の性格上、男女の別などはないらしいが、やはり先入観というものがあって三藤屋は少しばかり驚いた。
今一度その黒尽くめの傀儡師を見る。確かに小柄ではあったが、ゆったりとした着物で身体の線は分からず、顔を隠す仮面と髪を隠す頭巾によって一見して女性だなどとは分からない。と、いうよりも人であるという事以外、人相どころか男女の別さえ分からない。
なるほど、徹底的に黒衣、即ち、そこに存在していない者に徹しようとしているのだな、と感心と共に納得した。
「ふむ……」
傀儡師の女は、黒の手袋を脱ぎ肌を露わにする。
一つの束を掬い取るとその細く白い華奢な指で赤い糸を撫で、擦り、絡め、引っ張る。さらさらと指の間を細い赤が流れていく。
女が小さく何事かを口にした。すると化糸は仄かに光を帯び、まるで糸が意思を持ったかの独りでにその形を変えた。
「如何でございましょう?」
本来ならば黙って待つべきであったろう。しかし、三藤屋の性格がここで出てしまう。こらえ性が無いと言う程ではないが、急っ勝ち気味な性格が。
それに対し、チロリと黒い仮面の奥から冷ややかな目が三藤屋を射た。気圧された三藤屋は、うぐとも声に出せず見守るしか無くなった。
そうして、待つことしばらく。
「……どれも良い品かと。こちらがお願いしていた条件を十分に満たしております」
全ての検分を終えた傀儡師の言葉にようやくホっと胸を撫で下ろした。
「それは、良うございました」
「そうか。ならば三藤屋―――」
黙って様子を見守っていた家老、脇口のの声に三藤屋は視線をそちらに向けた。
「この質のものが、用意できる手筈が整ったのだな?」
「はい。左様で御座います。仔細はこれに」
「うむ」
先ほど三藤屋を部屋へと案内してきた中年武士、側付きの男に書き付けを受け取らせた脇口がそれを広げ、目を走らせると少しばかり眉根が寄せる。これからのことを鑑みれば決して高いとは言い難いが安いとは絶対に言えぬ見積もりがそこに記されていたからだ。
脇口は控えていた側付きにそれを渡すとその顔をじっと見つめた。その中年の側付きもまた書き付けを読み終えると顔をしかめ、そして鋭い目を三藤屋へと向けてきた。
しかし三藤屋はそれを平然と受け止める。
武士と商人、膝を詰めての戦いの幕が上がる瞬間であった。
◇
幸嵩と駒木が佐合と名乗る犬耳若侍から警護の持ち場を与えられてから既に一刻(おおよそ二時間)、商談の行方こそは分からないが両者の意見が煮詰まるには十分であろう、と思える頃。
料亭に着いた時には夕闇迫る色を湛えていた辺りは、今ではすっかり夜の帳を降ろし月明かりすら雲に隠して闇色に染めていた。
夜風に当たってというわけでもないが不意のもよおしに幸嵩は佐合と駒木に一言断りを入れてから持ち場を離れ便所へと足を向けた。しかし、不案内な場所。途中、女中に声を掛けようやく場所を見つけて安堵する。
「んふー」
用足しの、開放感に似た清々しさに吐息が漏れる。
ぶるるっ、と瘧のように体を震わせた後、幸嵩は雫を切ると捲くっていた袴の中へ、そそくさと抜身を収めた。
(さ、早く戻んないと。バイト代を減らされちゃ敵わんし)
手を洗いながらそんなことを考え―――彼は弾かれたように上体を自ら反らした。
刹那、カッ!と甲高い音を手洗い場の柱が立てる。そして、ほぼ同時にその音の正体を確かめること無く彼はその場から飛び退った。見ずとも良い。その正体が何であれ、自らを刺し穿たんとする殺気に違いは無いのだから。
そして、その殺気の出処、闇の中の相手へとその顔を向けた。やってくれるなぁ、てめぇ? と。
その瞬間――チリッ!と鋭い痛みが右目と喉に走った。その段になって幸嵩はようやく相手が二手三手先を見越して要るのだと気がついた。
絶妙なタイミングでの追い打ち。すでに殺意の担い手は放たれている。
身を翻し躱す? 剣を抜き、弾き落とす? 否、どちらも間に合わないだろう。ならば――
「?!」
闇の中に潜む襲撃者は、真実、己の目を疑った。
必殺ではなくとも必中だった筈なのだ。棒手裏剣は音も無く獲物の喉に穴を穿つ。その筈だったのだ。
警戒のけの字も見せず、暢気に用を足す図体のデカイ鈍そうなその男が、奇襲の初手から逃れた時には少々目を見張ったが、それでもそれは未だ掌の上。
次の動作のための思考を移し終えた隙、動作の切れ目、しかも目と言う人が反射的に防衛を優先する部位を先に、そして大きく動かねば避けることの叶わぬ体の中心を狙った二手目は免れることなど叶わぬはずであった。
しかし――
棒手裏剣の先が幸嵩の身体に穴を穿つその瞬間。彼の身体がクルリと旋風に巻く木の葉の如く回った。
【転】。この地へと誘われるきっかけとなった過日の奉納演武の際に見せた、その折に師の剣からもその身を守った、師によって仕込まれた術であった。
幸嵩の身体を棒手裏剣がすり抜けるのを目にし、己が失敗を自覚した襲撃者は闇の中より躍り出た。
「賊だぁ! 出合え、出合えぃ!!」
「ッ!?」
ギャン、ギィンッ!と言う金属通しが打ち合わされる音と、怒声が唐突に邸内から聞こえ始める。
その騒ぎに一瞬気を取られた幸嵩を見て好機と捉えたのか、賊は牽制の手裏剣を飛ばし腰の刀を抜いて地を蹴った。
「ハッ、もう隠れん坊は終わりか」
吐き捨てるように言いながら、幸嵩は迫る棒手裏剣を抜いた刀で擦り上げ弾き飛ばす。そして次いで振るわれる刃へとその白刃を振り下ろした。
【落葉】。まるで相手の刃に寄り添うように同じ軌道上に振られた刃が、元々の所有者を押し退けその場所を自らのものとした。
斬ッ
「あっ――」
斬られた。
勢いに押され後ろに倒れながら、襲撃者はそう思った。雲の切れ間から月が見える。月明かりに照らされ、自分を斬った浪人の顔が目に入った。何故か、酷く驚いた顔をしている。そこで気がついた。
―――否、痛みも熱さもない。どうやら相手の刃は届かなかっのだ。すぐさま受け身をとって立ち上がる。
と、同時に闇の中に白い何かが浮かび上がった。
「真逆、女?」
幸嵩の狼狽と唐突に自身の性別を言及されたことに彼女は、訝しんだ。ふと、どうにも胸元が涼しく感じ、チラと視線を胸元へと落とす。
白い、白い、己の柔肌。
見れば服は先の斬撃により斬り開かれ、胸に巻かれていたサラシ布もその役目を果たすこと能わず、両の乳房が惜しげも無く露わとなっているではないか。
「ッ! qws*cfrp@!!?」
衝動的に夜風に晒した胸を掻き抱き、彼女は幸嵩を睨みつけた。彼の視線は未だ自身の胸に固定されたまま。
「こ、こっ、ここ」
「こここ?」
「殺すッ! アンタ絶対殺すッ!」
怒髪天衝。
いや、実際には黒頭巾に覆われて髪の毛が逆立つ様は見られなかったが、彼女の怒りは確かに彼女に我を忘れさせ、その身体を衝き動かした。
せっかく隠した胸元が野放図に揺れるのも構わず目に怒りの炎を宿し、許しも得ずに乙女の裸体を覗き見た不届き者を抹殺せんと走る。
「死ぃぃねぇ!!」
殺った!
絶対、必殺の間合い。どう足掻いたところでこの刃を独活の大木が逃れることなど不可能。死ね!この助平野郎ッ!!
しかし、それは先に焼き直し。彼女の振るった刃は幸嵩を殺すどころか傷つけることすら出来なかった。
くるり、と彼の身体が回ったと思った瞬間、彼女は――
「がふッ」
喉に激しい衝撃を喰らい一瞬意識を飛ばした。が、次の瞬間、細首を掴まれ気道を潰す圧力と息苦しさに意識は引き戻され、どうにかその手の中から逃れようと藻掻く。
すでに喉への衝撃の際に手から刀を放り投げていた。両手で幸嵩の拘束を引き剥がそうとすれど、それも叶わない。
「……裸を晒した程度で取り乱すから、その様だ」
目の前の男の苛立ちと嘲りに、彼女は自分の末路を理解する。
ガンッ! と、再びそんな激しい衝撃を受けた彼女は今度こそ本当に意識を飛ばすのだった。
◇
「ひぃっ!お、お助けぇ!!」
幸嵩が、女を彼女がサラシに使っていた帯を使ってふん縛った後その場に打ち遣って戻って来た時、目に飛び込んで来たのは尻餅をついたまま後退るも叶わず手で頭を顔を庇う男の頭上、今や振り下ろされんとばかりの白刃。
「お前っ!」
咄嗟に吐いて出た声と同時に彼の右手は左腰に佩いた刀へと伸びた。思考よりも早く、身体はまるで機械のごとく身に染み付いた動作を正確に実行する。
ヒュッ、と風を切った音が鳴った。それは、古流、特に居合いを遣う者なら併修してしかるべき技、手裏剣術。幸嵩がそうして柄の裏に潜ませた馬針を投げて生み出した音は、まっすぐに賊の右肩口へと吸い込ま――
キンッ
――れずに弾かれたッ!
注意を引いてしまったとは言え辺りは夜の闇。わずかな雲の切れ間から時折漏れる月明かりのみを頼りに高速で飛来する細釘大のそれをいとも容易く払ってみせた技量に幸嵩は瞠目する。
先ほどの女の技量、そしてこの男の技量。単なる押し込み強盗にしては高すぎる。だが反面、女の心構えの無さ。有り体に言えば女を捨てきれていない様は教育を施されたものとも言い難く。余りにチグハグ。
「くっ」
しかし、そんな疑問も標的を自分へと移した賊の前では悠長に考えていられない。
迫る刃を撃ち落とし、相手の肩越しに見れば庭には幾名かの者達が倒れているではないか。相棒、駒木の姿は見えず、依頼主の三藤屋の無事もわからない。あの倒れているのは仮初の上役にあたる犬耳若侍の佐合か?
だが、会談の場である部屋からも剣戟が聞こえて来ている以上、まだ―――
「た、たた、橘様。まだ旦那様が中に!」
助けた男の声を耳にして幸嵩は、今更ながらにその男が連れ立ってやって来た三藤屋の用人、三太であると気がついた。チッと幸嵩は内心で舌打ちした。全く周りが見えていなかった。
「お前は逃げろ」
「は、はひ、でも」
正直言えば自分だって逃げたかったが、そうは行かない。幸嵩は気を張り、ただ真っ直ぐ賊の出方を伺いつつ一瞥もせずに三太へと声をかけた。
「余裕が無い!兎に角逃げ―――」
が、言い終わるか否かの瞬間、そこを期と見た賊が先を取った。一足飛びに間合いを詰め放たれる刃。顔、それも目を狙った突き。先の女襲撃者と同じく人間の恐怖に対する反射を利用した崩しの一手。
何の逡巡も無く人体の急所を狙ってくる相手に恐れを抱く。
だがそれでも幸嵩の長年の修練は決して彼を裏切りはしなかった。反射の域にまで高めた動きが迫る刃を跳ね上げ、相手の体を崩す。
そして、幸嵩がそのままま返す刀で振り下ろ――そうとして、やはり刃は相手を捉えることは出来なかった。
自身の放つ斬撃が確実に生み出す結果への一瞬の躊躇と恐怖。すなわち―――逡巡。
それは、先の女の激昂を引き出す原因となったものだった。
ほんの僅か、女を殺すという事実と恐怖が惑いを産んだ。それが結局彼女の命を永らえさせ、羞恥と怒りに身を焦がさせることになったのだ。
今は迷う時ではない。そう頭では分かっているのに体と心、そしてやはり頭が迷い躊躇う。そして、その躊躇が刹那の隙を生んでしまう。己の命が懸かっているにも係わらず。
だからこそ女襲撃者の無様は、まるで自分のことのようで。故に苛立ち、自戒を含めて自らと女を嘲ったというのに。
なまじ技量があるから、心に余裕があるから余計なことを考える。逆にあの女のように我を忘れれば良いのか? だが、答えは無く。
幸嵩はそこから抜け出せない。
しかし賊は、そんな幸嵩の懊悩など嘲るように僅かな隙を的確に擦り抜け、蜻蛉返りに身を翻して難を逃れた。
「ッ!?」
その動きに幸嵩は目を見張ると同時に危機を募らせる。
ハラリと賊の黒頭巾が斬れ、肌蹴落ちた。幸嵩の刃はその身体を捉えることは叶わなかったが、掠ってはいたようだ。
そうして現れた素顔。鋭く金色の目を幸嵩へと向ける猫の耳を頭に生やした男。それは先に幸嵩が倒し、黒頭巾を剥ぎ取って見た女襲撃者と同じ特徴を示していた。
猫又。
それはゲーム【和風なファンタジーで御座る】における種族の一つで、その名の通りに猫の特徴を色濃く受け継いだ者達のことだった。
頭に生えた猫耳とお尻に生えた猫尻尾。だが、それは何も外見だけのことではない。夜目に長けた瞳にアクロバティックな動きを可能とするバランス感覚と身体能力。
その実力から、ただの賊では無いのではと怪しんでいたが、これはやはり、
「しの―――」
◇
幸嵩が賊達の正体を口にしようとした時ソレは現れた。
用語設定
【桐松 紋右衛門】(きりまつ もんうえもん)
傀儡師の一門、桐松の一者。女。
※モデルは人形浄瑠璃の人形遣いである桐竹一門(桐竹門左衛門、桐竹紋十郎)+浄瑠璃作者の近松門左衛門
【猫又】(ねこまた)
和風なファンタジーで御座る内のキャラの種族設定の一つ。
頭に猫の耳が、お尻に猫の尻尾が生えているキャラ。
尻尾は複数生えてはいない。