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侍☆ロールプレイ  作者: もけきょ
第弐幕 日雇い仕事にて糊口を凌ぐで御座る
8/13

 街道をガラガラと押され引かれる荷馬車に付いて幸嵩は時折遠くから聞こえる鳶の鳴く声に空を見上げていた。空は青く高く、うららかな陽射しが降り注ぐ。

 ふぁぁ、と盛大な欠伸がでそうになったのを彼は慌てて噛み殺した。人足達が汗を流しながら働いている最中にそんなことをするのはあまりに無神経過ぎると思ったからだった。

 むん、と気合を入れなおす。ぴーひょろろろぉ、と鳶の鳴き声が再び耳に届いた。


  ◇


 橘 幸嵩と駒木 源十郎が糸問屋の三藤屋に張り付いて既に八日が過ぎていた。初めこそ緊張し常に気を張っていた幸嵩だったが、すでに折り返し地点も過ぎ仕事にも随分と慣れたものだ。

 今日は今日とて荷駄の護衛。


「よぉし、休憩するぞ~。停車~、停車~」


 人足頭の声とともに荷車が停車していく。

 そこかしこから、深い溜息が漏れていた。二台の荷車を押していた六人の人足達が、それぞれ思い思いに路肩に腰を下ろし休息に入る。

 しかし、幸嵩はそんな彼等を横目に隊の後ろから前、前から後ろへグルリと廻り歩き、周囲を見回していた。


「旦那、旦那」

「ん?」

「旦那も休んだらどうです?」


 犬耳の人足の一人が気を利かせてそんなことを言ってくるので幸嵩は足を止めた。

 最初こそ幸嵩の体躯と風貌にその犬耳をペタンと伏せて尻尾を垂らしていた男だったが、顔を合わせて数日もすると幸嵩への恐れも薄らいだのか徐々に態度が軟らかくなっていった。

 しかし、その気遣いは警戒はしていても結局は只一緒に歩いているだけで荷運びの人足達ほどには疲れていない彼にとっては何とも気まずい提案でもあった。


「ありがたい言葉だがな、そうも行くまい。大事無いさ。こっちはお前たちに比べ楽をさせて貰っておる。こんな時こそ勤めを果たさんと、後で何を言われるやら」

「ははぁ、旦那は生真面目ですなぁ」

「ふ? 自分ではそんな事はないつもりだが……そういえばたまに言われるなぁ」


 幸嵩の苦笑いを犬耳の人足は、軽く笑ってそうでしょうそうでしょうと頷いている。

 実際、今の状況ならば幸嵩が、すなわち護衛が気を抜いていても早々心配はないとも言えた。まだ日は高く街中、まだまだ人通りはある。

 例え何者かが襲って来たとしても誰にも見咎められずに荷を強奪するのは至難の業、というよりこんな所で襲ってくる馬鹿はそうそう居ない。逆に居たら逆にお目にかかりたいものだ。

 だから、それほどに気張る必要など全く無かったのだが、どうにも自分だけが楽をしていると負い目をそこはかとなく感じていた幸嵩は、姿勢だけでも真っ当に見せようと務めていた。

 だが、そんな時に限って邪魔は入る。


「あっ、橘様だ」


 そんな名指しの声に首を回せば、わらわらと子供たちが数人寄って来るのが目に入る。見ればその中には同じ裏店に住む子供が混じっているではないか。

 大工の権蔵の息子の寅吉、隣に住む咲、藤屋奉公人の与六の息子の新太。狸の尾と狐の尻尾と兎の尾っぽ。


「なんだ、お前たちか。悪いが仕事中でな、構ってやれんぞ」

「ええー」

「駄目だよ、寅。橘様だってお忙しいんだから」

「迷惑かけちゃ駄目」


 寅吉の落胆の声に、新太と咲が口々に諌め始めた。

 確かに迷惑をかけたなんて母親に知られたら大事だ、と寅吉は勝ち目がないことに思い至り頬を膨らませる―――も、しかし。


「じゃあさぁ…」


 転んでもただでは起きぬつもりなのだろう。良いことを思いついたとばかりにニヤリと笑うと寅吉は長身の幸嵩を見上げ、


「今度おいらに剣術教えておくれよ?ね、ね、良いだろ?」


 と、せがんできた。

 実は、寅吉がこんなことを幸嵩にせがむのは何も今日が初めての事では無かったため幸嵩は驚きはしなかった。ただ、「ああ、またか」とだけ内心呟く。

 幸嵩がこの世界にやって来てから、つまり藤屋の裏店に世話になるようになってからの数日こそは彼の体躯の大きさや厳つい顔、そして身分違いの武士ということで恐恐としていた子供たちであったが、親達がそれほどに畏まった態度でないことや幸嵩が自分たちに威圧的でないことから次第に慣れていった。

 そんな中、寅吉は自分もお侍になりたいと子供心に思っていて常々町の剣術道場に行きたいと両親にせがんでいたが梨の礫であったため、これ幸いと幸嵩に弟子にしてくれと頼むようになったのだ。


 ぽふ、と大きな手が寅吉の頭に乗せられる。


「権蔵やおよねの許しが出たならな」

「ええー、んなの出るわけないじゃーん。ねーねー橘さまぁ、母ちゃんたちには内緒でさぁ」

「駄目駄目。見つかったら、わしが二人にしかられる。そんなものは勘弁だ」

「ぶぅ、橘様の意気地なしー」


 そんな口を尖らせた酷い言われように、なんとも言いようのない顰めっ面を幸嵩が作っていると休憩の終わりを告げる人足頭の声が聞こえた。

 人足たちが腰を上げ始め、


「旦那ぁ、行きますぜー」


 先ほど話していた犬耳の人足の呼び声が耳に届く。

 幸嵩はそれに頷く手を上げると、ひーふーみー、と少しばかり遠巻きにして話に入ってこない子供たちの数を数えると懐に手をやった。

 そして財布を取り出し、


「ほれ、駄賃をやるから団子でも買いに行け」


 寅吉の手に十文銭(およそ250円)を二枚握らせる。すると途端に不満気な顔をパァ!と明るくして笑みを作った寅吉は、


「え?いいの?やった!よっ、太っ腹!天下一だよ橘様は!」


 調子の良いことを言って嬉しげに子供たちと団子屋へと走りだした。咲と新太も深々とお辞儀をしてお礼を口にした後、彼らを追いかけて走りだした。

 ふぅ、と鼻で息をする。


「ははっ、旦那も餓鬼共にゃ形無しですなぁ」


 犬耳の人足が笑う。

 苦笑で返すと、待っていたかのように一行がゆっくりと動き出した。


「さ、仕事だ仕事。旦那もお付き合いくださいな」

「ふっ、ああ。ま、わしは付いていくだけだがな」

「はは、違いない」


 人足達は力を込めるのに精を出し、護衛である幸嵩はそれを眺めながらゆったりとついて歩き始めた。

 世は並べて事も無し。穏やかそのものであるかに見える。


 ―――故に、その姿を傘の下から舐めるように見つめながら通りすがった行商人を気に留めた者など彼らの中にはただの一人もいなかった。

 無論、幸嵩さえも。



  ◇


 

 月明かり下、ホーホーと梟の鳴き声が聞こえてくる闇夜。どこともしれぬ山の中、朽ちかけた廃寺に僅かな明かりが灯っていた。

 

「護衛は二名」

「……少ないな。見せ掛けか?」

「荷は間違いなく運び込まれているぞ」


 それは、浪人、農民、町人、行商人、物乞い、などなど二十足らずの人影。

 廃寺に不釣合いな、そして何より一堂に会するはずもない男達が皆一様に真剣な顔を突き合わせていた。


「見取り図は?」

「ここに」


 一人の男が懐から折り畳んだ紙を取り出し、床へと広げる。ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りが照らすそれは、どこかの屋敷の見取り図のようであった。


「ここと、ここ。ここもか」


 別の男、リーダーと思しき男がそこそこを指差し、次いでツツっとある一点まで指を持ってくるとトンっと指先でそこを叩いた。

 男たちは無言でそれに頷く。


「今しばらくは、様子を見るが良かろう。皆、抜かるなよ」


 男たちは再び無言で頷いた。



  ◇



 朝。空が、ようよう白み始めた頃。

 幸嵩は人の気配にそれまで振るっていた刀を鞘へと納めた。


「毎朝、殊勝なものだ」


 声をかけてきたのは幸嵩と共に、武蔵屋(くちいれや)の斡旋でこの三藤屋に用心棒としてやって来ていた駒木 源十郎であった。


「早いな、もう起きたのか。まだ時間は有ると思ったが?」

「いや」


 ふと気がつけば、駒木の手には二本の木刀が提げられていた。

 幸嵩が怪訝な顔を向けると、


「お主の姿を見ていて、俺も怠けているばかりでは如何いかんな、と思った次第でな。どうだ、一手?」


 右手に持った木刀を掲げて見せる駒木に、幸嵩は思案顔となった。

 その顔に駒木は少しばかり笑う。安い挑発。そう言っても良いかもしれない。淡々とした男だと幸嵩は思っていたが、そうでもないらしい。


「他流との仕合は無理か?」

「いや、そういうわけではないが……」


 幸嵩はそう答えた。

 彼が身に修めている朽木派真刀流、真刀流剣法という流派には確かに「他流と是、争うことなかれ」という文言があり、入門の際に神文誓詞として固く守ることを誓わされていたし、もし破ろうものなら破門、そしてその技を生涯使うことを禁じられる。

 とは言え、この「争う」との文言が、即、剣を交えることや仕合、腕試しを指すとは限らない。立ち会う者同士に遺恨無く正道に背いておらぬと判断されれば何程の事もない。

 だから、幸嵩が気を揉んでいるのはそういうことではなかった。彼が気にしていたのは場所だった。

 ここは三藤屋の中庭、というか蔵へと続く場所で幸嵩が朝の稽古に選べるほどの広さが十分にあり、太刀合いで立ち回るにも十分であったが、如何に三藤屋が大店と言えども組太刀の音は響き、当然床についたままでも耳に入る。

 

「…良いのか?家人を起こすことになるやも知れん」

「ああ…、それならば問題無かろう。皆既に起きておる。音に驚き何事かと見に来るやもしれんが、お主が毎朝修練を欠かさんのは知られておるからその延長と思われるだけのことよ」


 それもそうか、とも思う。だから幸嵩は、ついと目の前の男を見た。

 自身のガシリとしているのと真反対の痩せ気味の細い体躯。どことなくやる気が感じられない眼を貼り付けた顔は砕けていて、やはり幸嵩の強面とは正反対。

 だがしかし、感じるものがある。その身のこなし、目の付け所、間の取り方、動きの端々が雄弁に駒木 源十郎という男の研鑽の日々を語ってくる。

 胸の奥にふつりと湧いてくる、身体をふるりと震わせたくなるような感覚に幸嵩はニヤリと笑みを浮かべると、


「ならば、一手ご指南願いたく」

「応さ。こちらこそ、ご指南願いたく」


 常の無表情な顔を崩し、駒木もまたニヤリと笑みを返した。



  ◇



 駒木の構えは右脇構え。それは陰にして陽。主にして攻めに重きを置いた構え。切っ先を自身の陰に隠し、その身を刃に晒し活を見出す陽の心得。彼の遣う、VRゲーム【和風なファンタジーで御座る】オリジナルの流派【止水流】に置いてもそれは変わらぬものだった。

 そして対する幸嵩は中の位(世にいう中段、青眼、晴眼、正眼)に構え静かに彼の出方を伺う。千変にして万化、攻守ともにバランスのとれた型として一般に知られている。

 遠くで鳥のさえずる声が聞こえていた。


「―――参る」


 そう、小さく発した宣言と共に駒木が間を詰めるべく前に出た。

 ヒュッという風切り音と共に己の左腕をめがけて伸びてくる切っ先を、幸嵩は剣を振りかぶることで抜き躱し生まれた隙にここぞとばかり打ち込まん。されど、それは叶わない。追って返された刃に先ずはそれを撃ち落とさずにはいられなかった。

 すさりっ。幸嵩と駒木は共に距離を開け構え直して再び相対する。

 数瞬の攻防。まずは一合。

 そしてピタリと両者は動かなくなった。一瞬前の激しさが嘘のように静かな、それでいてピンと張った空気が生まれた。


 遠くの鳥の声が消えていく。周りの景色がだんだんと失くなわれていく。只々自分と相手のみが世界に存在する者であるかのような感覚。集中と没入。幸嵩の目はしっかりと駒木を捉えていた。

 ゆっくり、じりじりと、しかし確実に互いの距離が縮まっていく。

 そして一足一刀の間へと入る、その刹那―――


 袈裟に斬って回された駒木の剣を表(自分から見て刀の左側)で弾き、そのまま剣道で言うところの胴への返し技で幸嵩は一気に薙ぐ。しかし、駒木の体はゆらりと流れた。

 いっしゅんにして攻守の逆転、拙い!と頭が覚るよりも幸嵩の身体は自動的に動く。くるりと翻り、迫る脅威からまんまと逃げ果せた。

 そうして再び、彼らの間に距離が生まれる。


 ―――強い。

 

 そう幸嵩は思った。こちら攻めにも動ぜず、心も体も居着くことがない。崩れないのだ。

 それどころか、脇構えを取るだけあって、行くぞ行くぞとばかりに強く攻めてくる。

 幸嵩は哂った。

 目の前の男から今も吹き付けてくる熱気にも似た、ふっ、と吹き抜ける風のような攻めを感じてヒリつく肌。

 ああ、これだ、剣とはこうでなくては、と自然に笑みが漏れる。それは自嘲であり苦笑であり歓喜だ。

 だから、哂ったのだ。


  ◇


 幼い頃から続けた剣の稽古が彼の日常を構成するのが当たり前となり、なんの疑問も抱か無くなるくらい時間が過ぎた頃、彼は唐突にそのことに気がついた。

 周りの友達は誰も剣の稽古なんてしていないじゃないか、と。

 普通だと思っていたが普通でないと知ってしまったが故の視野が広がりは、それ以外への興味へと繋がった。野球、サッカー、漫画、ゲーム、コンピュータ、自動車、バイク、男児の心を誘うその他諸々に目移りする。

 未知を目の前に翻って見た時、自身のやってきた剣の稽古というのはそれらほどに魅力的に映らない。

 気の迷い。嫌になったわけではないが厭になる。それを患ってしまった幸嵩は、そっと剣を置き背を向けた。

 父も母も最初こそ「何故止めるんだ?」「続けないの?」「継続は力なりと言うじゃないか」「止めるのはいつでも出来るのよ」と口喧しく言っていたが、それが一月ひとつき二月ふたつきと続くと、諦めたのか口にしなくなっていった。

 そうして手にした新しい日常は幸嵩にはキラキラと輝いているように感じられていた。でも――――


 それは、初めて遊びに行った友人の家からの帰り道、丁度幸嵩が或る高校の脇の堤防を通った時のことだった。

 ドンドン! と、太鼓の音が耳に届く。次の瞬間、発気の威声と竹刀同士が立てる独特の剣戟、強く踏みつけられて床が思わず上げる悲鳴。

 耳慣れたそれに幸嵩は思わず顔を向けた。それらは校舎横にある体育館、その離れ、剣道場から聞こえてくる。

 ピタリ、と自転車をこぐ足が止まった。視線がずっとその剣道場から離れない。不意に、胸の奥、身体の芯のほうが理由もなく沸き上がってくる何か。体がうずうずと疼き、心がそわそわとそわつく。両の手に蘇ってくる感触に、自然と手の内を作る。

 そうして幸嵩は思い知った。

 失ってみてそれがどれほど自分にとって不可欠ななものであったのかを気付かされる。それは、よく言われる言い回しだが真実それを理解できるのは己の身でそれを体感した者しかいない。

 震えが体を襲う。心の奥にあるソレが体を突き動かした。

 そして、その次の日―――

 幸嵩の訪問に、「お、戻ったか。半年持たなかったなぁ」と師は笑い、その息子である兄弟子が「お前も取り憑かれちゃんたんだなぁ」と苦笑を浮かべた。

 

 だから幸嵩は哂うのだ。剣無しには居られない自分の度し難さを哂うのだ。 

 身に注ぐ、仮想の世界では終ぞ出会えなかったこの感じ。

 VR、ヴァーチャル・リアリティ、仮想現実感。

 物理演算に特化された量子コンピュータとその性能を十全に引き出すべく最適に設計された物理エンジンがもたらす情報は、現実のそれと遜色ないものだと(うそぶ)かれる。

 だけれど、どれほど複雑かつ精緻に再現された世界であっても、それはよくよく知られた物理法則から導き出されたものであって、未だ世界の全てを知り得ない人類には世界そのものを再現するなど不可能なことだ。

 ましてや世に言うオカルト紛いの事象など再現出来よう筈もない。いや、擬似的に、見た目の上では再現出来たりはするだろう。再現したように見せかけることは出来るだろう。でも、それだけだ。根本が理解されていないソレは現実とは似て非なるものに過ぎなくなってしまう。

 そして、彼が幼少の頃からの剣の稽古で身につけた【殺気】の使い方や【気配】の感じ方、【気迫】、【威勢】の当て方、受け方に関する事柄もまた未だ科学的に明確にされていないがゆえに、そうした再現されないものの一つであった。

 ――だが、今は違う。

 幸嵩は、それを叩きつけられるのを感じて嬉々とする自分を抑えられずにいた。


  ◇


 カンッ、カカッ、カッ

 糸問屋三藤屋の主、佐太郎は耳に響いてくる木を打ち鳴らす音に眉をしかめて布団から抜けだした。陽の出間もなく朝の清涼な空気を吸い込み眠気が一気に流れていく。


「けぁっ!」

 カンッ!


 怪鳥の如き奇声と乾いた木が弾け合う音が耳に届く。

 一体何なんだ?と訝しみ、安眠を邪魔する音に少しばかりの憤りを感じながら三藤屋 佐太郎は音の出処へと足を向けた。

 聞こえる音の、その出処の見当を蔵の前辺りとつける。歩み進める内に、ふと女中から用心棒の片割れの橘 某様が毎朝そこで朝稽古を行っているとか何とか、と聞いたことを思い出した。

 しかし昨日までこんな音はしなかったのに、と足を速めた佐太郎は、店の者が集まって何やら外を眺めている所へと出くわした。

 ここか?とばかりに自分も首を伸ばして外を覗くと二人の侍の争う姿が目に入る。

 風切り音を上げて振るわれる木刀。相手を打ち据えんと振るわれるそれを躱し、避け、避ける。時に自身の木刀で打ち、払い、往なし、逸らし、弾き、止める。ある時は、揺れぬ水面のごとく静か―――されど瞬き程の時もあれば、唐突に瀑布の如き激しさを見せる。

 二人の侍が行うそれはまるで約束を酌み交わしてあるかのようで、それでいて互いの虚を突き、裏を掻き、陥れんと欲する様は見る者の手に汗をかかずには居られない。

 ゴクリ、と佐太郎は息を呑んだ。その音が耳に届くと奉公人たちは、ようやく主人の出現に気がついた。


「あ、旦那様」

「これは、お早う御座います」

「ん、おお、お早う。あれは、一体?」


 ついと三藤屋が顔を庭先へと向けてそう尋ねる。女中の一人が首を傾げて答えた。


「私どもがここに来た時には、既に―――」


 やっておられました。と、その女中が口にしようとした瞬間、「けぇえっ!」と凄まじい鳴き声が。

 佐太郎と女中は釣られてそちらを見た。

 そこには右肩に木刀を押し付けられたまま折敷く大柄な男と胴に木刀を押し付けられた痩せた男がいた。


 ◇


 幸嵩と駒木が井戸の水で汗を流し終えると、二人は三藤屋佐太郎に呼ばれ奥座敷に座っていた。


「いや、お二人のやっとう(やぁ、とうっ の掛け声から来たと言われる剣術の異称)の腕前は、武蔵屋(くちいれや)さんから聞いておりましたが、あれですな、うん、聞くと見るとでは大違いですな。

 いやはや、感服いたしました」


 そう切りだされて駒木は黙礼で軽く頷くだけだったが、幸嵩は恐縮した。褒められ慣れていないからだった。

 しかし、そんな幸嵩の心になど佐太郎は頓着せずに、うんうんと頷くと「実は……」と早速彼等を此処へと呼んだ本題を話し始める。

 

「今夕、川手町にある御納屋おなやさんに呼ばれております。そこで、お二方には同道をお願い致しとうございます」

「ふむ、おなや」


 幸嵩が聞いたことのない店であったため道順がわからないなと少し難しい顔を浮かべると、一つ頷くと三藤屋は、ついと横にあった箱から紙を取り出し彼の前へと広げた。見ればそれはこの界隈の地図であった。

 と、言ってもそれだけでそうそう目的の場所がわかるものでもない。だから幸嵩は、 


「わしは不案内なので、昼時にでも見てきても良いか?」

「はい、勿論でございます」

「お主はどうする?」


 と駒木にも話を振ってみた。しかし、彼はそれに取り合うことなく三藤屋を見つめながら口を開いた。


「……例の商談というやつか?」

「……。……はい」


逡巡の後、しばらく駒木をじっと見ていた三藤屋は渋々と言った感じで頷く。


「ならば、後で行こう。向こうの様子を一応見ておきたいが用心棒が二人揃って店を空けるわけにも行くまい」

「……そうですか。はい、ならばお頼み申します」


なるほど、と幸嵩は感心するとともに己の思慮の足りなさを自省する。そして二度三度と頷いた。

三藤屋は頭を下げた。

用語設定


【量子コンピュータ】

 超凄いコンピュータ。

 基本、フォン・ノイマンが言う2進法を基にしたコンピュータであるが、01を区別する量子状態を重ねあわせて存在させることにより並列処理を可能にさせた電算機。

 一般家庭にもパソコンとして普及するほど、完成量産されている。 


【物理エンジン】

 よく知られた物理法則(古典~現代物理学で出てくる数式)を誤差を無視できる程度に近似させ、かつ高速に計算するプログラム。またはその群れの総称。


【やっとう】

 剣術のこと。他にも撃剣という言い方もする。


【御納屋】(おなや)

 密談するのに打ってつけな料亭

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