参
朝、刻にして巳の刻(九時頃)を回ったばかりか。
河原町の船着場で、素草鞋を履き股引を履いて頬っ被りをした多種雑多な種族の男たちが黙々と船から荷を揚げている。
縦二尺(およそ六十センチ)横三尺(およそ九十センチ)程の木の箱はその大きさの割に相当重いらしく二人がかりでようやく持ち上がると言ったところだ。それを船から陸揚げし荷車へと積んでいく。一つの車に4つ積み込む。それが全部で三台。
船と荷車を何度も何度も往復しているのだろう、人夫達の額には玉の汗が浮かび、流れていた。そんな人夫達の中に幸嵩はいた。他の男達も筋骨逞しかったが、幸嵩には上背があったため目に付き易かった。
彼もまた常のスタイルである袴姿ではなく他の人夫たちと同じく、素草鞋、股引、頬被りをして汗を流しながら荷を運んでいる。
「よぉーし、運び終えたな、行くぞぉ」
人足達の元締めである妖狐の男が荷が規定量積み終わったのを確認すると、そう大声を上げた。幸嵩達人足は、一斉ーのっ、と力を合わせて車を押し始める。これから鋳物師町までにを運び、下ろし、また戻って同じ作業を繰り返すのだ。
この仕事を始めて七日、幸嵩も要領が分かってきて、ふぅふぅと息をしながらも力加減を調整できるようになっていた。チラ、と幸嵩は一人の男を見た。黙々と荷駄の横を付かず離れず護衛に付いている浪人風の男鬼であった。
幸嵩達が向かう鍛冶師町は清水の関係で山近くにあり、河原町から街を通ってかなりの距離がある。最近、その道中を狙って賊が現れ、荷が奪われるという事柄が発生していた。本来、傀儡鎧のパーツならまだしも彼らが運んでいる鉄鉱石など旨みのある荷ではない。だが、ここ最近の需要の高まりによって十分に上がりの出る品へと変貌していたのだ、と幸嵩は人足頭から聞いていた。
改めて護衛の浪人を見やる。幸嵩とは違った細い体躯は痩せ気味で蓬髪の下の目は、どことなくやる気が感じられない。こんな人が護衛なんて務まるだろうか、と疑ってしまいたくなるが、幸嵩は時折彼が見せる身のこなしに相当達者な男だと見当をつけていた。出来るなら一手お相手して貰いたい、と密かに思う。
そんな時だった―――
件の護衛の鬼の浪人が幸嵩に目を向けた。視線がかち合い、ほんのしばしのお見合い。その後、慌てて幸嵩は視線を逸らし自分の仕事に戻っていった。
護衛の浪人、駒木源十郎はそんな幸嵩の様子をしばし眺めていたが、やがて興味を失ったのか、元のように黙々と歩き続けるのだった。
◇
薄汚れ年季の入った木の看板が小さく風に揺れている。
日当四百文の人足仕事十日間を勤め終え、しめて四千文(およそ十万円)を手にした幸嵩は、一日たっぷり休んで仕事の疲れを癒した後、再び口入れ屋の武蔵屋へと足を運んでいた。
「――御免」
木戸をくぐると先日と同様にのように武蔵屋の主人、太平が帳面に落としていた顔を上げ、丸眼鏡越しに彼を認めると歓迎の言葉を口にした。
「おや、これは橘様ではございませんか。お見えになるのが早うございますな。もっと間を空けるものと思っておりましたが」
「? ――そうか?」
現代日本の時間間隔から仕事は毎日朝から晩まで最低八時間はするものと思い込んでいる幸嵩は、太平の言った言葉に首を傾げた。彼は知らなかったが、この世界の普通の人々は日に三刻(およそ六時間)も働けば長い方で短い者なら一刻(およそ二時間)最も長い者でも強制労働を義務付けられている罪人の五刻(およそ十時間)といったところであった。
それに加え、武蔵屋のように日雇いの仕事を斡旋する口入れ屋に来る者の多くは、金が尽きる、米が尽きるなど何事も終わりが見えそうになってから動き出すか、特に金が要りようだからやって来ると相場が決まっていた。そう、世の人々は存外にずぼらだったのだ。
それ故、幸嵩がやってきたことに太平は少しばかり驚いた顔を見せたのだった。
「いえいえ、訪ねて下さってこちらとしては嬉しい限りでございますよ。それで、今日もお仕事をお探しでございますかな?」
「うむ、話が早くて助かる。今はいいが刀も鎧も手入れが欠かせん。それには金が、な」
「なるほど、なるほど。……つかぬ事をお伺いしますが、人足仕事の方はどうでございました?」
幸嵩が早々にやってきた理由も分かり得心を得た太平は、温和な表情を変えずに幸嵩にそう仕事振りを訊ねた。
やはり見ず知らずの人間なのだから使う側としては心配だったか、と幸嵩は人材派遣業者である太平の心情を察し、心配なぞ要らないと簡単な言い訳というか報告をするべく口を開く。
「ああ、やはり、気になるか。……そうだな、可もなく不可もなくと言ったところだったと思うが、何ぞ先方から物言いでも着いたか?」
「いいえ、そんなことはございませんでしたよ」
「ふぅむ、確かに力仕事だし、辛いと思ったことはあったな。最初のうち、気張っていたこともあったのだろうが、仕事に慣れぬ数日は肉体的にも苦しかったが―――そうだな、終盤はそうでも無かった。力の抜きどころが分かってきたからだろう」
「ほう、ではこれからも?」
少しだけ幸嵩を見る太平の目は厳しくなる。それは海千山千の浪人達を相手に商売をしている太平の商売人としての人を見る目であったが、幸嵩は自分を見つめるその目の意味には気が付きもしなかった。
ただ、質問の意味については理解していた。すなわち、これからも同様の仕事を回しても良いか否かという事である。
「ん?んー、まぁ、もそっと、こう……う、まぁ、仕事だ、仕方あるまい」
「ははは、分かっておりますよ。ですが、ご希望に添えぬこともございます。それは分かって頂けますな?」
「うむ、そういうものだろう、仕事とは」
先日までの人足仕事は、毎日の拘束時間はそれほどでも無かったが、重い鉄鉱石やら、それらが詰まっていると思われる木箱を運ぶのは結構に体を使い、一応は体を鍛えている幸嵩にとっても重労働と言って差し支えないものだった。日々の疲労もさることながら、日が経つにつれての痛んでくる腰にも往生した。
あんまりやりたくないなぁ、と思いつつも正直に言ってしまうのも憚られ、幸嵩は最終的に理性と責任感、そして雇われている自分の立場を考える。
しかし、その答えに太平は何とも奇妙な、呆気にとられたと言おうか、それとも物珍し気とでもいうのか、そんな表情を持って答えた。
「ん? 何だその顔は? 何ぞ変なことを申したか?」
「いえ、そんなことはございませんが……」
向けられた顔の珍妙さに、また自分は非常識な事をしてしまったようだと覚った幸嵩は、そう言った些細なことでも把握して直して行かなければと太平に助言を求める。
「いや、まぁ、何ですな、橘様はお武家様だというのに何というか……」
「変わっておる、か?」
「―――これは、いえ、そんなことは」
言葉を濁した太平の代わりに幸嵩が、後の言葉を言ってやると太平は面白いほどに慌てて、滅相もない、と口にする。言葉面と向かって武家を馬鹿にしたとあっては、いつ刀を抜かれるか分かったものではない。それは例え幸嵩がそうする人間ではなかったとしてもだ。
「いや、いい。前に大家の善兵衛にも似たようなことを言われたわ」
太平の慌てぶりに、幸嵩は苦笑と漏らしつつそう答えた。そして、実際田舎者故世の習いというものが分かっておらぬことがある、とかなんとか付け加えておく。
「いえ、別に悪い意味じゃあ、ありませんよ。手前どもにとっては有難いばかりで。普通、人足仕事などは御武家様のやるものではありませんから、ご自分で引き受けたのにもかかわらず文句を言ったり、勝手に行かなくなったりと、それはもう……」
「ははぁ、なるほど」
と、太平の語る世の武士のいい加減さと言うかプライドの高さを知る。そこで、ふと気がついた。もしや最初の最初に人足仕事を回したのは、その辺りの為人を見極めるためなのではないか?と。
ふむ、と幸嵩は太平を見やる。
「―――気が付かなかったが……もしや親父殿は、わしがサボってないか見に来ていたのか?」
「サボ? 何でございます?」
「あっ、ああ、すまん。怠けていないか、逃げ出していないか、と言う意味合いの……ほれ、あいすくりんとかけぇき等と同じあちら由来の言葉だ。どうだ? 様子を見に来ていたか?」
「ああ、そういう意味ですか。橘様は南蛮の言葉まで嗜んでおられるので?」
驚きと興味をないまぜにして太平が訊く。幸嵩は幸嵩で太平の言葉からこの世界にも南蛮があるということを確認して、ほう、と心のなかで感嘆し、頭の隅にそのことを書き加えておいた。
「聞き齧った程度にすぎんよ。それで?誤魔化そうとしてはいかんな、親父殿」
「―――はは、かないませんな、橘様には。ええ、まぁ、何といいますか、ええ、はい。お仕事ぶりは見させて頂きました」
幸嵩の問いに悪びれもせず、逆にニンマリと笑って太平は頷き返す。
「ほう……親父殿の眼鏡にわしは適ったのかな?」
「ははは、虐めてくれますな。はい、勿論でございますよ」
使い潰されては堪らないが、とりあえずこれで働き口に困ることは無さそうだと一先ずの安心を得ることができたことに幸嵩は、それは良かった、と口にしながらウンウンと頷いた。
そして、それなら、とばかりに太平に話を振る。
「それなら、次の仕事はどういったものになるかな?」
「はい、それは打って付けのものが入っておりますよ」
「ほう」
自信たっぷりな打って付けという言葉に幸嵩は興味深々とばかりに眉根を動かす。それを見た太平は、幸嵩の心の機微に満足して嬉しそうに口を開いた。
「元町の三藤屋という糸問屋があるのですが、そこの警護の任について頂きたいのです」
「ふむ、いわゆる用心棒といったやつか」
「はい、近頃は黄巾党とか嘯く輩もおりますから」
「黄巾党?三国志の?」
「おや、ご存じないのですか?」
と言うことは違う意味だろうと悟った幸嵩がふるふると首を横に振ると太平は事のあらましについて話しだした。
事は二ヶ月前、まぁそれはそれは阿漕なことで金を返せなければケツの毛まで毟り取られると評判であったとある高利貸しが襲われたことが発端。
蔵にあった金と帳面を根こそぎ取られた店主一家は、怪我こそあれど五体満足。そして後日、黄色い布に包まれた利息分の金が債務人の所に投げ込まれた。
そしてそれから二度ほど同じように商家が怪我人あれど死人なしで襲われ、その後に黄色い布に包まれた金が貧乏長屋に投げ込まれるという事態が続いた。
義賊。黄色い布。
「この二つを持って彼の賊を黄巾党と呼び習わすのでございます」
「まるで講談だ」
「まぁ、これには続きが御座いましてな。実は騙りもでてきているんですよ、これが。商家を一家惨殺の上、黄色の布を置いていく賊などもいましてな」
「ふぅむ、恐ろしいことだ。だから、というわけか?」
「はい」と頷く武蔵屋に腕を組んで幸嵩は考えだした。
賊に襲われる危険性はどこの商家も同じはず。なぜ態々?いや、おかしくもないか?ううむ、と難しい顔をしていたが、我慢ならなかったのか太平が先に切り出す。
「いかがでしょう? 先方は二人ほど用立てて欲しいとの依頼でしたので、橘様をと思いまして」
「二人? 多くはないか?」
「荷運びの護衛もお願いしたいことで。一人が出ても常に店に用心棒が一人いれば賊も手が出しにくかろうとのことですよ」
「ふーん……。しかし剛毅なものだな」
「まぁ、三藤屋さんは手広く商いをしておりますからなぁ。大奥出入りの反物屋さんとも付き合いがあるそうですし。所謂、大店ですよ」
「ほう、それは凄い。よくもまぁ、そんな立派なところから仕事が来るものだ」
幸嵩が素直に驚きを言葉にすると、武蔵屋太平は渋い顔を作った。裏に自分の店とそのような大店とが釣り合っていないと言われたと悟ったからだ。
「橘様。馬鹿にしちゃあいけません。こう見えても数々のお大名様に良い奉公人を世話して貰ったとお褒めの言葉も頂いておるんですよ。だいたい―――」
「す、すまんすまん。許せ」
「ふんッ」
「う、ぅむ……そ、それで今一人はどういった?」
ジトリと睨む太平の視線をあらぬ方向を向くことで躱していたが、突き刺さる痛みに耐えかね強引に話を元に戻す。
「……駒木様と申される御浪人でございます。ほら、橘様が先日まで行っておられた人足仕事に護衛の御浪人が居られましたでしょう?」
「ああ、あの」
言われた幸嵩は、先日見た鬼族の浪人の姿を思い出した。その身のこなしから中々の腕利きと目している。賊がどれほどかは分からないが、彼と一緒ならば心強い。それに武蔵屋も彼を頼りにしているフシが見受けられた。
「……そう、でございますな、駒木様にはお八つ時(午後三時)頃にこちらにお寄り頂けるよう話しておりますから、その時今一度、橘様もお出で頂けますか? お顔合わせと参りましょう。橘様のお返事はその時にお聞きしましょうか」
「ふむ、そうか。まだ二時間ほどあるな……あい分かった。少し時間を潰してくるとしよう」
「そうですか、よろしくお願い致します」
口の中だけで残り時間を呟き少しばかり考えた後、幸嵩はそう答えると太平は笑みを作ると座ったまま深々と頭を下げる。
そんな太平に、幸嵩はうむ、と頷くのであった。
◇
茶屋で団子を食べ食べお茶を啜って道行く人の観察などをして時間を潰した幸嵩は、太平に言われた刻限の少し前に武蔵屋へと戻ってきた。
「ああ、橘様、丁度良い所に」
店内に入った時、幸嵩の眼は、耳に届く武蔵屋太平の声とともに一人の人物を捉えていた。鬼族の浪人。幸嵩にはその浪人に見覚えがあった。そう、その男は先達ての人足仕事で出会っていた護衛の浪人であった。
瞑目していた瞼を開き、男鬼の浪人が幸嵩を見やる。
「駒木様、この方がお話した橘様で御座います。
橘様、こちらが今回のお仕事の相方の駒木様でございます。」
太平は二人にそつなく互いのことを紹介した。
「橘 十蔵と申す。よしなに」
「駒木 源十郎と申す。こちらこそ宜しくお頼み申す」
幸嵩が頭を下げると駒木もまた組んでいた腕を解き、頭を下げてきた。
「駒木様は止水流の遣い手でございましてな、今回のお仕事のような用心棒のお仕事をよくお頼みしているのですよ」
太平の説明に幸嵩が「ほう」と声を漏らす。
止水流とは戦国期に端を発する介者剣術の一流派 ―――と言う設定のゲームオリジナルの剣術流派の一つだ。その技は介者剣術とあって鎧で覆われている部分への攻撃が非常に少ないものであり、幸嵩はそこに、そのゲーム設定にデザイナーのこだわりを見てとったものだった。
幸嵩が一応修めている朽木派真刀流も、大元は介者剣術であったため共通する術理は多かったが、江戸期に分派したため本来鎧で覆われている頭部や腹への突きなどが加えられていて素肌剣術の様も表れている。
自身の流派を詳らかにされた駒木がついと視線を幸嵩に向けた。探るような目ではあったが、表情に感情のゆらぎはなかった。先ほどからずっと変わらぬ無表情なので、幸嵩は駒木はそういう男なのかもしれないと思う。
「お手前は?」
「朽木派真刀流に御座る」
「皆伝位だそうでございますよ」
今度は幸嵩の腕のほどが詳らかにされる。じとり、と太平に目をやるが、分かっていないのか、太平はどこ吹く風、なんの咎めがあろうかと言ったふうであった。
「―――ふむ、なら腕に心配は無さそうか。武蔵屋、俺はこの依頼を受けようかと思う」
「それは有難い。でしたら明日にでも先方に足を運んでくださいませ。橘様はどうなさいます?」
太平は駒木が無表情に頷くのを見届けると、直ぐに幸嵩へと顔を向ける。
うぅむ、と唸る幸嵩。護衛というのだから物盗りの類が来る危険もあり、そうなれば下手をしなくとも殺し合いに発展すること必定。自分に人が斬れるか、それこそが問題だった。
しかし太平はそんな幸嵩の心情に気付かず、見当違いのことを話し始めた。
「ああ、そう言えば手間賃の事を話しておりませなんでしたな」
「ふ?」
金の話に幸嵩はピクリと耳を動かし顔を上げた。金、金は大事だ。幸せは金で買えぬというが金がなければ腹は膨れぬ。腹が膨れぬことには幸せはない。そう思っている幸嵩は収入の安定が保証されていない現状、その類の話に敏感だった。
それに、やって来ました異世界、頼りになるのはお金だけ。敏感にも成ろうというものだった。
「一日一分(およそ二万五千円)但し、お仕事が終わるまで十二、三日はお願いしたいと聞いております」
「―――締めて三両(およそ三十万円)か……」
「如何で御座いましょう?お受けになりますか?」
金、生きていくこと、人を斬ること、怪我をすること、命を落とすこと、諸々のことが頭を巡る。さて、本当にどうしようか、と迷い悩む。幸嵩の性格、煮え切らなさ、踏ん切りの悪さが表に出ていた。
「まぁ、何事もなければ楽な仕事ではあるな」
駒木の言にそれもそうか、あれは何事もなければただ歩くだけの仕事ではあったと先日見続けた駒木の行動を思い返した。当然、今度の仕事も賊の襲撃などがなければ荷駄の護衛を含めても楽な仕事になるだろう。
楽な金儲け。それが幸嵩の心を後押しした。
「……そう、だな。わしも受けるとしよう。駒木殿、改めて宜しくお頼み申す」
「相分かった」
幸嵩が改まって頭を下げると、駒木は常と同じ感情を表に出さずただ短くそう答えただけであった。
◇
幸嵩が武蔵屋で護衛の依頼を受けると決めた翌日、駒木と彼は依頼主である三藤屋の主の顔を通された奥座敷で拝んでいた。糸問屋の主とあってか身に着けている着物は生地は勿論、仕立ても良いものを身に着けている。
一通りの紹介をした後、三藤屋が口を開いた。
「口入れ屋さんから聞いているとは思いますが、昼は荷駄の護衛と時折表や裏など見て回ってくだされば後は部屋でゴロゴロして居られても良う御座います」
「夜は交代で夜番をお願い致したく」
「お手当ては一日一分、とりあえず十二日ほどを考えております」
「食事も朝昼晩とお出ししますので、もし要らぬとあれば飯炊きにそうお申し付け下さい」
「あと、そうですな。出かけることがあるのでしたら必ず店の者に声をお掛け下さい。二人共いなくなるというような事はないようにお願い致しますよ」
こちらが口を挟む間も無く矢継ぎ早にそう告げる主に少し圧倒された幸嵩に比べ、駒木 源十郎は落ち着いた様子でそれに聞き入っていた。そうして話の区切りがつくのを待つとおもむろに、
「一つ……お聞きしても宜しいか?」
「はい。何で御座いましょう?」
三藤屋の主は苦もなく言う。
「確かに一日中の警護となれば複数、人を雇うが必定。しかし、いささか……」
「腑に落ちませぬか?」
「……そう、ではない。なんぞ我らに話しておくことがあるのやも、と思った次第に過ぎん。それなりの事情というものを知っておかねば動くに動けんこともある」
しばしのお見合い。と言うより、睨み合い。
そして、先に折れたのは三藤屋の主の方だった。
「……まぁ……ようございましょう。お二人は他ならぬ武蔵屋さんの口利きで御座いますし。実は―――」
ゲーム【和風なファンタジーで御座る】には、【化糸】という糸がある。
絹糸、木綿糸、毛糸などと同様、化から紡がれた糸。即ち化生、妖魅、物の怪と呼ばれるの類が吐いた糸を紡いだ糸のことだ。
普通の糸でさえ、その原料によって様々な特性を持っているもの。ましてや元となるのが不思議の存在である化糸は何をか況んや。
更に縒っては紐、織っては布にする際の縒り方、織り方、化糸の種類の合わせ方、図柄、染め草によっても千差万別の特色を持っていく。
例にあげれば、まるで意思があるかのように持ち主の従い蠢く紐。陰陽の法術を反射、あるいは減じる布。見る者の心を魅了し惑わす呪が入った反物。等々。
その原料の希少さと製法の難しさ。そして力持つ物品が故の需要。それゆえ化糸、そしてそれを使った紐や布は、とても貴重かつ高価。
それらを求めるのは貴人や位の高い武人。それらを扱って欲しいと頼まれた商人、そしてそれらに化糸を使う何かを作れと請われた職人ぐらいのものだろう。
いくら大店の糸問屋とは言え、おいそれと平素に出て来る言葉ではない。
しかし、三藤屋の口からは、そんな単語が出てきたのだった。
「……なるほど。それ故に、か」
「はい。さる御方というのが何処の誰かまではお教えできませぬが」
「ふむ。―――ということだ、橘。何か存念はあるか?」
急に話を振られ一寸驚いた幸嵩だったが、ここで何事か話して自分のこともアピールしておかなければと言う心理が働き頭を捻るに至る。
「うーむ……」
そして三藤屋の言葉にあった化糸の依頼元との折衝のことが気になった。
上流階級の人間の前に出ることになるのだろうか?拙い礼儀作法で無礼を働き商談を打ち壊しでもしたら目も当てられない。
「んっ、そう。そうとなれば、何れか、その先方への引き渡しの際にも我らは同道するのであろうか?」
「はい、こちらとしてはお願い致したく思っております。……ああ、仔細はその折に。しかし、いつになるかは申せません」
「それは構わんのだが……。ただ、同道すると言っても我らがその先方の前に出るということはないのだろう?」
「はい。道中の警護と商談中の周りの警護をお願い致したく」
「そうか、ならば良かった。うん、相分かった。それだけ聞ければ、問題ない」
幸嵩の言葉に三藤屋が駒木を見ると、彼は静かに頷いた。
「では、お引き受けしてくださるということで宜しいですな? それでは早速今夜から、と言うことで宜しくお願いしますよ」
ここでようやく笑みを浮かべて三藤屋が手を叩く。しばらくしてトタトタとやってきた店の者に三藤屋は茶と茶菓子のおかわりを持ってくるように伝えた。
その後、店の者や家人に紹介されたり、店の間取りを覚えたり、警護の時間や経路などなどの打ち合わせを済ませた幸嵩と駒木が寝泊りの部屋に案内されたのは二時(およそ四時間)程経ってからのことだった。
◇
夕餉の膳を持ってきた女中は、まだ若い娘でお豊と言った。
お豊は昼過ぎにやってきた珍客二人、すなわち厳つい顔と体躯をした方が橘 十蔵、痩せすぎでやる気の感じられない無表情の鬼族が駒木 源十郎という三藤屋の主が頼んだ用心棒の浪人だと知るも、進んで関わろうとは思っていなかった。
だが、それは店に奉公する他の者達も同じような考えであって、一番方向に来て日の浅い彼女にその世話役が押し付けられたのだった。
強面と無表情。しかも相手は見知らぬ武士。会話の糸口を掴もうにもどうにも勝手が分からない。お豊は困り果て、ただただ黙ったまま二人が飯をかき込むさまを眺めるだけだった。
「おかわりを頼む」
ん、と突き出された飯碗を受け取り、いそいそと白飯をよそっていると声がかかった。
「お豊と申したな、三藤屋に奉公に入って如何程になる?」
「えっ?」
不意の質問にお豊は驚き、漬物に箸を伸ばした幸嵩は相方の行動にその手を一瞬止めた。質問を口にした駒木の表情は常と変わらずやる気の感じられない無表情。
「あ、の……ここ一年ほどになります」
よそった飯を手渡し、戸惑いながらお豊は答える。
「ふぅむ、そうか。ここの主はどんな男だ?ここしばらくこれと言って変わったことなどあったか?」
「はぁ……そうですねぇ。旦那様は慎重というか気難しいというか、それでいて急っ勝ちですけれど決して悪い方ではないと思います。それに変わったこと、と申されても……」
「店に変わった客などは?」
「変わった、ですか?」
小首を傾げ鸚鵡返しにお豊はそう尋ねた。ふむ、と頷く駒木。
「そうさな。例えば身なりの良い武士だとか、逆にこの店に不釣り合いな輩とか」
「さぁ? ああ、そう言えばどちらの家の方かは存知ませんけれど、一、二度お武家様がいらっしゃったことがあります」
「それは我らのような浪人者でなく?」
「ええ、はい」
「そう、か……。そういえば奥方は大層若いな。後添えか、何かで?」
「あの……」
次から次へと続いていく駒木の質問にお豊は不安をいだいた。
一体全体このお侍は何が目的なのだろう?お店の客のことを聞いてくるなんて。しかも果ては奥様の話まで聞きたがる……。まさか不埒なことでも目論んでいるのではあるまいか?、と。
そうした思いが顔と態度に出ていたが、当の相手たる駒木は些かも慌てた様子もなく口を開いた。
「勘違いして貰っては困る。なにも下世話な関心で尋ねておるのではない。
これからの仕事上、家内に何事か抱えておるのにこちらが知らんでは上手く立ち回れんと思ってな」
「はぁ、そういうものですか」
なおも訝しむお豊だったが、駒木はやはり何処吹く風。
「そういうものよ。で、どうかな? 何ぞ思い当たるようなことはあるか?」
「そうですねぇ……これと言っては」
「……そう、か。ならば良い」
納得がいったのかいかないのか、お豊は少しだけ駒木の方を眺めていたが、幸嵩がおかわりの飯碗を差し出すと自らの役目を思い出したのか「ああ、これは気が付きませんで」とお櫃の蓋を開けた。
そして二人の食事が終わると、「後ほど、お夜食の握り飯を持って来ますので」と言って膳を下げて行った。
「先ほどのことだが」
そうして幸嵩が切り出したのは、宣言通り夜食の握り飯を竹皮に包んで持ってきたお豊が十分離れたのを確認した後のことだった。
それまで駒木の行動に不審に感じながら口を開かなかったのは、彼には相方の狙いが分からずとも、それが三藤屋の主の耳に入ることを避けたほうが良いのだろうな、と考えたからだった。
「……女中に訊いたことか?」
ああ、と幸嵩は頷く。
「三藤屋の話、お主はどう見た?」
「……どう、とは? さほど不審とは思わなかったが。武蔵屋の親父が言っていたが、近頃黄巾党と嘯く輩が出ているのだろう?
確か黄巾党自体は金銭目当てで殺しはせぬが、騙りが出ると聞く。そいつ等が三藤屋の化糸に目をつけ、押し入ってくることを恐れているのではないか?
お豊だったか?あの女中も三藤屋は慎重だと申していただろう」
「ふむ。一応筋は通っておる、それでもな」
含みのある言い方だ、と胡乱げに見返す。そして、視線を逸らし考える。
ここの所の押し入りを心配しているのは、何処の大店も同じだろう。
とは言え、襲撃予告でもあったわけでもないのに、わざわざ用心棒を雇うところなど、そうはない。
しかし、三藤屋は二人も雇った。「木を隠すなら森の中」、その逆をやっているようなものだ。悪目立ちすると言っても良い。逆に彼奴等を警戒しなければならない何か大事な物があると喧伝しているようなもの―――と言えなくも無いではなかろうか?
つまり―――
「裏に何かがあると。我らを、というより用心棒を置いておかねばならん理由が」
「……橘、お主、化糸のことにどれほど詳しい?」
そう言われて幸嵩は自分の化糸についての知識、即ち覚えているゲームで得た知識を思い出し、口にして告げる。
それに頷いた駒木はじっと幸嵩を見つめた。そして、おもむろに、
「―――傀儡糸」
ぴくり、と幸嵩の眉が動いた。
「傀儡鎧、か」
【傀儡鎧】。
それは、ゲーム【和風なファンタジーで御座る】内での最大にして最強の武具。
大きい物ならば、鋳鉄の甲冑を着込んだ身の丈およそ二丈(約六メートル)程にもなる機巧で出来た武者人形。
陰陽の術、呪い、機巧などを用いて鎧鍛冶の鍛冶によって生み出され、傀儡師によって命を吹き込まれる。
その腕の一振りは人を薙ぎ払い、その拳固の一突きは城壁を穿ち、その蹴りの一蹴りは岩を砕く。戦場にあっては悪鬼羅刹となり、千の兵を屠り、怨嗟と悲嘆を喰らい、血の海を生む。
それが傀儡鎧。
それに用いられる機巧の仕掛け紐。人形繰りの操り紐。もしくは傀儡糸。
不思議の秘術を尽くして作られた傀儡鎧を傀儡糸には、必然相応しい糸が使われる。畢竟、それは化糸ということになる。
「わざわざ身なりの良い武士が糸問屋に足を運ぶとなれば、そのくらいしか思い浮かばん」
「傀儡鎧の新造……」
「しかも、複数のな」
「? 何故、そう思う?」
「期間の長さよ」
「それだけ多くの荷を集めているということか?」
うむ、と頷く駒木に幸嵩は、うぅむと唸った。そして、
「考えすぎではないか?」
「だと、良いのだがな。―――まぁ、何にせよ上手く勤め上げることに努めるとしよう」
その言葉に、自分で不安を煽っておいて、と幸嵩は若干呆れ、ずずっと茶をすする駒木 源十郎という痩せ気味の鬼族の男の印象を改めた。
設定紹介
【止水流】(しすいりゅう)
VRゲーム【和風なファンタジーで御座る】内の架空の剣術流派。
戦国時代にに端を発する介者剣術として設定されている。
※介者剣術とは
鎧を着た状態での戦闘を前提としているため、狙いが目、首、脇の下、金的、内腿、手首といった、鎧の隙間となる部位になる。
致命傷を与える事が難しく、そのため組み打ち(投げて、折って、殴って、踏んで、蹴る)術を並伝しているのが常である。
【三藤屋】(みふじや)
糸問屋
【化糸】(けいと)
妖魅、化生、物の怪、妖怪、いわゆるモンスターが吐いた糸を材料に紡がれた糸。
代表的なものに妖蚕や灰妖蛾、緑山蛾などのガ系モンスター。
薄刃蜉蝣や広歯蜉蝣などのカゲロウ系のモンスターの繭。
女郎蜘蛛や豊島蜘蛛などのゴケクモ系モンスターの糸が上げられる。
これらのモンスターは家畜化出来なくも無いが、その技術は秘伝とされ広まってはいない。
【傀儡鎧】(くぐつよろい)
【和風なファンタジーで御座る】内の武具の設定の一つ。
戦用大型絡繰人形。人間大から最大約六メートル程の大きさで作られた基本的に人型のロボット。
謎の法術(=謎の陰陽術)やら、謎の方術(=謎の神仙術)やら、謎の機巧などその他諸々の謎に包まれた技術で作られている。
傀儡の言葉通り自律型ではなく、飽くまで人、更に言うならばそれに特化した者、すなわち【傀儡師】が操らなければまともに動けない。
【傀儡師】(くぐつし)
傀儡鎧を含む、傀儡を作成、操演するのを生業とした人々。一族。
【傀儡糸】(くぐついと)
傀儡(傀儡鎧を含むその他諸々)を操るための糸。化糸を用いられている。