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侍☆ロールプレイ  作者: もけきょ
幕間にて候
4/13

  ◆


 夕闇に紛れ、まだ雪残る山道を男が急ぐ。編笠を深く被り、俯きがちで人相は遠くからではよくわからない。腰に挿した二本の長物を左手で振れないようにしっかと抑え、背負う風呂敷の結び目を右手で握っている。その様はとにかく一刻でも早くこの場から立ち去ろうとする意思がありありと見えていた。

 確かに黄昏時は、もうすぐ間近で、山中を移動するのは難儀となるだろう。必然、足は自然と早足となるのは分かる。


 ―――しかし、不意にその足が止まった。

 男はくい、と編笠を傾け前方を睨む。その視線の先には人影が一つ。木々の合間から月明かりが差しその顔を照らし詳らかとする。それは彼のよくよく見知った顔であった。


「何処へ行くのだ」


 人影の男がそう問うた。


「……」


 しかし彼は返さない。


「今お主がこのまま脱藩すれば、お主に討手が掛かるばかりでなく松倉家は断絶。考えなおせ、唯依との縁談は破断せねばならぬが、それでも今ならまだ儂は―――」

「――――らぬことを」

「何?」


 松倉と呼ばれた彼が何事かを呟くも、人影の男には聞こえなかった。が、その代わりに耳に届いたのは風呂敷の落ちる音、その目が捉えたものは白刃が反射する月光の煌めきだった。


「お主!」


 人影の男は息を呑み、そして少しの沈黙の後、意を決した堅い声を出した。


「―――どうあっても聞けぬか。ならばここで討つまで!覚悟せよ、弾之丞!」


 そうして自らを殺すために師が抜き放った刃を目にした彼は、編笠の下で嬉しげに笑みを作った。 



  ◇



 早朝。

 父は、戸板の上に横たえられむしろを掛けられたまま門をくぐり戻ってきた。 

 母は、地面へと置かれた戸板の上の父に縋り付き、父の名を幾度も幾度も呼び、そして泣き崩れた。

 祖父は、歯を食いしばりながらじっと息子の姿を見ていた。

 祖母は、母と同様、傍らへと座り込み、冷たくなった自らの息子の頬を優しく撫でていた。

 弟は、なぜ父が動かないのか、なぜ母が取り乱しているのか、なぜ祖父が苦しそうに悲しそうにしているのか、なぜ祖母が泣いているのか、そして、なぜ年離れた姉がとてつもなく恐ろしい顔を作っているのか分からなかった。

 そして、姉は―――



  ◇



 抜けるような青空を青年は見上げた。

 これから先を思えば如何程の苦難が待ち受けているかわからない。それでも雲一つない空が自身の大願成就を願っているようにも思えてくる。 


「本当に行くのですか?」

「はい、母上」


 母はにそう問い、は頷き答える。


「そのような姿なりまでして追わずとも良いではありませぬか。父上もそんなことを望んでおられぬはず。討手などは他の方々に任せ、貴女には女として――」


 母の願いを青年は首を横に振って遮った。母を映すその瞳には揺るぎが微塵もない。


「唯依!」


 たまらず母は声を荒げた。夫ですら敵わなかった相手、しかも許嫁であった相手、夫を失くし、このままでは娘まで失くしかねない。


「唯之進です、母上。もう決めたのです、母上。私は仇を討つと、父上の無念を晴らすと決めたのです。この手で」


 そこにあるのは巌の決意。それを目にした母の顔が歪む。それでも、それでもと言葉を探し娘の翻意を促そうとする。しかし――


「だから、こんな姿なりまでしているのです」


 青年のいつもと変わらぬ、ふうわりとした優しげな笑みを見て母は何も言えなくなってしまった。何をどう言えばいいのか分からず、込み上げてきた感情に喉をつまらせてしまった。


「すまぬ、唯依。本来であれば仇討ちに出るのは儂の役目であろうに」


 祖父は、自分がもう少し若ければ孫娘にこんな悲壮な決意をさせずとも済んだものを、と自らの老いを恨んだ。


「いいえ。宗太郎が、まだ小さいのです。お様には家を守っていただかなければ」


 青年の言葉に祖父は頷いた。

 そう。守らねばならぬ。家を、家族を。孫娘が帰って来られる場所を守らねばならぬ。もはや、それが出来るのは自分以外にいなくなってしまったのだから、と祖父は深く頷いた。


「姉上ぇ、行っちゃだぁ!」

 

 弟は自分の名前が出たことを機に姉へと飛びついた。絶対に放すものか、と腕にぎゅぅと力を込める。

 愚図る幼子をあやすように青年が弟の頭を撫でる。姉の手の優しい感触に、弟は自分の願いが通じたのだと思い、期待を込めて姉の顔を仰ぎ見た。しかし、そこにあったのは姉の困り顔だった。

 青年はしゃがみ込み、視線を弟に合わせた。


「宗太、私は行かなくちゃいけないの。でもね、今生の別れなんかには決してならないから」

「でも、姉上ぇ……」

「皆の言うことをちゃんと良く聞いて、励みなさい。姉さんも頑張るから。宗太や母上、お様とお様に会えなくて辛いでしょうけど頑張るから」


 青年はそこまで言うと、おもむろに弟を自らの胸の中に掻き抱く。いつもと違う格好をした姉だったが、それでもいつもと同じ姉の匂いに弟はほんの少し激情を弱め力を抜いた。


「宗太と同じ分だけ頑張るから」

「……」


 姉の言葉が耳に届く。トクントクンと姉の心音が聞こえていた。


「宗太が寂しいのを我慢して励んだ分、姉さんも励む。そうすれば直ぐに帰って来られると思う」

「……本当?」

「―――だからね、宗太郎」


 青年は、それには答えず弟を胸から開放し再びその瞳を覗きこんだ。そして告げる。


「強くありなさい」


 揺るぎない視線の込められた思い、それが何なのかを幼い弟は推し量ることができなかった。しかし、分かったことがあった。姉が今言った言葉を強く強く願っていることだった。だから―――

 弟が確と頷くのを見届けると青年は再び笑顔を見せてから、最後にその顔を祖母へと向けた。


「お様」

「全く、貴女というは。あの子に似て一度決めたら梃子でも動かないのだから」


 呆れてものも言えぬ、という顔で孫娘を評する祖母に、青年は苦笑を漏らしそして胸を張って答えた。


「ふふ、それが私の自慢でもあるのです」

「まぁ」


 と、孫娘の嘯きに大げさに驚いてみせるも祖母の目は優しげに細められていた。そして微笑みながら言い放った。


「宗太郎にも約束したのです、私達にも約束してくれるのでしょう?」


 一瞬、青年は目を見張り言葉が出なかった。視線を彷徨わせる。何か言わねばと再び視線を戻せば変わらず祖母は微笑んだまま。

 順に視線を母に、祖父に、弟へと向ける。誰も彼も、じっと青年のことを見つめていた。


「――――はい、必ず帰ってきます。」


 青年は、離れ行く家族にそう約束した。うっく、と感情が込み上げる。


「っ……そ、それでは、皆様もお体にお気をつけて。――――行ってまいります。」


 惜別の情を無理やり断ち切って青年は頭を下げた。くるりと背を向け歩き出す。そうでもしないと溢れ落ちる涙を見られてしまうから。



  ◇


 ―――そして彼女は、この青空の下の何処かに居るであろう仇を求めて旅に出る。

 

 

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