表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
侍☆ロールプレイ  作者: もけきょ
第壱幕 異世界は似非時代劇だったで御座る
3/13

 すっかり陽は落ち辺りは鎮守の杜の深さもあってか町の灯がチラとも見えない。しかし天に浮かんだ黄色の月がその静かな光で境内を照らしていた。 

 そんな風景を時折ある窓から横目に覗き、幸嵩は案内の巫女に付き従って社務所の奥へと向かって廊下を歩いていた。年の頃は拾五、六の未だ幼さの残る巫女だった。

 ふと、巫女が立ち止まる。ピクリ、と驚き当然幸嵩も立ち止まった。

 巫女は障子戸に向かって正座すると両の手を添え少しだけ戸を開け、次いでスーッと大きく戸を開いた。

 通されたのは八畳程の一室だった。鮮やかな緑とイ草の香りから畳を変えてからそう日が経っていないことが伺えた。


「こちらでお待ちください」


 巫女は「すぐに宮司は参りますので」とだけ言い残すと、深々と頭を下げて去っていった。

 一人となり室内を見渡した幸嵩は内心の落胆を隠しもせず溜息を漏らす。最初こそ見知った神社の景色に少なからず安堵を感じていたのだが、社務所の中に入り案内に着いて奥へと進むつれそれは薄らぎ、部屋に通された瞬間に霧散した。

 何故ならそこには電灯といったものが全くなく、あるのは行灯といった如何にも時代がかった照明器具だったからだ。


 そんな感想を抱きながら幸嵩がしばらくそこで待っていると、一人の男、年の頃は四拾中頃、幸嵩と比べ少しだけ背が低いが中肉中背なため堅太り気味な彼よりも痩せて見える神職が「や、お待たせした」と入ってきて、上座へと座った。

 そして茶を持ってきた若い神職が下がると、自己紹介も済まないうちに神職の男が切り出す。


「橘 幸嵩様と申されましたか?」

「え、あ、はい、橘、橘幸嵩と申します。夜分遅くに押しかけてしまい申し訳ありません。ですが……どうしてもお訊きしたいことがあったので、こうして失礼を承知で来てしまった次第で」

「然様ですか……」


 沈黙と共に向けられる視線は探るような色を帯びていた。


「なるほど、貴方様が橘幸嵩様……いや、よう参られましたな、橘様。お待ちしておりました」

「ッ?」

「申し遅れました。私は、ここで宮司をしております真守さねもり忠俊ただとしと申します」


 自己紹介に頭を下げる宮司の言葉に幸嵩は耳を疑った。あまりのことに思考が追いつかず、呆ぅっと目の前の男のなす事を見ているだけ。我に返ったのは、何も喋らない幸嵩を不審に思った宮司が一声かけてきてからだった。


「あ、あの!待っていた、というのは」


 詰め寄らんばかりの勢いで上体を起こしつつ質問を口にする幸嵩に、宮司は我が意を得たり、と頷いた。


「橘様は神懸かり、神降ろし、というのをご存知ですかな?」

「?」


 いきなり過ぎる言葉に戸惑う幸嵩。しかし宮司は彼の理解を気にもせず説明を続ける。


「古来、神霊がその御神意をお示しになられる際、神霊が人に降りられる、依り憑くことが御座います。神懸かりとは、そうして神霊が人に降りられた状態を指す言葉なので御座います」

「……」

「先日、当社で行われた神事の折、巫女が神懸かりとなりましてな、託宣がなされたので御座います」


 じっと己を見つめる宮司の目に、幸嵩は続くであろう言葉を理解した。


「―――そこで、私の名が出た、ということですか」

「はい、その通りで御座います。橘様は、遠き地より当地へと剣の修行に出向かれた客人まれびと、と聞き及んで居りまする」

「ま、れ、びと?―――剣の修行、ですか?」


 幸嵩は耳に入った聞きなれぬ単語を鸚鵡返しに呟くと次いで、慣れ親しんでいるが故に何故急に話題になったのか不思議に思った言葉を口にした。訝しげな表情を作り宮司に先を促す。。


「はい。客人とは、橘様のように、時を定め、此処ではない何処かより来訪された神のことで御座います。寄神よりがみとも申しますな」

「私は神などでは――」

「分かっております。ですが、うつではないかくから来られた御仁。客人と称して問題ありますまい」

「……私は死人じゃ無いんですが」

「ハハハ、これは失礼を。此処とは違う何処かという意味で御座いますよ。異界……ああ、これも黄泉のこととなってしまいますな、うぅむ、困った。良い言葉が見つかりませぬ」


 あの世からこの世に来たなどと、まるで死んだ人が蘇ったかのように言われたことに幸嵩が少しだけ憮然として文句を言うと、宮司は苦笑を返した。そして、うぬぬと唸りだした宮司を見て埒があかないと思った幸嵩が話の先を促す。


「―――じゃあ、あの、剣の修業というのは一体?何でそんなことに?」

「ん? 橘様が望まれたので御座いましょう?技芸の上達を」

「え?」

御神みかみが、ああ、当社の祭神、天之御矛神あまのみほこのかみはそう仰せになっておいでで御座いましたが。

 橘様が住まう世は泰平にて、平素より太刀を振るうことは出来ぬとか? されど剣の高みを目指すには死線を超えてこそ。故に橘様は、太刀を存分に振るうことのできる場を望み、彼岸より此岸へ渡ることを望まれたのでは御座いませぬか? 」

「え?」


 幸嵩は昨晩の師と兄弟子との会話の最中にVRG(ヴァーチャル・リアリティ・ゲーム)を使って剣の修行が出来ないか否か、という話題が出たことを思い出していた。その際、彼は確かにほんのちょっぴり、子供のような妄想に翼を羽ばたかせた。あまつさえ、「行ってみたい」と口走っていた。


「御神は、橘様方が奉納されたという武を御高覧遊ばされ、甚くお気に召された由。ですので橘様の願いを聞き届けた、というようで御座いますよ」


 宮司が語る事の顛末に幸嵩は言葉を失っていた。思い起こせば彼にも心当たりがあった。


「あの声が……」

「御心当たりがお有りのようで。おそらくは、それでしょう。……しかし、神霊の御声を直接耳にできるなどそうあるものでは御座いませぬ。橘様は運が宜しいですな」


 何が良いもんか!と怒鳴りかけて口をつぐむ。神職に、しかも自分が祀る神を悪罵されて不快に思わない宗教者などいないだろう、おそらく。だから幸嵩は、グッと怒りをこらえ唇を固く結ぶ。


「……それで、そのミカミさま?に再びお会いすることは出来ないのでしょうか?えーっと……そう!神降ろし、で。もっと詳しい事情が知りたい。

 と言うより私は、俺は帰りたいんです……家に帰りたい、んです」

「あちらには御家族が?」

「いえ……父も母も祖父母も既に他界してます。結婚もしてません、恥ずかしいですけど今のとこするような相手も。でもあちらには俺の生活がありますし、俺がいなくなったらなったで知り合いは心配するでしょう。」

「……確かに」

「どうにか、なりませんか?」

「……御帰参を、というのであれば、おそらくは出来るのではないかと」

「本当ですか!」

「……絶対、では御座いません。御神にその旨を申し上げたならあるいは、で御座います。ただ、それも今のままでは難しいかと」

「どういうことです?」

「良いですか、橘様は武を奉納された上でその武を極めるため世を変えることを請願なされた。そしてその意を受け神霊がそれを叶えられた。ならばそれを成さずして御帰還を望むのは天津罪に他なりませぬ」

「ッ――望んだって言っても強く思ったわけじゃない!ただちょっと、ほんのちょっとだけ――」

「されど。―――然れど成されたので御座います、橘様」

「ぅ……」


 宮司の最後の言葉に幸嵩は言葉を失った。現実は覆し用がない。それを覆せるとすれば原因を作った存在のみだろう。


「理不尽じゃないですか、そんなの」

「かも知れませぬ。ですが神霊とは荒御魂であり、また和御魂でも在られるので御座います。ですから橘様は請願を果たされるが宜しかろうと存じます」

「……剣の修業ってことですか」

「然様で御座います。すれば何れ請願成就となりし時、元の世に戻るを許されるに違いありますまい」

「だと、良いのですけれど……」


 力少なめに弱々しく言った幸嵩だったが、一度大きく息を吸って盛大な溜息を吐く。


「しかし、ですよ。俺の腕が極みに達した、十分だ、とミカミ様、えぇっと……アマツ、ミホ、コ、ノ神はどうやって判定するんでしょう?いつも見ているわけではないんでしょう?」

「そう……ですね。――――ああ、でしたら奉納演武にお出になってては如何で御座いますか?」

「奉納演武……」

「はい。御神は、天御矛神は、武の神でもあられますから当社も神事には武を奉納するので御座います」


 ふむ、と幸嵩はそれに頷いた。元の世界の御矛神社でも同じように祭の度に奉納演武が行われていたのだから、そのことに奇異を感じはしなかったからだ。


「その折には広く多くの武芸者が集まるので御座います。事前に人を募り、試合って頂き、その上で奉納の武を舞う演者を決めております」

「へぇ、集まるものなのですか」

「ええ、当社の神事はそれなりに有名でしてな、後に篤多あつた威瀬いせ衛士えじは元よりお公家の推挙を得て滝口に上り衛士となった者なども居りますし、大名家に召し抱えられる者など多々居るので御座います。

 ですので、遠方からも己の武を喧伝したい御仁が多数来られる次第で御座います」

「へぇ、滝口って宮中を警護する武士でしたよね、帝の御側にまで……それは凄い」

「はい、然様で御座います。」


 幸嵩は、なるほど、これは武辺者が就職先を探すにはとてもよい機会なのだなぁ、とえらく感心した。とは言え、今の自分にはあまり関係ないことではあったので、何故演武に出ると良いのか?と宮司に話の先を促した。


「神事では御神が、天之御矛神が託宣をなされますので」

「……ああ、なるほど」

「はい。ですので、おそらく橘様が武を奉納なされば何かしらの神意が示されるのでは、と考えている次第で御座います」


 幸嵩が沈黙し、少し考えだしたのを機に宮司が茶に手を伸ばす。コトリ、と茶托の上に茶碗を戻した時彼は幸嵩の問いを発する声に顔を戻した。


「次のそれは……奉納はいつなんでしょう?」

「つい先達てでしたからな。来年の神事の際に、と相成りますか」

「来、年……」


 自らの呟きに再び幸嵩が黙る。行灯が作る二人の影が壁に影を映し、ゆらゆらと揺らしていた。それはまるで自分の心の中を映しているようにも幸嵩には思えた。

 たった一年。たったの一年で自身の武が完成するなどとは、高みに至れるなどと思っていない。

 過去、流派の先師の中には数え六つ(実年齢で五歳)で剣を取り、十年に満たぬ、齢十五(実年齢十四歳)の頃にはには免許皆伝となった天才、傑物もいる。しかし、それは彼らが才能があった上に師に恵まれ、不断の努力をして得られたものであったはずだ。

 幸嵩自身も自分が修練を疎かにしているとは思っていないし、師にも恵まれているとは思っている。だが最後の一つ、才能の方はお世辞にもあるなどとは言えない。それに努力を欠かしていないとは言え、それは自己の基準であって過去の先師に比べれば現代社会での縛りもあってか修練の量も質も劣っていると言わざるを得ない。


「一年……」

「長くもあり、短くもありますな」

「……」

「未だ時間はありまする。お出になるにせよ、見送るにせよ、まずは腕を磨かれるが宜しかろう」

「それが神意に叶うと?」

 

 自分を見つめた後、しっかりと頷く宮司を見て幸嵩は盛大に溜息を付いた。そして天井を見る。そこには壁や襖戸と同じように行灯の明かりによって生まれた影が揺ら揺らと蠢いていた。

 剣の修行。それ自体には否は無い。それは彼にとって、橘 幸嵩にとって昔も今もこれからも共にあるものなのだから。それは常なのだ。神意に叶おうが叶うまいが、場所が変わろうが変わるまいが、続けられる限りは続けていくことに変わりは無い。上手く行けば成長した自分を師に、兄弟子に披露することができる。それはとても喜ばしいことだ。

 だが、幸嵩の顔は曇る。心配を掛けた上に怒られるだろうな、と。そして道場関係のことは勿論、勤め先にも迷惑や心配をかけ、最終的には仕事を首になるだろうと思うと気分が下がっていく。


 しかし、幸嵩はひとしきり落ち込むと、おもむろに姿勢を正し、目を瞑る。すぅ、と息を大きく吸い、ふぅと細く息を吐いた。それを二回繰り返す。そうして心に水面を思い浮かべ堕ちる水滴を眺めながら、心を落ち着けていった。そして最後に大きく息を吸い込むと叭っと鋭く息を吐いた。

 何を悩む。つまるところ結局はやるしかないのだ。


「鬼に笑われるかも知れませんが、もし帰れるのであれば良い土産話になるでしょうね」

「はははっ、ご安心を。いくら来年のことであってもこれほどの大事。そうそう鬼族の方達も笑いはせんでしょう」

「―――そ、そうですか」


 やっぱり鬼族は来年のことを話すと笑うんだ、と宮司の話した真実に幸嵩は驚きながら相槌を打った。その刹那―――


 ぐぅ 

 

 と腹の虫が鳴った。今の今まで空腹を忘れていたのに、とりあえずの方針が決まり少し安堵したことが体に空腹を訴えるだけの余裕を与えたのだった。


「お、ははっ、確かに腹も減ってまいりましたな。今夕餉を持って越させましょう」

「いえ、そんな、甘えるわけには。これで失礼させていただきます」

「何を仰るので御座います。橘様は客人きゃくじん。持て成さずして帰してしまっては御神に合わす顔が御座いません」


 恥かしさに赤面し、せっかくの宮司の誘いを固辞しようとする幸嵩だったが、宮司はさっさと手を叩いて人を呼び食事の用意をするように言付けてしまった。観念した幸嵩は礼を言い、宮司の申し出に甘えることとした。

 こうして幸嵩はようやく今日初めての、そして異世界で初めての食事にありつくのであった。



  ◇



 蒔絵の施された黒漆塗りの膳で供された料理の数々を前にして彼は、ほぅ、と感嘆の溜息を漏らし、次いで笑みを浮かべた。

 黒塗り内朱の飯椀の中で、ほかほかと湯気を立てる白地に緑のトッピングがなされた菜めし。同様の椀に満たされた透き通った汁の中で湯葉の淡黄色と三つ葉の新緑が泳ぐ吸い物。白磁に絵の描かれた美しい器に盛られた緑鮮やかなきゅうりとワカメの酢の物と茄子の生姜醤油。そして最後に小さなコンロの上の陶板で切り分けられたステーキと付け合わせのアスパラガス、ベビーコーン、人参の輪切りが焼かれていた。

 料理もさることながら、それら料理が盛られた器もまた彼を魅了する。実に現代日本風の食事であったが、あまりの美事さに幸嵩は突っ込みをするでもなく、ただただ眼と鼻、そして耳を総動員して目の前の御馳走に気を向けていた。

 

「ささ、橘様、冷めぬ内に召し上がってくだされ」

「ッ――そう、ですね。では、頂きます」


 待ってましたとばかりに幸嵩は箸を取ると吸い物に手を伸ばす。一口、口に含むと出汁の旨みと風味が舌と鼻を楽しませ、次いで三つ葉の香りが爽やかに香る。うまいッ!、と思いながら椀を戻し、飯碗を手に取った。菜っ葉が混ぜ込まれた白米には、ほんのりと塩味が効いてそれが逆に白米の美味さと甘さを引き立てる。そして茄子へと箸を移す。生醤油きじょうゆのしょうゆしょうゆした存在感と生姜の辛さと爽やかさ、そして茹でられた茄子のとクニュリした歯ごたえ、それらが絶妙に混ざり合い幾らでも食べられそうだった。これも美味しい、と幸嵩は感じ入ったようにそう思う。

 そして、主菜である肉へと目を向けた。おもむろに箸で肉の一切れを摘み、おろし醤油につけて口に放り込む。もしや生なのではと思うほどに肉は柔らかく直ぐに噛み切れていった。それでいて肉汁の旨みと脂の甘さが口中に広がる。やがて蕩けるように消えていった肉の味が口の中で尾を引く。もっと!もっとだ!もっと肉を、と舌がせがんでいるのを感じる。衝動にに耐え切れず、また一切れ、箸を伸ばすとそこには至福が待っていた。幸嵩は、知らず頬を上げ、にんまりとした笑みを浮かべながら肉の美味さを楽しむ自分を自覚した。次いで、未だ口に残る肉の脂をきゅうりの酢の物でさっぱりとさせた後、再び汁椀を手に取った。湯葉のクニクニとした食感を楽しみつつ汁を喉に流す。肉とはまた違った旨みに、ほぅっと溜息が出た。

 その後、幸嵩はこの甘美なる時を余さず漏らさず隅から隅まで堪能するために汁を一度、飯を二度お代わりしてからようやく満足気に箸を置いた。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さまで御座いました。いや、良い食べっぷりで御座いましたな」

「あッ……いや、お恥ずかしい。丸一日食べていなかったもので。それを差し引いても大変美味しかったです。料理屋も顔負けです。作った方にもそうお伝え下さい」

「お褒めの言葉ありがとうございます。はい、確かに伝えると致しましょう」


 食い意地の張った様を言われてしまい恥ずかしく思いながらも幸嵩は、素直にそう感想を述べた。宮司は、その言にニコリと微笑み、逆に頭を下げる。そして膳を下げに来た給仕役の神職に幸嵩の言を台所方に伝えるように言った。

 膳を下げられると入れ替えに持ってこられたお茶とお茶菓子を挟み、幸嵩と宮司の話は続いた。


「しかし、肉が出てきたのには驚きました。アスパラにも。肉食は忌避されてないんですか?」

「? 異な事を申されますな? 仏門でならいざ知らず、私どもにはそういう禁忌は御座いませんよ。確かに社の神使である獣を食べるということは御座いませんが。……橘様の世ではそうではなかったので?」

「そういや……いや、どうでしょう?そう言われると普通に肉が出てた気がします」

「然様で御座いますか。あすぱら、というのは聞いたことが御座いませんが何を指してお出でですかな?」

「ああ、ええっと、あの緑の土筆みたいな―――」

「ああ、松葉独活まつばうどのことですか。阿蘭陀雉隠おらんだきじかくしとも申しましたか。南蛮から入ってきたものですが、さして珍しいものではないですな」

「へぇ」

「然様で御座いますか。面白いものでございますな、こちらの世とそちらの世の同じと違い、橘様はこちらの世のことを【げぇむ】なる物として見知っていたとか?」

「ええ、おそらくはよく似たものを知っています。ああ、そう言えば、それで気になっていたことがあるんです」


 そう言うと幸嵩は、最初に気がついた場所で出会った二人の妖狐族の母子の母、佐知が自分を見知っていたことをを宮司に話した。そして、それらの状況は人の違い場所の違いはあっても大体が自分の知っているゲームでの始まりと同じ、よく似ていたものだと告げる。


「さぁ、流石にそれは分かり兼ねますな、御神のなさったこと故そこに我らの窺い知れぬ御心があるのやも知れませぬ」


 と言いつつも宮司はある種の予想を立てていた。だが、それはあまり愉快な話ではなかったため口にだすのが憚られた。故に当り障りのない言葉を弄する。


「おそらくは御神が橘様を慮ってのことかと、【げぇむ】とやらで見知っておるのと同じなれば馴染むのもの容易いとお考えだったのでは」

「はぁ、そういうものですか」


 なんとも味気のない返事を茶を啜りながら返す幸嵩を、宮司は全く別のことを考えながら眺めていた。幸嵩が聞いた問い。何故ゲームと同じだったのか。その答え。

 幸嵩をここへと連れてきた神、天御矛神はその名の通り、矛の神、神の矛、国を造ろい固め成す矛。故に世界を幸嵩の願いを聞き届けた瞬間にその歴史さえ含め創出したのではあるまいか。

 神懸かりの巫女の口から紡がれた託宣には、はっきりとではないがそれを示唆する、推測させる言葉が含まれていた。つまり、幸嵩がいなければ、世界は存在せず、世界は幸嵩のためだけに存在するという、誰にとっても納得の行きかねる考えであった。

 自分を含めた世界が、ただ一人の男の祈念成就の為に造られた。それが彼の認識している世界。ほんの一寸前から始まった幼く脆い世界。幸嵩の祈念成就の暁にはその役目を終え、泡沫に消えるやもしれぬ世界。


 ぶるり、と寒気を祓う。こちらの心情など露とも知らず呑気に茶菓子に黒文字を突き刺し口へと運ぶ青年の様子を目にして、なんとも遣る瀬無くなり、そして自嘲気味に、ふぅと笑う。

 大陸の古代王朝『杞』に住まう男は、もしかしたら自分と同じ気持ちだったのかもしれない。そう思うとその故事の教えを活かしていくのが良いだろうと独り頷いた。


 何時この世が始まったのか本当のところはわからない。ただ自分の、自分たちの認識は遥か古より連綿と世界は続いてきた、そしてこれからも続いていくという物。

 しかし、それが誤った事実だとしても所詮神ならぬ人の身の自分達には分かぬこと。真実一寸前に世の全てが始まっていたとして、自分達には分からない。ならば同じ理屈が終わりの時にも当て嵌まろう。なにせ始まりと終わりは常に対と在るものなのだから。

 そして、そのようなことに囚われ悲嘆に暮れずとも、確かに、今、自分たち此処に居るのだから。


「惑うこと無く、今はここを現し世と定め、地に足を付け、根を張り、枝を伸ばすことこそが寛容なのではと思うております」


 その言葉が、他者に言い聞かせるようでもあり、自分への宣誓のようでもあったことを茶菓子を頬張る幸嵩は終ぞ気付きはしなかなかった。



  ◇



 夜の暗闇の沈んだ鎮守の杜を提灯の明かりを頼りに歩く。鳥居まで見送りに来てくれている宮司へと幸嵩は頭を下げた。


「夜分遅くまでお邪魔を致しました」

「いえいえ、橘様に御神より賜った役に御座います故、何程の事も御座いません」

「なら良いのですが」


 提灯の小さな明かりでは中々にその表情を見ることは難しいが、その声音が優しかったことに幸嵩は安堵した。そして、ふと先ほどのことが気になってきた。それは何故自分を橘幸嵩本人だと判断したのだろう、ということだった。


「―――あ、と言えば、あの、大したことではないのですけれど、どうしてあの時私が橘幸嵩と分かったんですか?正直、私は名乗っただけですよね?」


 唐突に告げられた質問に宮司は少々戸惑ったが、その時の情景を思い出す。確かに彼は幸嵩を見定めるように検分していた。


「ああ、そうで御座いましたな。それは……見た目と、やはりその口調で御座いますよ」

「口調?」

「見た目に反し、砕けた、更に女娘のような口調の侍である、と御託宣にはありましてな。それでで御座いますよ」


 苦笑とともに告げられた言葉に幸嵩は、昼間、大家の善兵衛から指摘されたこととを思い出し、ここでもやらかしてしまったか、と自分の迂闊さを嘆くも後の祭。後悔先に立たず。幸嵩は自分が突拍子もない変な人だと思われはしなかったかと恥ずかしくなった。


「やはり……その、口調そんなに変ですか?」


 恐る恐ると言った感じでそう尋ねる。しかし宮司はそれに優しく首を横に振った。


「いえ。言うほどでも御座いません。御国訛りなのでしょう、朱に交わればなんとやら、何れ橘様も当世風の言葉遣いも覚えることでしょうな」

「そ、そうですね」


 言葉の端々に感じる宮司の気遣いに胸をなでおろし、言葉遣いには気をつけてロールプレイをしなければな、と密かに強く思う幸嵩であった。



  ◇



 幸嵩は、鳥居まで見送りに出てくれた宮司に別れを告げた後、月明かりに照らされた時代劇の町並みをなんともいえぬ面持ちで長屋へと戻ってきた。

 近所の家々、向こう三軒両隣からはボンヤリとした明かりが漏れ、薄い戸と壁を超えて家族団欒、夫婦喧嘩、家族会議などを行う住人の声が漏れ聞こえてくる。

 その声を遮るように幸嵩は戸を閉めた。行灯に火を、と思いどうやってつけるのか分からず取り敢えず縁側の障子窓を開けて月明かりを入れ込んだ。不便だ、と呻いた。

 刀を刀掛に掛けた後、ごろりと横になった幸嵩に木で組まれた天井が見えた。薄闇の中、掲げるように右手を天井へと向けた。幸嵩が手にほんの少し力を入れると、手と指はその命令に従ってピクリと動き、そして開いたり閉じたりした。


「地に足をつけろ、か」


 幸嵩は誰に訊くでも無く話すでも無く、宮司に諭された言葉を口にした。

 自分の思い通りに動く指を見て、そして感じて幸嵩は理解し始めていた。というより納得せざるを得なかった。ゲームの中、もしくはゲームを元にした、似通った現実という自分を取り巻く世界を、自分が存在する世界の有り様を。

 一応、まるでオマケの如くこの不条理な出来事を打破する道が示されたとはいえ、余りのことにほとほと疲れ果てていた幸嵩は、この理不尽に憤りと呆れを通り越し、逆に滑稽とさえ感じていた。

 手で顔を覆った。指の隙間から変わらぬ天井が見える。知らず口元が歪む。


「ふふ、ふははっ、くくく」


 何かを期待するかのような楽しげな笑い。呆れと諦めを含んだ自嘲的な笑い。それは狂っているかのようでもあった。


「そうだね……確かに俺は望んだよ。そんな世界を体験してみたいって。はっ、それに修行自体に厭はないさ。経験を積めるってのは喜ばしいことだ」


 そこで言葉を途切れさせる。近所からの話し声と虫の声、そして何処かで風に揺れる風鈴の音が遠く耳に届く。

 静寂の中、やおら幸嵩はのそのそと起き上がりだし、刀掛けを前に居ずまい正した。すっと目を閉じ、顔を引き締め、一つ、二つ、深呼吸。


 そして―――


「あいわかった。なればこの橘 幸嵩、この地にて見事侍を演じ切り、腕を積んで何れは高上へと至ってみせようぞ。」


 そして一旦言葉を切った後、目を見開き睨むように前を見る。


「―――何処いずくに居わす天津神よ、しかとその目で御覧じ在れ」


 それは、やけっぱちで格好つけの宣言だった。意気地が無いのが彼の性根ではあったが、追い詰められたらネズミだって猫に立ち向かうことがあるのだ。彼にとって今がその時だった。

 そう、これこそが、彼、橘 幸嵩がこの世界で“サムライ”として生きる選択を自らに下した瞬間の言葉であったのだ。


                                           第壱幕 了

 用語設定


【篤多/篤多神宮】(あつた/あつたじんぐう)

 神生みの剣、天之尾羽張を奉じる由緒と歴史のある神社。 奉じられている御神体故この地方を尾羽張おはりと呼ぶ。

 地元民には篤多さんと呼ばれている。(さんは、敬称のさんであり山ではない)


※ 勿論モデルは熱田神宮。


【威瀬/威瀬神宮】(いせ/威瀬神宮)

 威瀬神宮。お威瀬さん。


※ 勿論モデルは伊勢神宮。


【鬼/鬼族】(おに/おにぞく)

 和風なファンタジーで御座る内のキャラの種族設定の一つ。

 頭に一本~二本の角があり犬歯が牙と言えるくらい大きいキャラ。

 来年の話をしても別段笑いはしない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ