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侍☆ロールプレイ  作者: もけきょ
第壱幕 異世界は似非時代劇だったで御座る
2/13

 気がつくと幸嵩は見知らぬ所に立っていた。

 目の前には長屋と呼ばれる類の板葺きの和風な建物。横を見れば同じような建物と井戸が見える。振り返れば、戸が開け放たれた長屋の一部屋。幸嵩はちょうどその家から出てきたような格好でその場に立っていた。


「ぅん?」


 開口一番、幸嵩はそう漏らす。そして自身の風体を見てもう一度同じ音を漏らした。幸嵩が身にまとっていたのはテレビの時代劇の端役、敵役でよく見かける浪人が着ているようなくたびれた袴姿に足袋に草鞋姿だったからだ。

 自身の格好に疑問符を頭の上で描きながら、腕を掲げ、脚を上げ、その場で身体をくるりと一周してみる。それは先の演武の際に着ていた物と同じ和装であっても、幸嵩が持っているものでは決してなかった。

 右も左も分からぬ状況、一体全体いかなる仔細があったのか?と、幸嵩は昨晩から今の今に至るまでを思い出すべく云々と首を捻り始めた。

 

 祭りの打ち上げの宴で幸嵩は、しこたま飲んだ。そして飲まされた。前後不覚になるほどではなかったが、酒に手を出して間もない彼は自分のペースなど把握しておらず好い加減に酔っぱらってしまっていた。

 その帰りしな、師である木山弘典から目録のことやら、これからの稽古についてやら、新たな道場生としてお孫さんが来ることやら、色々と聞かされたが余り真当な返事を返していなかったことを思い出し、失敗したと幸嵩は今更ながらに後悔の念を抱くに至る。

 そんなこんなで、家についても寝間着に着替えることもせず、服を脱ぎ散らかしたままベッドへ直行、倒れこんだ。それが、昨日の幸嵩の最後の記憶だった。


 今の状況と記憶にある昨日の最後とが連続しないことに、ぬぅと唸るも現実は変わらなかった。

 幸嵩は改めて周囲を見回す。そして、考え難いことではあったが、あるとすれば無くはないのかもしれない一つの可能性を思いつく。時代劇の衣装を着て、これまた時代劇の撮影所のセットのような場所に立つことができる方法。それは、とあるゲームを―――

 そんな時だった。

 ガタリと隣から音がしたのに一瞬ビクリと体を震わせ驚くも幸嵩が顔を向けると丁度隣家から女が出てくる姿が目に入った。そして、その女性を目にして幸嵩は絶句した。

 やがて、その女性は立ち尽くす幸嵩に気がつくとふわりとした笑みを見せる。

 

「あら、橘様、二日酔いはもう宜しいので?」

「あぇ、え、いや、えーっと、は、はぁ」


 しかし、幸嵩は問われたことに上手く答えられなかった。目の前の人物の姿に頭がうまく働いていなかったからだ。

 背丈は一五〇センチメートル程で、時代劇の町人が着ているような和服を身にまとっている。たがしかし、驚くべきところはそこではない。注目すべきは頭。くすんだ黄金色、そうキツネ色の髪もそうだったが、そこに生えている獣の耳のほうが目を惹いた。それは紛れもなく狐の耳。たまさか、ぴこぴこと動いていることから見るに飾りというものではないだろう。そしてもう一つは、尻。そこに生えているふわふわと揺れる狐の尻尾だった。

 狐耳、狐尻尾を生やした人間の女。人間ではありえない、そんな女の姿に幸嵩は衝撃を受けていた。やっぱり、と。


「それは良うございました。うちの人なんか、まだうーうー唸っていますから。橘様の引越し祝いにかこつけて見境なく飲むんだから良い気味です」


 そう言ってころころと笑う女。すると家の中から男の声が聞こえた。


「るせーぞ、佐知さち!要らねぇこと―――うぉおぇ!」

「ほら」

「……」


 男の慟哭にクスクスと忍び笑いを漏らす佐知と呼ばれた狐女。未だ目の前の存在についての理解が追いつかない幸嵩は、それにどう答えていいのか分からず口をつぐむ。

 だが、何かを言わなくてはと心は焦りぐるぐると言葉を探していると、不意に下半身に違和感を感じた。昨日しこたま飲んだ水分が、時間とともに吸収され膀胱の中に盛大に溜まったことを知らせる生理現象。すなわち尿意だ。

 そわそわと辺りを見回しトイレを探す幸嵩。


「どうかされ―――」


 佐知がすべてを言い切る前に、彼女はボスンと下半身に受けた衝撃で言葉を切らされてしまった。


さき!」


 幸嵩の眼は、佐知の言葉を切った張本人、隣家から出てきた幼い少女を捉えていた。童女は、幸嵩の存在に気が付くと、驚いたのか慌てて佐知の後に隠れてしまう。


「あらあら、困った子ね」


 そんな童女をあやすように佐知が頭を撫ぜながら告げた。やはり、その頭にも狐耳があった。黒髪の間からひょっこりと顔を出した狐耳は撫でられるとぴるぴると震え、くすぐったそうにしている。


「咲、この方は橘 十蔵様と言って箕乃みののほうから昨日隣に越して来られたお武家様ですよ」


 佐知の言葉に幸嵩は目を見開いて驚いた。何故なら、橘 十蔵という名前は幸嵩がゲーム【和風なファンタジーで御座る】の中で作った自分のキャラクターの名前だったからだった。

 しかし、その疑問の答えを求める質問の機会は、目の前の親子によってあっさりと潰されてしまう。  


「橘様、娘の咲にございます。

 ほら、咲、これから御世話になるのだからご挨拶なさい。」


 そういって背を押す狐耳を持つ母親の佐知。咲と呼ばれた狐耳の童女はどうも緊張しているのか、へにゃりと狐耳を垂れ下げ、顔を俯かせたままだったが、やがて幸嵩の耳に小さな声がポツリと聞こえた。


「……咲」

「……よろしく、咲ちゃん?」


 自己紹介に答えるべく厳つい相好を崩しながらも幸嵩がそう言うと、咲は吃驚したのだろう顔を上げて目を見開いた。そしてそれと同時に髪の毛の中の狐の耳がぴこんと立ち上がる。そして直ぐに再び母親の後に隠れてしまった。

 その行動を黙ってみていた佐知は、苦笑とともに頭を下げてきた。


「すみませぬ、まだまだ礼儀知らずで。せっかく橘様が優しくしてくださったと言うのに」

「あ、いえ、そんなことは……あの」


 幸嵩は、自身のこと、この場所のこと、そして狐耳のことについて尋ねようと声を出しかけたが、しかし佐知はそれどころではなく後ろの咲を気にしていた。どうやら咲がクイクイと着物を引っ張って気を引いているようだった。


「ちょっと待ってね、咲。

 ――申し訳有りませぬ橘様。私どもはあの人の薬を取りに宗達先生のところに行きますので」

「ああ、それは……すみません。お引き留めを」


 用事の邪魔をしてしまったか、と恐縮した幸嵩はぺこりと軽く頭を下げた。

 しかし、それは却って佐知を恐縮させてしまったようだった。佐知はその狐耳をへにゃんとさせて困ったように、手をブンブンと振り頭を下げた。


「いいえ、いいえ、とんでもございません。良いんですよ、本当は薬なんていらないんですから」

「は、はぁ」

「……お母ちゃん」

「はいはい、本当咲はお父ちゃんに甘いんだから」


 咲が少し非難がましい声音で再び着物の袖を引っ張ると、佐知は観念したように娘の頭を撫でた。そして幸嵩に向き直ると頭を下げて口を開いた。


「それでは橘様、私どもはこれで。ほら、咲、ご挨拶なさい」

「……さ、よう、なら」

「え、ああ、はい、さようなら」


 背を向け、手に手を繋ぎ、ふわふわと狐の尻尾を揺らして長屋を出てこうとする親子を幸嵩は呆然と見ていた。しかし、不意に再び強くなった尿意がその行為を止めさせた。


「あ、あの―――すみません!」


 幸嵩の上げた声に二人は立ち止まり振り返った。不審げな顔で「何か?」と母親は尋ね、娘は母に抱きつき、そのクリクリとした眼でじぃっと彼を見つめた。


「あの、トイレはどこ―――じゃなく……雪隠せっちん、厠はどこですか?!」

「―――ああ、ご不浄でしたら」


 トイレと言ったところで怪訝な顔が変わらなかったことに気が付いて言葉を選んで問いかけると、合点がいったのか、ついっ、と佐知が右手で長屋の奥を指し示す。長屋とは違う簡素な小屋が見える。あそこがそうなのだろう。

 幸嵩が礼を述べると「いえいえ、それでは」と母娘は今度こそ本当に長屋を出ていった。



  ◇



 その小屋の周りには数匹の蝿がブブと羽音を立てて飛び回っていた。

 二つの部屋に仕切られ、左側は完全な個室として、右側は上下が開いている木戸が付けられている。そして、部屋を仕切る壁を作る真ん中の柱には烏枢沙摩明王と書かれた御札が張られていた。

 幸嵩が右の戸を開くと、足元、視線を落とした先に一抱えほどの丸穴が穿たれていて、その穴には黄色く濁った水、すなわち小便が溜まっていた。

 その光景と臭いに、うっ、と顔を顰めたが漏らすわけにも行かない彼はキョロキョロと回りを見やり人が居ないことを確かめるとと、おもむろに履いていた袴の紐を解いて脱ぐと、木戸にバサリと掛けた。

 小水を溜池へとじょぼじょぼと注ぎ入れ、ほぅ、と開放の快楽に浸っていた幸嵩は、その段になって漸く自分が見聞きし体感していることに考えを巡らせ始めた。


 目に映る長屋を代表とした時代劇のセットを思わせる周囲。

 橘 十蔵 幸嵩。乃生のう州は箕乃みのの出。朽木派真刀流皆伝。武士。だがそれは、橘 幸嵩、すなわち現実の自分をモデルにデザインしたゲーム内のキャラクターの話であるはずだった。

 狐耳と狐尻尾を生やした町娘風の女性と同じように狐耳尻尾を生やした童女わらめ。人の姿をした狐。妖狐。それは、プレイヤーを含めたゲーム内のキャラクター達の種族の一つ。

 ゲーム、ゲーム、ゲーム。幸嵩に示される情報の全てがそれを物語っていた。

 

 やっぱりゲーム【和風なファンタジーで御座る】をしているのだろうか、と幸嵩は思った。それにしては、おかしいことが多かった。ハード的な意味、すなわちゲーム機の機能から見ても、ソフト的な、すなわちゲームの内容から見ても奇妙なことが多すぎていた。


 確かに現在のヴァーチャルリアリティゲームというものはプレイヤーに現実と見紛うばかりの仮想世界を与えてくれる。

 しかし、幸嵩にゲームを起動させた記憶など無かった。昨晩は家に帰って来て直ぐに、ベッドにバタンキューだったのだから。もし仮に記憶が間違いで、家に帰った後ゲームをしようとしたのだとしても、VRゲーム機にはプレイヤーの健康状態を把握する機能が備えられていて、例えば昨晩のような状態、つまりは酩酊状態は元より自動車の運転と同じく血中アルコール濃度と比例関係にある呼気中アルコール濃度がある一定以上検出されるとゲームを起動させない、強制終了するなど処置が取られるようになっている。


 そうした事柄から、今現在、己がゲームをしているとは考えづらい。


 ゲームの内容にも幸嵩は疑問を抱く。

 記憶にあるセーブデータを元にしてゲームが開始されているならば、彼の拠点は庭付きの一軒家で、着ている着物ももっと上等なものだったはずだ。もし仮に新規スタートだとして、長屋の作り自体はどの場所も大差ないので記憶に残っていないが、デフォルトで与えられる拠点の隣に妖狐の母娘は住んでいなかったはずだった。


 そして何より 今の今、やっている排泄という行為、鼻をつんざく刺激臭、ゲームの世界ではあえて実装されていない行為であった。

 夢にしては現実感がありすぎた。ゲームの世界っぽいがゲーム中ってわけでもないらしい。幸嵩は何がなんだか分からなくて、居ても立っても居られず、ぶるる、と体を震わせた。それは図らずも排尿後の瘧のようでもあった。


「一体何がどうなってるんだ」


 袴を履き終えた幸嵩は、天高い空を見上げてそう零した。


 色々なことを考え合わせると辻褄が全く合っていない。今の状況は幸嵩にとって奇妙奇天烈摩訶不思議以外の何物でもなかった。 

 だけれど合理的に今の自身の状況が説明つけられなかった幸嵩は、ゲームだとするならばメニューウインドウやらステータスウインドウやらといったVRGに付き物の空中に浮かぶ画面を呼び出せるはずなのだから、と試すだけは試してみた。それしか思いつかなかったのだ。ゲームならば終了させれば良い、ゲームであってくれと願いを込めて。

 しかし、その願いは天に通じなかった。幾度試してみても、それらしい反応など唯の一つも起きはしなかったのだ。それ以外の強制的にゲームを終わらせる方法を試してみても云とも寸とも言わない。


 自然、眉間にシワが寄り、険しい表情を作られる。額に手をやり、目を閉じ心を落ち着かせようと深く息を吸い込み、そして細く吐いた。それを二度繰り返す。そして最後にハッと息を吐く。


「……よし、落ち着いた」


 実際は大嘘だったが自分に暗示をかけるように彼はそう言うと、改めて先ほど立っていた長屋の一室の前へと戻った。

 長屋から通りへと続く出入口に目を送り、一体ここがどういったところなのか確認しなければ、と思う。そんな折、唐突に気がつくことがあった。ここがゲームに良く似た場所、もしくはゲームの中で、自分がプレイヤーキャラクター橘 十蔵 幸嵩ならば、あの時、この場所で気がついたのは正にオープニングムービー後のゲームスタート時と同じ状況ではないか、と。

 バッ、と彼は後ろを振り返り、長屋の一室をよくよく眺めた。ゲームと同じならば、此処こそが拠点となるはず、と判断したからだった。

 幸嵩は自分の家となっているだろう長屋の一室に駆け込んだ。視線が部屋の脇に片付けられている刀掛けに掛けられた大小二本の日本刀へと吸い寄せられる。遠目に見て、その拵えには見覚えがあった。


「どうして……」


 先ほどの落ち着いたという言葉など何処へやら、幸嵩はそれを手にとった瞬間、茫然とそう漏らしてしまった。オーソドックスな黒呂鞘に小柄こづか馬針ばしんを収め、柄は黒漆の塗られた鮫皮さめがわに紺色の紐で巻かれ、目貫めぬき雪持笹ゆきもちざさつばは、丸型に銀の鍍金めっきが施された雪持笹があしらわれている。

 逸る心に突き動かされ、鯉口を切るとそのままスラリと刀を抜く。鈍色に光を反射する刃がそこにはあった。

 それは彼が、習っている朽木派真刀流の中伝を終えた折に、師と懇意にしている刀匠に打ってもらったものだった。刀身の長さは、ニ尺四寸四分(およそ七十四センチメートル)、重さは参百四拾(もん)(およそ一・二七五キログラム、鍔、柄込みで)。棟は庵棟いおりむねで、反り浅く、しのぎ高い。重ねは厚く、身幅やや広めで、刃文は直刃。斬るための一振り。

 違っていてくれ、と言う願いを込めながら、一旦、刀を鞘に戻し目釘を抜いて柄を外しにかかる。その手つきは慎重ではあったが手慣れたもので、あっという間に装飾は外された。中心なかごに掘られた銘を見て愕然とする。直江住 中田兼康。記憶と寸分たがわぬ、それは師に紹介された刀匠の名そのものだった。


 刀鍛冶に打ってもらう刀。その類のものは【和風なファンタジーで御座る】の中にも存在した。

 鋼の指定から、刀の諸元まで入力して相応の対価を払いさえすれば鍛冶師は刀を打ってくれる。拵えにしたってプリセットで気に入らなければ自作しデータをコンバートして入れればゲーム内で使用出来る。

 しかし、幸嵩はそれを使い現実の自分の刀を再現はしなかった。彼の持つ刀は、彼の身体に最も適するように考えて打って貰った刀だった。そして、彼が最もよく振る刀ではあった。だが、それしか扱えなくなるようでは良くない。だから、現実では資金的な理由で本身や模擬刀を何本も所有できないのでせめてゲームの中だけでも、と諸元の違う刀しか用意してなかったのだ。


 だからこそ、幸嵩は驚いていた。ゲームならば手の中の己の刀は存在しないはずだし、その刀が存在しているならば現実ということになる。


「ここ、何処なんだ……?」


 突きつけられた現実に打ちのめされた幸嵩は、それだけ呻くと狭い“己の部屋”を宛てもなく見回した。



  ◇



 夕暮れ。今、幸嵩は途方に暮れていた。

 あの後、自らの大小二本の刀の存在を確認し、それ故に自らを取り巻く状況に痛めつけられた後、幸嵩は身に降り掛かった理不尽を解く鍵を求て長屋の外へと出た。まるで助けを求めるように。


 通りに出た幸嵩がまず目にしたのは、ここ正に時代劇!というのが相応しい街並みだった。そして通りを歩く和装を纏った老若男女の姿。

 まずはヒト、見慣れた日本人。いや、顔立ちは確かに日本人だった。しかし、暫くして幸嵩は現代の日本人との差異に気がついた。皆が皆、一様に背丈が低い。高い者でも一七〇には届かないだろう。一八〇近い彼を道行く人が物珍しげに眺め、口にしていたことからそのことに気がついたのだった。

 更には人間でないと思しきヒトまでいるのだ、佐知や咲のように狐耳と狐尻尾を生やした侍が厳しい顔つきで歩いていた。犬耳犬尻尾の童女と童が風車を手に手に走り回っていた。猫、狸など獣を基調としたヒトが着物を着て歩いている。鴉天狗のような黒い翼を持ったヒトが籠を担いでいた。前掛けをして鬼のような角を生やしたヒトが客に頭を下げていた。

 それを周囲の人間は奇異とも感ぜず当たり前としているようだった。狐耳の母子を目にした時、ゲーム【和風なファンタジーで御座る】との関連に気がついた時、に分かっていたことではあったが、それでも幸嵩は愕然とせずにいられ無かった。

 他の場所はどうなっている? と走りだそうとした時だった。


「橘様、お出掛けでございますかな?」


 しわがれた男の声が耳に届いた。驚き、そちらを振り向く幸嵩に男はニコニコと笑いかけていた。年の頃は六十前半と行った風体の老人だった。だが、その身に着けているものは中々に上等なものであった。

 老人の名は、藤屋善兵衛。幸嵩は知らなかったが、呉服商藤屋の隠居で彼が暮らす長屋の大家でもあった。


「え?……ええ、少し」


 いきなり現れた知らない老人に警戒感を抱きながらも幸嵩は失礼がないように言葉を発した。老人はその幸嵩の態度に全く気が付かず、何事もないかのように言葉を続けた。

 

「それはそれは。丁度、地図を持って来たところでしたので入れ違いにならず良うございました」

「地図……ですか?」

「橘様は、まだ道に不案内でございましょう? ですので。店子は大家の子も同然と言いますしな。余計なお世話で御座いましたかな?」

「え?いえ、そんな……助かります」


 なるほど、この人は大家だったのか、と人間関係を把握して少し安堵した幸嵩は、差し出された四つに折られた紙を受け取った。それを広げ、中身を確認する。


「ここがうちでございますな。そして、こっちが北であっちが東になりますか」


 まず善兵衛は地図の一点を指した。通りに面したその四角には呉服商藤屋と書かれていた。そして地図上の北を指さし、そのまま指を空中に持って行って在らぬ方向を指し示す。東についても同様だった。

 幸嵩は、地図と周囲を交互に見比べ、なるほど、と唸った。


「これは……ありがとうございます。お陰で道に迷わずに済みそうです。」


 幾分かした後、自分の中で情報を消化した幸嵩が善兵衛に礼を言って頭を下げた。すると善兵衛は目を見開いて驚き、まじまじと幸嵩を眺め始めた。そして次いで慌てて幸嵩の頭を上げさせようとした。


「お、おやめください、橘様!お侍様が私どもにそんな深々と頭を下げられるなど!」

「あ、いや、しかし……」

「橘様は私どもにも丁寧にお話して下さっているだけでも恐縮でございますのに、その上頭まで下げられては……。藤屋はお武家様を顎で使っていると在らぬ噂が立ってしまいます。ご勘弁ください、橘様」


 そう言って今度は善兵衛のほうが頭を深く下げた。


「あ、それは、そんなつもりでは……」

「わかっております、わかっておりますとも。橘様にそのような御積りが無いことは存じております。ですが、余人の目というものがございますれば」

「……すみません―――オホン、相済まぬ。以後は気をつけると致そう」


 普通に謝った後、善兵衛の睨みにその意味を悟った幸嵩は、わざとらしい咳払いの後、時代劇の侍っぽい口調でもう一度謝罪の言葉を口にする。そして善兵衛の話から、これから人に会うときは、なるべく侍っぽく振る舞い、言葉遣いもロールプレイをしたほうが良さそうだ、と思う幸嵩だった。

 身に着けていることが身に着けていることだけに幸嵩は、時代劇やら時代小説やら、そういうものに鋭敏に反応するセンサーを備えていた。勿論、本物の武家言葉など使えるわけではなかったが、なんちゃってお侍さん口調を喋ることなんぞ彼にとっては趣味のお陰で簡単だったのだ。

 実際、【和風なファンタジーで御座る】で遊んでいるときなどは、その口調で話して一人時代劇ごっこをして悦に入っていたりする一風変わった趣味の人だったのだから。

 

「そうそう、そのような感じでございます。それが良うございますな。俄然、お侍様らしくなられました。あ、いや、これはとんだ御無礼を」


 老人特有のズケズケとした物言い故なのか、それとも善兵衛が善兵衛故なのか、彼は余計なことを口走った。幸嵩は、自分で言ったことを棚に上げた物言いをする善兵衛に苦笑しつつも気にしていないと侍っぽく伝え、今一度善兵衛に地図の礼を言うと今度こそ街を見て回るためにその場を後にした。



  ◇



 大家の善兵衛と別れた後、幸嵩は地図を片手に街中を歩いて歩いて、走って走った。見える街並みは、何処まで行っても瓦屋根の家々で何処とも知れずに向かう幸嵩とすれ違う人々は皆が皆、着物を纏っていた。

 幸嵩の記憶にあるゲームの中の街並みと良く似ていた。が、しかし同一ではない。ゲームなのか、夢なのか、それとも現実なのか、幸嵩には判断がつかなかった。判断がつかないまま幸嵩は何かを求めさまよい歩き続けたのだった。


 日はやがて傾き、周囲を橙色染めていく。幸嵩もまた夕日に照らされ、家路を歩く他の人々と同じように朱く染まっていた。

 街中を走り回り脚を棒のようにした幸嵩は、重い足取りで歩いている。引きずるような足取りは、そのまま彼の心の中を表しているようにも見えるだろう。

 ぐぅ、と音が耳に届いた。幸嵩はその段になって自分は今日一日まるで何も食べていないことに気がついた。どこからとも無く好い匂いが漂ってきていた。後幾らもすれば日は完全に落ち夕飯時となる頃合いであった。


「っ……こんな状況でも腹は減るか」

 

 自嘲気味にそう呟いて、何かを食べようかと思い立った幸嵩だったが、そういえば金など持っていないことを今更ながらに思い出した。彼は鼻孔をくすぐる空きっ腹には悪い匂いに釣られ路地にでている蕎麦屋を見る。再びぐぅと腹が鳴った。

 侘しさに溜め息を吐いた幸嵩は長屋に帰ろうとして、そこで、はた、と気がついて地図を見る。いつの間にか地図を見ることを忘れ、ただただ重い心で彷徨ってしまっていた。

 幸嵩は焦った。現在位置がわからない。帰り道がわからない。キョロキョロと周囲を見渡し、何か目印になるような建物や何かはないかと探す。唯でさえ訳の分からない状況に追い込まれていたのに、更に状況が悪くなったことに自分の迂闊さ、馬鹿さ加減を呪った。

 ―――ふと視線の先に見えた森に気が向いた。

 よくよく目を凝らせば石で出来た簡素かつ大きな鳥居がある。ふと、既視感を感じた。見たことがある。自分はこの鳥居を見慣れている、そんな感じを受けた。幸嵩は、その予感に似た気持ちのさざめきに突き動かされ走りだした。


 石碑。鳥居の前に鎮座する石碑に幸嵩は視線を奪われた。正確には、その石碑に掘られた文字に。そして幸嵩は自身の持つ地図へと視線を落とす。そこにもその名がしっかりと書かれていた。

 それらの文字は、この神社が「御矛神社」と呼ばれることを示していた。



  ◇



 空の色がだんだんと朱から紫の薄闇へと変わる中、幸嵩は一人、深い木々に囲まれた参道を進んでいた。玉砂利が奏でる足音に時折、風が木々の葉を揺らし、虫の声が重なっていく。

 しばらく歩き続けると、木々の隙間に再び鳥居の影が浮かび上がってきた。その向こうは木々の闇よりもわずかに青く薄闇をまとっていることから月明かりが差し込んでいるのだろう。

 子供の頃から、そしてつい昨日の記憶と何ら変わることのない鎮守の杜。幸嵩はこの先にあるだろう境内を目指してと足を早めるのだった。


 境内の鳥居の前には丁度左右を走る通りがあった。見れば正面参道よりもずっと短い距離で鳥居が見える。正門以外にも境内に続く参道があったらしい。

 そんなことを思いながらも、幸嵩が鳥居をくぐる。そして、そこは間違いなく彼の見知っている神社の境内が広がっていた。心に安堵が湧き上がる。見知らぬ場所に訳も分からず放り出された彼にとって、その大きさは如何ばかりか。

 地図に書かれたこの場所に何故気が付かなかったのか、何故見落としていたのか、もっと早く来たかったと幸嵩は心底そう思った。知らず幸嵩は目が潤み、泣きそうになっていた。そして鼻水が出そうになって自然と鼻をすする段になって、彼はようやくそのことに気がついた。

 ぐい、と手の甲で涙を拭う。視線の先には、ほんの一日前に師と兄弟子、その他祭に関わった人たちとともに飲めや歌えやと酒宴に興じた社務所兼神主の家があった。明かりが消えては居たが、神主がいるはずだ。


「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか?」


 ドンドンと戸を叩き、次いで訪いを告げる。しかし、反応は無かった。小さかったか、と幸嵩は再び戸を叩く。二度、三度と繰り返しても応える者が出てくる気配すら無かった。


「留守?……住んでない…のか?」


 しかし、諦めるか否かを思案しようとしたとき奥からバタバタと人の気配がした。やがて誰かが戸の向こう側までやって来る。


「どちらさまですか」


 用心のためだろう、戸越しに低い男性の声が返ってきた。聞いたことのない声だったが、地元とはいえこれだけ大きいのだし会ったことのない人も居るだろうと奇異とも思わなかったが、幸嵩は状況打破の鍵を握る場所での人との接触に少しばかり体を緊張させた。


「あの、私、橘 幸嵩と申します。夜分申し訳ないのですが、少し教えていただきたいことがありまして、お時間を頂けないでしょうか?」


 戸越しの問いにそう幸嵩が答えると、幾らかの間の後、宮司に訊いて参ります、とだけ告げると応対に出てきた男性の足音は去って行った。未だ戸は開かれていない。鍵すらも。

 取り残された幸嵩が薄闇に沈みつつある境内を見渡す。記憶にあるのと寸分と違わぬ光景。だがゲームの中では決して見たことのない光景だった。幸嵩は、我が身に降り掛かってきた厄災がここで祓われることを願って止まなかった。

用語設定


【妖狐】(ようこ)

 和風なファンタジーで御座る内のキャラの種族設定の一つ。

 人間に狐の耳と尻尾を生やしたキャラ。


【烏枢沙摩明王と書かれた御札】(うすさまみょうおう-と-かかれた-おふだ)

 便所の清めの御札。仏教(密教)における明王の一尊、烏枢沙摩明王の一切の不浄と欲望を焼き尽くす聖なる炎の功徳が祈念された御札。


 ※モデルも何もそのまんま。現実に烏枢沙摩明王の御札は便所に貼られていたりする。

 


【長さ】

 1丈=10尺≒3.03m

 1尺=10寸=10/33メートル≒30.3cm

 1寸=3.03cm

 1分=3.03mm


【重さ】

 1貫=6.25斤=100両=1000匁=3.75kg

 1斤=16両=160匁=600g

 1両=10匁=37.5g

 1匁=3.75g


【乃生州は箕乃】(のうしゅう-は-みの)

 和風なファンタジーで御座る内の地域設定の一つ。


 ※モデルは美濃(濃州)。現在の中部地方岐阜県の下の辺り。

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