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侍☆ロールプレイ  作者: もけきょ
第弐幕 日雇い仕事にて糊口を凌ぐで御座る
12/13

 楽土(らくど)(しゅう) 妙徳(みょうとく)(さん) 誓恩(せいおん)()は町外れの山裾にひっそりと建てられていた。

 この付近は古くから徒辺(とべ)と呼ばれ、現実世界の京都にあった鳥辺野の葬地と同じように庶民が埋葬される地として民衆に知られていた。

 そういう意味で、衆生(しゅじょう)済度(さいど)、特に武家や貴人階級ではなく主に一般民衆に手を差し伸べ教えを広めてきた楽土宗の寺院がこの地にあるのは当然とも言えた。

 

 長い石段の途中から目をやれば裾野に広がった墓地が見える。整然と並ぶ墓石も端に行けば行くほど乱雑に並んでいた。経済的理由か、それとも作られた年代の違いでもあるのやも知れない。あの何処かに無縁墓地があるのだろう。

 幸嵩は一先ず本堂で手を合わせてから、墓地へと下りることにした。墓参り用の手桶を求めて首を回せば、墓地の入口辺りに池が見える。幸嵩が本堂の方から来た道は丁度墓地の真ん中辺りに出るようであった。

 池では鯉が泳ぎ、亀が岩場で甲羅干しをしている姿が見える。ここの水は清水が流れ込んで出来ているため酷く綺麗で底まで見通せた。

 どうやら、その清水が湧くところを石で囲んで水盤代わりとして、そのすぐ側に手桶と柄杓が並んだ棚が作られてあった。


「さて、と」

 

 水が入って重くなった手桶を持ち、さて無縁仏が眠るお墓はどこかな?と当たりを見回すと、丁度良い所にお坊さんが一人竹箒を持って歩いてくるのが見えた。


「御免」

「はい、どうかなされましたか?」


 簡易な黒の法衣を纏ってはいたが、年の頃から考えてもこの寺の住職か、そうでなくとも位が上のほうの者だろう。

 

「無縁仏の眠る墓はどちらに」

「ああ、それならばご案内いたしましょう」

「いや、お努め(つまり掃除)の邪魔をするわけにも」

「いえいえ、これも努めにございますから」


 白い髭をたくわえ、皺の入った顔に柔らかな笑みを浮かべてそう言ったのは、やはりこの誓恩寺の住職であった。


「どなたかと御縁がおありですかな?」


 どうやら入口付近を目指しているようで無縁墓地はそちらにあるようだった。道々、住職がそんなことを口にする。

 少しの逡巡の後、幸嵩はここに出向いた理由をを話し始めた。


「……いいえ、縁と言えましょうや? 四日ほど前、番所から仏が幾人かこちらに来られたでしょう?」


 頷く住職を確認して言葉を続ける。


「あの者達は拙者が斬ったのです」

「……左様で御座いましたか」

「それで、手だけでも合わせておこうと。……彼等にしてみれば、何を、と思うのでしょうが」

「なるほど。…どうぞ、こちらで御座います」


 案内されたそこには、大きな墓石の回りを小さな墓石で囲み積み上げられて出来上がった一種異様な構造物があった。

 しばし幸嵩はそれを眺めていたが、やがて手桶を地面に下ろすと柄杓で三度、なるべく高い所、一番大きな墓石の頭に(実際は全く届かないが)届くようにと静かに水を掛けた。

 そしておもむろに懐からロウソクと線香、それと火打ちセット(火打ち石と火打金と燃え移らせる紙くず)を取り出し、火を付ける。

 線香の匂いが立ち昇る中、幸嵩はそっと手を合わせた。


 心の中で斬り殺した相手の顔と奉行所で聞き知った名を思い出す。ついぞ知れなかった相手には、その顔だけを。

 平身低頭、謝ろうと思っているのではない。鬱々と後悔しているわけでもない。

 ただ、例えこの世界がゲームを基にして作られた世界であったとしても、幸嵩の摘み取った命は、命の感触は確かなものだと思えた。


「御住職。申し訳ないが、これで経を一つ上げて貰えまいか?」


 顔を上げた幸嵩は、懐から財布と懐紙を取り出すと、二朱銀を一枚(およそ一万円ほど)包んで見守ってくれていた住職へとそう言って願い出た。

 お布施のこともあってか、住職は快く依頼を受けてくれる。


「仏説 摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空……」


 読経の音声おんじょうが虚空へと消えていく中、幸嵩は手を合わせ続けた。

 自己満足に過ぎぬと他人は言うだろうし、幸嵩自身もそう思わぬこともない。しかし、彼等にしてやれることは、もうこれくらいしか残っていないだろう。 

 だから、せめて安らかに眠ってくれと幸嵩は思うのだ。


「もう、宜しいので?」


 やがて、読経が終わった後も尚、手を合わせていた幸嵩がその手を解き顔を上げるのを見計らった住職が、そう切り出した。


「御住職、ありがとうございました」

「いいえ、仏様もきっと成仏なさることでしょう」

「だと、良いのですが」


 幸嵩は、その言葉に小さく苦笑を浮かべる。


「……橘様。少し、茶など召し上がって行かれませんか? 茶菓子もお付けいたします(ゆえ)

「いえ、拙者は…」

「遠慮なさらず」


 住職に押し切られる形で幸嵩は僧房(お坊さんの住居)の一室、その縁側へと招かれた。

 境内の庭は青々とした楓や躑躅(つつじ)、紫陽花など四季折々にその色を楽しませてくれるだろう種々の草木が植えられ苔生した岩と共に静かな佇まいを魅せている。


「粗茶ですが」

 

 しばらく手入れされた庭を眺めていたが住職が出してくれたお茶へと手を伸ばす。陶器の白に映える新緑のような色合いは、庭の木々の色とも相まって綺麗に思える。

 礼を言って(すす)れば絶妙な渋味が、菓子受けの豆大福の甘さとマッチして幸嵩の好みにピッタリだった。

 そう言えば、と懐かしさが脳裏を掠める。目の前のような立派な庭ではなかったが、稽古終わりに道場の縁側で師や師範代を交えて何度かこうして茶を頂いていたことが思い出された。

 今頃何をしているだろうか? 自分がいなくなったことを認識していればそれなりに心配しているだろうが、こちらとあちら時間の流れや意識の在り方など同じとも限るまい。

 どの道あの親子は、いつものごとくいつものように過ごしているだろう。

 ふっ。息を吐くような笑みが漏れる。


「……区切りは、御付きに成られましたか?」

「え? ああ、いや、これは。……いえ、そうですな、どうでしょう?」


 区切り。そう言われて改めて幸嵩は己の内心へと問いかけてみた。

 不正義ではないとは言え、人を殺したという罪悪感はある。後悔しているか?と問われれば、否と言いつつも心にわだかまりが残る。あれは仕方ないことと思いはしても、恐ろしいことをしてしまったと言う自責の念が鎌首をもたげる。

 だが、このことで魘されたり、無闇に気を張ったり、幻覚を見たり、夜眠れないということは無い。それを以って己の倫理道徳が壊れ歪んでいる。―――そういわけではないだろう。

 斬ったこと、斬り殺したことを良しと肯定はできずとも、己の背負うべき罪業とは受け入れている。


 それが区切りと言われれば、そうなのだろうが―――しかし、


「では、そうですな……仏門の身の私が申し上げるのも何ですが、橘様は」


と、住職はそこで言葉を切り、そして続けた。


「再び人をお斬りになること、適いますかな?」






 一瞬の空白。

 住職の言葉を呼び水に脳裏に、体に、そして心に思い出されてくるのは人殺しの記憶。皮を、肉を、骨を発つ手応え。血の匂いと悲鳴。命が消えていく感触。その瞬間。動かない骸。人を斬った自分。人を殺す自分。

 眉を顰め、ゴクリと唾を飲み込んだ。やはり、それは―――恐ろしい。


「恐ろしいことですけど……たぶん、出来ると思います」

「ほう、()()()()()()、でございますか」


 疑問に答えが素の口調に戻ったのは意識してのことではない。


「……」

「その()()()()()()とは、何でございましょう?」


 意味を計りかねて、幸嵩は疑問の視線を住職へと向けた。


「橘様の言う恐ろしいこととは、真実何を意味しておられるのでしょうな。世に言う殺し自体が恐ろしいことなのか? 殺し殺され、死が迫ることでしょうか? 結果、人殺しと後ろ指を指されれることかもしれませんな。それとも―――」

「…それとも?」

「それとも、人を殺せるように()()()()()()()()()()ですかな」

「っ―――」


 血の滴る刀を手に下げ、無数の死体を睥睨する己を幻視する。

 言葉が……出なかった。


「橘様のお感じになられる恐怖。それが本当のところ何であるかは、あいにくと判りませぬ。ですが、その本質は同じものではないかと拙僧は考えております」

「?」

 

 何が言いたいのか分からず、知らず頭に疑問符を浮かべる幸嵩。


「天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄。三界また火宅の如し、と申します」

「?、??」

「それは人の道行みちゆきに御座います。輪廻転生、人は死して、その一生の功徳に応じて六つの世界、六道へと生まれ変わると言われております」


 六道輪廻。生まれ落ちる世界である六道と、どのような生まれ方をするかを表した四生(胎生、卵生、湿生、化生)とを合わせ延々と生き死にを繰り返す。仏教の死生観。

 確かそんなような感じだ。だが、それが一体何の関係があるのか? 話が見えない。


「分からぬからこそ、人は迷い恐れるもの。故に御仏はその先をお示しになられたので御座います。

 橘様もまたその先を恐れておいでなのではないですか?」

「……その先?」

「人を斬ったが故の先。己の道行き。辿り着く所、にございます」


 辿り着く場所。終着地点。

 そう、かもしれない。身につけた剣の技が人を殺すものであると知り、実際に人を殺し、血臭を嗅いだというのにそれでも剣を放さなかった。放せなかった。

 流派の教えは言う。剣を抜かば、いかなることにも斟酌(しんしゃく)せずに只々剣を振れ。

 しかし、そして、その先にあるのは? このまま剣を究めんと進み続けたなら、どうなる? どうなってしまう?

 剣を求めるは、即ち戦いを求めること。戦いを求めるは血を求めること。血を求めるは死を求めること。この先には屍山血河が待っている。

 そして、その只中に唯一人立つのは、何事にも気を止めず情も無情も無く剣を振るうのみの存在。人斬り。即ち修羅こそが己の歩む先の姿ではないだろうか?

 もし、元の世界に戻った時、そんな様で例え修羅であると他の者には分からなくとも、その変わり果てた自分があちらの世に馴染めるのか? そして何より変わり果てた俺は俺であるのか?

 それを俺は恐れている。

 

「それで宜しいのではないでしょうか?」


 その言葉にいつの間にか俯いていた顔を幸嵩は上げた。


「恐れなされ。怯れなされ。畏れなされ。

 御仏も申しております。己の行いこそが先を決まるのだ、と。恐れを胸に持ち、問いかけ、その先を見つめつつ歩まれれば、道を見失うこともないでしょう」

「……御坊」

「そして例え道を間違えたとしても戻れば良いだけのこと。恐れを忘れなければ、きっとそれも出来ましょう」


 視線の先の皺だらけの顔が、フッと緩む。


「ああ、くどくどと長話が過ぎましたな。お茶が冷めてしまいましたか。新しいのを持って参りましょう」


 そう言われて口に含んだお茶は、確かに冷めて渋味が増していた。



 目を覆っていた腕を退かせば、最近ようやく住み慣れてきた長屋の煤けた天井が目に映る。

 ぼんやりと掌を眼前にかざして眺めれば、そこには長年の稽古でこさえた剣ダコがある。そのままスッと天井へと両腕を伸ばし、手の内(刀の握り)を作ってみた。

 常と変わらぬ作り方。腕の力を抜けば、重力に従ってゴチリと握った手が額に落ちた。手を広げ顔を覆う。ぐにぐにと面の皮を揉み解しながら息を止めた。

 

「んはぁー」 


 止めていた息を吐き出すように深呼吸。

 大きな体で狭い部屋に寝そべったまま、努めて何も考えずに天井を見上げた。

 イカンなぁ、と思う。うじうじと思い悩み、一歩を踏み出すのが遅いのは己の悪い癖だと分かっているが、どうして中々治らない。


「旦那ぁ、帰ってきてます?」


 入り口からの声に物臭さに首だけ回せば、そこに居たのは同じ長屋に住む独身男の益蔵だった。


「あー、昼間っから寝っ転がって。暇なんすか? 暇なんすね?」

「忙しい」


 幸嵩はそれだけ言うとプイと顔を背けた。


「そんなこと言って。寝てるだけじゃねぇすか」

「ふぅー。……で、何だ?」


 言い争っても仕方がないので、のっそりと体を起こした幸嵩をどこか覗きこむような感じで見つめ始めた益蔵。

 しかし、やおらその顔をニヤけさせる。


「ふっへへ、旦那ぁ」

「な、何だ?」


 急な豹変に戸惑っている隙に益蔵は、つつっと体を上がりかまちに乗り出して声を潜めた。家先には誰の姿も見えないのにも関わらず。


「この間の仕事、たんまり稼いで来たんでしょう? ひとっ風呂行きやせんか?」


 その理由の全ては、見事な助平(スケベ)(づら)と丸く輪っかを作った指が物語っていた。


 ◇


 益蔵に連れられてやって来た風呂屋は以前に(第弐幕の弐で)も行った湯屋だった。勝手知ったるとまでは行かなかいが、以前の記憶を頼りに着物と刀を衣棚へと収めると急々《いそいそ》と湯殿へと入っていく。

 湯気に煙る中、濡れた肌襦袢だけを付けた若い女達が、男達の体を洗いながら背や腕にその柔肌をくっつけて男の歓心を買っている姿が見えた。

 湯船には女の肩に手を回す男だったり、一人のんびり入る男がいたりと、各人、人ぞれぞれの様子。

 そう言う一緒に入ってきた益蔵も幸嵩を放って、早速、湯女の一人に声を掛け脂下がった顔を作っていた。それに呆れながらも、幸嵩は「そう言えば」と湯殿全体を見回した。


「旦那さん、あぶれたのかい? なら私に背中を流させてくれないかい?」


 そんな時に声をかけてきたのは、年の頃は二十半ば過ぎと言ったところの、湯女の中でも一等年嵩の鬼女。わざと豊かな胸を強調するようにして手に持った手拭いの入った湯桶を見せてくる。

 初めてここを訪れた際にまごつく幸嵩に声をかけてきた女だった。確か名はおみつと言った筈だ。


「確か、お光だったか?」

「あら、やだ。名前覚えててくださったんで? ふふ、私も覚えてるよ。だって、その体だものねぇ」


 お光はニンマリと笑みを作ると体を寄せてきた。石鹸と女の甘い匂い、そして湯に濡れた髪と上気した肌が艶めしい。

 幸嵩の上背は百八十センチメートルに少し足りない程度だが、この世界の男達に比べれば大男で、加えて肩幅広く骨太、筋骨の逞しさもあって目を引く体躯だった。それに顔の造作も悪くはない。厳しくはあるが意志の強そうな太い眉と鋭い目。大きめの口もグッと引き締めれば、男振りも一段上がる。

 しかもそんな男が初な生娘のごとくワタワタとしていたとなれば、記憶に残るのは十分過ぎるというものだ。

 

「そ、そうか?」

「ええ、ええ……ふふ、そうそう確か前はお染ちゃんがお相手して差し上げたんだったね」

「う。ま、まぁ」


 差し上げられた程、相手などしていない。お染にとって初の客であった幸嵩だったが、女性経験の少なさが祟ってガチガチに固まってしまった。結局、金が足りないと取り繕って彼女を買うこと無く逃げ帰る有り様。

 意味ありげなお光の笑みが前の不甲斐なさを指しているのだろうと察せられて幸嵩はどうにもバツが悪い。


「ふふ。……さぁさ、あちらへどうぞ」


 しかし、お光はこれ以上苛める気も無いようで幸嵩の背を押し空いている場所へと案内した。

 その後、お光が甲斐甲斐しく体を洗ってくれ、これでもかとばかりにその柔らかな肉体を密着させてくるものだから幸嵩の猛りは大変なものであったけれども、どうにか暴発だけは避けられていた。

 それに一つ、気がかりという程でもないが気になると言うか目で追ってしまう女がいたため、意識が正常値を保っていられたのかもしれない。


「……やっぱり旦那も若い娘が好いんだね」

「ん?」

「だって、私がこんなにしてるってのにさ、横向いてるんだものねぇ」

「んん? いや、そういうわけじゃ! お光さんも凄くイイよっ」


 想定外な事を言われて、幸嵩は焦りと動揺で喋りが素に戻っていることも自覚せず、ただ誤解を解くべく言葉を口に乗せる。

 そんな、図体風貌に似合わない態度を見せるものだから、


「へぇ……じゃあ旦那がお染ちゃんばかり見てるのは懸想でもしたからかい?」

「っ!?」


 お光の口からは、つい、からかいの言葉が出てしまっていた。

 またしても思ってもないことを言われた幸嵩が面食らってしまって姉妹黙りこむと、今度はお光の方が焦り出す。


「嘘。嘘。冗談だよ、旦那」


 そう困ったように笑うお光に幸嵩は安堵した。

 だが、行動を振り返れば確かにそう言われても仕方のないことかもしれないと少しばかり嘆息を漏らし、


「あぁ……いや、ただ…な。変わったんだな、と思って」


 と、簡潔に心情を吐露した。


 視線の先のお染は立派な湯女に変わっていた。男の背に胸を押し付け、嬉々として男の体に手を回す。下卑た言葉には言葉だけの拒否を向け、按摩への誘いには嬉しげに笑みを向ける。

 仕草、言葉、態度、表情、それら諸々全てが幸嵩の見知った彼女とは大違い。初々しかったお染は、影も形も見当たらなかった。

 当然と言えばそれまでだ。あれから大分時間が経っている。時間が人を変える。環境が人を変える。幸嵩だって重々承知している。


 でも―――


「まぁ、男がみんな初物はつもの好きって言ったって、いつまで経っても蒲魚かまとと振ってるわけにも行かないさ」

「……」

()()で生きてくためには変わるしか、そうするしか無いのさ。それが生きていくってことだよ、旦那」

 

 幸嵩の言葉と態度が批判的に見えたかもしれない。風俗に行き、やることやって賢者タイムに入ってからの説教のたぐいと思われたのかもしれない。

 呆れるような声音にほんの少し刺が入っていたのは気のせいではないだろう。


()()で生きていくには変わらねばならぬ、か」


 幸嵩には重い言葉に聞こえた。 

 生きるに必死で変わることを恐れて立ち止まってなどいられない。うじうじグルグルと同じ悩みを抱き続けて歩む足を止めたりはできない。

 だが、突っ走ったその先。ふと、省みた時。その姿はかつて望んだ姿になっているだろうか?


 その声音。

 その声音にお光は先の言葉になんとなくだが察しがついた。伊達に男相手に商売をしているわけじゃあない。

 故郷を思ってか、恋人を家族を思ってか、過ぎる時間と生活、変わってしまった環境、そして何よりそれによって起きた自分の変化に戸惑い、受け入れがたく感じているのだろう。

 そうした思いは自分にだって憶えがないわけじゃあない。それにしても馬鹿デカイ体をしているくせに、肝っ玉の小さいと言おうか女々しいと言おうか。

 いや、と内心で首を振る。女々しいというよりも、お光は目には、この筋骨逞しい男がまるで道に迷って泣く小さな子供のように見えてしまっていた。しょうがないことに。


「……でもね、旦那―――」


 だから、


「変わったように見えても、きっと変わらないものだってあるはずさ」


 幸嵩の頭を抱え込み自分の豊かな胸の間へと押し込んだ。そして腕を回し視界を遮る。

 視界を封じられ、頭全体を挟み込んでくる柔らかな肉の感触と女の匂いに幸嵩は戸惑った。


「な、何を?」

「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」


 耳元で囁かれた三十一文字は、歌人 紀貫之が残した百人一首に採用されている有名な歌だ。

 他人ひとの心は知らないけれど、この昔懐かしい地には、昔と同じ梅の香りがするよ”


 心変わりをした恋人への当て付けとも、故郷を離れた相手への便りとも取れる歌。

 しかし、ここで言う人を特定個人でなく人そのもの。ふるさとを今は無き生まれ故郷だとすれば、こうとも捉えることできるだろう。


“人は、人の心は変わっていってしまう。だけど古き里(記憶の中の故郷)の梅の花の香りは昔と何も変わることはないよ”、と。


 遠きにありて思ふもの。

 例えもし仮に、古里に咲く花が枯れ落ちてかわってしたとしても、人は、同じ花の匂いを嗅いだ時、記憶の中から在りし日の古里の姿を在り在り思い出すことができる。

 過ぎる時間の中で姿(すがた)(かたち)が変わっても、例え心変わりしていようとも、昔抱いた想いは、想いの記憶は変わらず心の片隅で眠っている。

 全てが変わりゆく中で、それでも変わらぬものはある。それを忘れるか、忘れぬかは己次第。


 「―――だから、何も不安がるこたぁないんだよ」


 母親が泣きじゃくる幼子をあやすように、髪の毛を優しく梳かれ、良い子良い子と頭をなでられる感触に幸嵩は息を止めた。

 温かく柔らかな人肌。トクントクンと聞こえる心音。包み込むようなそれに、知らず心の閂が緩んだ。


 見知らぬ土地に見知らぬ人々。右も左もわからぬ日々、聞き知らぬ習慣、常識の激変。突き付けられる無理難題。帰りたくとも帰る術さえ無い。知人友人親族家族の無事を確かめることすら出来ない。

 逃げ出したくとも逃げ場はなく、泣き暮らそうとも腹は減る。

 ならば、サムライを演じるのだ!と嘯き、剣を極めるのだと虚勢を張った。思い出さぬよう、考えぬよう気を張った。心細さに目もくれず、心を固く、平然と。そうせざるを得なかった。故に知らずそうしていた。

 しかし、挙句の果てに手を染めたのは人殺し。それでも、平気と言い聞かせ――


―――たけれど、


「っ――」


 と胸が詰まった。鼻がツンと痛い。目頭が熱くなる。ダメだ。止められない。お光の腕の中に泣き顔を隠し、嗚咽を漏らさぬように息を詰めるがそんなものは何の意味も持たなかった。詰まる息と頬を伝う涙お光が気づかぬはずもない。

 不甲斐ない。情けない。みっともない。だけど止まらない。決壊した心と涙腺はそのままに幸嵩は泣いた。

 泣いて、泣いて、泣きに、泣いて、縋り付きながら幸嵩は泣いた。人の目がどうとか、場所がどうとか、縋り付いた相手がどうとか、そんなことはお構いなしに只々泣いた。

 そして、縋られたお光は、その姿を周囲に悟らせないよう幸嵩を胸へと押し付けて嗚咽を押し殺し、ただ優しく彼の頭を撫でるのだった。



 口入れ屋の主、武蔵屋 太平はその丸顔に笑顔を浮かべて何度も頷いていた。

 それを受け取るのは上がりかまちに腰を下ろし、出された羊羹を前に茶を啜る駒木 源十郎。


「そうでございますか。それは、おめでとうございます。

 私も仕事を都合した手前、鼻が高うございます。」

「うむ。今まで世話になった」


 太平の言葉に駒木もまたその顔に常にはない笑顔を浮かべていた。

 じつは、先の川手町の御納屋での襲撃事件後、召し抱えの打診を受けた彼は仕官することを決め、本日その報告に武蔵屋へと出向いたというわけなのだ。


「しかし、残念と申しますか困りものと申しますか……」


 そうした目出度い門出にも関わらず武蔵屋が眉間に皺を寄せるので、駒木はその理由を当て推量で口にする。


「出せる手札が無くなる、か?」

「ははぁ、駒木様ならどんな荒事にも通用しましたからな。……橘様に期待しておりましたが」


 フルフルと首を横に振り、肩を落とす武蔵屋。

 その言葉に少しばかり驚いた風なのは駒木だった。


「まだ訪ねて来んのか?」

「ええ、まぁ」

「今の世では人を斬ったことのある者のほうが少ない。腕はあっても、踏ん切りが付かず駄目になる者が多いのは分かるが……行けると踏んだのだがな」

「見込み違いでしたかな?」

「うーん……言葉を掛けることくらいはするべきだったか」


 自身の身の事に忙しく何のフォローもしていなかったことに少しばかり思うこともあるにはあった。しかし、そうは言っても他人が唸ったところでこれは己で決着を着けることではある。

 とは言え、時間があれば酒か女にでも連れて行くべきだったか、と今更ながらに駒木は思った。

 ―――と、そこへ


「御免」


 現れたのは見上げるほどの大男。意思の強そうな太い眉に鋭い瞳。疎らに無精髭を生やし、口を真一文字に引き結ぶ、がっしりとした体躯の侍。

 噂をすれば影。当の幸嵩本人が立っていた。


「おや! これは、これは橘様。最近お見限りでございましたなぁ」


 喜色を表し武蔵屋が訪問を歓迎する。


「ああ、すまんな。すこしばかりな。それで、その、また仕事を探してくれると助かるのだが」

「ええ、ええ、それは勿論に御座います」


 武蔵屋の浮かべる笑みに何故だが気持ちの悪さを感じて視線をそらせば、じぃっとこちらを見る駒木の視線とぶつかった。

 なんだ? と思いつつ視線でそう問いかける。


「……もう良いのか?」


 耳に届いた声音で質問の意味が分かった。

 ホント、不甲斐なさが身に染みるし、情けなさに涙がでる。師の記憶に叱られ、坊主の言葉に諭され、最後は女の柔らかさに教えられた。


 『人を殺す』ということへの恐れは今もある。

 だけど、くすぶるのはもう止めだ。怖がり続けていても、どうしようもない。

 人を殺すことで変わってしまう己を恐れて立ち止まっても、この道を歩んでいる以上変わることは避けられない。ましてや逃げることなど出来やしない。

 俺はまだ俺へと戻ることができる。ならば変わりゆく己と変わらぬ己、そして辿り着きたい先を見つめて歩んで行けばいい。


 だから、


「……ああ、大事無い」

「そうか」


 幸嵩の表情で駒木はさっきの自分の懸念が杞憂だったと知り、自分の人物鑑定眼に自負を新たにした。

 そんな時、武蔵屋の言葉が二人の言外の話を遮るように発せられた。


「そうそう、橘様。実は今日、駒木様は挨拶に来てくださったんで」

「挨拶?」


 武蔵屋がのいう言葉の意味がわからなかったので駒木を見れば、彼は頷き口を開く。


「ああ。あの時の話な、受けることにした」

「ああ、あの! そうか、それは目出度いな」

「うむ。これで子供にも家内にも苦労をかけずに済む。あいつらには今まで苦労をさせっぱなしだったからな」


 そこで初めて幸嵩は駒木が妻子持ちだと知った。よくよく考えれば、いないほうがおかしい年齢に達している。

 まぁ、この世界の適齢期で言うなら幸嵩もそうなのだが。


「さて、そろそろ」


 駒木が腰を上げる。


「何? もう行くのか? せっかくだ、祝いの酒でも奢らせてくれ」

「引っ越しの荷物などまとめねばならんのでな。その気遣いだけで十分よ」


 幸嵩の申し出を軽く躱すと駒木は武蔵屋に向き直った。


「太平、本当に世話になった。色々と使い回してくれたことも今となっては良い思い出だ。体には気を付けろよ」

「ええ、駒木様も。ご栄達、陰ながら祈らせていただきます」

「橘も。最後の仕事でお主に巡りあったのも何かの縁。達者にな。武蔵屋には遠慮なく文句を言ったほうが身のためだぞ」

「ああ、わかった」

 

 苦笑交じりの幸嵩に、ニヤリと笑う駒木。


「駒木様」

「はは、これは堪らん。では、また、いずれ。どこぞで」


 武蔵屋の視線にそう笑った後、駒木は武蔵屋を後にした。

 その後姿が消え去り、少しばかりの寂寞感に店が包まれるとそれを嫌ってか、武蔵屋 太平は盛大に溜め息を吐いた。

 そして、その矛先を残った人物へと向ける。


「全く。橘様、駒木様はああ仰られましたがね、わたしとしては皆様のことを考えて色々伝手を頼ってお仕事を探して紹介しているのに、ああ悪し様に言われては立つ瀬が有りませんよ。だいたい―――」

「わかったわかった。わかっておるさ」


 愚痴を途中で遮られ、胡乱な目を向けてくる武蔵屋。

 幸嵩は、目を逸らしたがビシバシと横顔に中たる視線に負けて、何とか話を変えるべく口を開いた。


「ゴホン、えー、で、その、新しい仕事の口はあるかな?」

「ふん……ちょっと待って下さいよ」


 帳面をめくる太平を見て、ホッと胸を撫で下ろす。


 ◇


 こうして、人を斬ることを知った幸嵩は、日雇い仕事にて糊口を凌ぐ日々を続けていくのだった。


                                           第弐幕 了

 用語設定


【楽土宗】(らくどしゅう)

 VRゲーム【和風なファンタジーで御座る】内の架空の仏教の宗旨宗派。

 平安末期の僧、徳儖(とくらん)を宗祖とし、「仏様の名を唱える(称名念仏)によって仏に帰依しその教えに心を馳せ、日々の己を顧みながら生きることで往生楽土は果たされる」を教義とする。

 この念仏には本尊である阿弥陀如来の名が用いられ「南無阿弥陀仏」と唱えられる。


 ※モデルは勿論、浄土宗。


【修羅】(しゅら)

 今話中で幸嵩の内心として言及される修羅、すなわち理想の存在「何の迷いもなく剣を振るう者」は仏教で言うところの修羅では無い。

 誤解を生むことを恐れず言うなら「覚者かくじゃ」すなわち「さとる者」=「悟る者」=「仏陀」に近い存在ということになる。

 これは禅僧、沢庵宗彭が不動智神妙録において示した考え「剣禅一如」に拠る。

 

【手の内】(てのうち)

 日本の武術(剣、弓、合気、空手などなど)において掌の使い方、その感覚を表した言葉。

 武具を用いる場合、握り方=その形、握った時の力の入れ具合、武具を包み込んだ感覚 等々を指す。


【人はいさ心も知らず(後略)】


 古今集に収められている紀貫之(十六歌仙の一人。『土佐日記』の著者でも知られる平安前期の歌人)の歌。


その意味は

「(おうおう、最近お見限りじゃねぇか!との文句に対して)あなたは、さあ、本心かどうか分からないけど、昔なじみの場所で、アンタが昔と同じく暖かく迎えてくれるのは、まるっお見通しだ! このツンデレめ」


「(おうおう、最近お見限りじゃねぇか!との文句に対して)この昔なじみの場所の花の香は今も昔も同じだけれど、人の心変わりやすいもんさ。アンタの心なんざ私の知ったこっちゃないよ」


と二種の解釈がある。


注)本文中の解釈は、独自解釈なのでテストで書くと×をもらう。気を付けられたし。

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