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第弐拾陸話


電話番号をプッシュしてから、理奈は少し後悔した。先ほど時計を一瞥した時には既に11時を回っていたのだ。虚しくコール音だけが耳元で鳴る。その静かさが理奈を無性に緊張させる。なにしろ、今までろくにこうして友達というのに携帯で電話をしたことがなかったのだ。

「こんな時間じゃ迷惑だったよね」と携帯を耳から離そうとしたその瞬間、コール音が止んだ。


「…もしもし。どうしたの、こんな時間に?」


「ご、ごめんなさい三島さん。夜遅くに迷惑だったよね?」


「いや大丈夫だよ。今ちょっとうとうとしちゃって。江川さんが起こしてくれてよかったよ」


「本当にごめんね?で、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」


「うんOKだよ。私の分かることなら」


「えっと、百人一首のちはやぶるのやつなんだけど…」


「あぁ、在原業平の歌ね。で、その歌がどうかしたの?」


「うん。実は今、百人一首の参考書のその解説を読んでたんだけど、納得がいかなくて。この歌って、要は真っ赤な紅葉が川を赤色に染め上げているのは素晴らしいってことでしょう?でも私はその意味に納得出来ないの。それだと直接的すぎる気がして。その参考書のページが紅葉で真っ赤だったからたまたま気づいただけなんだけど、そのページを見てすごい情熱的な紅だなぁって思ったの。これって屏風歌なんでしょ?だから在原業平もその絵を見て、もしかしたら情熱的な恋愛感情を込めたんじゃないかな、なんて」


「真っ赤な紅葉のイラスト見てそう感じるなんてすごいよ!うん。業平は色好みな人で有名だからね。藤原高子っていう人との恋愛が特に有名で。この歌は古今集に収められてて、素性そせい法師って人の歌と前後してるの。そのとき素性法師は、『もみじ葉のながれてとまるみなとにはくれない深き浪やたつらん』って歌を業平の前に歌っててね、この歌が業平と藤原高子との恋愛を揶揄しているって言う説もあるの。だから、江川さんが思ったことは間違ってはないと思うよ。何しろ歌をどう感じるのかは人それぞれだし。江川さんが思ったように、和歌って言うのはその解説にあることだけが全てじゃないと思うの。一意的な意味じゃなくてもっといろんな意味が暗喩されてたり。掛詞はその単語に二つ三つ意味があるように、和歌にも文全体で別の解釈が出来るっていうのはよくあるんだよ」


 理奈はこの言葉を聞き、だとするとまだ残された道はあるのではないかと思惟した。あの遺された歌にはまだヒントが隠されているのではないか、と。


「そっか、ありがとう。こんな遅くに付き合わせてゴメンね。…でさ、もうひとつお願いがあるんだけど。えーと、その…大場くんのアドレスを教えて欲しいんだけど」


「へ?」


 この言葉を聞き、由紀乃はいささか素っ頓狂な声をあげた。出会ったばかりの自分とは即アドレスを交換したこともあり、2人が付き合っているという噂は否定こそされたが、最近よく2人でいることは事実であり既に交換済みのものと思っていたためである。由紀乃はゴホン、とひとつごまかしをいれて告げた。


「ごめんね。いいよ全然。じゃあ後でメール送るね」


 おやすみ、と一言挨拶を告げて理奈は電話を切った。一息つくとすぐにメールの着信音が部屋に鳴り響いた。開くと文面には彼の携帯のアドレスと、律儀に電話番号まで連なっている。しかもさらにご丁寧に『海人くん、かなり夜は強いみたいで12時過ぎてもかなりの確率で起きてるはずだから、急ぎの用なら今メールしても大丈夫だと思うよ。』と書かれていた。それを見るや否や、すぐにアドレス帳に登録し、メール作成画面に移った。男子になど一度もしたことのないメールに多少の緊張こそしたものの、絵文字なしの無難で味気ない文章を相手に送信した。


「これで、いいよね。あまり大場くんにも迷惑は掛けれないから…」




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