第弐拾参話
翌日、朝早くから太陽がじりじりと照りつける中、海人は学校へ赴かなければならなかった。夏休みとはいえども、3年生は受験ということで7月いっぱい、午前中は講習が待ち受けているのである。しかも強制で。
去年までであれば、夏休みというのはそれはもう楽園と呼んで過言ではなかった。野球部の奴らは夏の練習を”地獄”と称しているが、文化部である海人にとってはまさに楽園と呼ぶにふさわしかったのである。それも去年までの話。ということで、朝いつも通り重たい足をどうにか引きずって登校した。
「はぁぁ。何かいまいち集中できないな…」
今まで通常授業の時は、授業と放課後の調査で割り切って行動できていた。にもかかわらず、夏休みに入って二日目。どこか集中力に欠ける海人がいた。もちろん脳内では例の件についてリフレインしている。順調にここまできたが、この後の方針が立たない。そうしたちょっとしたわだかまりが妙に海人を焦らせる。結局この日の講習は勉強に全く集中できずに終えてしまった。そんな海人の姿を後ろの席から眺めていた者が一人いた。
「……い。おい、海人。大丈夫か?なんか元気ねえぞ」
「あ、ああ。修善寺か。特になんでもないよ」
「そうか。今日はずいぶんそわそわした感じだったから。皆徐々に勉強へのスイッチ入れ始めてるのに、海人が珍しいと思ってな」
「いや、ちょっとした悩み事かな。ずいぶん視野が広いんだな、修善寺は」
「いやいや。俺野球部の部長だったから、周りに気を使うのが少し得意なだけだよ。悩み事か。うーん。まあどんな悩みか知らないから上手いアドバイスか分からないけど、ひとつ言えるとしたら、人間誰しも必ず壁にぶち当たったりすると思うんだけど、そこで焦っちゃうことが一番の失敗の原因になるんだと思う。そりゃ、何かに打ちのめされたり、いわゆるスランプってやつになったら、迅速な対処ももちろん必要だけどさ。けどそこで落ち着いて周りの状況を確認したり、一から考え直すってのもたまには必要だぜ。ここら辺は数学の計算と一緒だよ」
「そうか、ありがとな。修善寺」
海人は納得した。江川華代という1人の女性にたどり着き、一首の和歌に出会い、そしてその和歌について由紀乃に説明を聞いて。すべてが順調に事が進み、このまま一気に片付けてしまおう。そう思っていた。だからその先どうすればいいか、それだけのことで焦り周りが見えなくなってしまっていたのだ。
そんな簡単なことも、時には視野が狭くなって考えつかなくなるときもある。修善寺は海人のそんな様子にいち早く気づき、アドバイスをくれた。さすがは野球部の部長を任される男である。
海人は修善寺に感謝の意をさらっと告げて、日課となった書庫へと足を運んだ。
「江川、先来てたんだ」
前日の、出してはならない感情は既に心の奥深くに追いやられていた。もはやその感情は最初からなかったかのごとく。
「ええ。じゃあ始めよっか」
理奈もいつもと変わらぬ表情で返した。どうやらただ単に昨日が二人しておかしかっただけだったようである。
「あのさ、昨日三島に話聞いて思ったんだけどさ、何かおかしいと思わないか?」
海人は自分のカバンのファスナーを開けながら理奈に尋ねた。海人の手にはクリアファイルが掴まれている。
「え、何が?」
「これ。昨日家に帰って三島に聞いたことをまとめてみたんだけどさ」
そう言って、海人はクリアファイルの中から紙を取り出して見せた。
「三島はこの和歌を読んで、確かに誰かを恨んでいるような、そんな歌だって言っただろ。そしてそれが江川家の子孫であることも。ここまでは実際にそうだし、十分納得がいくんだけど」
海人は理奈の方を向いた。理奈はまだ海人の言わんとすることが分からずただ海人の続きを伺っていた。海人は続ける。
「じゃあ何で江川家の『女性』だけなんだ?三島の言ってた通り、確かに華代さんは今後の行く末を見守ることが出来ないから、それで子孫の人たちに対して恨みに思うってのは分からなくないよ。でも、それじゃ女性のみっていうのの理由にはなってないんだよな。今現在江川家の女性だけに呪いが降りかかっている以上、更なる付加条件みたいなのがあるはずだと俺は思う」
「すなわち、それが分かれば解決の突破口になるってことよね?」
「ああ、きっとな。それでピースはすべて揃う」
ただこれに関しては、今まで以上に苦戦を強いられる。そう海人は思っていた。ただでさえ情報量が少ない上に切れるカードはすべて切ってしまった。残されたものがあるとするならば……
そう思い、海人は目の前にいるその少女に再び目をやった。




