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第玖話


 一方理奈は、非常に焦っていた。

(えっ…何これ…)

ペンが全く進まない。まずたった1問しかないことに理奈は驚きを隠せなかった。というか度肝を抜かれた。

(こんなの無理でしょう!伊賀先生は何を考えているの?ずっと韮山に住んでる私だって全然分からないわよ。いくら勉強したってこれは…)

 理奈が何とか書けるものと言えば、江戸時代以降の江川家による民政くらいである。江川家は江戸時代に徳川家からの命により、相模、伊豆、駿河、甲斐、武蔵の天領の代官として民政にあたっていた。しかし理奈は自分の家にそれほどまでの興味はもっておらず、むしろ嫌ってすらいたので、あまり覚えていなかった。

それくらいしか書けないので、当然時間は余る。そしてふとこんなことを思っていた。

(大場くんは出来てるのかな?…頑張って…)


 彼女の密かな想いだった。



「解答やめ。ペンをおいてください。じゃあ後ろから集めて来て」

その声がしたのと同時に教室全体からは一斉にため息が発せられた。当たり前である。一方からは大ブーイングの嵐。伊賀に対する悪口、批判、中傷が激しく行き交い後を絶たない。

(ゴメン皆、伊賀先生…)

海人は心の中でいたたまれない、何とも言えない気持ちになっていた。 

 もちろん、次の数学に向けて勉強を始める程の強靭なメンタルの持ち主はほとんどいなかったのは言うまでもない。



 1週間後、テストが続々と返却され始めた。もう高校3年にもなり、成績がかなり気になっている生徒も多くなり、いつもにも増して教室内の緊張感が異様なまでに立ちこめている。自分の名前を呼ばれて、テストを受け取ると様々な声が聞こえる。結果が良かった者、悪かった者、それぞれ一喜一憂している。

 ここまでは、まぁいつもとはさほど変わらない。1、2年の時と比べてまじめに勉強する生徒が多くなったくらいだろうか。しかし誰もが恐れていたあの授業、日本史がやって来た。


 伊賀は海人の教室に入って来た途端、「テスト返すぞー」といって、とてもニヤニヤしながら教卓に荷物を置いた。

 次々に名前が呼ばれる。何人犠牲者が出ただろうか。というか皆犠牲者だろう。


「……次、大場。」


「はい」


緊張の一瞬。指先までもが震えている。


「……………おめでとう。よく頑張ったな、今回の学年トップはダントツで君だ!!」


 周りがシーンと静みかえる。全員が前にいる海人の方へと視線をやっていた。まさか、海人が学年トップを取るなどとは誰一人として予想もしまい。


「よっしゃーー!!」


 思わず海人は叫んでいた。


 学年ダントツトップの解答を見ようと、海人の周りには人垣が出来た。海人がこんなに人気者になったことなどかつてないことだった。


「えー、今回のテストは少し難しかったかな?授業では一応触れたんだけどね。ということで、今回の平均点は、クラス平均がE組は31点。学年平均18点。どこぞの誰かさんが平均を上げてくれたみたいだな」


 そう言って、伊賀は海人の方を見た。 

 海人の点数は95点。明らかにクラス平均を引き上げていた。



 放課後、海人は伊賀に呼ばれて社会科教官室へと向かった。

「あぁ、来たね大場くん。それにしてもよく出来たもんだねぇ。感心だよ。あのテストであそこまで書けるとは思わなかった。いつも学年トップのあの長岡くんでさえ今回は50点いかずに2位だったんだ。もしかして僕の出題が読まれてたのかな?」


「いえ、途中までは全く気づかずにひたすらやってました。ですが、2週間前に『伊賀先生が作りそうな難しい問題』って何だろうって思ったんです。それでいつも授業中に話してる『韮山トーク』だと気づいたんですよ」


「そうかそれなら僕の完敗だな。今日から早速あそこで調べものがしたいのだろう?これが書庫の鍵だから。まぁ、今日は僕も後でそっちに顔見せるからその時説明をするよ。今はまだ仕事が残ってるから」


こうして海人は道を開く鍵を手にした。






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