しろつめ草
好きな人がいるの。
その人は男なのに色っぽくって、なのに無愛想で全然優しくない。
でも、冷たい人じゃない。心の奥深くにはあったかいものが棲んでいる。
保健室に通い続けて、なんとなく分かったよ。
初めて会ったときは確か今から一年前。
私の一目ぼれだった。
それからどうしても私に振り向いて欲しくって、わざと怪我をするようなことをした。
さすがに怪我ばっかしてたら自分の身がもたないって気付いて、本当に我ながら馬鹿だったと思う。
それでも一時間おきに通い続けてたから、さすがにうんざりとした顔をされたっけ。
でも、安心していいよ。
もう私ここに来ないから。
やっと私から解放されるよ、良かったね。
「マイ」
私を呼ぶ声がして、後ろを振り向く。
そこには貴方が立っていた。
運動場からは野球部の声が聞こえる。窓から夕日が差し込んで、少しまぶしい。
私が目を細くしていると、いつの間にか貴方は私の目の前にまで来ていて、見上げれば貴方は険しい表情をしていた。
「どうしたの、怖い顔して」
「何で言わなかった」
私の言葉を完全無視してそう呟いた。
いつもよりも低い声に、少し肩をすくめる。
そう、この人は怒るとすごい怖い人だった。
黙っている私に、貴方は舌打ちをして私の腕を乱暴につかんだ。
連れてこられた先は保健室。
保健室独特の薬品のにおいがする。
それに少し混じって、貴方の良い匂いがする。
ああ、私重症かもしれない。
「何で言わなかった」
同じ台詞をまた私に投げかける。
私はいつもの席に座りながら口を開く。
「どうして言わなきゃいけないの?」
きっと思いがけない言葉だったんだろう。
保健室に沈黙ながれる。
ちらりと彼を見ると、難しい顔をして私を見ていた。
きっと彼にあんな顔をさせられるのは、この学校で私一人だけだろう。
そのことが私を優越感に浸らせた。
「だって貴方、私に興味ないじゃない」
貴方は何も言わない。
かまわず言葉をつなげる。
「毎日通ったってかまってくれないし、最近無視だし。私の気持ち分かってるっていうのに、悪趣味だよね。だから私がいなくなったほうがいいでしょ? いなくなってせいせいするでしょ? そうなんでしょ?」
自分で言ってて悲しくなってきた。
そう、もうここには来れないの。
それに対して貴方は何も感じないんでしょうね。
私はこんなに胸が締め付けられるっていうのに。
「…ああ、そうだな、いなくなってせいせいする」
分かりきった言葉、でもなんでこんなに苦しいのだろう。
少しは期待していたのかもしれない。
そんな事ない、そう言ってくれるって思っていたのかもね。
馬鹿よね。
「でも、何かが足りなくなるんだろうな」
うつむいていた顔を貴方のほうに向ける。
貴方は寂しそうな笑みを浮かべていた。
「いつもは煩くってうぜーけど、いなくなったらなったで静かすぎるんだろうな」
私は何も言えなかった。
「で、どこに引っ越すんだ」
いきなりの問いに私はあわてて答える。
「北海道……」
「遠いな」
「…うん」
「帰ってくる予定は?」
「ない」
「へえ」
相変わらず寂しそうな目で私を見てる。
そんな貴方を見るのは初めてだ。
でも、意地悪な人。
思わせぶりな言葉を言っておいて、私が一番欲しい言葉はかけてくれないのね。
でも、これが貴方だよね。
こんな貴方だからこそ、私は好きになったんだよね。
「ねえ」
私は椅子から立ち上がる。
「好きだよ」
短い沈黙のあと、貴方は知ってると答えた。
私はそんな貴方に苦笑を浮かべながら、そうだろうねと言う。
もうこんな時間は訪れない。
次に会うときは、貴方は三十代に入っていて、私は大人の女性になっているだろう。
それでもきっと私の想いは変わらないんだろう。
「私、綺麗になるよ。大人の女になるよ。今みたいに子供じゃないよ。身体も心も、全部大人になるよ」
―――だから
「また会ってくれる?」
貴方はいつもの口元をつり上げたいやらしい笑顔で私を見ていて、私もなんだか笑ってしまって、そこに言葉は無かったけど、それは無言の肯定だと勝手に決めて、机の上にある自分のカバンを手にとってドアに向かった。
これでお別れだね。
また会おうね。
忘れないでね。
いきたくないよ。
静かに、ほほに涙がつたった。
最後に貴方の姿を焼けつけておきたくって振り向いた。
いつもの場所に貴方は座っていて、いつも通り私のことを見てて、でもその目がどこか寂しそうで。私の気のせいかもしれないけど、気のせいじゃなかったらいいな。
「バイバイ、先生」
嗚呼、身体に染み付いたこの保健室の独特のにおいが、また私を悲しくさせる。
しろつめくさ
花言葉:約束