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浮気を繰り返す夫に、魔女の秘薬を飲ませてみましたところ……

作者: 藤村 ルノ
掲載日:2026/09/02

 深い森の中に、ぽつんと一軒の古びた家がある。

 家の前には看板があり、【女性の相談、受け付けます】と書かれている。



「はい、では次の方、どうぞ。お名前は?」


 家の中では、黒いローブをまとう老婆と、客らしき貴婦人がカウンターをはさんで向かい合って座っている。

 部屋の中には不思議な臭いが立ち込め、棚には大小さまざまな瓶がずらりと並んでいる。


「ルータ・バルドックです。あの……ここは魔女のミミ・ベネフィカさんのお店ですか?」


「フェッヘッヘ、そうですじゃ。ルータさん、どんなご用でしょうか?」


「実は……夫が浮気をしているんです」


「はいはい、みなさんよくおっしゃいますじゃ……」


 魔女は、慣れた手つきでカウンターの上にいくつかの小瓶を並べ、そのうちの1つを前に押し出した。


「じゃ、この薬なんかどうじゃ? 飲めば旦那はイチコロ。証拠は残らん。金貨200枚ですじゃ」


 瓶の中でどろりとした黒い液体が揺れた。


「それとも、この薬は? 飲めば旦那は廃人じゃ。金貨100枚」


「い、いえ、それはちょっと……」


「ホゥ。じゃ、これなんかどうかな?」


 差し出した小瓶の中身は、透明な液体だった。


「ホホホ……これを飲み物にでもお入れなされ。金貨50枚じゃ」


「これは……なんの薬ですか?」


 ルータは小瓶を手に取った。


「なーに、使い方は簡単ですじゃ……」



 ◇  ◇  ◇



 ──夜・バルドック伯爵邸



「おかえりなさい、あなた。食事になさいますか?」


「いや、食べてきたからいい。ターナ男爵たちと一緒にね」


 ルータは夫のロータスが脱いだ上着を手にした。そこには、また、知らない香水の匂いが染みついている。

 結婚して10年だった。これでいったい何度めで何人目か。

 涙も怒りもとうに通り過ぎ、置き去りになった自分の感情がどこにあるのかさえ忘れかけていた。


「……そうですか。お茶でもいかがです?」


「いや、もう寝るからいい」


 ロータスはずかずかと寝室に向かう。ルータは例の小瓶をきゅっと握りしめた。



 ──翌朝



 ルータは紅茶の用意をし、夫のカップに小瓶の中の液体を垂らした。透明な液体は、すぐに紅茶と混ざり合う。


「……あなた。紅茶ですよ」


「うむ。今日は、昼から出かけるからな」


「なんのご用?」


「また、ターナ殿たちと会談さ」


 ロータスが紅茶をゴクリと飲み込む音が、小さくだが確かに聞こえる。ルータは意を決して夫に詰め寄った。


「ねえ、ロータス。率直にお聞きしますけど」


「なんだ?」


 ロータスは紅茶を飲みながら、ルータを見ずに気のない返事をした。


「あなた浮気してるでしょ? 本当のことをおしゃってください」


 その言葉に、ロータスは初めて顔を上げて妻を見た。


「なんだと!? 何をバカな……!」


「いいから答えて」


「してるわけがないだろう、まったく……」



 キュルルルルルル……。



 ロータスの腹から、奇妙な鳥の鳴き声のような音が聞こえてくる。


「は、腹が痛いな……。うーん、なんか、下痢のギリギリの時みたいな痛さだ。ううむ」


 薬が効いたようだ。ルータはほくそ笑んだ。


「どうやら、効果が出てきたようですね」


「効果!? 何の効果だ?」


「私の言う事を聞かないと、お腹が痛くなるって効果ですよ」


「そんなバカな!」


 口では強気だが、ロータスの腹にまた()がやって来た。


「だから、今日はもう出かけるのはおやめになって」


「いや、ターナ殿が待ってるんだ。行かねば。……ムム、は、腹が……」


「ほらね。私に逆らうと、そうなるんですよ。言う事を聞けば治ります」


「な?! いったいどうやったんだ!?」


「それは秘密です。あ、それと、このことは誰にも言わないでくださいね。約束ですよ」


「い、言ったらどうなるんだ……?」


「さあ……? ずっとお腹が痛いままかも?」


「ずっと……!? じゃ、じゃあ、一生腹が痛いままになるのか?」


「どうでしょう? 試してみますか?」


 その言葉に、ロータスの額に脂汗が浮かんできた。もはや腹のことしか考えられない。思考力を失いつつあった。

 ルータはロータスのそばにかがみ込んだ。


「ねえロータス、ターナ様と会談というのも、ウソなのでしょう?」


「う……うぐぐ」


「本当は浮気相手に会いに行くんじゃありませんか?」


「そ……それは」


「ささ、答えてくださいな」


 ルータの声は、穏やかだが有無を言わせない。


「い、いや、オレは……うぐぐっ……!」


「ほら。私の言う事を聞けば、お腹は治りますわ。どうなんです?」


「うう……。実は、会談というのはウソなんだ」


「じゃ、浮気ですか?」


 ロータスは黙りこんだ。沈黙が、せめてもの抵抗であるように。しかし、その抵抗は無駄だった。


「答えて!」


「はっ、はい! ……ごめん」


 その言葉を口にしたとたん、ロータスの腹の痛みがうそのように消えた。


「……あ、あれ? 痛くないぞ?」


 逆らえば痛くなり、従えば治る。魔女の説明した通りだ。ルータは得心したように息をついた。


「いいんですよ、もう。どうせ、これから2度と浮気はできませんから」


「に、2度と? ルータ、お前、もしやオレと離縁りえんするつもりか……?」


「……それもいいですけど、どうしましょう? 慰謝料をもらって離縁することもできますが」


「うん、じゃあそうしようか」


 食い気味に応えるロータスだが、ルータの返事は冷ややかだった。


「だめです」


「どうして?」


「離縁はしません。だって、それはいつでも(・・・・)できますし。……それに」


 ルータは微笑んだ。これまでの10年間、忘れていた笑いだった。


「……それに、あなたは、これからずっと私の言いなりですもの。簡単に離縁してはもったいないですわ」


「うう……」


「そんな顔をなさらないで。これからは仲良く(・・・)しましょう、あなた」


 ロータスの肩に、ルータはそっと手を置いた。夫はもはや抵抗する気力もないようだ。



  ──3日後、ルータとロータスはアクティアム侯爵の開催する晩餐会に出席することになった。



 侯爵が開催するだけあって、豪華なものだった。貴族たちがいつもより着飾り、あちこちで談笑している。

 ルータとロータスは、次々に参加者とあいさつを交わした。


「ロータス様、お久しぶりね(・・・・・・)


「おお、キャロルじゃないか」


 あいさつに現れた女に、ロータスの目じりが下がる。ふだん妻には見せない顔だ。しばし2人は、まるでルータがいないかのように会話を交わす。

 距離が近い。しかしルータは涼しい顔をしている。


「ちょっと、あなた。キャロルさんはお忙しいのよ。放してさしあげないと」


「まあ、いいじゃないか、ちょっとぐらい……うっ」


 ロータスの腹がギュルルと鳴った。


「ね? それじゃあ、キャロルさん、またお会いしましょう」


 いぶかしげに立ち去るキャロル。ロータスの腹痛はおさまったようだ。だが、ほっとしたのもつかの間だ。


「あーら、ロータス様」


「ロータスさまぁ」


「ロータスさまじゃないですかぁ」


 会場の女たちが次々とロータスの元に集まってきた。ルータはあきれたように首を横に振った。


「はーっ、ロータス。あなた、こんなにたくさんの女と浮気してたの? やれやれ、その方たちを追い払ってくださいな」


「い、いや、そんなわけないだろう! それは誤解だ、誤解……うっ!?」


 ロータスは腹を抱えて崩れ落ちた。


「……こ、これまでで最大級の腹の痛さだ。ま、まずい……このままでは……このままでは……!」


「あなた、お気をつけて。このままでは伯爵としての権威はがた落ちですよ。ほら、みなさん見てますよ」


「は、腹痛はらいたを治してくれ、ルータ。たのむ……」


「治し方はご存知でしょう?」


 ルータが冷ややかに見降ろすと、先ほどの女たちがロータスに群がる。


「どーなさったの? ロータスさま!」


「ロータスさまぁ、しっかりしてください~」


 もはや女たちの言葉も耳に届かない。ロータスの顔から汗がしたたり落ちる。


「お、お前たち、オレから離れるんだ……」


「だいじょうぶですかぁ? ロータスさまぁ」


「離れろと言っているだろう……!」


「ロータスさまぁ~」


 我慢の限界は近い。切羽詰まったロータスは声を張り上げた。


「お、お前ら! ……オレのそばに近寄るなあーーーー!!」


 ロータスが喚くと、女たちは悲鳴を上げてばらばらに走り去った。


 会場の視線がロータスに集まる。うずくまる伯爵と、その横に涼しい顔でたたずむルータを交互に見てはひそひそ話をしている。


 腹痛の余韻(・・)にひたっているロータスのそばに、ルータがしゃがみこんだ。


「あなた、大丈夫ですか? みなさん、申し訳ございません。主人は体調が悪いようなので、これで失礼いたしますわ」


 ルータは夫をささえて会場をあとにした。他の貴族たちの話し声が聞こえる。


「ざわざわ……バルドック殿はいったいどうしたんだろう?」


「さあ……? しかし、献身的な奥方ですなあ」


「まったくだ。バルドック殿は幸せ者ですな」



 ──1か月後



「おかえり、ルータ。またジムナジウムかい?」


 もみ手をせんばかりに、ロータスは帰宅したルータを出迎えた。あの晩餐会以来、すっかり態度が変わっている。


「はい、ダイエットになりますの」


 ルータは頬を上気させたまま上着を脱いだ。


「そうだよねえ。このごろルータ、キレイになったもんな」


「ありがと、あなた。……ああ、フィットネスのし過ぎで疲れましたわ。ねえ、ちょっと肩をもんでくださらない?」


「はいはい、任せてくれ。マッサージでもなんでも、なんなりと」


 もはや、彼には逆らうという選択はあり得なかった。ロータスはルータの肩をもみ始める。

 魔女によれば、薬の効果は一生つづくとのことだ。



 しばらくもんでいると、ルータが満足げに言った。


「ああ……いい感じになってきましたわね」


 ルータは、ようやく自分の感情を取り戻せたような気がした。それどころか、もっと別の楽しみを見つけたようだった。


(おわり)



お読みいただきありがとうございました。

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